猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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英単語を書いて暗記するのはバカ?
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    凡才「俺、英単語が覚えられないんだけどな。何度も書いて暗記してるんだけど、難しくて」
    天才「どうして君が英単語暗記できないか教えてやろうか?」
    凡才「うん」
    天才「君に感性と記憶力がないからだ」
    凡才「えっ?」
    天才「はっきり言って、バカだから」
    凡才「お前、かわいい顔して、ひどいこと言うなあ」
    天才「事実じゃないか」
    凡才「もっとオブラートに包めよ」
    天才「僕は英単語暗記に苦労したことはない。でも君は暗記できない。これを才能の差といわずして何という? 僕は君の悪口を言ってるわけではない。客観的事実を述べてるだけだ」
    凡才「じゃあ、お前は書いて覚えないのかよ」
    天才「僕は英単語を書いて記憶した記憶がない」
    凡才「じゃあ、どうやって暗記してんだ?」
    天才「英単語が自然に頭に飛び込んでくるんだ」
    凡才「ふん。俺はどうせバカだから、書かなきゃ覚えられないんだよ」
    天才「違う。君はバカだから書いて覚えようとする。記憶力もバカだし、勉強法もバカだ。君の単語暗記法見てると、簡単な単語も難解な単語も同じ数だけ書いている」
    凡才「なんだと」
    天才「極端な話、君は’go’’contemporary’も同じ数だけ書いている。小学校の漢字練習みたいじゃないか。『スクールウォーズ』の「花」か。花花花花花。書いている間、思考停止してないか? そんなのは頭脳労働じゃなくて、ただの手作業だな」
    凡才「でも学校の先生も塾の先生も、書いて暗記しろと言ってるぞ」
    天才「あのね、先生の側から見れば、書いてる生徒は真面目そうに見えるんだよ。生徒が一心不乱に英単語書いてる姿って健気じゃないか。逆に単語眺めてるだけじゃあ、手を抜いてサボってるように見えないか? だから教室の秩序を保つために、もっとはっきり言うなら生徒を真面目っぽく調教したいがために、書いて覚えることを奨励してるんだよ」
    凡才「でも俺は見て暗記できないな。書いて暗記しないと不安だ。単語集覚える時も書いて覚えるね」
    天才「その単語集で暗記する方法が、そもそも間違ってる」
    凡才「ターゲットやシス単使っちゃ、いけないのか?」
    天才「いけないとは言わない。まあ君くらいのレベルなら仕方ないけどな」
    凡才「さっきからお前、俺をバカにしてるな。少々勉強できるからって、威張るんじゃないぞ。おまえは石田三成みたいな性格だな。まわりから嫌われて破滅するぞ」
    天才「あのねえ」
    凡才「なんだよ」
    天才「単語というものは、単体で覚えてはならない。文の流れの中で覚えるんだ」
    凡才「それはわかってる。だけど理想論だろうが」
    天才「まあ聞きなさい。君は英語はダメだけど、日本語は日常会話程度は扱えるよね」
    凡才「日常会話程度って、言うことがイチイチむかつくな」
    天才「さっき、君は『おまえは石田三成みたいな性格だな。まわりから嫌われて破滅するぞ』と僕を批判したけど、文章まるごと一気に言っただろ?」
    凡才「それがどうかしたか」
    天才「君は、『おまえ』『石田三成』『性格』『まわり』『嫌われて』『破滅』といちいち単語を意識したか? してないだろ? 単語を意識しながら話したら「おまえ、石田三成、性格まわり、嫌われ、破滅あるよ」と、日本語習いたての中国人みたいな話し方になるだろ?」
    凡才「おまえ俺をからかってるのか?」
    天才「君の言葉を冷静に分析しただけだ。君は日本語をフレーズで血肉化している。でも外国語は単語の羅列に頼っている、ということが言いたい」
    凡才「じゃあ俺にも言わせろ。日本語だったら文章まるごと自然に暗記できるよ。でも英語は外国語だから、単語帳で暗記するのは効率がいいだろ。単語から積み上げていかないと習得は難しいぞ。中国人だって日本語をマスターするのに、きっと単語暗記からはじめているぞ」
    天才「そこなんですよ。要するにだな、僕は天才だから外国語も母国語みたいに学べるわけだ。それが才能の差だって言ってるんだ。僕は英語を呼吸をするように自然に学ぶ、君は努力と根性でしか学べない」
    凡才「そんなこと言われたら、お前みたいな語学的才能を持たない受験生は、どうすればいいんだ?」
    天才「とにかく、英単語をただ書いて暗記するという、迷信からは抜け出した方がいいな。君の勉強法は、間違ってるね」


     
    | 大学受験 | 10:18 | - | - | ↑PAGE TOP
    中学受験「お父さん家庭教師」の破綻
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      父親が子供に勉強を教えるというのは、どういうことなのか?
      中学受験期の子供に勉強を教えている「お父さん家庭教師」は、かなりの数にのぼるだろう。
      しかし子供が成長するにつれて、だんだん父親は子供に勉強を教えなくなる。教えられなくなる。

      その理由はまず、父親の学力にある。難関中学の算数は難しいから、父親が問題を解けなくなる。
      小6ぐらいになってくると、子供に「お父さん、この問題教えて」と質問されても、お父さんは30分も1時間も頭をひねるだけで、問題が解けない。

