猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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スタディサプリは役に立つか? 判決
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    スタディサプリは教育の地方格差・経済格差を打破
     

    スタディサプリは、ゲームが若者の生活と切って離せない存在になったのとおなじように、受験生の必需品になりつつある。

    現実にスタディサプリの全国津々浦々への浸透が、受験生の学力を上げ大学入試を難化させているという説まであるくらいだ。
    スタディサプリの授業が手本になって、学校や塾の先生の授業力が上がったとも言われる。地方では予備校で授業を受けた先生が意外と少なく、錚々たる予備校講師の授業を受けた体験がない人が意外に多いのだ。

     

    映像授業といえば、志が高い大学生が無料で授業動画を配信した、manabeeがある。だがmanabeeは授業の質に対して、塾や予備校の先生からネットで「安かろう悪かろう」と強いバッシングを受けた。

    それに対して、スタディサプリの授業に対しての批判は、manabee100分の1くらいに感じる。授業は総じてかつて私が見た「代ゼミTVネット」の凄みがないという感想が正直なところだが、高いレベルで安定している。
     

    私は瀬戸内海の島の塾長なので都会の状況はよく知らないが、地方ではスタディサプリは驚くほど浸透している。島の高校生がフェリーに揺られながら、スマホでスタディサプリを見ている。予備校講師の授業が極めて安い価格で見れるコンテンツは、都会から離れた遠隔地の受験生には、この上なく嬉しい。

    大手予備校の校舎は大都市の駅前にしかなく、東進の映像授業は価格が高い。スタディサプリは教育の地域格差・経済格差を、草の根レベルでブチ壊す新しいメディアだ。
     

    だから、一部の予備校の先生が、自分の授業を「良質のものは高い」と持ち上げ、相対的にスタディサプリを否定するのは、既得権益を守るための発言に映ってしまうのは否めない。うがった見方をすれば、自分の生活をいずれは脅かす恐怖が潜在的にあるのかもしれない。

     

    若者の知的なものに対する敵意を煽動
     

    女王が語ったように、受験サプリの先生の中には煽情的な人もいる。他の予備校講師の教え方を否定し、暗記がいらないと極論を述べる。わかりやすい部分だけを教え例外は黙殺する、というのが女王をはじめ多くの塾・予備校先生の意見だ。
     

    だが、私はこの戦略は、勉強に若者を誘う手段としては正しいと思う。

    勉強が苦手な高校生・浪人生は、思いのほか劣等感を抱えている。勉強が苦手なのは自分に才能がなく、いままで怠けたせいだと。
    そんなとき「勉強ができないのは教える側が悪い」と、既存の教え方を否定する発言を聞けば劣等感が雲霧解消するキッカケになり、「記憶がいらない」と強い口調で主張されれば「自分にもできるのではないか」とポジティブな気持ちになる。
    勉強に苦手意識を持つ人は、かつての私自身もそうだが、いままでの勉強人生を全否定して、リセットしたいものなのだ。その心理を巧みに突く。

    スタディサプリのように、新しいコンテンツを立ち上げ、勉強に対する高い敷居を取っ払う時には、勉強に目を向けてなかった層まで取り込む、煽情的なアジテーションが初期段階では必要なものなのだ。
     

    また、勉強で良い点を取り続けている若者を除けば、若い人は知識人に対する嫌悪感を潜在的に持っている。あえて意味を少し変えて使うと「反知性主義」である。予備校という存在は、講師や建物ひっくるめて自分をバカにする存在に映る。

    若者の知性に対する敵意、正確に言えば知性をひけらかす人に対する敵意を結集すれば、膨大なエネルギーになる。社会を動かす。
    かつて、毛沢東に影響を受けたカンボジアのポルポト政権は、都市の住民を地方に分散させ、自給自足の生活を強制した。原始農村社会を再現しようとしてインテリは粛清された。眼鏡をかけているというだけで知識人と見なされ、二百万もの人が殺された大虐殺にあった。

    ポルポトに煽動された若者は自発的に従った。頭のいい威張った奴は死ねと。お前は馬鹿だと劣等感を植え付ける知識人への潜在的敵意を権力者が煽れば、国を一つ転覆させるほどのエネルギーを持つのだ。

    既成の知識人を攻撃する講師が人気を集めるのは、ある意味当然の心理なのである。
     

    英語の関正生の講義には、政治でいえば小泉純一郎や橋下徹のような「ぶっ壊せ!」的な、ある人には魅力を、またある人には危うさを感じさせるカリスマ性がある。関正生が起爆剤となって、勉強に熱心になれなかった受験生を先導すれば、勉強の裾野人口が広がる。小泉や橋下の煽情的な言葉が、政治に関心を持つ人口を増やしたように。

    スタディサプリで「勉強人口」が増えれば、自然に受験生の講師を見る目が肥えてくる。スタディサプリの講師より、自分に合った先生が見つけられる生徒も出てくるだろう。

    スタディサプリの授業がひどいとは私は考えないが、もしスタディサプリが受験生の毒になる悪貨だとしても、最終的には「悪貨は良貨を駆逐する」のではなく「悪貨は良貨の価値を知らしめる」のである。

     

    スタディサプリの勢いは止まらない
     

    予備校業界の未来はどうなるか?

    今後、予備校講師は。言葉が強くビジュアル的な力がある講師と、知識はあるが言葉の線が細く映像的魅力に欠ける講師に二分され、前者が大きなファンをつかみ、後者は映像授業のサポートに回るだろう。

    予備校業界は、現在の音楽業界に近くなる。音楽界はいまや、ミスチルやサザンのような一部のビッグネームと、ライブハウスでコアなファンを地道につかむミュージシャンにくっきり分かれている。教育の地域格差・経済格差をなくすスタディサプリが、予備校講師の所得格差を生むのは皮肉な話だ。
     

    スタディサプリは成長の手を休めない。リクルートの資金力を生かして、講師の数も増え質も上がっていく。スタディサプリは、いずれ大手予備校から意外な大物講師を引き抜く。東進の林修が引き抜かれる可能性だって否定できない。林修が「スタディサプリ、始めるなら今でしょ」とテレビCMで宣伝すれば、スタディサプリは高校生の間でLINEと同じくらいの占有率に駆け上がるかもしれない。そうはさぜじと、大手教育産業他社や携帯電話の会社が参入しつつある。
     

    スタディサプリ最大の強みは、中学と高校を結ぶ、高校1年生ぐらいの学力を持つ受験生を対象とした映像授業が充実していることだ。

    受験参考書の世界は、難関大学を目指す受験生の難しい本のラインアップは充実しているが、最近は必ずしもそうではないとはいうものの、基礎学力をつけるための本が手薄な状況が長く続いてきた。
    スタディサプリは、学参の穴を埋めた。

    しかも、勉強が苦手な受験生は、参考書を読んで勉強するのは難しい。参考書から知識を吸収するには高度な読書力が必要だ。スタディサプリの映像授業の効果は大きい。
     

    さらに、スタディサプリは様々な学力層に応じた映像授業を用意しているから、劣等感を覚えることなく、後戻り学習がしやすい。敷居が低い。

    たとえば高3で英語が苦手な人は、高1レベルから復習する重要性は頭でわかってはいる。だが、個別指導は料金が高くて通えないし、先生や友人に聞くのは恥ずかしいし、集団授業で高1クラスに戻るのはありえないし、参考書で学ぼうとしても頭に入らない、

    そんな時に現れるのがスタディサプリだ。スマホで誰にも知られることなく「陰でこそこそ」見れる。下の学年のカリキュラムを勉強することはプライドが妨害するから、人前で復習姿をさらしたくない心理は多かれ少なかれある。
    スタディサプリでは、高3で高1の基礎の映像を見ていたとしても誰にも知られることはない。スタディサプリは「陰でこそこそ」恥をかかずに弱点を補強できるのが、受験生の心をつかむ最大の原因だと思う。

     

    スタディサプリはあくまで「サプリ」
     

    いつでもどこでもわからない箇所の授業が受けられるスタディサプリの安心感はすごい。スタディサプリは私のような古い受験生から見れば、ドラえもんが出す秘密道具だ。

    ただ、スタディサプリはあくまで映像授業であり、メインに据えるのはよほど意志が強い人間にしか勧められない。映像授業をコンスタントに受ける習慣性が受験生にあるとは私には思えない。

    定時に始まる学校や予備校に通い、規則正しい勉強生活を送ることは理にかなっている。博士がスタディサプリを全面肯定しているのは、意志が強く勉強の習慣がついているからだ。女王の言うルーズな受験生がスタディサプリだけに依存するのは危険性が高すぎる。

    それにやはり、勉強を続けるには先生と時間に縛られる「強制力」が必要なのだ。その強制力を自力で働かせられるのは、受験生の1%未満と言っていいだろう。
    ハッキリ言えば、勉強には近くで叱る人がいる。スタディサプリはユーミンの『卒業写真』のように遠くで叱ってはくれない。

     

    であるからして、スタディサプリはあくまで「従」にしておくのがいいだろう。わからない分野があれば辞書的にスマホを取り出して見るスタンス。スタディサプリは辞書のように「引く」ものだ。しかも1時間強の映像を見る時間は大いに気分転換になる。

    人間は食べないと生きてはいけない。米や肉や野菜があるからこそ生命が保たれる。サプリメントだけでは命を維持できない。スタディサプリは名前の通りあくまで「サプリ」である。


     

    判決 博士

     

    スタディサプリは役立つし、
    今後ますます普及する。

    だがメインディッシュにするのは難しい。
    文字通り「サプリ」として用いるのが正しい。





    『受かるのはどっち? 目次』
     
    第1章 大学受験“ウワサ”の真相

               ビリギャルみたいに偏差値40から逆転可能か?
          2     文系理系どちらが有利か?
          3     大手塾予備校VS個人塾
          4    
    Twitterを受験生がやっていいのか?
          5     高校の定期試験対策に力を入れるべきか?
          6     スケジュール表は作るべきか?
          7     集中力が30分しか続かない時は?
          8     勉強しない日を作ったほうがいいか?
          9    
    恋愛と勉強は両立できるか?
          10    部活と勉強は両立できるか?
          11   
    体育会系部活生はラストスパートで逆転できるか?
          12    一冊の参考書を繰り返すべきか?
               
    ●文章がうまい、読ませる参考書
     
    第2章 正しい勉強の仕方はコレだ!
      13   朝型か?夜型か?
          14    予習中心?復習中心?
          15   
    精神論は大学受験に有効か?
          16    模試の見直しはどうすれば効果的か?
          17    ノートはきれいなほうがいいか?
          18    本に
    マーカーは引くべきか?
          19    モチベーションを上げる本が知りたい
          20    論述対策は一人でできるか?
          21    音楽聴きながら勉強できるか?
          22   
    ゲームはやってもいいか?
          23    センター過去問対策はいつから?
              
    ●センター直前3か月、一発逆転を可能にする参考書
     
    第3章 科目別「攻略法」伝授
      24   英単語は書いて暗記するべきか?
          25    英単語暗記――
    語源VS語呂
          26    『英単語ターゲット』VS『システム英単語』
          27    『速読英単語』は本当に名著か?
          28    英文読解――『英文解釈教室』VS『ポレポレ』
          29    英文法が苦手――問題集は何がいい?
          30   
    数学苦手は克服できるか?
          31    数学――ひらめきVS暗記
          32    数学――『青チャート』VS『教科書』
          33    現代文は高校から逆転可能か?
          34    現代文の
    選択肢に強くなるには?
          35    古文は単語と文法の暗記で伸びるのか?
          36    古文単語――『マドンナ古文単語』VS『ゴロ565』
          37    世界史VS日本史
          38    歴史――理解が先?暗記が先?
          39    センター地理、ラストスパートの方法は?
          40    物理に才能は必要か?
          41    化学、はじめの一冊は何がいい?
             
