猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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試験本番で強い平常心を保つには
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    模試を何十回繰り返しても、大学入試本番はたった一回。とくにセンター試験は一回勝負だからこそ、フィギュアスケートや体操の選手のように、転倒の危機と隣り合わせの緊張感がある。受験生は羽生結弦や内村航平と同じ体験をしているのだ。
     
    では、どうしたら一回勝負の本番に強くなれるのか?
    本番で最大のピンチは、最初の科目で失敗した時だ。メンタルを根こそぎやられる。思考停止に陥り、今までの努力が水の泡になったように落ち込む。

    センターでは最初の地歴公民では失敗しても痛手は少ないが、2教科目の国語が怖い。国語で失敗すると気分が重くなる。次の英語で集中できなくなり、ドミノ倒しみたいに失敗の連鎖が続く。
    センター試験では休憩時間に、スマホをいじってはいけない。自分はできなかったのに「問題易化か?」「国語170点しか取れなかったぁ」という目に痛い情報はショックだ。センターは情報戦だけども、試験の休憩時間に限っては情報弱者にならなければならない。。
     
    最初の科目で失敗して困るのは、心の張りが消えることだ。残りの科目で細部に気が配れず、消化試合のように解き方が雑になるのだ。しかも無意識に。
    アニメ作家の宮崎駿は執念深いほど強い気力の持ち主だが、それがジブリ映画の細部へのこだわりにつながっている。『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』の細かい描き込みは、粘着質と言っていいほどの緊張感の持続が成し遂げたものである。
    魂は細部に宿る。コケて緊張感が緩めば魂が逃げる。

     
    入試本番で、適度な緊張は気力を充実させ、問題を丁寧に解く原動力になる。少々の緊張は電気エネルギー、緊張を怖がってはならない。
    本番ではふだんの力を100%出せればいいと言うが、柔道の谷亮子やレスリングの吉田沙保里は、本番中に練習の120%ぐらいパワーアップしているように見える。本番に強い彼女たちに共通しているのは、動物的な攻めの姿勢である。あれは明らかに、本番の緊張感を味方につけている。電気エネルギーをギラギラに浴びている。
     
    だけど実際には、緊張感のバランスコントロールは極めて難しい。過度に緊張すれば重圧で頭が働かないし、逆に緊張の糸が切れたら雑になる。
    最初に失敗した時の、精神的ダメージを最小限に食い止めるには、最初からこけることを「想定内」と考えて臨むといい。センター試験の国語は失敗しやすいから「0点でもいい」と最悪の事態を想定して試験に臨もう。
    完璧を期して試験に臨めば減点されるごとに傷つくが、0点でも「想定内」と開き直れば攻めに転じられる。転倒も「想定内」である。想定内。開き直って緊張感を保つには、とても便利な言葉だ。



     
    | 大学受験 | 20:29 | - | - | ↑PAGE TOP
    状況説明の名手は、人を熱くする
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      大衆に爆発的に愛される人や作品の共通点。それは「状況説明」が抜群にうまいことだ。客を世界観に誘導するために、丁寧に、しかも楽しく状況説明をする。
      3人例を挙げてみよう。
       
      黒澤明の『七人の侍』は日本映画オールタイムベスト10では1位2位を争う名画だ。
      戦国時代が舞台で、収穫期に作物を盗みに襲ってくる野武士を追い払うため侍を雇う農民の話だが、3時間以上ある上映時間の2時間半が、最後の合戦シーンへの状況説明になっている。農民が村を守ってくれる侍を探すプロセス、村で一緒に住む侍と農民の人間関係、村を守る作戦会議が2時間半も続き、合戦シーンは最後の30分だけである。
      この道には人員を何人確保し、野武士を何人やっつけるか、作戦を具体的に図示しながら、合戦への緊張が高まっていく。
      状況説明の巧みさが、観客を合戦にシュミレーションゲームのようにのめり込ませる。下手なシナリオの映画は観客に疎外感を味わせるが、『七人の侍』は映画と観客の距離感が極めて近い。2時間半もの壮大な状況説明が『七人の侍』を名画にした。
       