      難関中学の算数の問題は年々難化しているから、子供時代に中学受験を経験したお父さんでも歯が立たない問題は多いし、また自分の受験時代には存在しなかった面積図が理解できないから、教え方は自然と我流になり、しかも「方程式なら解けるんだけどね」と突如方程式が登場したりして子供は戸惑う。
      子供は黙ってお父さんが難問と格闘する姿を見ている。お父さんは子供の視線が拷問プレッシャーになり、ますます解けない。難問にイラつき、「こんなもん自分で解け!」と逆ギレするお父さんの気持ちもわかる。

      小4ぐらいまでは子供に「ちょっと算数教えて」と質問されても瞬時に答えることができるが、小6の子に本格的に勉強を教えるとなると、しっかりした予習が必要だ。一旦教える決意をしたら腹を括らなければならない。
      塾のプロ講師ですら綿密な予習をして授業に臨むのだから、素人のお父さんが難関中学の問題を生半可に教えることは難しいのが現実だ。本格的に教えるには膨大な時間と執念がいる。

      たった1〜2問ぐらい算数の質問に答えるぐらいは時間的に楽だと思われるかもしれないが、子供は自分が解けないから質問に来るのであって、必然的に質問される問題は強烈な難問になる。
      お父さんは仕事から帰って来たら突然、進学塾のテキストで選りすぐりの難問を子供から「わからん」と質問される。パパっと解いて鮮やかに説明できる父親は少ないだろう。

      予習した範囲を授業形式で教えるのは易しい。逆に、突然子供が持って来た難問を解くのは難しい。サーブを打つより受けるほうが格段に難しいのと同じことだ。持ち込まれた難問に答えるには強靭な学力が必要で、塾のベテラン塾講師並みに中学受験に知悉していなければならない。

      だから子供に勉強を教えることのできる父親は、時間に融通が利き予習時間や過去問研究の時間が取れる自営業の人か、あるいは予習しなくても教える能力がある医者か官僚か弁護士か大学教授のような高い学力を持つ人か、子供の教育にかける意気込みが狂気のレベルに達している人か、或いは本職の塾講師という場合に限られる。
       
      「お父さん家庭教師」は、反抗期思春期の子供に反抗されるか、無気力の仮面でサボタージュされる。
      10歳を超えれば、父親と子供はN極とN極、S極とS極といった具合に反発し合うのが普通ではないか。親子がベタベタの蜜月関係だったら気持ち悪い。
      狭い部屋で父親と子供が向かい合って、或いは子供の勉強机の横に父親が陣取って勉強を教えている姿はいかがなものか。
      個人差はあるだろうが、私には強い抵抗がある。子供の立場だったら絶対に嫌だ。ほとんどの子は抵抗を示して、「お父さん家庭教師」から卒業する。

      父親から過度に束縛された子供は「解放」され、勉強の道にはなかなか戻れない。出汁を取った後の鰹節や昆布のような抜け殻になる。特に六年間一貫中高の成績下位の子には、強い倦怠感がある。俗にいう「燃え尽き症候群」である。

      子供時代、あまり勉強しなかった人が親になると、子供に限度を超えて勉強させる傾向がある。自分が勉強しなかったから限度がわからない。勉強させられる痛みがわからない。自分は子供時代遊んだのに、子供に期待して口やかましく勉強させる親は、自分に甘く他人に厳しい典型だ。
      執拗な「お父さん家庭教師」は、内田樹氏言うところの「ファミリアル・ハラスメント」の一種だ。子供の抵抗は、無気力による成績低下か、最終的な大爆発で幕を閉じる。
       
      父親「お前、勉強しないと社会の落伍者になるぞ」
      子供「うるせいな、アンタだって落伍者じゃねえか。自分の仕事の不平不満を、俺の教育に持ち込むな。仕事やポジションに不遇感やらコンプレックスを抱いているからって、俺に夢を託すんじゃねえよ」
      父親「父さんは若いころもっと勉強すればよかったと後悔してる。だからお前にはもっと勉強してほしい。俺にとっておまえの成長が生きがいなんだ」
      子供「それが嫌だ。ああ嫌だ。その暑苦しい愛情の押しつけが嫌だ。アンタもいい加減俺にかまってないで、自分の生きる道見つけたら? 自分は努力せず俺に勉強させて卑怯だと思わないか? アンタの生き方は、夢を子供に託すという美名に酔った他力本願じゃねえかよ。迷惑なんだ。この毒親!」
      父親「父さんはお前のことを思って・・・」
      子供「アンタ幽鬼みたいな顔してるぜ。自分の顔、鏡で見なよ。アンタの本質は自己愛だ。子供の気持ちより自分の気持ちを優先する。その証拠に、俺はアンタから愛を感じない。とにかくウザい」
      父親「・・・」
      子供「アンタ、俺を使って、世間に復讐しようとしてるだろ」




       
      | 中学受験 | 13:45 | - | - | ↑PAGE TOP
      せっこつ君
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        14年前私の塾に、小5から中3まで通っていた、ある男の子がいた。
        彼は家が接骨院なので、塾の友人達から「せっこつ君」と呼ばれていた。