    ●ピンポイントで苦手単元をつぶす参考書
     
    第4章 合格を近づける最後の1ピース
      42   偏差値55で停滞中。
    才能の壁はあるのか?
          43    非進学校から難関大は無理か?
          44   
    授業がつまらない時の対処法は?
          45    高校の大量課題はやるべきか?
          46    浪人はすべきVS避けるべき
          47   
    医学部多浪に賛成VS反対
          48    志望校は早く決めた方がいいのか?
          49    親の
    経済力は学歴に関係するか?
          50    地方国立大VS都会の難関私大か
          51    下剋上で合格可能なのは、早稲田VS慶應
          52    参考書・問題集だけで自学自習は可能か?
      
     
    一人でも自学自習が可能な「初心者マーク」の参考書


     

    | 私が出した本 | 19:42 | - | - | ↑PAGE TOP
    スタディサプリは役に立つか? 博士VS女王 論争編
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      東大・麻布中学卒で研究室に在籍する「博士王子」こと川上涼太郎先生(23)と、スケバンから下剋上して早稲田に合格し現在は予備校講師の「熱血女王」こと堀田温子先生(28)が、スタディサプリについて真っ向から議論。

      スタディサプリは役に立つのか?
       

       

      熱血女王のオピニオン

      授業はナマじゃないとダメ。強制力と愛情が必要よ

      スタディサプリって、月額980円で授業が見放題でしょ? 全教科好きなだけ見て月額980円。これは100円ショップ以来の価格破壊よね。

      生徒の側から考えれば、スタディサプリは便利よ。安さは本当に魅力。私の家は貧しかったけど、高校生のころスタディサプリがあれば良かったと思う。

      でもね、どんなに機械が便利になろうが、勉強しない子はしないわけ。私は予備校で私立文系志望のクラス持ってるけど、サボり癖がある子は家で絶対に勉強しないわ。勉強できない子が、どういう私生活送っているかは、教える側にとって謎よ。不信の塊ね。

      しかも映像で勉強って、新しいことのように感じるかもしれないけど、昔からNHK教育テレビ(現Eテレ)では高校講座やってるわよね。

      もちろん大学受験に特化した講座じゃないし、スマホと違っていつでも好きな時に見られるわけじゃないし、テレビは一人一台持たない家庭がほとんどだから、娯楽番組見たい家族を犠牲にして一人で教育テレビを見るわけにはいから、スタディサプリとは一概には同じとは言えないけれど、教育テレビの講座見てる高校生なんて、もう、真面目中の真面目なタイプじゃない? 

      スタディサプリは契約数が増え、外見上は普及したように見えるけど、実は高校生のiPhoneってスタディサプリのアイコンが「株価」のとなりで死蔵したまま、見てない子って多いんじゃないかしら。

      あと、ホント同業者の悪口は言いたくないけど、一部、煽情的な先生がいるじゃない。「これは誰も考えつかなかった教え方です」「ここは一つの法則だけ覚えておけばいい」と、他の予備校講師に喧嘩売って顰蹙かってるのよ。しかも暗記不要だとか受験勉強ではありえない世迷い事を言ってるの。

      予備校講師って、自分の得意分野だけ劇的に教えて、網羅性を犠牲にすれば、意外と簡単に生徒に「わかりやすい!」と称賛されて人気が出る授業ができてしまうものなの。生徒に媚びた授業は安かろう悪かろうで、価格破壊が学力破壊につながるのではないかしら。

      しかもスタディサプリの先生って、容姿が重視されてない? だって私が見た限り、デブハゲブスが一人もいないわよ。そういうルックス重視のビジネスライクなところもイヤ。

      やっぱりね、心のどこかで映像授業では力がつかないと、アナクロな私は考えている。学校や塾や予備校で、教える人と教えられる人が同じ空気を吸って臨場感を味わいながらコミュニケーションは通じない。先生が生徒に、アメとムチ、愛情と強制力を与えてこそ、学力は伸びるの。

      教育の分野にネットは似合わない。ミスマッチよ。スタディサプリは廃れていくわ。

       

       
       VS


       

      博士王子のオピニオン

      これからはスタディサプリの時代。予備校は廃れます

      予備校講師は、スタディサプリを怖がっているでしょうね。予備校講師失業の危機を感じていると思います。

      もし月額980円のスタディサプリがもっともっと普及して、家のパソコンやスマホで、好きな時間好き放題に授業が見れるなら、予備校講師は大量失業する可能性がありますね。名の知られたスター講師なら別ですけど、無名講師は淘汰されます。代ゼミが規模を縮小した時だって、そうだったじゃないですか。あの状態が全国規模で地殻変動のように起こるのです。

      予備校って、生徒を予備校に呼んで教える場所ですね? 逆にスタディサプリは家や電車で気軽に見ることができます。これは大きいです。Eテレとは全然違いますよ。

      昭和30年代から40年代にかけての映画とテレビの関係が、予備校とスタディサプリの関係に似ています。
      昭和30年代まで、映画が最大の娯楽でした。老若男女誰もがわざわざ映画館に足を運びました。

      でも、映画はテレビに客を奪われました。映画の観客数は全盛期の10分の1です。

      予備校講師って、職を奪われる恐怖と嫉妬心から、スタディサプリの授業を辛辣に批評して「あんなのまやかしだ」って言いますけど、当時の映画業界の人も、テレビを「あんなのは電気紙芝居だ」なんて馬鹿にしてた歴史があります。辛辣な文句の声は、映画界から失業者が増えるごとに、どんどんフェイドアウトしていきました。

      日本映画界最大の巨匠・黒澤明さんが、悲観して手首を切って自殺未遂したのはこのころです。

      映画や予備校みたいに人を集めるビジネスが衰え、テレビやスタディサプリみたいに家で気楽に見れるメディアが栄えるのは、時代の流れでしょう。
      わざわざ呼んで「俺の授業を聞きに来い」は時代遅れになります。

      それに、スタディサプリは経済的に余裕がない子の味方です。大手予備校に僕も少しだけ通っていましたから、講師の方の力は知っています。でも予備校は高いです。あんなにテレビCMをして、駅や電車に広告出して、広告費は莫大です。予備校講師が大教室でマイク使って授業して、高給を得る時代は終わりです。映像授業で活躍できるタレント性と授業力を兼ね備えた、一部のスター講師以外は。

      あっ、僕も一応塾講師ですが、僕が受け持つのは開成とか麻布とか筑駒の生徒たちですから大丈夫です。難関高校生が通う塾の需要は減ったりしません。これから残っていく塾や予備校は、僕が教えているいわゆる「エリート」専門の塾か、医歯薬予備校か、低学力層を集める託児所みたいな個別塾じゃないでしょうか。

      これからはスタディサプリの時代。勉強は家でスマホを見てやる時代です。教育産業の構造変革ですね。

       

       

      「スタディサプリは授業が粗いし、スマホ見て勉強する子なんて少数」という女王の意見と、「これからはスタディサプリの時代、予備校は壊滅的打撃を受ける」という博士の意見。どっちが「ふつうの受験生」にとって役に立つ意見か? 

       

      3月31日(金)午後9時半に判決を下します。

      (つづく)



       

       

      | 私が出した本 | 19:19 | - | - | ↑PAGE TOP
      Twitterを受験生がやっていいのか? 判決文
      0


        博士と女王が、「Twitterを受験生がやっていいのか?」という論争をした。
        論争内容は
        こちらを参照してほしい。

        博士は全国の受験生から刺激を受けるからTwitter肯定派。
        女王は一つつぶやく間に単語を一つ暗記できるからやめろと主張する、Twitter否定派。

        以下、「ふつうの受験生」の目線から、
        私が下した判決と、判決文である。



        判決文


        ■Twitterは文章力を上げる

        文章力とは要約能力である。
        長話好きなおばさんの話が面白くないように、文字数無制限で垂れ流した、話の先が見えない、いつ終わるかわからない文章はつまらない。
        Twitterは140字、長さは400字詰め原稿用紙3分の1で、短い枠に書きたいことを凝縮しなければならない。
        しかしTwitterの字数制限は「文章力養成ギブス」で、コツコツ続けると要約力がつき、文章が引き締まる。短い言葉で読み手の心をつかむ訓練になる。
        Twitterを続けると、論述問題すら強くなる。
        Twitterは人に伝わる文章力大吟醸のように磨き、文章の贅肉を削ぐ。肥満した醜い文章を、筋肉質に変える。Twitterは文章力をつける筋トレなのだ。
        おまけにTwitterでは、面白いツイートにRTやFavが来て、ツイートの良し悪し(一般受けするという意味で)が即座にわかる。
        長く歯切れの悪い文章、話題が面白くない文章はスルーされ、簡潔にイイタイコトをまとめた文章が評価され、文章をさらしていると文章力が上がる。
        しかも、キレが良く、性格の純粋さが伝わる受験生には、いろいろな大人が親身になってアドバイスをくれる。大学受験の参謀、ブレインを味方につけることすらできる。
        さらに、勉強垢を作ってTwitterで勉強成果を書いていると、狭い勉強部屋の孤独な姿にスポットライトが当たる気になる。自分が劇場で勉強している感覚がある。
        Twitter読者に見られている疑似感覚が、勉強をはかどらせるのだ。
        成績がいい受験生には、Twitterの舞台は快感だ。

        ■君は「馬鹿」と言われたことがあるか

        成績がいい受験生なら、Twitter劇場の主役舞台に立つのは快感だ。
        勉強垢を作るのは、たいてい成績がいい受験生だ。伸び悩んでいる受験生は、他人の好成績を見せつけられたら、たまったものではない。焦って正常心ではなくなる。
        さらにTwitterで怖いのは、突然あらぬ方向から中傷されることだ。
        たとえば「俺、早稲田D判定ヤバいな。勉強しないと」と気軽につぶやいたら、見知らぬアカウントから「馬鹿が勉強しても無理。早稲田あきらめてバカ田大学行け」と攻撃される。
        怒り狂っても相手は匿名。実名がわからない。訴訟してやる、家を興信所で探し出して押しかけてやると怒っても、憤怒のやり場がない。
        腹が立って金属バットでパソコンの画面をぶち壊してやりたくなる。Twitterで人格否定された精神状態では勉強どころではない。
        あまりに腹が立つので「馬鹿はお前だろう」と反論すると、「小学生のケンカレベルの反論。さすがD判定クンレベルの知的クオリティだね(*'▽')」と憎々しいリプが返ってくる。
        こうしてネットでバトルを繰り広げるうちに、時間は過ぎていく。
        勉強垢を作っている受験生が不合格になれば、なお悲惨だ。ネットで不合格を報告すると「成績自慢してたくせに残念だねえ、ざまあみさらせ」と中傷される現場を見たことがある。スポットライトを浴びたTwitter劇場は主人公の不合格という悲劇で幕を閉じる。
        Twitterは善意の人が圧倒的に多いが、ルサンチマンをあらわにする人もいる。悪意をむき出しにしクソリプかましてくる人もいる。
        Twitterは精神をかき乱す。やめた方がベターだ。



        判決 女王

        Twitterは時間のロスで、

        しかも精神的に傷つく。

        やめた方がいい





        『受かるのはどっち? 目次』
         
        第1章 大学受験“ウワサ”の真相

                   ビリギャルみたいに偏差値40から逆転可能か?
              2     文系理系どちらが有利か?
              3     大手塾予備校VS個人塾
              4    
        Twitterを受験生がやっていいのか?
              5     高校の定期試験対策に力を入れるべきか?
              6     スケジュール表は作るべきか?
              7     集中力が30分しか続かない時は?
              8     勉強しない日を作ったほうがいいか?
              9    
        恋愛と勉強は両立できるか?
              10    部活と勉強は両立できるか?
              11   
        体育会系部活生はラストスパートで逆転できるか?
              12    一冊の参考書を繰り返すべきか?
                   