      立川志の輔はチケットが日本で最も取りづらい落語家の一人だ。独演会は数分でチケットが売り切れる。志の輔人気はひとえに状況説明が「わかりやすい」ことが原因である。古典落語という芸能はそれ自体難解で、本質的に「わかる奴だけわかればいい」という性格を秘めているが、志の輔の落語にはそれがない。視線が好事家でなく落語の素人に向いている。
      志の輔は古典落語を語るとき、マクラを時代背景の説明に費やすことが多い。このマクラがわかりやすく面白い。江戸時代は3年に1回は閏月があり、その年は1年は13ヵ月だったのが、明治になって太陽暦に変わった。この知識がないとわからない演目の時、志の輔は上演時間30分のうち10分を状況説明に使った。話が難しくなりそうになると「ついてこれますかこの話?」と客に振って笑いを取る。この間が絶妙である。
       
      松岡修造は熱いのに暑苦しくないのは、解説がクールでわかりやすいからだ。
      松岡修造は錦織圭の師匠だが、錦織圭の凄さを、素人にはわからないプロの視点でわかりやすく語る。テニスのルールも知らない私のような素人が、錦織圭のラリーの凄さを知ったかぶりで語れるのは、松岡の状況説明の巧みさのおかげである。
      「報道ステーション」の松岡の解説で驚いたのは、なんと「サーブを返すことをリターンと言います」と、テニスのルールの初歩の初歩を語っていたことだ。にわかに錦織に注目し始めたテニスのルールを知らない人に向けた配慮だろう。素人をテニスの世界に引き込む状況説明で、一人でも多くテニスに巻き込もうとする心配り。熱いだけの人ではない。
       
      状況説明の大切さは、もちろん授業にも当てはまる。各単元に導入する際の状況説明こそが、授業の成功のカギを握っている。
      映画で状況説明がない合戦シーンには客は乗れず、時代背景がわからない落語は眠く、ルールを知らないスポーツ試合観戦が退屈なように、予備知識がない授業は理解不可能だ。
      勉強でつまずいた子には、膨大な量の状況説明が必要なのが厄介だ。社会が短期で伸びやすいのは、比較的状況説明が短くてすむからだが、数学が伸びにくいのは、状況説明に膨大な時間がかかるからだ。
      小学校で算数の割合や分数につまずいた子に、中2で一次関数を教えるのに、どれだけ状況説明の時間と労力が必要か。
      子どもが勉強を楽しめるには、丁寧な状況説明で子どもに疎外感を与えず、「勉強のこっち側」の人間にする気づかいが必要なのだ。子どもを勉強の側に引きずり込んでしまえば、あとは自分たちで勝手にやってくれる。
       
      とにかく、頭のいい論理的な語り口の状況説明は、聴き手に取って快感だ。林修など状況説明の技術だけでテレビの人気者になったと言っても過言ではない。
      また司馬遼太郎の本があんなに厚いのは、他の歴史小説家に比べてはるかに多く状況説明に紙数を割いているからだ。
      わかりやすい状況説明と言えば池上彰の存在を忘れてはならないが、池上は人に関心を持たせるには、状況説明で相手を「ノせる」というニュアンスのことを書いていた。
      人が理解しにくいことを語るとき、最初に思い切って状況説明に時間や紙数を取ることは、聴き手や読み手を熱くし、思考をドライブさせる。人を熱くする語り手は、状況説明の名手なのだ。



       
      | 未分類エッセイ | 16:37 | - | - | ↑PAGE TOP
      おでんは子供に人気がない
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        小学生の授業、家でお母さんが作る料理のうち、一番好きなメニューは何かという話になった。
        人気がある献立は、カレー・ラーメン・ハンバーグ・八宝菜・まぐろ丼・牛丼・オムライスなどが並んだ。

        嫌いなものの筆頭は、レバー・ゴーヤチャンプルー・野菜サラダ・酢の物などのがあがった。また子供が口を揃えて嫌いだと言ったのは「ぬた」である。たしかに小学生の好物が「ぬた」「おから」「ひじき」とか老人くさい食べ物だったら少々おかしい。

        意外だったのは「みそ汁」の不人気。何人かの子が「みそ汁はまずい」と言っていた。みそ汁は米と同じで、うまいまずい以前の問題だと思っていたのだが、どうやら今の小学生の味覚は違うらしい。