        塾にいた頃の「せっこつ君」には、向学心とか、生きる力とか、教師が子供に持って欲しい要素が全く見られず、骨がコンニャクでできている軟体動物みたいにヘラヘラしていて、私は毎日のように彼を叱っていた。せっこつ君の前で癇癪玉を破裂させたことも1度や2度ではなかった。
        せっこつ君の言動は、私の「説教中枢」を刺激した。せっこつ君は私の言葉を、笑いながら柳に風と無言で受け流すだけだった。

        結局せっこつ君は第1志望の高校に不合格になり、瀬戸内海の島にある高専に進学した。その後しばらく私は、せっこつ君と会う機会がなかった。

        ところが数年たって、尾道駅のホームで、偶然せっこつ君と出会った。中3で塾を卒業してから6年経つから、彼は21歳になっているはずだ。

        最初彼の姿を見た時「せっこつ君によく似た若者がいるな」と、他人の空似じゃないかと勘違いした。
        顔の輪郭は中3の時のままだが、中3の時のぼやけた表情とはうって変わって、精悍で浅黒い顔に変わっていた。まるで兵役を終えたばかりの青年のように、引き締まった凛々しい顔をしていた。
        でもその青年は、せっこつ君に違いなかった。

        私は公立高校を彼を不合格にしてしまった気まずさと、大人になった彼の変貌に対する恐怖と、久しぶりに出会う照れくささで、知らない振りして通り過ぎようと一瞬迷ったが、結局懐かしさが勝り、また彼の身体にはどこかフレンドリーな余裕ある雰囲気が漂っていたので、声をかけることにした。

        しかし私が声をかける決断をするより早く、せっこつ君の方から笑顔で「先生」と声をかけてきた。私も「おう」と返した。

        その後懐かしいせっこつ君と電車の中で話した。父親の接骨院を継ぐため、岡山の専門学校に通っているという。
        せっこつ君は滔々と私に近況を話してくれた。

        「先生、オレ今頑張ってるんですよ。今岡山の接骨の専門学校に通ってます。いろいろ学ぶことが多くて楽しいですよ。大学行っても、こんなに役に立つことは学べなかったです。オレこの前、大学の医学部で研究発表する機会があったんですけど、大学生はあまりしゃべれないのに、オレはちゃんと発表しましたよ。大学行かずに、専門学校行ってよかったですよ・・・・」

        せっこつ君の話は尽きなかった。私は聞き役に徹していた。
        彼が教え子だった時代、私を恐れて滅多に話しかけてはこなかった。私にはせっこつ君と対話した記憶がない。話したとしてもそれは、私の方からの一方的な説教だった。
        中学生の男の子は、一部を除いて教師に対して無口な態度を取るのが相場だ。でも20歳ぐらいになると別人のようにしゃべる。今日の電車の中で彼が話した言葉の数は、彼が塾に在籍していた4年間、私に語った言葉の総量を遙かに凌駕していた。

        せっこつ君が大学生を批判する時の宙ぶらりんで真剣な目は、自分の膝に向けられていた。しかし私は彼の目が、私の内面を射すくめているような居心地の悪さを感じた。

        私は彼に中学生時代、勉強を通して力を与えてやることができなかった。彼の表情を凛々しく精気あるものに変えることができなかった。
        それに、同世代の大学に通う若者に対するせっこつ君の非難は、間接的ながら私に向けられているような気もした。私は1人でも多く大学卒の人間を育てるのが稼業の男だ。大学を批判する彼とは、立場も考え方も異なる。

        たしかに、彼の大学生に対する考え方には異を唱えたかったけど、せっこつ君の大学生に対する強いライバル心が、健全な生きる原動力になっていていることが頼もしかった。
        だってせっこつ君は中学生時代、ライバルとか生きる力とか、生臭いけど活力ある言葉とは一番遠い位置にいた少年だったのだ。

        私は話題を変え、せっこつ君に尋ねた「お父さんの接骨院継ぐの?」
        彼は「ええ。親父には迷惑かけたし、もっと学んで一人前になったら継ぎますよ。先生来てね。」と生き生きと答えた。

        せっこつ君は私の批判などしていなかった。それどころか、彼は電車の中でした一連の話の中で、自分の一番良いところを私に見せようとしていることを悟った。
        男が恋人の前で強さと優しさを精一杯アピールするように、悪友に自堕落な部分を露出するように、教え子は慕う先生の前で、最も真面目な部分を向ける。

        せっこつ君は中学時代、私に好ましくない面をたっぷり見せてきた。しかし6年経った今では、自信を持って将来の人生設計や、充実した現状を語れる。中学卒業後6年間、良い部分をたっぷり貯蓄したからこそ、ホームで私に会った時、ためらいなく声をかけてきたのだ。
        教え子が自分の良い面をアピールすることができる教師として、私の存在が機能していることに少し安堵した。