        ●文章がうまい、読ませる参考書
         
        第2章 正しい勉強の仕方はコレだ!
          13   朝型か?夜型か?
              14    予習中心?復習中心?
              15   
        精神論は大学受験に有効か?
              16    模試の見直しはどうすれば効果的か?
              17    ノートはきれいなほうがいいか?
              18    本に
        マーカーは引くべきか?
              19    モチベーションを上げる本が知りたい
              20    論述対策は一人でできるか?
              21    音楽聴きながら勉強できるか?
              22   
        ゲームはやってもいいか?
              23    センター過去問対策はいつから?
                  
        ●センター直前3か月、一発逆転を可能にする参考書
         
        第3章 科目別「攻略法」伝授
          24   英単語は書いて暗記するべきか?
              25    英単語暗記――
        語源VS語呂
              26    『英単語ターゲット』VS『システム英単語』
              27    『速読英単語』は本当に名著か?
              28    英文読解――『英文解釈教室』VS『ポレポレ』
              29    英文法が苦手――問題集は何がいい?
              30   
        数学苦手は克服できるか?
              31    数学――ひらめきVS暗記
              32    数学――『青チャート』VS『教科書』
              33    現代文は高校から逆転可能か?
              34    現代文の
        選択肢に強くなるには?
              35    古文は単語と文法の暗記で伸びるのか?
              36    古文単語――『マドンナ古文単語』VS『ゴロ565』
              37    世界史VS日本史
              38    歴史――理解が先?暗記が先?
              39    センター地理、ラストスパートの方法は?
              40    物理に才能は必要か?
              41    化学、はじめの一冊は何がいい?
                 
        ●ピンポイントで苦手単元をつぶす参考書
         
        第4章 合格を近づける最後の1ピース
          42   偏差値55で停滞中。
        才能の壁はあるのか?
              43    非進学校から難関大は無理か?
              44   
        授業がつまらない時の対処法は?
              45    高校の大量課題はやるべきか?
              46    浪人はすべきVS避けるべき
              47   
        医学部多浪に賛成VS反対
              48    志望校は早く決めた方がいいのか?
              49    親の
        経済力は学歴に関係するか?
              50    地方国立大VS都会の難関私大か
              51    下剋上で合格可能なのは、早稲田VS慶應
              52    参考書・問題集だけで自学自習は可能か?
          
         
        一人でも自学自習が可能な「初心者マーク」の参考書





         
        | 私が出した本 | 18:39 | - | - | ↑PAGE TOP
        大手塾の講師は独立して個人塾を作れ
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          私は昔、大手塾の時間講師をしていたが、雇われ講師の私は、常にクビを恐れながら仕事をしていた。「この人に独立されたら、塾の(教室の)屋台骨が揺らぐ」と経営者が認識している人ではないと、簡単に塾を解雇させられる気がした。

          時間講師は旬を過ぎたら、使い捨てられるのがオチだ。時間講師はパートの人間のように、取っ替えひっかえが可能だ。低賃金を当てにするという意味で、本質的に大手塾業界は、ファーストフードやコンビニと似ている。
          また年齢を食った時間講師は、よほどのキャリアでないと煙たがられる。老いた風俗嬢のように使い物にならない中年講師が、自分には教務能力があるかけがえのない存在だと、悲しい自惚れを続けていることがある。経営者はそんな講師のクビをいち切ってやろうか、タイミングを見計らい手ぐすね引いている。
          塾講師が待遇について文句をいえば、解雇の対象になる。うるさい奴は切る。力のない高給取りは切る。少々力があって生意気な中年講師よりも、授業力に問題があっても従順で大人しい大学生のほうが経営者からは都合がいい。

          経営者なり教室長を脅かすのなら少々の力ではだめだ。圧倒的な力がほしい。「力」とは、具体的には、生徒や保護者の窓口に時間講師がなることだ。保護者の方が、塾に相談事で電話をかけてこられる時、「××先生いらっしゃいますか」と言わせる信頼力だ。
          当然クラス担任だったら相談事の指名がかかる。しかしクラス担任でなくても父母や生徒が相談事を抱えているとき、「××先生がいい」と指名される力がほしい。教室長すら飛び越えて指名される力が。雇われ講師はクビにされないためには、父母や生徒からの信頼が必要だ。
          もし塾をやめたら、大手塾の一教室の屋台骨が揺らぐ、そんな「危ない」講師にならなければならない。しかし時間講師が保護者の方と密接な関係を築くことを恐れるため、老獪な経営者や教室長は、講師の配置変えを頻繁に行う。私が大手塾を飛び出した最大の理由はこれだ。私は自分が見込んだ教え子たちと離れたくなかった。

          私も大手塾にいた時は、時間講師としての自分の微妙な立場は認識していたし、解雇させられないように努力してきた。また解雇とかそういう消極的な意識ではなく、この教室を「自分の王国」に仕立て上げようと、ある時期から積極的に目論んでいた。
          自分はたかが時間講師だから、トップには絶対立てない。教室長にはなれない。しかし最高実力者にはなれる。
          「将軍」は社員と時間講師の身分の違いでなる事はかなわずとも、「執権」にはなれる。自分が力を持つことによって、生徒のためになるのなら、本来人前に出る事が大嫌いな私でも、自分を強く押し出さなければならない。そんな気概をもって仕事をしていた。心は批判精神ではちきれていた。

          私は結局28歳で独立した。しかし独立の意志は、塾を辞める2ヶ月前まで、全くなかった。独立なんて大それたこと、思いつきもしなかった。カネもなかった。1万円しか貯金がなかった。親戚友人から100万借りて塾を開いた。黒板を買い机を買いエアコンを取り付け税務署に行き、1週間で開業した。まさか自分が個人塾をやるなどとは考えていなかった。計画性などまるでない。

          ただ私の場合、独立して成功だったと思う。自分が48歳で雇われ講師でいる姿など、今となっては想像できない。
          独立するには、人生をダイブする度胸が必要だ。大手塾に監禁され、やりたいことが宇宙のように広がっている時間講師は、独立する気概を見せていいと思う。
          塾は講師対子供、個人対個人の関係で成り立っている。塾の企業は中間搾取的な性格を帯びている。だから個人でも塾はできる。大手塾は一種の「集客装置」なのだ。
          講師の純粋に子供を思う気持ちとか、予習に賭ける勤勉さとか、それらは結局塾経営者の懐に、カネの形になって飛び込んでゆく。そんな経営者の老獪さに、独立で対抗しなければならない。

          有能な大手塾の時間講師は、自分の憤りが公憤なのか私憤なのか冷静に吟味して、もしそれが公憤ならば決断すべきだ。独立する時は、会社側も自分も胃に血が滴るような神経戦になるが、失敗したら切腹すればいい。
          生徒が20人いて、自分の家で塾を開けば、サラリーマンの初任給くらいの収入は得ることができるのだ。どんどん独立してほしい。
          個人塾を作るのは簡単だ。家の玄関に「●●塾」と紙でも貼っておけばいい。その瞬間、あなたは個人塾塾長だ。いや看板すらいらない。あなたがいま「私は個人塾講師だ」と思った瞬間、個人塾を作っていることになる。参入がこれほど楽な仕事があろうか?

          ただし独立すれば、批判の対象になる上司はいない。やる気のある時間講師は、自分とそりの合わない上司への批判精神がモチベーションになっていることがある。絶対に認めたくないだろうが、嫌いな上司に依存しているのだ。独立すれば意外にも、攻める側から守る側になることは、心に留めておきたい。


           
          | 塾の様子ガラス張り | 18:44 | - | - | ↑PAGE TOP
          コウタロウ英国留学記(4)
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            Walmerで木登り

            コウタロウ英国留学記最終回。
            イタリア・ポルトガル・スペインへの旅行
            大学でのエッセイの追い込み、そして帰国


            前回までのコウタロウ英国留学記  (1) (2) (3)


            1月「涙」

            ローマの危険で不気味な地下鉄

            12月31日ローマに向けて出発した。移動にはドイツのLCCのライアンエアーを利用した。


            LCCは値段が安い分、郊外にある空港を使う場合があるが、イギリスの拠点はロンドン北部にあるスタンステッド空港で、フライトの時間を考えないと空港までの交通費や前泊の宿泊費などでLCCを使わない場合よりも高くつく場合がありそうだなと思い、注意が必要だと思った。
            飛行機でアルプスを超える時の景色は忘れられない。地上から見ると巨大な山々だが、上空から見るとちっぽけだ。雲の間から刺々しく山頂が顔を覗かせる。



             
            ホテルはヴェネチアへの列車が出発するローマテルミニ駅付近にとった。
            空港から駅まではシャトルバスで移動した。バスでの移動中から古代の遺跡が見えて、また石畳の道路の脇に高い木が立っていてこれぞ”ローマへの道”と言う場所を通ったので、興奮気味に車内からカメラを向けていた。街自体が遺跡というか、遺跡が街を構成している、2000年前の建物が違和感なく溶け込んでいるという感じがした。



            コンスタンティヌス帝の凱旋門


            ローマ市街南側の境界、サン・セバスティアーノ門


            アッピア街道。ローマ付近は現在でも車道として使われているらしい。どの車も石畳の細い道をとんでもないスピードで走る
             
            ローマの地下鉄はロンドンやパリとは比べ物にならにならないほど暗く、施設が古びていた。車両も全面にスプレーで落書きがしてあり、落書きなのかアートとして描かれているのか判断しかねた。
            地下鉄ではスリに合いそうになった。僕が乗った電車は満員だった。これは注意していなければスリに遭っても不思議ではないと思っていたところ、ドアが閉まる直前に30歳くらいの男の人が僕の正面に不自然に割り込んできた。想像した通り、彼は僕のポケットに手を突っ込んできた。スリに会わないようにポケットには何も入れていなかったので被害はなかったが、実際にスリに遭遇して貴重な体験ができたと思った。不思議だが実際に自分がターゲットになったことが嬉しかった。


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            2015年1月1日の始まりはスペイン階段の上で過ごした。偶然、留学していた日本人の友達とローマにいる日が被ったのでせっかくだからと、一緒に晩御飯を食べ、新年をカウントダウンして迎えた。
            ローマの年越しは花火がいたるところで打ち上げられ、また、爆竹がひっきりなしにならされ、耳がおかしくなりそうなぐらい騒がしかった。遅くなりすぎても怖いので、1時ころホテルに帰った。

             
            ヴァチカンの大混雑

            1月1日。元日は多くの施設が閉じているので、次の日の観光ローマの街をひたすら歩き続けた。少し歩けばコロッセオ、また少し行けばトレビの泉、その目と鼻の先にマルクス・アウレリウス・アントニウスの廟と、世界史の資料集でしか見たことのなかった建造物が自分の目の前にある、夢のような時間だった。
             