        それから、おでんの評判が異常に悪い。味的には問題がないようなのだが、どうやらおでんは毎日続いてしまう傾向にあるのが嫌われる原因らしい。

        おでんは手抜き料理になりがちである。水に昆布を引いて鰹でダシを取るならともかく、最近では粉末状の「おでんの素」があるので、だしは簡単に作れる。そこへスーパーで買ってきたかまぼこ、ちくわ、つみれ、バクダン、さつま揚げ、ごぼう天などの練り物や、大根、こんにゃく、巾着、昆布巻きなんかをド〜ンとぶち込めばできあがり。入れる順番なんて関係ない。

        まさかイワシのつみれを魚をさばくところから丁寧に作る人は少ないだろうし、ましてや自家製のさつま揚げを作っている家庭は、鹿児島県ならともかく一般家庭では考えられない。おでんにかかる手間といったら、玉子を茹でて皮をむくことぐらいである。

        冬の寒い日なんかにおでんが食卓に上がると、身も心も暖まるものだが、問題はそのあとだ。おでんの鍋の中にある具を1日で食べきってしまう家庭はあまりない。

        大抵は残るはず。その証拠におでんの残り汁にうどんを入れましょうとか雑炊を作りましょうといった話は聞いたことがない。
        また冷蔵庫の中にはまだちくわやさつま揚げなどが残っている。汁は残るわ、タネは残るわで、全部胃の中に入れなければもったいない。というわけで次の日もおでん、また次の日もおでんになってしまう。

        カレーなら2〜3日経つと味が馴染んで旨くなるが、おでんは味が濃くなり汁が汚くなるばかりで、残り物感はぬぐえない。味がしみて旨くなるのは玉子ぐらいのものだ。

        しかもおでんの具は日が経つにつれだんだん貧相になってゆく。ちくわが無くなる、大根はとろける、昆布の切れ端が浮かぶ、ごぼう天は煮過ぎてバラバラになりダシが薄汚くなる、そんなこんなで末期には鍋の中にこんにゃくばかりがブカブカと浮かんでいるのだ。

        そんな具の少なくなったおでんに新たに大根や玉子を加えると悲惨なことになる。薄汚く灰色になったおでんのダシに、味の全くしみていない透明な大根や、真っ白でつるんとしたゆで玉子が加わる。大根や玉子がダシに馴染むまではさらに長時間かかり、そんなことをしていたらおでんは2〜3日どころか、永久に食卓に上ってしまう。

        子供は毎日おでんでいい加減飽きる。塾から腹をすかせて帰ったら食卓にはまたおでん。いつでもおでん。育ち盛りの子に毎日のおでんはこたえる。そんな子供に気を使って、お母さんの昼ごはんは、いつも残り物のおでんである。
        またおでんは基本的に大人の食べ物であって、日本酒のあてに最高だろうが、ご飯のおかずには合わない。そんなところも子供からおでんに対してブーイングが出る原因だろう。

         
        余談だが広島県のおでんは牛すじがうまい。すじなら良いおかずになる。ただ広島では「ちくわぶ」を入れる習慣がない。スーパーにもあまり売っていないし、コンビニのおでんのラインナップから外されている。ちくわぶはおでんの炭水化物担当で、腹を膨らませるには最高なのに不在はいたい。

         
        | 旅行食べ物 | 19:05 | - | - | ↑PAGE TOP
        『真田丸』に名作傑作の予感
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          NHK大河ドラマ『真田丸』を見た。非常に面白かった。
           
          実は見る前に危惧があった。三谷幸喜脚本の『新選組!』に私はあまり乗れなかったのである。近藤勇が香取慎吾、土方歳三が山本耕史というキャストに、違和感を持ち続けたのだ。
          私の勝手なイメージは、近藤勇は野心家の田舎者で、土方歳三は純粋なテロリストである。関八州のヤンキーが京都で暴れたのが新選組である。香取慎吾も山本耕史も、私には上品過ぎた。
           
          NHK大河ドラマは歴史上の人物に新たな解釈を加えようと、イメージと違う俳優をキャスティングする傾向がかつてあった。徳川家康がそうで、太った体型の狸親父の家康のイメージを覆そうと痩せた俳優をキャスティングしたが、しっくりこなかった。『徳川家康』では滝田栄、『秀吉』では西村雅彦で、『信長』に至っては家康役はなんと郷ひろみだった。『功名が辻』で家康を西田敏行が演じた時、どれだけ安心して見ていられたことか。
           