        私はせっこつ君の意を汲み、同時に自然な気持ちで「偉い男になったな」と言った。彼は一瞬顔を硬直させた。彼の生涯で初めて私がかけた褒め言葉だった。

        その後せっこつ君とは電車の中で数回会った。そのたびに世間話で盛り上がった。良い友人ができたと思った。



        さて、しばらく電車でせっこつ君の姿が見えないと思ったら、せっこつ君が死んだという事実を聞いた。
        脳の病気で3ヶ月寝たきりになり、静かにあの世に去っていったらしい。
        「せっこつ君」こと、村上恭之君の冥福を祈る。



         
        | uniqueな塾生の話 | 14:50 | - | - | ↑PAGE TOP
        嫌韓流訪韓記 中
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          韓国はトイレが臭い。便器に紙を流してはならず、横のごみ箱に捨てる習慣になっているからだ。

          韓国は下水管が細く、流したら紙が詰まって逆流するらしい。日本人が知らずにホテルで紙を流して、たいへんな目にあったという。

          だから韓国のトイレは臭い。刺激臭がする。おまけに横のごみ箱に糞がついた紙が溜まっているから、ずっと意識せざるを得ない。

          韓国で便所飯は無理だ。便所飯は清潔無臭な日本のトイレだからできる。

           

          チムジルバンへ行く。汗蒸幕。黄土を積み上げ、松の木を燃やした韓国伝統サウナ。中がドームみたいになっている。

          まあこれが熱い。蒸し器に入れられた肉まんみたいな気分だ。30秒もいれない。もし俺が敵対勢力に追われていて、汗蒸幕に入っている最中に、ドアをコンクリートで固められ出られないようになったら、地獄の死に方をするだろう。汗蒸幕で蒸し殺された人間の死体は、どんな感じになるのだろう。

           

          腹が減った。韓国は牛肉より豚肉がうまいと聞いて、豚カルビ屋に寄った。肉を焼くいい匂いがしている。

          店に入る。

          店員が手でバツ印。断られた。

          韓国では、一人客は嫌われるのか?

          一人飯の文化はないのか? 

          この国では『孤独のグルメ』は成立しないのか?

           

          不愉快になった。地下鉄に乗って帰る。ソウルの地下鉄はニンニク臭い。韓国人は口からも感染からもニンニク臭いを発する。

          地下鉄の車内は、老若男女誰しもスマホを眺めている。判で押したようにiPhone6のような大画面。大声で話しているやつもいる。韓国では公共の場で携帯通話が自由だ。「車内での通話はお控えください」という文化は韓国にはない。

           

          汗蒸幕で汗をかいたから眠くなった。うっ、寝過ごしたぞ。ここはどこだ? Moranとある。モラン? モランボン劇団か、寝過ごして北朝鮮にでも来たか?

           

          腹が減ったので外に降りてみる。ソウルの地下鉄はエスカレーターが少ない。エレベーターも見当たらない。階段だらけ。バリアフリーの観念はないのか。ソウルの駅はまるで金刀比羅ではないか。

           

          モランという見知らぬ街を歩く。ハングルの洪水。街角から獣臭がしてきた。動物園の匂いだ。

          犬が檻に入れられてるぞ! 1つの檻に十数匹の犬。犬が満載の檻が何十も連なっている。

          なんなんだ、ここは!

           

          (つづく)


           

          | 韓国 | 16:26 | - | - | ↑PAGE TOP
          嫌韓流訪韓記 上
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            (韓国嫌いのビジネスマンが、韓国へ出張に行かざるをえなくなった話)

             

            ベストセラーの作り方を知ってるかな? 

            タイトルに「嫌韓」とつければいいらしいね。

            嫌韓と名のつく本なら、書店で山積みされ中年老年男性が買っていく。「文藝春秋」も嫌韓記事で朴槿恵の悪口書いたら売れる。

             

            まあ、そういう俺も嫌韓なんだけどね。李明博が竹島訪問して日本を挑発してからおかしくなった。俺もそれまで韓国は特に意識してなかったんだけどね。でも、同じような顔をした人間が、言語も文字も違う違和感。韓国語は喧嘩売ってるように聞こえるし、ハングルは悪魔の呪文にしか見えない。

             

            困るのは、嫁が韓流スターファンなことだ。夫が嫌韓、妻が韓流という、夫婦で韓国に対する好悪が180度違う家庭は日本には多いんじゃないか。リビングの机の上には、嫌韓本と東方神起のグラビアが一緒に置いてあるし。嫁の趣味にも困ったものだ。

             

            俺はいま成田にいる。大韓航空でソウル仁川空港へ行かねばならない。これがアメリカやヨーロッパや東南アジア出張なら少しは旅行気分になれるが、韓国は足が重い。北朝鮮に行くよりましだが。

            なんかね、大韓航空って領空侵犯でソ連に撃ち落されたり、イメージ悪いね。あらあら、ナッツが袋のまま出てきた。どう対応しようかしらん。

             

            たった2時間弱のフライトで、仁川国際空港に着いた。なんだこのキレイなバカでかい空港は。成田、完全に負けてるじゃないか。悔しいね。

            リムジンバスに乗ってホテルへ。空港周辺は干潟で何もない。空港もデカいが干潟も広い。仁川上陸作戦か。朝鮮戦争の時、ここへ連合軍は上陸したのか。

             

            接待で骨付牛肉カルビ。中川家礼二に似たおばちゃん店員がハサミで切る。

            味は? パサパサしてる。日本の焼き肉の方が正直うまい。本場だと思ってガッカリした。赤身の肉でそれなりの味はするが、味付けが甘い。日本の霜降りの方が断然うまいぞ。

            それから米をどうして金属の器に入れるのかわからん。金属だと熱くて、日本の茶碗みたいに持ち上げられないではないか。あと銀の細い箸が使いにくい。割り箸はないのか?