            1月2日はヴァチカンに行った。ヴァチカン美術館は長蛇の列ができることで有名で、事前予約が必須であるが、実際に行列を目の当たりにしてぞっとした。チケットを購入しようとする人とは別に予約をしている人の列すらできる。
            中に入って気づいたが大方の目当てはシスティーナ礼拝堂だった。壁面、天井を隙間なく埋め尽くす壁画にはため息しか出ない。この空間だけ異様だったのは薄暗さと、私語とカメラの仕様に対してとにかく厳しいことだ。少しでも声を発したら注意されるし、カメラを構えようものならすぐに警備員が飛んで来る。システィーナ礼拝堂の特別さと神聖さを感じる経験だった。
             
            博物館から出て帰るときには、城壁をぐるっと囲うほどの列ができていて、この行列に並んだら観光どころではなく並ぶだけで一日の観光が終わってしまう恐怖感を覚えた。予約は大事だとつくづく感じた。そのあとサンピエトロ寺院に入ったが、想像していたよりも巨大で、ペトロの墓も荘厳な雰囲気を帯びていた。



            イタリアでは、ピザはレストランでも大衆食堂みたいなところで食べても種類が豊富な上、安くて美味い
             

            コロッセオとカタコンベ

            1月3日は午前中にコロッセオを見学した後、午後はカタコンベに行った。
            コロッセオはむき出しの地下部分、昔は檻として使われていたところに苔がはえていて、感情がないというか寒々しい雰囲気を醸しだしていた。客席部分は人がどうやって座っていたのか想像できないくらい傾斜が急で壁のようだった。グラジエイターは戦い続けるか死ぬかの選択肢しかない悲惨な状況だったというが、人が獣と闘うのを見て、観客が興奮していた場所だと考えると笑えなくなってきた。それにしても、ここまでしっかりと形が残る遺跡を作った古代ローマ人の力を感じる。




            カタコンベにはバスで行けるが、どのバスに乗れれば良いのか調べるのが面倒くさいし、バスの時間に縛られるのも嫌だったので、タクシーで行こうかと考えたが、それも一人で乗るのはもったいないし、歩いたほうが最も融通がきくと考えたので結局歩いて、もしくは走っていくことにした。
            結果的に、途中にカラカラ帝の大浴場跡を発見できて収穫もあったが、全体的に道が狭く人影がなくただただ怖い道中だった。車がたまにしか通らない、片方は工事が途中で放棄された廃墟のような建物が吹きざらしになっているような道を通った時は、思わずダッシュせずにいられなかった。頭上をカラスが飛んでいっただけで変な道に導かれているのではないかとか、誰かが待ち伏せしていて誘拐されてしまうのではいかといった妙な想像をしてしまった。
            カタコンベに行くときは一日がかりの計画で、タクシーかバスを使い、余裕を持って訪れなければならないと学んだ。

             
            ヴェネチアで、たった一人の成人式

            1月4日。朝10にローマを発ちヴェネチアへ移動した。友達の勧めでITALOに乗った。フェラーリと同じ色の鮮やかな赤が特徴の列車だ。車内では無料でwi-fiが利用でき便利だった。
            ヴェネチアの駅に到着する手前で、電車が海の上を走るのだが、いよいよ水上都市のヴェネチアに到着したという興奮状態にしてくれる。駅を出たら目の前は運河。夢の国に来たようなわくわく感が心を支配する。水上バスであるヴァポレットのチケットを購入し乗船した。
            ヴァポレットはいろいろな路線があり、どれに乗ればいいか迷うが、ヴェネチアの全体像を把握するために2番の船でとりあえず1周してみた。ゴンドラで優雅な時間を過ごしている人もいれば、警察もボートでパトロールしている。主要な交通手段が船ということに興奮しっぱなしだった。
             
            ヴェネチアでは孤独に関して考えることになった。結果的に言うと、孤独は人にあふれる場所で感じるということだ。これまでは大自然の中に一人ぽつんと立っていてなかなか人に会えないような、物理的な距離や時間的な遠さが孤独を生むと考えてきた。しかし、実はそのような状況下だと確かに寂しさを感じるかもしれないが、自然が自分の友達になったというか、包み込まれたような不思議な安心感に似た感情を抱く。

            逆に、人ごみの中だと自分が1人でいるという事実が際立つ。有名な観光地のヴェネチアなので、周りはカップルや家族連れ、友達同士の旅行客ばかりだ。1人で行動している人はほとんどいない。日本で一番孤独な人間は、東京ディズニーランドに一人でやってくる客だと聞いたこともある。

            そんな中で自分は1人で行動している。ちょうどそのころ日本では、もうすぐ成人式で友達は地元に帰っている。仲の良い友達と集まり酒を飲んだり、早いところでは成人式があったりしている。旧友と久しぶりに会い、成長を確かめ合い、思い出話に花を咲かせる。その様子をfacebookやtwitterに投稿したものが目に入る。そんな光景がうらやましくて仕方なかった。
             
            20歳の誕生日を海外で迎えるほうが貴重だとか、成人式に出席したかしなかったかなんて大した違いを生まないと自分に言い聞かせようとしたが、そう思えば思うほど、強がっているのが鮮明になり余計に悲しくなった。美しいサンマルコ広場の夜景を見ていると急に寂しさがこみ上げてきた。目の前に広がっている光景が次第に滲んでいく。一滴の涙が頬を伝うのがわかった。波の音や鐘楼から響く鐘の音が寂しい気分を助長するBGMと化した。


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            サンマルコ広場の鐘楼より

             
            ヴェネチアのとびきり美味なシーフード

            ヴェネチア二日目はブラーノ島へ出向いた。ガラス細工で有名な島で、ヴァポレットを降りると人が同じ方向に流れていくのでついて行ったら、ガラス細工の工房を見学できた。色とりどりに輝き、どうやって作業したか想像もつかないような繊細な飾り付けがされたガラスがあったのでお土産に何か一つ買って帰ろうかとも考えたが、手頃な値段のものがなく諦めた。将来こういうものが躊躇なく買える様になってからもう一度来たいと思った。
             
            1月6日イタリア最終日、ロンドン行の飛行機は夜なので、昼過ぎまでは観光できた。la plancaというジューデッカ島にあるレストランで昼食を食べた。トリップアドバイザーでの評価も高く、僕が行った時も満席だったので2時間待った。



            ジューデッカ島にあるLa Palancaというレストラン

            このレストランで、久しぶりに生の魚を食べた。カジキマグロのカルパッチョ、コイワシのマリネ、ヴェネチア名物のサルディン・サオールが盛られている前菜は2人でシェアしても十分満足できるだろうと思えるほどの量だった。それを一人で平らげたのでとても満足した。嫌な生臭さもなく味付けもさっぱりとしていて非常に食べやすかった。干したオレンジの皮を刻んでふりかけていたのはおしゃれだった。メインのトマトソースパスタも酸味と甘みのバランスが絶妙で何人前分でも食べれそうな勢いだった。久しぶりに食に幸せを感じた。オーナーが直接注文を取りに来てくれる親切な店で、待った甲斐があった。
             
            隣の席に座っていたイギリスのオックスフォードから旅行に来ている中年夫婦とも会話し、一人旅の寂しさが少しは解消された。食後には美しいヴェネチアの景色を目に焼き付けながら、紅茶を一杯のんびりと飲み干した。
            トレビーソ空港まではシャトルバスで行き、ライアンエアーを使ってロンドンまで帰った。感情の起伏が激しいイタリア旅行だったが、ミラノやフィレンツェにもいけていないし、ヴェネチアは涙を流した思い出の地となったので、将来もう一度訪れたいと思う。
            僕はヴェネチアで確実に強くなった。


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            注文した前菜、魚の盛り合わせ。これがほんとに美味しいんだ。量的には2人前だけど、新鮮な生の魚を食べるのが久しぶりというのもあって一瞬で食べきった。

             
            ポルトガルとエンリケ航太郎王子

            1月7日にイタリアから帰国して、服などを少し入れ替えてから1月10の朝にはスペイン、ポルトガル旅行に出発した。
            スペインというと、マドリードやトレド、バルセロナお観光する方が多いと思うが、僕はグラナダのアルハンブラ宮殿にだけ行ければいいという気持ちで計画を立てた。高校二年生の時に世界史の資料集でアルハンブラ宮殿に一目惚れしてから、大学生の内に絶対に行くと決意していた。
            またポルトガル観光で、リスボンではなくポルトを選んだ理由はエンリケ航海王子の生家を訪れるため。高校時代に年に1回生徒が発行する学校誌のようなものの学級欄で”運動できる爽やか王子”と書かれたことがあった。それ以来、エンリケ航太郎王子と呼ばれることもあった。
             
            例のごとくロンドンスタンステッドからライアンエアーでポルトに飛んだ。空港から試合地まではメトロで移動する。ポルトのメトロは路線数が少なくわかりやすい。車両はきれいで乗客の雰囲気ものんびりしていた。
            ポルトはドウロ川河口付近に位置する。川を挟む形で町があり、坂に住宅が立ち並び、観光用のケーブルカーがあり、橋が架かっているなど構造的には故郷である尾道と同じ雰囲気を感じたが、建物が石造りというだけで見た目が全く違って見えた。ポルトでやりたいことは二つ。ポルトワインのワインセラーを見学することと、エンリケ航海王子の生家を訪れることだ。


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            ポルトといえばこの景色。ドンスイス1世橋とワイン運搬船の組み合わせ。橋の上を走っているのは何とメトロ

            エンリケ航海王子の生家は発見するのに時間がかかった。Google map のGPSと地図上の点はあっているのに、それらしき建物が全然見当たらないのだ。10分以上そのブロックを周回した末にやっと入り口を見つけることができた。しかし、観光客が訪れている雰囲気もない。ガラス越しに中を覗くと、一応見学できるようにはなっているようだったがその日は閉まっていて、それ以降しばらく開館されることはないという。質問に答えてくれた人も忙しそうにしていたので、この場所には来れたわけだし、とりあえず目的は達成したと思い、入り口にあった看板と説明書きだけ写真に収めてその場を後にした。

            ポルトワインは、まだ糖分が残っている発酵途中にブランデーを加えて酵母の働きを止めることで甘く仕上がるのが特徴だ。まだまだ子供なのでワインの味など区別できないが、このワインがとにかく甘いことだけは分かった。ただアルコール度数が20%と通常のワインよりも高いため、甘くて飲みやすいからと言ってごくごく飲んでいるとすぐに酔っぱらう。ツアーの最後に試飲会があるが、白と赤を少しずつ飲むことができる。ジュースみたいだった。学生にとっては危険なワインだなと思った。


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            ポルトワイン。ワインの味を区別できるほど大人な舌は持ってないけど、また飲みたくなるワインだった。

             
            スペイン・マドリードの8万人収容のスタジアム

            目的を達成し早々とポルトを後にした。向かう先はマドリード。特にマドリードには用事はなかったが、ポルトからグラナダへ直接移動する手ごろな手段が無かったのでマドリード経由でグラナダまで行くことにした。
            手段は長距離バス。パリに行くときに利用したバスが頭をよぎり、さぞかし辛いバス旅になるだろうと予想していたが、思ったより楽だった。乗客が少なく、のんびりとくつろげたからだ。距離的には420kmと国境を超えるドライブにしてはそれほど長い距離ではないが、ポルトガル内の複数の都市で客をピックアップし、スペインに入ってからも高速は走らず、いろんな街を経由して順々に乗客を降ろして回るので余計な時間がかかったが、移動が昼間で外の景色も見られたし、本を読むなどして暇を持て余すことはなかった。
            ポルトガル-スペイン国境でウルグアイ人が二人バスから降ろされたのには少し驚いたが、無事にマドリードに到着した。マドリードのバスターミナルは巨大だった。
             