          それから、会ってもいない歴史上の人物を邂逅させると、話が一気に嘘くさくなる。『新選組!』では初回で近藤勇と坂本龍馬が出会っていた。史実は謎だが近藤と龍馬が会うことで作り話感があり、その後の話にもイマイチ乗れなかったのは残念だ。
          女性主人公の『江』の上野樹里、『花燃ゆ』の井上真央に至っては歴史上の重要場面に顔を出しまくり、ファンタジーにしか思えなかった。
           
          『武田信玄』でも、中井貴一の武田信玄と上杉謙信の柴田恭兵が、川中島の戦いで一瞬しか目を合わせないシーンがあった。これも史実かどうか怪しい、この場面は嘘かもしれない。だが感動的だった。出会ってもいない歴史上の人物が出会うウソは、大成功か大失敗に終わるのである。
           
          『真田丸』に危惧を感じたのは、三谷幸喜の最新作『ギャラクシー街道』は筋が破綻し失敗作だと伝えられたからだ。また三谷氏自身がメガホンを取った『清須会議』は正直微妙な仕上がりだった。三谷氏のコメディの才能が、歴史ものでは上滑りするのである。『真田丸』も戦国ものをアメリカンコメディの手法で描かれたらどうしようという恐れがあった。特に大泉洋はコメディアン的な華がある俳優だが、時代劇では地雷にもなる存在である。
           
          でも、それは杞憂に終わった。
          大河ドラマが失敗に終わるケースは、人物に感情移入できない時である。だが大泉洋演じる信幸、草刈正雄の昌幸の性格描写は見事だった。しかも三谷幸喜のシナリオの技は遊び心に満ちている。
          大泉洋の信幸は寡黙で堅物のように見えるが弟信繁を思う優しい兄、抑えた演技に信頼感があった。
          草刈正雄の昌幸は、女性家臣を含めた大人数の前では「武田家は安泰」と楽観的なことを言って一同を安心させるが、カットが一瞬にして変わった信幸信繁兄弟の前では「武田家は滅びる」と本音を述べる。昌幸の策士ぶりをワンシーンで描写した、三谷幸喜しか書けない、ビリー・ワイルダーの映画のような遊び心あるシーンである。うなった。
           
          素晴らしかったのが平岳大演じる武田勝頼。偉大な父信玄と絶えず比べられ、武田家を滅亡させた悲劇の二代目である。
          勝頼から家臣が一人、また一人と織田側に寝返っていく。その運命を怒ることなく静かに受け止める、平岳大の絶望諦念の表情がいい。笑顔がはなかい。
          そういえば平岳大の父・平幹二郎は『武田信玄』で息子晴信(信玄)から駿河に追放された信虎役を、新劇調の大芝居で演じていた。信玄の父を平幹二郎、信玄の息子に平岳大、親子が動と静の対照的演技だったのは面白い。このキャスティングも三谷幸喜の遊び心だろう。
           
          そして主役信繁の堺雅人。
          私が大好きな俳優堺雅人が、どんな演技をするのかと思えば、『リーガルハイ』の古美門に近いはっちゃけた演技で、古美門から狂気を抜かし子どもっぽい、一風変わった信繁だった。緻密な演技計算で定評ある堺雅人が、なんでこんな奇妙な信繁像を作り上げたのか少し疑問だったが、第1話の信繁は15歳の設定なのだった。納得。

          視聴者はまだ信繁には感情移入していない。第1話で場をさらったのは平岳大の武田勝頼である。そして15歳の純粋な信繁もまた、滅びゆく勝頼に感情移入していた。滅びゆく勝頼を見つめる信繁の目は、やさしい目だった。
           