             

            あと、何だこのおかずの山は。十品以上出て来る。キムチにカクテキ、もやしのナムル。使い回し疑惑はぬぐいきれない。
            この水に大根が浮かんだ冷たい澄んだ液体は? ムルキムチ? 酸っぱいぞ。口に合わん。

            それから、シソの葉を大きくしたような葉っぱは何だ? エゴマ? 香りがきつすぎてこれも口に合わない。こういう現地では一般的だけど、日本にないものを食うと地雷なんだよね。

            現地の人はニンニクを生でかじっているぞ。韓国のニンニクは辛くないのか?

            俺もやってみよう。ヒーッ。辛い。刺激物。口が痛い。よくこんなの食えるなぁ。

             

            日本は中国文化は何でも真似してきたというけど、合わないものは巧みに排除する。大は宦官や科挙を真似しなかったのもそうだし、小はムルキムチやエゴマの葉やニンニク生齧りがそうだ。ニンニク生齧りは口が痛いし、宦官になるのは股間が痛い。

             

            おまけに酒が口に合わない。韓国焼酎は甘い! 焼酎が甘いなんて信じられない。安物の焼酎にサッカリン混ぜたような味だ。あとビールは薄いしマッコリは甘酒みたいだ。

             

            日本に帰りたくなった。

             

            (つづく)

             

            | 韓国 | 17:55 | - | - | ↑PAGE TOP
            シンプルな単語が現代文を難しくする
            0
              現代文は語彙が豊富だったら解きやすいが、語彙だけで解けるわけではない。現代文キーワード辞典読んで、現代文の専門用語究めたから大丈夫と安心するわけにはいかない。現代文はもっと奥深い。
               
              現代文を難しくするのは、シンプルな単語が絡み合った文章であるたとえば「ある」「いる」といった基本語が、文章を難しくする例を見よう。早稲田の法学部の問題文である。
               
              だれかが「いる」という感覚、「ある」ではなく「いる」という感覚は、すでにそのうちに、その者への問安(=安否を気遣う)を内蔵している。「いる」という表現が、「ある」の問題圏に収容できないような関係を含んでいるかぎりで、わたしたちは、ひと(他人)の安否を問う。
              (鷲田清一『悲鳴をあげる肉体』)
               
              頭が悲鳴をあげたくなるような難しい文章である。こんな軟体動物のような文書が一番敬遠されるのだ。筆者は元大阪大学総長。鷲田氏の文章をうまく説明できれば名講師と呼ばれるくらい文章が独特なので、受験生に煙たがれ、大学受験出題者に好かれている。
               
              とにかく、この文章に書かれた「ある」「いる」が理解できる人こそ、現代文ができる人だ。
              「ある」は単独で使われたら意味不明である。しかし「東京に本社がある」「言いたいことが山ほどある」「あるある大事典」「開幕まで一週間ある」と言葉をつけ足せば「ある」の意味は明確になる。「ある」の意味は「ある」単独では決まらない。無色透明な「ある」に色をつけるのは、まわりの言葉である。「ある」は好きな男性が変われば、髪型も服装も変える尻軽女みたいな、まわりに流されやすい言葉だ。
               
              鷲田清一氏の文章の「ある」の意味を決めるのは、文章の流れである。文章の流れの中に「ある」という言葉があり、この一連の流れを文脈という。「ある」に限らず、文章中の言葉はすべて文脈に影響される。文脈を読み取り、単独で取り出したらさまざまな意味にとれる言葉を、たった一つの意味に固定するのが現代文の力である。
               
              現代文は数学の論理力と、社会のような語彙の知識がミックスした科目である。論理と知識の両面でアプローチで力を伸ばしていきたい。
              まあ本当を言えば、現代文はそんな甘いものではないのだが・・・


               
              | 大学受験 | 16:17 | - | - | ↑PAGE TOP
              歴史用語は漢字で書け!
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                小学生の作文はひらがなだらけで、読みにくい。

                ひらがなベースの文章に、漢字が無秩序に混入していて、読むのに骨が折れる。

                ある小学生の作文に「百円きん一」とあったので、生徒の前で朗読するとき、間違って私は「ひゃくえんきんいち」と読んでしまった。「均」が「きん」に変わっただけで、たちまち文章が読みにくくなる。

                以下の作文は、私が作った「漢字とひらがながランダムに混じった、小学生が書きそうな読みにくい作文」の例である。

                ぼくの1ばんのたから物は家ぞくです。そのり由は、家ぞくがいると、じ分でできないことがあったら、相だんにのってくれるからです。てん国のおじいちゃんとおばあちゃんもたからです。家族には健こうでいてほしいです。

                2ばん目のたから物は、友だちのしゃ真と手がみです。てん校してしまったけれど、手がみを読むと、友だちと一しょにべん強やうん動をしたことや、え顔を思い出します。友だちのしゃ真と手がみは、つくえのひき出しに、大じにしまってあります。