            マドリードのユースホステルで一泊した。ヨーロッパの街はどこもそうだが、住宅もホテルも会社も同じような石造りの外観のところが多いのでホテルの場所を見つけるのが大変だった。とくにマドリードに着いた時は暗かったので、自力では見つけられずジムらしき場所に入って受付の人に場所を聞いた。いい意味で予想を裏切り親切に答えてくれたのは嬉しかった。
            次の日の午前中、グラナダへのバスの時間までレアルマドリードのホームスタジアムであるサンチアゴベルナベウのスタジアムツアーに参加した。ツアーと言ってもガイドはおらす、個人個人で自由にスタジアムを見学できる。試合がある日以外は基本的に見学できるそうで、これだけの人気クラブだとスタジアムツアーに参加したい人も多いだろうから、ツアーによる収入だけでも相当な額になると思った。
             
            8万人入るスタジアムは巨大だった。日本には8万人収容できるサッカー専用スタジアムは無い。これが満員になるとどんな雰囲気なのかと想像もつかなかったし、8万人の大観衆の中でスーパープレーを繰り出す選手たちの精神的な強さは想像もつかない。この巨大なスタジアムが試合ごとに常に満員にする集客力はクラブや選手の努力の賜物だと思った。スタジアム自体がスパースターが集うビッククラブの力を象徴している気がした。
            スタジアムツアーでは、ロッカールーにも入れるのだが、意外にも質素で木のベンチが並んでいるだけだった。それでもジャグジーがあったりシャワーが綺麗だったり、ジャグジーとは別に風呂もあったりとホームチームのロッカーは充実していた。受験生の時とアメフトを始めてから、サッカー選手にはあまり興味がなかった僕でも知らない名前はないぐらい有名な選手の名前がロッカーに刻まれていて、凄い場所に来たんだなという以外に感想が持てなかった。
             
            マドリードからグラナダへの移動にもバスを使った。利用客は少なくなかったが、隣の席は埋まらなかったので、ゆったりと座ることができた。
            休憩のためにとまったサービスエリアのようなところで生ハムを買いバスの中で食べた。抜群に丁度いい塩気が疲れた体を蘇らせる。この時から生ハムにはまった。
            グラナダに到着してからタクシーでホステルまで向かいそのまま一泊。家族がやっているB&Bで、日本で最近話題になっている民泊みたいなホステルだった。リビングは家族と共有で、子供が親からプレゼントをもらっている様子も見ることができた。テレビでは吹替え版のドラえもんが放送されており、ワールドワイドな日本のアニメの実力に触れた。

             
            20歳の誕生日。一人パエリヤ

            1月15日、20歳になった。スペインで迎える誕生日、これからの人生の中であるか無いか分からないスペインで迎える誕生日。別にスペインということにこだわりは無いが海外で迎える特別な20歳の誕生日になったことに変わりはなかった。
            晩御飯にはパエリヤを食べた。注文するときに店主がスペイン語で何かを伝えようとしてきたのだが、しばらくしてこれは値段も量も二人前だが大丈夫かということを確認したかったらしいことがわかった。2人前を平らげることに不安は無かったのでそのまま注文した。人生で初めて食べたパエリヤだが、めちゃくちゃ美味かった。
            イカやムール貝などのトッピングにも香ばしい味がしみ込んでいて、米にもカツオや昆布からだしをとってたいたようなまろやかな味付けがしてあった。帰国してからスペイン料理屋で何度かパエリヤを食べたが、このときを超えるものにはまだ出会っていない。


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            世界史の勉強で憧れたアルハンブラ宮殿

            次の日は朝からアルハンブラ宮殿とアルバイシンの丘を観光した。高校生のころからの念願がやっと叶うと期待に胸を膨らませ、歩き始めた。丘の上にあるので坂道が長く続いたが、もうすぐアルハンブラ宮殿に到着すると思うと坂道を歩いて登る煩わしさなどみじんも感じなかった。人は本当に感情に左右される。
             
            宮殿の入り口に到着した。イヤホンガイドを借り、順序に沿って見学し始めた。アルハンブラ宮殿は異なる時代に建てられた建物が組み合わさって構成されている。時代によって建築様式や形状なども異なるため見ていて飽きない。カルロス5世の宮殿やライオンの中庭、アラヤネスの中庭、ヘネラリーフェなど見どころは盛りだくさんだ。イスラームの装飾は繊細で、僕が行ったときは天井を修理していたのだが、修復にも時間がかかるといっていた。宮殿にはシエラネバダ山脈からの水が引き込まれ、建物の中に溶け込んでいる。水を利用しているというよりも水が活きている宮殿だと思った。噴水や水路をとおる水など音が絶えず聞こえてきて癒される。やっぱり僕は水のある場所が好きなんだと再確認した。
             
            アルハンブラ宮殿からはこれも世界遺産であるアルバイシンの丘が見えるのだが、一つの丘が真っ白に見えて非常に見応えがある。この丘は昔アラブ人の居住区だったところで、建物の壁がギリシャのサントリーニ島のように白で統一されている。
            アルハンブラ宮殿に3時間ほど滞在した後、ここに歩いて向かった。歩いていると遠くからギターの音と歌声が聞こえてきたのでそれに誘われて行くと展望台にたどり着いた。ここからはアルハンブラ宮殿を一望できるのだが、ここから見るシエラネバダ山脈を背景にした宮殿も美しかった。のんびりした空気の流れる南米のような雰囲気の感じられる場所だなと感じた。



            ナスル朝時代王族の避暑地として造られたヘネラリーフェ、アセキアの中庭。1950年代に修復工事が終わったらしく、外観はとても新しい。水が主役の庭。ベンチに座って深呼吸すると澄んだ心が蘇る。

            グラナダにはもう一泊し、次の日の朝飛行機で帰国したが、途中経由したマドリードの空港もターミナルが巨大で乗り継ぎが大変だった。 
            結局、クリスマス休暇でフランス、イタリア(ヴァチカン市国含む)、ポルトガル、スペインを旅行したが、それぞれ雰囲気が違って面白かった。
            店での接し方を例に取ると、フランスはよそ者、イタリアは友達、ポルトガルではお客様、スペインでは観光客としての対応をされているなと感じた。これは僕の態度や行先で大いに変わるが僕の中での各国の印象を簡単に言うとこんな感じだ。1か月弱最初から最後まで1人で旅行すると精神的にもそこそこ疲れるなと感じた。

             
            日本人留学生ダニエル

            ここである日本人留学生の男を紹介したい。その名はダニエル。顔がハリーポッターのハリーに似ていることから、ダニエルと言うニックネームを持っている。
            彼は地元尾道では有名人だった。1/2成人式で将来の展望を発表し、国連職員になりたいと語っていたのが印象的だった。機械が動いているかのような正確なお辞儀をし、しゃべり方も只者ではない印象を受ける。尾道から広島市内の高校に進学し、卒業後イギリスに渡ったそうだ。直接面識があるわけではないが、彼と中学校が同じだった友達から間接的に話を聞くと、みんなも別次元の人だと認識しているように感じる。ブログも有名だ。
            僕が1月にロンドンで英検を受験したとき驚愕した。筆記試験の時の試験監督がダニエルだったのだ。会場はImperial College of Londonで、後で彼のfacebookを確認してみると、やはり試験監督はダニエルだった。
            試験会場に入室し着席して顔を上げた瞬間、知っている顔が教壇に立っているのだ。試験前だったのに、試験どころでなく動揺した。イギリスの大学に進学しているのは知っていたが、まさかこんなところで目にするとは思っていなかった。
            試験監督と受験生という立場に歴然とした差を感じた。何が何でも絶対に合格せねばと思った。

             
            2月「授業」

            英語のディスカッションの苦しさ

            さて、ここまで大学の授業について全く触れていないので少しはイギリスでの勉強に関しても触れておきたい。
            Pre-sessional courseが終了しテストにも無事合格したので、10月からは正規の学生と一緒に授業を受けることになる。10月からクリスマスまでの秋タームと、クリスマス休暇明けから4月2週目くらいまでの春タームがあるが、それぞれ4つずつ授業を履修した。
            政治の導入科目や、日本の政治、イギリスの国会について、第二次世界大戦中のイギリス、EUの仕組み、世界の帝国史などに関する授業をとった。ジャーナリズムを学んでみたかったが、開講されるのがバスで1時間ほど離れたキャンパスにあり他の授業との兼ね合いもあり、取るのを断念した。
             
            1つの授業につき週に1時間の講義(レクチャー)と1時間のゼミのようなディスカッションの時間(セミナー)がある。つまり他の人と顔を合わせて学ぶのは各ターム週に8時間しかない。予習復習がとても重要だということだ。講義を受ける前に2,3の資料を読み、講義の後に復習をし、それを踏まえてセミナーのための文献を読む。セミナーでは講義内容と参考文献を元に議論をして理解を深める。
            僕が最も苦労したのがこの部分で、いくら参考文献を読んだところで、背景知識の量が違いすぎ他の学生が説明していることが少ししか理解できない。イギリス政治の授業はセミナーのグループで自分以外全員ネイティブだったので会話のスピードも速くついていくのが必死だったというか、完全についていけてなかった。
             
            セミナーではどれだけ積極的に議論に関与しようとしても限界を感じた。外国人の僕には、アクティブラーニングのようなセミナーはきつい。聞き流しても内容は入ってこない。
            逆にレクチャーは日本の大学の一般的な講義と同じで先生がスライドなどを使って解説していく方式だ。先生が説明口調で、プレゼンのときのように聞き手の学生を意識して話してくれるので非常に聞き取りやすかった。



            イギリスで読んだ日本の文庫本。本体価格1円の中古の本だけど、古本独特の匂いと日焼けした紙の感じが好き。文字が小さいのも昔っぽい。

             
            3月「坊主」

            長髪を一気に坊主にした人気者koTTAro

            4月にイギリスに来て夏に1回散髪をしたが、それ以降は耳の周りを軽く切る程度でほったらかしていた。日本人がやっている美容院に行く選択肢もあったが髪のためにお金を出す気にはならず、それなら現地の散髪屋さんに行ってテレビの企画であるようにお任せで安く仕上げてもらおうかとも思ったがそこまでの勇気もなく、結局気づいてみれば耳が完全に隠れるほど髪が伸びた。ヘルメットを被っているような見た目だった。頭が重く感じた。
             
            バリカンを友達に借りて、長髪を一気に刈った。思い付きは怖い。現地の床屋に入る勇気がないのに、いきなり坊主にしだすとは面白い。フランス旅行前に坊主にしていればドライヤーを荷物から省けたし、何より確実なシャワーが保障されないユースホステルなどでは洗面台で頭を洗ったりできるので非常に便利だったというのに。乾かす手間も省けたし旅行の前に坊主にすればよかったと後悔した。
             
            坊主にした後アメフト部の練習に行くと、いつもは“Hi,koTTAro”と迎えてくれるはずのみんなが、僕のほうを見ては目を丸くしている。QBのローレンスには誰かまったくわからなかったといわれた。自分の目の前にいる日本人がkoTTAroであると認識されてからは丸めた頭を触られまくった。一瞬だけでもFalconsの中心になった気がしてうれしかった。ちなみに、チームメイトたちは‘こうたろう’とフラットに発音することが難しいらしく、イメージとしてはkoTTAroと呼ばれている感じなのでこう表記している。
            イニシエーションのコスプレといい、突然坊主にしてくるのといい、最初から最後までこの日本人はどこか狂っていると思われていたかもしれない。
             