          武田家を滅亡させた勝頼、豊臣家を滅亡させた秀頼は、同じ運命にある。後年、信繁は秀頼を助ける。大人の信繁は、秀頼に勝頼の姿を見出したに違いない。秀頼は勝頼の生まれ変わりなのかもしれない。
          『真田丸』第1回武田家滅亡は、最終回豊臣家滅亡の布石である。勝頼に感情移入した信繁に対して、視聴者はいずれ強く感情移入するだろう。大坂の陣で信繁は『半沢直樹』のように復讐の鬼になり強くなって、徳川家康に立ち向かう。

           
          | 映画テレビ | 15:28 | - | - | ↑PAGE TOP
          英単語は単語集で暗記か?長文で暗記か?
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            英単語の暗記法その1は、長文の中で自然に暗記するという方法だ。
            英語を学ぶ時、単語だけ詰め込むなんて間違っている、アメリカ人やイギリス人は、自然体で英語を習得してきたわけで。日本語が使えるわれわれだって、日本語の単語集で日本語覚えたわけではない。
            長文読解力とは未知の単語を類推する力で、類推力は長文を読むことでしか養えない
            類推量とは何か。英語ではわかりにくいので、日本語を例にしてみよう。
            次にあげるのは、三島由紀夫の小説『春の雪』の一節である。
            「兇器に使った刺身庖丁のことでございますが、松吉は職人気質のある男で、本当に使いいい庖丁をいくつか自分用に持っていて、『これは俺にとっては武士の刀だ』なぞと申しまして、女子供には手も触れさせず、自分で研いで大切にしておりました。それが、ひでさんとの事で私が悋気(りんき)をはじめましてから、危ないと思ったのでございましょう。どこかへしまい込んでしまいました。」
            「悋気」という難しい言葉が登場していますが、難しい言葉はこれだけで、日本語読解力があるわれわれは、悋気を「狂って頭がいっちゃった」という意味だと、ある程度は類推できる。
            英語も同じで、未知の単語があっても、文脈から類推する訓練が読解力を高める、という考え方。
             
            もう一つの考え方、英単語の暗記法その2は、それは英単語集で暗記する方法だ。 
            英単語を長文で類推しながら暗記するなんて、英語が苦手な受験生の心理がわからないエリートのたわごとだ、という反論は当然成り立つ。
            英語が得意な人なら、わからない単語が少々あっても、日本語みたいに類推できる。でも、一行に知らない単語が4つも5つもあったら類推なんかできるわけがない。金田一耕助やコナン君じゃないのだから。
            極端な例だが、こんな知らない単語だらけの文章が読めるだろうか?
            Messi prefiere actuar de extremo y no de ariete para descomponer a la abigarrada defensa rival.
            英語が苦手な受験生の目には、英文もこんなふうに難しく見える。類推できるもんならやってみろ、という感じだ。
            単語を知らないと、英文読んでて本当に不愉快だ。アサリを食べていて、砂がジャリジャリするのと同じ感覚だ。英文を読めない人は知らない単語だらけで、英文を砂入りの米みたいに感じている。まず単語集をガッツリ覚えて、砂を丹念に一粒一粒取り去るのがベター、最初から類推なんてとんでもない。
            そういう考え方だ。
             
            だけど実際のところ、英語が苦手な人は、長文の中で単語を暗記するのも、単語集で暗記するのも両方嫌う。そもそも英単語の暗記自体が嫌いなのだ。
            単語集で”insurance””confess””nutrition”と機械的に単語を1つずつ英単語集で暗記していると、ビー玉を飲み込むような苦痛を感じる。
            しかも、単語集で消化不良のまま暗記した単語は、長文に登場した時に未知の単語に感じる。せっかく単語集を使って努力根性で暗記したはずの単語が、長文で出会うと「別人」に見えてしまうのだ。
            ならば単語集はやめて長文を読み、意味の流れの中で単語を暗記すれば記憶に残りやすいのだろうが、長文アレルギーの受験生は長文にはもっと抵抗がある。英単語集がビー玉を飲み込む苦痛なら、長文はボウリングの玉を口に押し込まれるような拷問だからである。
            初心者が『速読英単語』みたいな長文で暗記する単語集を使えば、痛い目に合う。
            単語を暗記する時、英単語集は短すぎて記憶に残らず、長文は長すぎて敷居が高い。ちょうど良い長さのものはないだろうか?
             