                 

                読みにくさ炸裂である。

                 

                あと、歴史用語は漢字で書かせたい。うちの中学生は、社会科の用語は必ず漢字で書いてもらう。
                中学校には、定期試験の答案をひらがなで書いてもOKのところもあるが、高校に進学したら漢字じゃないと汎用性がきかないので、漢字以外は許さない。

                もちろんアメリカを亜米利加、オランダを和蘭陀、オーストラリアを豪太刺利と書けなんて無理は言ったりはしないけど。
                イギリスを英吉利、ポルトガルを葡萄牙なんて格好つけて書いたら×になってしまう。

                去年の中3の途中入塾してきた女の子に、私が作った「歴史一問一答 500題」をやらせてみると、歴史用語を漢字とひらがなを、巧みに混ぜて書いていた。

                「井伊直弼」を「井伊直すけ」、「墾田永年私財法」を「こん田永年私ざい法」、「運慶・快慶」を「運けい・快けい」と、画数の多い難しそうな漢字をひらがなで誤魔化して書いていた。ピーマンやニンジンが嫌いな子供が、巧みに避けて食べるような感じだ。

                まだ「井伊直すけ」「こん田永年私ざい法」「運けい・快けい」ならいい。解読可能だ。
                しかし「本おりのり長」は困る。一瞬では拝読できない。「本居宣長」を我々が一瞬で「もとおりのりなが」と読めるのは、「居」「宣」という2字の印象が強いからであり、その2文字ともひらがなに直されてしまったら、少々手間取る。

                中途半端にひらがなが混じった人名や熟語は読みにくい。我々日本人がいかに漢字の絵文字性に依存し、文字を一種の映像として捉えているかがわかる。
                本来漢字であるはずの部分が、ひらがなに変わっていると、文字を絵文字として一瞬のうちに頭脳に焼き付けることができない。

                その上、パソコンで「本居宣長」なら一発で出るが、「本おりのり長」をパソコンで打つのは非常に面倒くさい。「本」「おりのり」「長」と分割して打たねばならぬ。

                その子は他にも、「織田信長」を「お田信長」、「聖徳太子」を「しょうとく太子」、「近松門左衛門」を「近松門左えもん」、「吉田茂」を「吉田しげる」と書いていた。
                「お田信長」はいかにも弱そうだし、「しょうとく太子」は明太子の親戚みたいだし、「近松門左えもん」はドラえもんの関係者みたいだし、「吉田しげる」は吉田しげる・梶原しげる・松崎しげる・克美しげる四兄弟の長男みたいだ。


                 
                | 高校受験 | 15:25 | - | - | ↑PAGE TOP
                難関大の問題は難化している
                0
                  京大の英語の入試問題には、毎年2問の英作文が出題される。
                  1981年と2006年の英作文問題は、以下の通りである。

                  1981年
                  〔1〕私は、どんな本でも、読む以上は、はじめからしまいまで、途中をとばさずに、その全部を読むことを理想としている。なかなか実際にはできないけれども、そうありたいと思っている。

                  〔2〕一つのことを必ずやりとげようと思うなら、ほかのことがだめになるのを嘆いてはならないし、他人の嘲笑をも恥ずかしいと思ってはならない。多くの事を犠牲にしなければ、一つの大きな仕事が完成するはずがない。

                  2006年
                  〔1〕ものの見方や好みは人さまざまである。たとえば、駅前のハンバーガー店は、人々にとってどのような意味を持つだろうか。多くの人にとっては、ハンバーガーを味わう場であろう。しかし、肉が苦手な私にとっては、ハンバーガーを楽しむというよりは、仕事帰りにちょっと立ち寄り、コーヒー一杯で一日の疲れをいやす、くつろぎの場である。本を持ち込み、書斎代わりに使うことも少なくない。

                  〔2〕子供の頃にわたしが毎週欠かさず観たあるテレビ番組があった。その主役はどこにでもいそうな犬で、そいつがある町にふらりとやってきては、そこで起こった事件の解決に協力し、人間からほめられる前に姿を消して、また次の町に向かって旅をつづけるのだ。私をとりこにしたのは、1つの場所に安住せずに、たえず動きつづける、その姿だったに違いない。


                  見比べていただけるとわかるが、1981年と比べて、2006年の問題は長く、しかも難しくなっている。
                  大学入試は「ゆとり」なんかではなかったのである。

                  1981年の問題は、和英辞典を引けばいくらでも語例が出ている文章だし、パソコンの翻訳ソフトを使えば7割ぐらいは得点できそうな、簡単とは言わないまでも、訳しやすい問題である。

                  しかし2006年の問題は、長くて「くだけた」文章で、英語に変えるのは難儀である。頭が固いと手も足も出ない。柔軟な語学的センスが必要だ。心のどこかで和文英訳を"enjoy"する余裕がないと、お手上げである。

                  1981年の問題がプラモデルを組み立てるような感じなら、2006年のは人体を手術するみたいな問題といえようか。
                  2006年の受験生が1981年の問題を解いたら高得点をGETできるし、1981年の受験生は2006年の問題に対して、手も足も出ないだろう。

                  とにかく京大の問題を見比べる限り、京大を受験するような上位層に限れば、学力崩壊という巷の世評に逆行して学力は向上しているのではないか?