            エッセイ。エッセイ。エッセイ。エッセイ。エッセイ。エッセイ。3月の僕の頭の中を文字であらわすとこうなる。24時間こんな感じだった。本当にエッセイに追われていた。一つ2年生の授業を取っていたのだが、エッセイが3500ワード以上で死ぬかと思った。レッドブルを飲み夜遅くまでエッセイを書き続けた。この時が一番留学生らしかったかもしれない。
             
            4月「362日ぶりの日本」

            帰国の荷造りはたいへん

            帰国の時が近づいてきた。たった1年とはいえど、イギリスに来た時よりも格段に荷物が増えている。パークウッドには服や靴、本などを入れておけばユニセフに寄付されるボックスが設置してあったので、日本に持って帰って使うほどでもないが、まだまだ使えそうな靴や衣類、文房具などを大量に寄付した。1年前の反省を活かし、できるだけ荷物を減らしたかった。
            帰国3週間前頃から荷造りを始めた。お土産などに多くのスペースお割かれるので苦労した。どうしても入りきらない荷物は新しく大きくて安いスーツケースを買い、クロネコヤマトで日本に送った。
            帰国2日前、2年生のWRで一番仲の良かったセドリックが、帰国するコウタロウのためにメッセージを募ってくれた。多くのチームメイトから嬉しい言葉をもらい、世界とつながったと思った。QBのローレンスやセドリックとは今でも連絡を取る。
             
            海外での「湯船愛」

            日本でも一人暮らしをしているとシャワーで済ます人が多いかもしれない。しかし、家に湯船があり入ろうと思えばいつでもお湯を張れる状況と、入りたくてもシャワーの施設しか無いのとでは全く違う。シャワーだと立ちっぱなしで足がつかれリラックス出来ない。少しでも風呂でくつろぎたかった僕はバケツを持ち込み、そこに座り壁にもたれかかり、ぬるめのお湯を浴びることで何とか気持ちを紛らわしていた。だが、湯船には到底及ばない。
            またクリスマス休暇の時は結局時間がなくて断念したのだが、湯船というか温泉に浸かりたくてハンガリーのブダペストに行くことを本気で計画していた。それほど湯船に恋焦がれていた。
            そして帰国直前に湯船に浸かる機会が訪れた。ヒースロー空港で前泊した部屋に湯船があったのだ。興奮した僕は熱いお湯を貯め、ざぶーんと勢いよく浸かった。思わずのぼせるまで浸かってしまい、熱くて風呂上りに全裸でいたら案の定湯冷めして、次の帰国の日の朝、体調は最悪だった。風邪をひいているときの長時間フライトは辛い。

             
            帰国してインフルエンザに

            日本を出国してから362日ぶりに帰国した。到着ゲートを出て親の姿を発見した時は、親がここにいてくれるだけで安心感を抱いていることに気が付いた。「久しぶり」と言うと「風邪は大丈夫?」と母親は言う。特別な言葉をかけるのも照れくさいので、何気ない日常にありふれたような会話をした。
            体調が優れなかったので、“3大食べたい”の、焼き肉、ラーメン、すし、を置いてうどんを食べた。だしの味が体にしみた。うまかった。やっぱり日本食はうまい。そう思った。
             
            父の運転する車で尾道まで帰った。家についたころには熱が上がっていて、病院に行くとインフルエンザだと診断された。帰国早々のインフルは残念だったが、1週間ほどゆっくり休めと言われているのかなとも感じた。
             
            最後に、留学したいと言い出した僕を叱咤し、情熱的に牽引してくださり、この場でコウタロウシリーズイギリス編を書く機会を設けてくださった笠見先生には最大限の感謝を表明したい。
            また家族、祖父母、BADGERSの仲間、留学中出会った日本人の留学生たち、留学制度を維持している岡大の担当者の方々、全ての方の協力、サポートのおかげで留学が成り立っていたことに感謝したい。
            さらに直接の関わりはなくとも僕を応援してくださっている方々もいることを認識し、その方たちの期待を裏切らないように成長し続けなければならない。
            その一歩目として、帰国後一年間の僕の歩みをアメフト編として書く。


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            最後のヒースロー空港。さよならイギリス、また来るでー


            コウタロウ英国旅行記 完 


            これは、コウタロウが大学2年の、イギリスへ留学した時の体験記である。大学1年での、アメフトと留学を目指すための英語勉強を両立した体験は、コウタロウシリーズ(31)を参照してほしい。


             
             
            | uniqueな塾生の話 | 15:07 | - | - | ↑PAGE TOP
            高校の大量課題はやるべきか?『大学受験勉強法 受かるのはどっち?』
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              地方の進学校では、高校で大量課題が出る。
              まるでのび太のママが「のびちゃん、宿題よ」と抱え持ってくる大量の教材のように。
              理不尽とも思える大量課題は、やるべきか、放置すべきか?

               

              「超努力家」女王の主張
               
              ■過大な課題はやる必要なし
              地方のいわゆる”自称進学校”は、少年院みたいなところがある。
              先生は刑務官で、生徒は”更生”を強いられるわけ。
              服装規定が厳しく男の子も女の子も白のソックスしか許されないし、髪型も厳格なの。頭髪検査に引っかかったら、職員室のハサミで切られるわ。
              それから課題が異常に多い。「数学チャート式を1週間で50ページやれ」とか、「ネクステを10日で100ページ」とか、消化不良になるし、生徒の忠誠度を試しているとしか思えない。
              しかも、東大受ける子も短大受ける子も同じ課題。受験戦略とかまるでない。
              おまけに、実力がない先生ほど課題出すのが大好きな傾向があるの。
              わかりやすい授業ができず、生徒に努力根性を押し付けて、自分は指示してノルマクリアできなかったら非難するだけ。それで自分は熱心だと思ってるのね。
              こんな先生に従って、受験までの大事な時間を浪費するのはやめた方がいい。
              人生の舵はちゃんと自分で握っていてほしい。
              NOと言うべき時は言わないと。
               
               

               VS
               
               

              「天才」博士の主張
               
              ■課題をこなせる圧倒的な力をつけよう
              僕の高校は制服もない、割と自由な東京の私立でした。
              課題はほとんど出ませんでした。先生も大学教授みたいな人が多く、緩いけどアカデミックな雰囲気でした。
              課題がなくても、僕たちはやるべき時には勉強しました。
              勉強にハマれば楽しくて寝食を忘れました。遊んではっちゃけていても、先生からの信用は空気でわかりました。
              僕の小学生時代の友人で、女王のおっしゃったような、課題が多い厳格な進学校に通っている同級生がいるのですが、課題を見せてもらうと、問題レベルは簡単で、量もそんなに多くなかったです。
              偉そうな言い方で恐縮ですが、難関進学校の生徒は、普通の進学校の生徒が過大に感じる課題も、サッとこなす力があります。
              課題を困難に感じるのは、処理能力不足にあるのではないでしょうか。
              学校の課題が過大だと愚痴る前に、勉強の実力が足りないと受け取ったほうがいいです。
              相手を強く感じるのは自分が弱いからです。
              力をつければ解決しますよ。





              さて、課題の多い進学校の生徒は、どういう振る舞いをすればいいのか?
              学校の課題なんて無視すればいいのか?
              課題を素早くすませるため、圧倒的な力をつけるのか?
              それとも、ほかの解決策はあるのか?


              『大学受験勉強法 受かるのはどっち?』
              全国の書店、Amazonで好評発売中。

              (3月26日午前0時現在・勉強法カテゴリ第3位)

               
               
               
               

               
              | 私が出した本 | 18:04 | - | - | ↑PAGE TOP
              無人島に10冊参考書を持っていくとしたら(下)
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                生徒「英文読解の本は何がいいでしょう。迷ってます。僕は西きょうじの『ポレポレ』にしようかと思っていますが・・・」

                 

                (生徒の心の声・・・やっぱり『ポレポレ』が一番安心できるよね)

                 

                先生「いや、『ポレポレ』は難しいから、同じ西きょうじの基本的な『英文読解入門 基本はここだ!』はどうかな?

                 

                (先生の心の声・・・お前に『ポレポレ』は難しい。やめとけ。偏差値45のヤツに『ポレポレ』は手に余る)

                 

                生徒「でも『ポレポレ』は評判いいですよ。難しいのはわかりますが、チャレンジしたいです!」

                 

                (生徒の心の声・・・『英文読解入門』だって? なめやがって! 簡単な英文しか載ってない本でしょうが。俺は応用問題が解きたいんだ。勉強は基礎から積み上げるより、応用から全体を俯瞰した「パラシュート勉強法」の方が、全体像を見渡せていいと俺は聞いたぜ。俺は早稲田志望だぞ。ここはポレポレだろ。素人め)

                 

                先生「『英文読解入門』は、英文は簡単だけど、解説が理屈に合ってるよ。簡単な英文で、英文読解の普遍的な理屈を学べる本なんだ。西先生の理屈を頭に埋め込めば、長い文を読む手掛かりになる。「英文読解装置」が脳に建設されるよ。最初の一冊として万人に薦めたい」

                 

                (先生の心の声・・・何が難しいことからチャレンジしたいだ。どうせどこかで、鳥の目で俯瞰する「パラシュート勉強法」のにわか知識でも仕込んだんだろう。こんな低学力の生徒が応用から始めたら、パラシュートどころか飛び降り自殺だろうが。おとなしく『英文読解入門』やれよ。この年頃の奴は、変なプライドで難しい参考書やって挫折する)

                 

                生徒「『ポレポレ』はダメなんでしょうか・・・?」

                 

                (生徒の心の声・・・俺は早稲田受けるんだ。『英文読解入門』みたいな簡単な英文が早稲田に出るかよ。入試問題に即したレベルの英文読むのが定石じゃないか)

                 

                先生「『英文読解入門』をやって、それからポレポレをやればいいんだよ。ポレポレは難しいから、ワンクッション欲しいんだよ。ゴールは『ポレポレ』、スタートは『英文読解入門』。これでいいじゃないか」

                 

                (先生の心の声・・いやあ、西きょうじ先生にも困ったもんだ。よくもまあ渾身の著書に『ポレポレ』というタイトルをつけたと思う。ふつうなら編集会議で一笑されるだろうに。書店で『英文問題精講』『英文解釈の技術100』『英文読解の透視図』『思考訓練の場としての英文解釈』と厳めしい英文解釈本が並ぶ中で、『ポレポレ』のタイトルは異彩を放つ。表紙も象だし。思いっきり親しみやすい。だから『ポレポレ』を簡単な本と間違って買う受験生はあとをたたない。これは「オレオレ詐欺」じゃなくて「ポレポレ詐欺」だ)

                 

                生徒「じゃあ『英文読解入門』にします」

                 

                (生徒の心の声・・・だったら『英文読解入門』1週間ですませてやらあ)

                 

                先生「そう『英文読解入門』と『ポレポレ』は2冊で1冊だ。英語が苦手な人はね、文章が長くて単語が難しくて解説がわかりにくい参考書は、絶対途中ギブアップする、『英文読解入門』はこの3つの弱点がないし、しかも薄いから完走でき反復できる。とくに比較の部分は5回以上読んでほしい」

                 

                (先生の心の声・・・そう。『ポレポレ』も『英文読解入門』も、受験生がつけた手垢の累積数ではピカイチの本だ。こういうブランド物の鞄のように、使い込めば使い込むほど味が出る「強い参考書」は頼りになる)
                 

                | こんな生徒は嫌だ | 16:05 | - | - | ↑PAGE TOP
                私のブログの書き方
                0

                  偏見かもしれないが、主婦の方のブログに面白いものは非常に少ない。ブログは主婦の方にとって、井戸端会議ツールなのだろう。

                   

