猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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繊細な子が進学校でドロップアウト
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    繊細すぎると、進学校でつらい思いをする。
    特に中高一貫生の、大人しいタイプの男の子は、ドロップアウトしやすい。
    中学受験で、小学生の時にクラスメイトの数百倍勉強したが、難関中学に入れば勝手が違う。小学校ではクラスで一番だったのに、だが中学ではワンノブゼムである。
    プライドが傷つく。小学生の時は黙っていても成績が良いことで敬意が払われたが、難関中学では埋もれる。
    活発な子は部活や恋愛に活路を見出すけど、内省的な子は心理面と勉強面のダブルパンチで、学校に身の置き場がなくなる。気力が減退し、まわりからは燃え尽きたように見え、ひどい時には学校をやめてしまう。
     
    うちの塾OBにも、進学校をドロップアウトした子がいた。
    彼はうちの塾で中学受験をして、遠方の難関中学に合格し、塾を小学校で卒業した、内気だが聡明な男の子で、風貌が大沢たかおに似ているので、ここではタカオ君という名前にしておこう。
    彼が中学に入学した時には、順調な中高生活を送ることを、誰もが信じて疑わなかった。入学式の黒い詰襟姿が初々しく誇らしかった。
     
    だが、高1の時、お母さんから電話があった。タカオ君が高校を辞めたいといっているらしい。成績は落ちて不登校になり、家で本ばかり読んでいるという。
    不登校の兆候は、高1の頃からあらわれた。
    まずタカオ君は模試や定期試験の日に学校を休むようになった。それから普通の授業の日も欠席がちになった。彼はこの頃から「ゆとり教育は正しい」「偏差値で競争を煽るのは間違っている」と評論家のような口ぶりでつぶやき始めたという。
     
    家では父親が「お前には根性がない」と、タカオ君に対して大人の説得力ある口調で理詰めで注意するので、タカオ君は黙って反抗の意を示すので、家の中が緊迫状態でストレスに耐えられないという。
    だから、お母さんは離島にいるおばあちゃんがタカオ君を引き取り、高校には行かず「晴耕雨読」のスタンスで、まずタカオ君の心を休め、大検目指す方法を考えているらしい。タカオ君自身もそれがいいと言う。
     
    私は島で塾をやっているが、実は本土とは橋で結ばれ、フェリーで5分しかかからない。大きなスーパーも、セブンイレブンもローソンもファミリーマートもある、比較的にぎやかな島である。
    だがタカオ君のおばあちゃんの島は離島で、船の最終便が午後7時、人口は600人、店は雑貨屋と農協があるだけである。17歳の高校生というより、71歳の老人がリタイアして住むのが似合う島である。この島には、30年以上前に演歌のヒットを出した作曲家が、隠遁して印税生活を送っているという。
    お母さんは、一人息子を高校も行かさず離島に住まわせる選択が間違っていないかどうか確かめるために、私に電話をかけてこられたのだ。
     
    私はお母さんの提案に、一も二もなく賛成した。
    高校中退して、離島に隔離されれば、「ニート」「引きこもり」と人は揶揄するだろう。
    明治大正時代には、当時の帝国主義的な風潮になじめず、仕事に就かず家でぶらぶらし、読書などをして過ごしている知識層の若者のことを「高等遊民」といった。
     
    夏目漱石が『それから』の主人公・代助が、高等遊民の典型とされる。一節を紹介しよう。
    「君はどっかの学校へ行つてるんですか」
    「もとは行きましたがな。今はやめちまいました」
    「もと、何処へ行つたんです」
    「何処つ方々行きました。然しどうも厭きつぽいもんだから」
    「ぢき厭になるんですか」
    「まあ、左様ですな」
    (中略)
    「それで、家にゐるときは、何をしてゐるんです」
    「まあ、大抵寝てゐますな。でなければ散歩でもしますかな」
    「ほかのものが、みんな稼いでるのに、君許り寝てゐるのは苦痛ぢやないですか」
    「いえ、そうでもありませんな」
    「家庭が余つ程円満なんですか」
    「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」
    「だつて、御母さんや兄さんから云つたら、一日も早く君に独立して貰ひたいでせうがね」
    「そうかも知れませんな」


    代助は現在の視点から見れば、明らかに「ニート」「引きこもり」である。
    だが私はここで「高等遊民」という言葉に、将来性がある若い人が読書をして知識を吸収する、将来に向けた涵養の時期というポジティブな意味をあえて与えてみた。
    タカオ君は17歳で、離島でおばあちゃんといっしょに生活し「高等遊民」になった。私が彼に島に引きこもるのがベターという選択を支持したのは、彼の小学生時代の様子を見て、本が好きだという一点に賭けたからだ。
    タカオ君が読書嫌いで、テレビやゲームに没頭するタイプなら、離島で高等遊民という方法は取れなかった。十中八九、怠惰なまま日常を過ごし、人生をスポイルすることになる絶望的な選択になるだろう。
     
    私はタカオ君を塾で引き取ることも当然考えた。だが、塾という環境は学校より競争社会である。
    彼のような繊細な男が、若者の野心で煮えたぎる進学校や塾という競争社会に身を置くことは、トラの檻にリスを投げ込むようなものだ。それより離島で本に囲まれながら、学問の楽しさを本から吸収した方がいい。
     
    偏差値という数値は、闘争本能がある受験生には、アドレナリンが高まる数値である。偏差値が高ければ昂揚し、低ければ燃える。肉食系男子のための数値なのだ。
    タカオ君のように、勉強を競走ととらえる「猛烈ビジネスマン型」ではなく、知的好奇心が赴くままに学ぶ「学者型」の子には、偏差値は自然な勉強意欲を萎えさせる数値である。競争社会や偏差値から離れることで、学問の本来の楽しさを知る。タカオ君はそういうタイプだとお母さんは判断したわけだ。親の本能は正しかった。
    タカオ君は、離島で自学自習し、現役高校生より1年多くかかったものの、愛媛大学医学部に合格した。
     
    高2で学校をやめ、離島で過ごすというお母さんの奇抜な判断を、私がなぜ確信を持って賛成できたかと言えば、それは、私自身の経験が大きい。
    私も開成高校という超進学校で、心を病んだ時期があった。勉強面と人格面ですごい同級生に囲まれ、劣等感に貫かれ無力感を感じ、勉強する意欲をまったく失った。勉強ができ精力的で、私が何もかも敵わないと感じた同級生は、現在衆議院議員をやっている。刺激的な環境に打ちのめされた私は、高2・高3と高校を休みがちになり、映画ばかり見て時を過ごした。
     
    大学受験に失敗した私は、1年間家に引きこもって、外界と遮断し宅浪して、早稲田をめざすことになった。国立大学を狙うには数学が必要だ、だが、数学の遅れは致命傷で自力では難しいと判断した。予備校に通って授業を受けるのが嫌で、参考書から学ぶ方が精神的にも楽だし、性に合っていると考えた。幸い私は現代文が得意で、読解力には自信があった。タカオ君も私と同じタイプと判断したのだ。
    タカオ君は「高等遊民」から国立大医学部に合格した。でも、たぶんタカオ君は、「引きこもりから医学部に合格した」という、暑苦しいサクセススト―リーに、軽い嫌悪感を抱くだろう。
     
    内向的で読書好きな若者は、競争社会から隔離し、自分とだけ向き合うことで心の安定を取り戻し、勉強嫌いから抜け出すことができることもあるのだ。
     
     
     
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