                  また、自分が属する業種を自画自賛するわけではないが、塾・予備校の講師の教え方のノウハウの向上や、講師が執筆する参考書問題集の質的向上が、大学入試問題の難化に拍車をかけているのではないか?

                  優れた講師は「天性のセンス」という無意識的な領域に思えたモワッとした部分を、意識化して論理的なわかりやすい言葉に変換してきた。問題を「感覚で解く」危険性を排除することに心を砕いてきた。

                  長年積み重ねた塾・予備校の先生方の教科研究・指導にかける熱意が、受験生の学力を向上させ、向上した結果やさしい問題では差がつかなくなり、必然的に入試問題は難しくなった。
                  25年間、私の同輩は指導に飽くなき研鑽を続けて受験指導技術を磨き、やる気に満ちた若者がそのノウハウを吸収してきた。そんな歴史が、京大の問題の難化1つだけでも読み取れる。

                  「ゆとり教育」時代は、低学力の生徒が多かったため、高校生から逆転は比較的容易だったのかもしれない。
                  だが、脱ゆとり後、教科書は分厚くなり、小中学校で基礎力はみっちり教えられる風潮になった。小学校中学校で成績がどん底に落ちてしまった子が少数派になるとすれば、そんな子が高校になって勉学に目覚めたとしても、難関大学の入試問題が難しくなっている現状では、中途から一念発起して国立や難関私立をめざす「成り上がり」を実現することは、基礎力が硬いライバルがひしめく中、困難を極めるのではないか。




                   
                  | 大学受験 | 18:03 | - | - | ↑PAGE TOP
                  ペーパーテストで人材を選ぶ理由
                  0
                    かつて日本陸軍では、陸軍大学卒業時のペーパーテストの点数が、その後の昇進に大きな影響を与えた。20代前半で最高の席次の者が、将来の大将。点数の低い者が陸軍大将に昇進するチャンスは、ほとんどなかったらしい。

                    旧陸軍の人事で、ペーパーテストが滑稽なほど異常に重視されたことを、司馬遼太郎は珍しく強い口調で批判していた。
                    ペーパーテストは秀才型の人材を選ぶのに適しているが、軍事作戦には天才型の才能が必要であり、受験秀才は記憶力に優れるあまり、過去の成功にこだわり過ぎ、新しい事態に対応する能力に欠ける、という趣旨だったと記憶している。
                    天皇の神格化ではなく、ペーパーテストの神格化が国を滅ぼしたということなのか。私も司馬遼太郎の意見には、強く同意する。

                    だが今のところ、ペーパーテストほど信頼性が強い試験方法がないのも事実だ。受験では最近面接や推薦が幅をきかせ始めたが、それでもペーパーテストが試験方法のメインの座を明け渡さないところを見ると、入学試験においてペーパーテストほど優れた試験方法は見当たらないのかもしれない。

                    ペーパーテストは人間の粘り強さ・知力・忍耐力・継続力・事務処理能力・体制への従順さなどを、的確に判断する。

                    それに、ふだん無口で目立たない人間でも、テストの点数でシッカリ自己主張ができるのが、ペーパーテストの面白さだ。
                    極端に言えば、中学受験・高校受験・大学受験までは、声を一言も発せずに、黙って鉛筆を動かすだけで乗り切ることができる。

                    もしペーパーテストが軽視され、選抜方法に面接や推薦が重視されたら、日本社会ではもっと自己主張が強い人間が評価される。
                    たとえば日本の入学試験がディベートで行われるとしたら、アピール性はあるが、アクが強すぎ、しかも表面的で軽薄な、周囲の人間から敬遠されるような人間が増え、ギスギスした社会が生まれるだろう。

                    ペーパーテストは派手さはないが落ち着いた人間にスポットライトを当てる。黙々とした静かな努力を、ペーパーテストはキチンと認めてくれる。
                    「沈黙は金、雄弁は銀」の日本人の国民性に大きく合致する選抜方法なのかもしれない。


                    つうか「雄弁が金」が国是のような、自己主張が強すぎる人間が大量にひしめく中国で、人材登用制度が「科挙」というペーパーテストだったのは面白い。中国の人材登用制度が面接という自己アピール合戦だったら、国内は混乱し『キングダム』状態になり、絶えず亡国の危機に瀕していただろう。

                    日本でも中国でも、血の滲むような勉強の成果は少しずつだが確実に、堆積岩のように若者の頭の中で積み重なり、硬くてびくともしない学力の層を作り上げる。そんな学力の層の固さと厚さを試すのがペーパーテストに他ならない。
                    ペーパーテストは受験者の脳に施す、ボウリング調査なのである。

                    ただもちろん、ペーパーテストで試される能力は、代替可能な能力である。言葉は悪いが「誰でもいいから、能力がある人が欲しい」時にこそペーパーテストが試験方法として選ばれる。試験をする側と受ける側が顔を合わせる必要はないという事実が、ペーパーテストが代替可能の人材を求めている証拠であろう。

                    唯一無二の個性を求める時、誰も取って代わる事ができない特別な力が必要な時、ペーパーテストは役に立たない。ペーパーテストの勝者は、相対的な勝者ではあるが、絶対的な勝者ではない。
                    東大生はペーパーテストで選ぶことが可能だが、優れた政治家や小説家や芸術家や俳優やミュージシャンは、ペーパーテストで選ぶことはできない。

                    生涯の伴侶を、ペーパーテストで選べますか?