                  ブログではないが、うちの母親も75歳の老主婦だが、私には興味のない話ばかりしてくる。

                  「スーパーで、下着が安かったから2つ買ってきたの」
                  「お友達の吉田さんと、水曜日島根県の有福温泉に行くの」
                  「山内惠介そんなに歌は上手じゃないけど、顔がハンサムで一生懸命歌うから好き」
                  「きょう村岡さんから、こんなにたくさんお花もらったの。きれいだから床の間に飾っておくわね」
                  「このお皿素敵でしょ。ちょっと高かったのよ。刺身がおいしそうに見えるでしょ?」

                  塾から疲れて帰って、この手の話につき合うのは忍耐力がいる。私にはババアの下着も山内惠介も全く興味がない。

                   

                  もしこんなうちの母親がブログを始めたら、目も当てられないほどつまらないブログになるだろう。

                  主婦の方のブログは、他人が興味あるかないか選別することなしに、思ったことを垂れ流して書いてしまう。誰もが山内惠介に興味があるわけではないのだ。

                   

                  ところで、私自身がブログを書くとき留意している点は4つある。

                  第1は接続詞の使い方。文章を一気に読者の方に見ていただくには、接続詞を操りパラグラフを繋ぎあわさなければならない。接続詞という連結器が故障すれば、文章はバラバラになってしまう。

                   

                  良い文章は、読者を文章の世界に沈没させる。読者は文字を意識せず、ブログの筆者が創作した空想世界に誘われる。だからこそ、接続詞を1つ間違えでもしたら、読者をわれに返らせてしまう。そうなったら負けだ。

                  文章は川のように流れていなければならない。接続詞を間違えればダムのように文章の流れをせき止めてしまう。

                   

                  ときどき、わざと接続詞を使わないで、文章をギクシャクさせる「破調」の手法を使うこともあるが、基本的に接続詞には神経質になる。一度書いた文章を推敲するときも、最後までこだわるのが接続詞である。 

                  自分の文章がもし試験の問題文に使われたとして、出題者が私の文章で接続詞の問題を作ったとしてもきっちり対応できるように、慎重に接続詞を選ばなければならない。

                   

                  第2は読点の打ち方。読点の打ち方が、文章を書く上で一番難しい。

                  実は私は、自分の文章が上手く書けているかどうか、読点の数で自己判断している。

                  気力体力がみなぎり、集中して書いている時は読点が少ない。文章の肺活量が多く、3〜4行を読点なしに息つぎなしに書けてしまう。読点が少ない文章には、勢いよく噴出したマグマのような、ハラハラした躍動感がある。 

                  お恥ずかしい話だが、他人を攻撃する時の文章が、最も読点が少ない息が長い文章になる。怒りと興奮で一気呵成に文章が仕上がる。そんな攻撃的な気分の時は、蛇のように長い言葉の羅列を、敵の口に食らわすような快感を覚える。最高に論理的な文章は、感情的な時こそ書けるのだ。
                   

                  逆に身体がだるくキーを打つ手が止まり、脳味噌が枯れている時は必然的に読点が多くなる。読点が多いとき、文章を書くことがしんどいなと意識する。点だらけの文章は、書き手の疲労を物語っている。 

                  ただし、読点が多い文章は、決して悪い文ではない。むしろ読者の心をつかむには、読点を多くした方が良い場合がある。

                  読者を説得するための文章、読者の心に私の考えをストンと落とし込みたい時には、読点を意図して多くする。

                  読点が多いブツブツした断続的な文章からは「詩的」な余韻が生まれ、ふだん無口な人が心を振り絞って語るみたいな朴訥さが伝わる。
                   

                  読点が少ないと能弁に、読点が多いと訥弁に、緩急をうまく織りまぜると文章に説得力が生まれる。読点の使い方で、文章に「動と静」のメリハリがつくのだ。

                  第3は、「200字に1度、面白いことを書く」ということだ。

                  これは映画監督兼エッセイストだった、故伊丹十三が残してくれた教訓であり、伊丹は「映画もエッセイもぼんやりしてたら観客や読者が逃げる。だから映画なら3分に1回、エッセイなら200字に1回は刺激を与えないとダメだ」みたいなことを書いていた。

                   

                  ブログの文章は私の場合原稿用紙3枚ぐらい、字数にすると1200字ぐらいだろうか。ということは1つのブログで6回は気の利いたことを書かねばならぬということになる。

                  「面白いこと」とはもちろんギャグではなく(ギャグもあるが)、意外な情報や事実とか、比喩や修辞、また話の意外な展開の仕方も「面白いこと」の範疇に入る。

                  私の場合は文中にわざと「唐突に現われる意外な人名・固有名詞」を出す。くどくて下品な手法だが、これも一種の芸風だと思って頻繁に使っている。

                   

                  ブログの1日分の日記は、小説に比べて非常に短い。だから「刺激的」に書くことが求められ、同時に「刺激的」に書くことが許される。

                  ブログはフラッシュのように、一瞬にして読者に刺激を与えなければならない。だから過剰さこそがブログの命になる。だから、どぎつい唐突な修辞法は大きな効果をもたらす。
                  もちろん刺激が強すぎて、読者を我に返らせてはならない。文章の流れを阻まないように、比喩や修辞は繊細に使わなければならない。あくまで文章の流れが主で、面白くするための比喩や修辞は従である。
                  村上春樹も初期の『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』では比喩がふんだんにちりばめられていたが、最近の作品では比喩が減っている。比喩の感性で読者を刺激するより、ストーリーの流れを重視する路線に切り替えたからだろう。

                  というわけで、私は大学受験の「小論文の書き方」とは逆の方法で、生徒に教える正統的な論文の書き方とは別のやり方でブログを書いている。

                   

                  第4は「主婦のブログになるな」という戒めである。

                  私は私小説があまり好きではない。よほど才能がある人でなければ私小説は許されない。第三者にものを伝えるには、「自分の書くことなんかつまらない」という前提が必要だ。相手にどう見せるか、その気遣いがなければよいブログは書けない。
                  思ったことをそのまま書いてもダメなのだ。

                   

                  たとえば映画で雨をそのままカメラで撮っても、雨粒はクッキリ写らない。スタッフが上から大量の水を撒いて、光を当ててはじめてフィルムに雨粒が刻まれる。黒澤明のモノクロ映画『羅生門』では冒頭のシーンは豪雨で始まるが、この豪雨が異常に迫力があるのは、消防車から大量にまかれる水に墨汁を混ぜたからだ。

                  雨粒をそのまま映してもフィルムに写らないように、自分の経験をそのまま語っても面白くない。文章には「墨汁」を仕込むことが必要なのである。

                   

                  以心伝心の「あうん」では絶対に伝わらない。第三者に言葉を伝える時は、最大限の気配りが必要なのである。純文学の路線を進むならそれも許せるが。

                   

                  以上、私がブログを書く時に気をつかっていることである。

                   

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                  コウタロウ英国留学記(3)
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                    ケンブリッジで、藤原正彦『遥かなるケンブリッジ』を読む



                    11月「両親英国上陸」

                    コッツウォルズへ両親を案内

                    11月に入り雨の日が増えてきた。
                    11月の重大イベントはなんと言っても両親がイギリスに来たことだ。両親がイギリスに到着した翌日に会ったのだが、「その格好で寒くないん?」と最初に僕にかけた言葉はやはり僕を気遣う言葉だった。「入国審査大丈夫だった?」と聞くと、「何がなんだか分からなかったけど2人で何とか通してもらえた、一組前のアジア人が部屋に連れて行かれていて焦った」というようなことを不安そうに、でもどこか楽しそうに話してくれた。
                     
                    メインイベントはコッツウォルズへの日帰りツアーだ。母がガイドブックを見て一目惚れし、なんとしてでも行きたいと言っていたので、実現して良かった。コッツウォルズは見どころとなる町がそれぞれ離れているのでツアーで行くのがお勧めだ。僕たちはロンドンヴィクトリア発のみゅうのツアーに参加した。バイブリーという村はイギリスで最も愛らしい村と言われ、澄んだ小川と緑が抜群の調和をなしていた。湖水地方にも行きたかったそうだが、時間的に厳しかったのと位移動がしんどそうだったので今回はパスした。

                    行きたかったポーターズというレストランで晩御飯を食べたり、ウェストミンスター寺院に行ったり、ビックベンを見たり、テムズ川クルーズの遊覧船に乗ったり、観光地を巡った。特にウェストミンスター寺院は気に入ったようで、「ウィリアム王子が結婚式したとこよね!?」などと終始楽しそうだった。他に、カンタベリーに来たときに丁度アメフトの試合があったのでそれを見てもらった。

                    2階建バスに乗る機会がほかになさそうだったので、ここぞとばかりにバスに乗ってしまいバッキンガム宮殿の衛兵交代式を見逃したのは僕の最大のミスだ。悔やんでも悔やみきれない。
                    またエッセイのデッドラインが近く僕が慌ただしくしてしまったせいで十分に案内してあげることができなかったのが非常に心残りなので、もう一回家族でイギリスに行って今度はゆっくり観光したい。

                     
                    錦織圭とPerfume

                    この月は錦織のATPツアーファイナルを観戦しに行くことができた。ウィンブルドンに錦織の試合を見に行くことはできなかったが、タイミングが合い見に行った試合で錦織はマレーに対して見事に初勝利を挙げた。日本人として誇らしかった。また、テニスの試合を生で観戦したのは初めてだが、ポイントが入るごとに盛り上がり、プレーが始まるときには一瞬にして静寂に包まれる観客のマナーの良さに感動した。


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                    青い照明に包まれたO2アリーナ
                     
                    11月にはまた、Perfumeのロンドン公演が開催された。公演直前にタイミングよく、友達の別府君がフェイスブックにデビュー15週年の記事を投稿していて、それを見てロンドン公演のことを思い出した。これはなんとしても行かなければと急いでチケットをとった。
                    左端でステージの端っこが切れて見えない時もあるが、なんと前から3列目の席を確保することができた。Perfumeに関わらずコンサートに行くこと自体が時初めてだったので、その場の雰囲気に感動した。加えて、Perfumeは広島出身ということで、イギリスで同郷のアーティストが活躍している姿を見ると勇気がもらえた。

                    それまではPerfumeに特段興味があるわけではなかったが、異国の地にいる時は同郷というだけでここまで親近感が湧くものなのかと不思議に思った。体に映像を投影するプロジェクションマッピングや、あーちゃんによる自由奔放な進行もぞんぶんに楽しめた。半分以上は日本語を話しているのに、会場全体が燃え上がっていて、お客さんを楽しませるプロだなと思った。
                    錦織の活躍とPerfumeの公演は、イギリスのどんよりとした天気に負け鬱気味だった僕に元気を与えてくれた。


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                    前から6列目で飛んだり踊ったり、ハッスルしてました。Perfumeとかなり近かったです。聞きたかった広島弁は1人1回ずつ喋ってくれました。今日は大満足。
                     

                    12月「冬の旅行」

                    パリでジプシーに襲撃される

                    12月の中旬に各授業の期末エッセイを提出し終わったら、いよいよ待ちに待ったクリスマス休暇が始まる。取っている授業によって違うが、12月20日頃から約1か月間の休暇だ。
                    僕はまずフランスに行くことにした。パリがどれほど美しい街か感じてみたかったし、ヴェルサイユ宮殿や、モンサンミシェル、ルーブル美術館など、行きたい名所が多くあったからだ。またウッチャンナンチャンが泳いで渡ったドーヴァー海峡を船で渡ってみたかった。