            英単語集は進化しているのだ
            かつての英単語集は現在の目から見たら「粗悪品」だ。
            戦争直後から受験生のバイブルだった英単語集、1942年初版の通称『赤尾の豆単』(旺文社)は、ただ単に単語の意味がABC順に羅列されているだけで、例文も一切ない。
            最初に載っているのが、アルファベット順が一番若いabandon【見捨てる・断念する】で、当時の受験生はみんなabandonだけは知っていた。abandonしか暗記しないで豆単挫折して、合格の神様から見捨てられ、進学を断念した受験生は多かった。
            そこへ『試験に出る英単語』森一郎(青春出版社)という画期的な本が出た。この通称「でる単」はアルファベット順でなく、試験にでる順に単語が並べられた画期的な構成の本だった。intellect,conscience,traditionとアルファベット順でない配列は新鮮だった。『英単語ターゲット』(旺文社)にもこの方式は受け継がれた。
             
            現在、単語集で最も進化した本が『システム英単語』(駿台文庫)である。
            通称『シス単』は、単語だけを暗記するのでもなく、うんざりする長文の中で暗記するのではない。たとえば’follow’なら’follow her advice’という、短いフレーズと一緒に暗記する、ありそうでなかった方式を考え出した。
            フレーズで暗記すれば、長文という「現場」で使える単語力がつき、単語集で暗記した単語が長文に登場した時に「別人」に見えるリスクも少なくなる。
            「帯に長し、たすきに短し」ということわざは悪い意味で使われるが、シス単の「単語には長し、長文には短し」のフレーズ暗記は、英語が苦手な受験生の助けになるだろう。
            『システム英単語』が幅広く支持されている理由は、こんなところにある。
             
            英単語暗記、まずは『シス単』が正しい答えだと思う。 

             
            | 大学受験 | 18:16 | - | - | ↑PAGE TOP
            難関私大・本番直前歴史の勉強法
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              難関私大を受験するのは、社会が得意な人が多い。

              と同時に、英語が大の苦手な人も、これまた多い。

              35月の全統模試は英語45、国語64、世界史74、世界史だけは全国トップクラスで、英語は中2レベルからやり直さねばならないほど悲惨、そんな高校生はたくさんいる。
               

              彼らの世界史の知識はかなりのもので、イギリスの戦後の首相の名前を、アトリー・チャーチル・イーデン・マクミラン・ヒューム卿・ウィルソン・ヒース・ウィルソン・キャラハン・サッチャー・メージャー・ブレア・ブラウン・キャメロンなどと自慢げに諳んじる。

              だが、そのイギリスで話されている言語である英語はからっきし苦手で、首相を英語で何というか尋ねてもわからない。歴史の知識はブラックホールのように吸収するのに、英語の知識は『キングダム』の函谷関のように脳が拒絶している。
               

              そんな受験生は、放っておくと世界史の勉強ばかりする。世界史の過去問は第一志望の早稲田の全学部だけでなく、慶応や上智の過去問も積極的にやる。

              だけど英語の過去問は第一志望の早稲田ですら手を付けなくて、「やったら?」と勧めても「自信がなくて・・・」と及び腰になる。
               

              難関私大は英語の配点が高く、英語で決まる。社会に時間と興味を費やすのは戦略上不利なのはわかっている。ましてや直前に新しい問題集を手当たり次第にやるなんて論外だろう。入試は教科書から出題されるわけで、大学の問題作成者は教科書を参照しつつ問題作成するわけだから、教科書をじっくり掘り下げた方が理にかなっている。

               

              だけど、英国の点数がある程度あれば、受験直前に、社会の新しい問題集を片っ端からやるのが絶対に良い。

              難関私大の社会は、「高校生クイズ」で、出場高校の生徒が、ネットとか本とかで手当たり次第に知識を吸収し、本番に備えようとするようとする。同じ本ばかり繰り返していたらクイズ王にはなれない。テレビ収録本番前には、詰めて詰めて詰めまくるはずだ。世界史・日本史の直前勉強法も、それと同じことだ。

               

              たしかに、歴史のやり過ぎは良くないのは承知。歴史に時間使い過ぎて、英語や古文に支障が出たらたいへんだ。

              だが、早慶や難関私大を受けるくらいだから、簡単なことばかり繰り返す勉強は退屈だ。だったら問題解きまくったほうが楽しい。

              ゲームだって新しいゲームの方がやり甲斐があるだろう。歴史が得意な人は1週間に1冊ぐらい新しい本をバンバンやればいい。得意教科だから時間はかからない。

               