                     
                    | 硬派な教育論 | 16:58 | - | - | ↑PAGE TOP
                    先生は左翼なんですか?
                    0

                      先生「治安維持法は、私有財産制を批判し、共産主義革命をめざす人物を死刑にした悪法だね」

                      生徒「治安維持法は、悪法じゃないです」

                      先生「はぁ?」

                      生徒「先生、左翼ですか?」

                      先生「違う。俺はいつも中立的な政治的立場だ」

                      生徒「そういう自分が中立、自分が庶民感覚というのが一番怖いんですけどね。いざとなったらマスになって暴走する」

                      先生「森重は特定の政治的立場にはない。勘違いするな」

                      生徒「じゃあ再びたずねます。治安維持法は悪法ですか?」

                      先生「そうだろうが」

                      生徒「思想的に偏った見方ですね。だって治安維持法で共産主義に対して厳しい締め付けをしていなかったら、日本は共産主義国家になったかもしれないんですよ」

                      先生「それはお前の考え過ぎだろう」

                      生徒「違います。1918年にロシア革命が起きて、ソビエト連邦という世界最初の共産主義国家ができた。あんな巨大な面積の国が一気に真っ赤に染まった。巨大なトマトに地球儀が侵食されたようなものです。社会主義国家で人々は自由を奪われ息もできない。日本にも赤い粘液が侵食してきます。だって中国だって朝鮮北部だってモンゴルだって東ヨーロッパだって、赤いトマトの妖怪に侵略されたわけじゃないですか。それを阻止したのが治安維持法です。赤いダムの決壊を水際で防いだ法律じゃあありませんか」

                      先生「森重的には、治安維持法が太平洋戦争で日本が負けた原因だと思うけどな」

                      生徒「先生、その森重的という言い方はカッコ悪いですよ。自己顕示欲強すぎませんか?」

                      先生「矢沢永吉だって一人称がヤザワだろうが」

                      生徒「オードリーの春日だってそうでしょ」

                      先生「うるさい! お前は右翼だろ!」

                      生徒「左翼!」

                      先生「右翼!」

                      生徒「あなたは想像力が硬直化していますね。もし日本が共産主義になったら、いまの日本は、中国や北朝鮮みたいになっているかもしれないんですよ。中国は毛沢東の大躍進政策で何千万人もが餓死し、文化大革命で無駄な10年を過ごした」

                      先生「それで?」

                      生徒「中国だったら経済発展してますからまだマシですが、北朝鮮みたいな国になっていいんですか? 強勢大国日本。国民男子が刈り上げを強制され、反逆者は強制収容所で労働思想改造、ひどければロケット弾で処刑ですよ。日本を共産主義から救ったのが治安維持法でしょうが。それを悪法というのはおかしいです」

                      先生「お前の考え過ぎだ。俺だって北朝鮮は嫌だ」

                      生徒「でも先生、あなたみたいな左翼は、自己顕示欲が強いんですよね」

                      先生「あ〜、何度言ったらわかるんだ。俺は左翼でもないし、自己顕示欲も強くない」

                      生徒「体制批判する人間は、自分が体制側に立ちたいという、潜在的野心とプライドがあるんですよ」

                      先生「俺にはそんなものあるわけないだろ」」

                      生徒「あなたが「森重的」と自分を呼ぶのは、潜在意識がクジラの死体のように海にプカプカ浮かんでいるんですよ。誰の目にも隠せやしない」
                      先生「勝手に言ってろ」
                      生徒「共産主義の指導者は、自分の名前を都市の名前にしますよね。ソ連のレニングラードやスターリングラード、ベトナムなんか人口最大の都市サイゴンを、独立の父の名前ホーチミンに変えちゃった」

                      先生「サイゴン陥落の時ホーチミンはもう死んでいたよ。生きてたら自分の名前を町の名前になんかしないだろう」

                      生徒「でも先生、あなたららやりますよね。あなたの左翼的自己顕示欲なら絶対にします。ヒトラーだってベルリンをヒトラー市にしなかった。あなたが共産主義革命を起こしたら、東京を森重新太郎市にするでしょう」

                      先生「馬鹿かおまえは」

                      生徒「ついでに東京という名のついたものすべて、あなたの名前、森重新太郎に変えるんです。東京スカイツリーは森重新太郎スカイツリー、東京ラブストーリーは森重新太郎ラブストーリー、東京音頭は森重新太郎音頭」

                      先生「しねえよ!」

                      生徒「島倉千代子の『東京だよおっかさん』は『森重新太郎だよおっかさん』」

                      先生「たとえが古いぞ!」

                      生徒「森重新太郎電力福島原発事故」

                      先生「なんか俺が悪いみたいじゃないか!」

                      生徒「森重新太郎都前知事石原慎太郎」

                      先生「名前が重なってややこしいわ!」

                      生徒「名物、森重新太郎ばな奈。なんかやらしい」

                      先生「よしなさい!」


                       

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