              もちろん、やり過ぎには注意だ。

              ヒマラヤ山脈への登山は、八合目からが厳しい。登山は7000m級の山より、8000m級の山は段違いに難しいという。8000mを越えたら酸素濃度は海面の3分の1である。エベレストの頂上付近には、カラフルな登山服を着た150体以上の遺体が、白い山肌に放置されている。
               

              難関私大の世界史・日本史も、8割以上を取るのは難しい。残りの2割は難問奇問珍問で、10割めざすのは時間と労力の無駄である。

              とくに歴史が好きな人は、歴史の勉強に没頭してしまい、英語・国語がおろそかになる。目標はあくまで8割。英語の方がただ、9割以上取りやすい。

              世界史や日本史を8割から9割へ上げるのは、英語を8割から9割へ上げる時間と労力の100倍必要だ。また英語嫌いの受験生は、英語を避けて世界史や日本史の「楽しい」勉強に逃避する傾向がある。くどいようだが、難関私大は英語で決まる。 

              ヒマラヤ山脈の山の頂上に登るには、八合目の壁を超えるのが不可欠だが、難関私大の世界史・日本史の勉強では、9割・10割を狙うのはナンセンスだ。8割でいい。
               

              ここでちょっと矛盾した言い方になるけれど、難関私大歴史で怖いのは、8割でいいと考えていると、実際、6割ぐらいしか取れない。10割を意識してはじめて、8割が狙える。

              8割でいいと言っておきながら、二枚舌のようで恐縮だが、重箱の隅をつつくような姿勢、「完璧主義」な心意気が、私大文系の社会には必要なのである。

              このバランスが、もう、とても難しい。
               

              結論。難関私大の入試本番直前2か月からは、世界史・日本史については新しい問題集を使いまくるべきだ。勉強時間の科目別比率も、英語:国語:社会を3:2:5ぐらいにしていい。勉強時間の半分を歴史に注ぎ込んだほうがいい。直前の社会は「詰め込み教育」がふさわしい。

               

              ただし、難関私大の問題傾向に合った本と合わない本がある。問題傾向が研究されていない、ピントのずれた本には、絶対に手を出してはならない。

              ピントが合った本なら、東進の世界史・日本史の一問一答。一問一答は東進のものが唯一無二だ。早慶に出そうな問題がズラズラと並ぶし、軽いコラム的な説明もあって飽きない。直前の世界史・日本史のマストアイテムである。
               

              一問一答と並行して、Z会の『世界史・日本史100題』と旺文社の『世界史・日本史標準問題精講』の2冊は押さえておきたい。この2冊は問題もさることながら、解説文の用語が出題される。解説が宝の山だ。

              あとは早稲田を受験するなら慶応の、慶応なら早稲田の過去問をやればいい。早稲田と慶応では同じ用語や人名が出題される。難関私立を受けるなら、第一志望以外の大学の過去問には積極的に当たってほしい。
               

              新しい問題集へ果敢に攻めれば、知らない用語人名が山ほど出てくる。だけど「これ知らなかった、畜生」と叫んだ瞬間、間違った歴史用語はクッキリ頭に記憶されているはずだ。記憶するには間違えて悔しい思いをするのが一番だ。アンビバレントな心理だが、間違った瞬間「やられた!」と悔しいふりはしているが、心の中では笑っているはずだ。俺にはできると。世界史日本史の勉強にトランスすると、難問を解けなくても、爽快な敗北感をおぼえる。難問は勉強の射幸心を煽る。

               

              ここで、一つ忘れてはならないのは、知らない用語が出てきたら、教科書や山川の『世界史・日本史用語集』で、掲載されているか確認することだ。知らなかった用語や人名が、教科書の脚注の片隅に出ているのがわかる。(ときどき、どこのも掲載されていない難問があるのはご愛敬だが)。で、そんな用語をマークすれば、まだ入試問題や問題集に出題されていない、歴史用語や人名があるのがわかる。マーカーが引かれていない箇所こそ、入試に出題される可能性が高い。

              教科書・用語集をただ漫然と眺めているだけではダメ。こういうアクティブな勉強こそ「教科書で学習する」というのである。

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