                    ドーヴァーでバスに乗り、すぐに乗船し1時間半程度の航海。カレーに上陸し、バスでパリのバスターミナルまで行く。9時間弱の長時間移動なのに4列シートで、居心地は最悪、満席な上に子供がはしゃいだりするとくつろげない。
                    唯一の救いだったのは、隣に座っていたおじいさんが教師をしていた若いころの話や、イギリスとフランスのクリスマスの違いなど、会話に付き合ってくれたことだ。現在はパリに住んでいるらしく、イギリスから帰っている途中だったそうだ。


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                    バスに乗ってからフェリーに乗り込むまで2時間以上かかった。その大半が入国審査待ち。旅程の1/4を全く動かずにバスの中で待機というのは辛い。

                    午前8時半ごろにパリのバスターミナルに着いた。計画では朝着いて数カ所めぐろうと思ってたが、バス旅に疲弊しすぎて行動する気が起こらなかった。
                    お腹がすいたのでとりあえずマックに入りハンバーガーを頼もうとしたが、店員さんがフランス語しか話さないので注文に手間取った。挨拶以外のフランス語は全く分からなかったので指で注文した。パリでは英語を話してくれない人が多いと聞いていたが、英語で大丈夫だろうと気軽に構えていたので意表を突かれた。フランス観光が一気に憂鬱になった。
                     
                    朝のパリには地元の人しか受け付けない雰囲気を感じ、居心地が悪くなり、地下鉄で何気なくテュイルリー公園まで行った。公園を散歩しているときにジプシーのような集団に声をかけられた。ジプシーとは東欧を中心に生活している移民型民族の総称であるが、中には大都市の観光名所でスリをしたり、詐欺行為をしている人もいる。僕が出会ったのは詐欺のほうだ。手に署名用紙みたいなものを持っていて名前を書いてほしいとのことだった。言われるままに名前を書くと次は数字の欄だった。ここでしまったと思ったがもう遅かった。
                    気づけば僕の周りを5人以上の女の人が囲み、「money, money.」と連呼していた。あーこうやって金を取られるんだなと落ち込んだが、簡単に金を奪われるのも嫌なので逃げる方法を考えた。結局金を渡そうとして相手がちょっとだけでも気が緩んだ瞬間にダッシュするという強引な手段を採用した。後ろからは僕を罵る声が聞こえたが振り返らなかった。最悪なフランス観光のスタートになった。
                     
                    長時間のバス旅に加え、ジプシーに追い詰められて憔悴した僕は、ガルニエ座付近にあるスタバで休憩することにした。コーヒーを注文し二階に上がった。ツイッターを開き、Taloと書かれたコップを写真にとってツイートしたのを思い出す。


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                    ヴェルサイユ宮殿は「ただの箱」

                    手動ハンドルで開閉する地下鉄のドアに戸惑いながらなんとかホステルにたどり着きチェックインを済ませた。チェックインしてからは、ご飯を食べて周辺探索に終始し、早めに就寝した。フランス2日目12月24日クリスマスイブ。ノエルをパリで過ごすと聞くと美しいが、男子が一人でクリスマスマーケットを探索していても何もロマンチックでもない。
                     
                    この日のメインイベントはヴェルサイユ宮殿に行くこと。思ったよりも中心部から離れていて電車で行かなくてならない。イギリスでもオランダでも思ったがヨーロッパは中心部を少し離れると一気に閑散とし田舎の雰囲気が出てくる。日本だと中心部から離れていくとグラデーションのように徐々に田舎に移行していくが、街の成り立ちの違いがこういうところに現れるのだと感じた。
                     
                    また、電車の中でアコーディオンを演奏する人がいて、演奏終了後にチップを求めてきたが入れるべきか入れないべきか分からず一度は断ったが、他の乗客たちが気前よくハットの中にチップを投げ込んでいたので、僕もそれに倣って、気持ち分のチップを投げた。電車内で楽器を演奏するのは、日本ではありえない光景だなと思った。僕がポケモンの歌を歌ったら、チップが集まるのだろうかと呑気なことも思ったりもした。
                     
                    ヴェルサイユ駅に到着した。みんな目的地は同じなので地図がなくとも宮殿まで迷うことはない。駅からの一本道を左折すると宮殿が見えてくる。金の装飾が目立つ宮殿もさることながらその前に広がる広場の広さにも驚いた。イギリスの学生ビザは最強でヴェルサイユ宮殿にも無料で入ることができた。
                    ヴェルサイユ宮殿の一番の目玉はなんといっても鏡の間で、ヴェルサイユ条約の調印式が行われた場所だ。まばゆいばかりに輝く華々しい歴史を感じた。しかし、宮殿の他の部屋には装飾品が残っておらず思うほど過去の栄光を実感することはできなかった。

                    建物自体は本当に大きいし、豪華絢爛なのは分かったが、“ただの箱”という印象で、そこまで感動はしなかった。中国の紫禁城に訪れた客も同じ印象を抱くと聞く。グランド・トリアノンやプチトリアノンせっかくなので行ったが、こちらは、豪華さは損なわず、かつ生活感があって落ち着く感じがした。プチトリアノンにはトイレがあって、これには驚いた。当時のフランスはそこらかしこでところかまわず脱糞し、トイレもないものだと思い込んでいたので意外だった。
                     
                    もう一つ想像を超えたのは庭園の広さだ。観光客用に自転車やカートが用意されているほどだ。歩いて回ろうと思ったら誇張無しに一日かかるか、その前に疲れ果ててしまう。大きさや富や地位を現していたのだと思うと納得する。とにかく広い。庭というより森。装飾よりも規模に驚かされたヴェルサイユ宮殿だった。
                    パリ中心部に帰ってからは、ノートルダム大聖堂に行った。クリスマスのミサが行われていて、人が多かった。青く灯された巨大なクリスマスツリーが、雨がぱらつく中で印象的だった。


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                    ヴェルサイユ宮殿。宮殿内、今でも豪華絢爛な鏡の間以外は想像していたよりも普通の宮殿だという印象を受けた。家具や装飾品がごっそり持って行かれとるせいだろうか。
                     
                    フランス2目12月25日、クリスマスに唯一営業しているエッフェル塔に行った。エッフェル塔で驚いたのが、ベビーカーを押したままエッフェル塔最上部の展望台まで上がっていた観光客が、一組ではなく、いた事だ。ヨーロッパは日本よりもベビーカーを押す子供連れの家族に対して優しいと聞くが、エッフェル塔まで連れて登るのだなと感心した。景色は言わずもがな綺麗だった。凱旋門を中心に放射状に広がるパリの構造が一望できた。


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                    ベトナム人街の汚い公衆トイレ

                    エッフェル塔の観光が終わった後はパリ13区にあるベトナム人街に行った。昼ごはんにフォーでも食べようと考えた。
                    ここでは人生で一番汚い公衆トイレを経験した。街を歩いているときに急にトイレに行きたくなった。かといって日本のようにコンビニがあるわけでもなく、クリスマスなので開いているカフェも見つからず、仕方なく公衆トイレを使うことにした。コインを入れたら扉が開く方式だが、コインを入れても開かない。扉が少し開いていたので手で無理やりこじ開けた。

                    入ってみると清掃されている痕跡がない。しかも前の人が残したであろう便が残っており悪臭を放っている。一刻も早くそこを出たかったが、排便という生理的欲求には勝てない。漏らすわけにもいかないということで、腰を浮かして排便した。幸いにも極限まで我慢していたため、瞬間的に用を足すことができた。トイレットパーパーが備わっているはずもなく持っていたポケットティッシュで拭いた。少しおなかが痛かったのもあり、フォーを食べるのは諦めて、ホステルに戻った。
                     
                    モンサンミシェルとラム肉

                    翌日、モンサンミシェルには日本人向けツアーを企画しているみゅうのツアーで行った。休憩がてら小さな歴史のある街によるのだが、そこでフランスらしい棚を発見した。小さな町の小さなスーパーなのに1ラインの棚全てをチーズが埋め尽くしていた。種類が多すぎてどれがどんなチーズなのか全くわからなかったので、写真だけとって思い出にとどめておくことにした。


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                    田舎町のスーパー。日本のコンビニと同じかそれより小さい店だけど、この棚は1面チーズ。イギリスに来てやっとチーズを食べられるようになった僕は種類多すぎて混乱状態

                    当日は雨の予報だったが、バスで移動している最中に強風によって雲が押し流され、到着する頃には晴れ間が覗いていた。モンサンミシェルは言わずと知れた海に浮かぶ寺院であるが、陸地と寺院を繋ぐ歩道が潮の流れを遮り砂が堆積し、このままでは陸続きになってしまうということで潮の流れを遮らないように橋を設置する工事がちょうど終了したところだった。橋の横にはパワーショベルが数台止まっていた。

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                    写真やテレビで取り上げられているせいか初めて目に入ったときの感動はそれほどなかった。ただ天井が木の板のところがあって、大聖堂が火災で燃えたとか、空襲にあって消失したとか聞いたときに石造りの建物なのに燃えるのかなと不思議に思うことが少なくなかったが、このとき初めて大聖堂の中で木を見て、燃えることがあることに納得できたのは収穫だった。

                    モンサンミシェル周辺はラム肉が有名で、こちらも有名な貝類とどちらを昼ごはんに食べるか迷ったが、ラム肉を食べた。ラム肉は生臭く食べにくいイメージがあったが、ここで食べた肉は嫌な臭いもなく、さらに柔らかくとても美味しかった。
                    先ほど感動はなかったといったが、参道や周辺の家は趣があって気に入った。


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                    僕が羊肉を好まない理由の独特の匂いがほぼ無かったのは子羊の肉だからなのか、ガイドさんが言うように潮を被って塩分を含んだ草を食べているからなのか
                     
                    パリの美術館巡り

                    パリではルーブル、オルセー、オランジュリー、ポンピドゥーセンターの近代美術館の合わせて4つの美術館を巡った。
                    オルセーは駅舎を改装して美術館にしているそうだが、駅舎が美術館になったという驚きよりも、こんなにも壮大で装飾に凝った建物が駅舎として使われていたことに驚いた。
                     
                    ルーブル美術館には一日を費やそうと考えていたが、広大すぎで絵をじっくり見ていたら一日で回るのは不可能だと思ったし、それ以上に歩き続けると足がしんどくて半日が限界だと感じた。実際の滞在時間は5時間程度。モナリザや、ナポレオンの戴冠式、サモトラケのニケや、ロゼッタストーン、など見逃せないものをかいつまんで見学して回った。


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                    ルーブル美術館、イギリスの学生ビザのおかげで無料だったし、リシュリュー翼から入ることによって全く待つことなく入場できた!メインエントランスはとんでもない列ができていたというのに。
                     
                    近代美術館は僕にはまだ早かった。近代の芸術を楽しんで鑑賞するセンスや技術は身に付いていない。キャンバスを赤一色で塗っただけのものや、メッセージ性を帯びているのはわかるが、時間をかけて解釈を考えるほど時間に余裕がなかったので一通りめぐるだけで、そんなに時間を割かなかった。
                     
                    一番気に入ったのがオランジュリー美術館。こじんまりとしているが、モネの睡蓮を展示するために改装された美術館で濃度が高い。モネやルノワール、セザンヌといった印象派の画家やピカソやゴーギャンの絵もあり、どれも有名な絵画ばかりで、しかも展示の仕方も凝っている。モネの睡蓮がパノラマ展示してある部屋で一日中読書でもしていたい気分になった。
                     
                    パリの地下鉄は路線がわかりやすく攻略すると移動が楽になるので、観光が一気に楽しくなる。芸術の都パリというイメージから多くの人が施設や町並みから人々のファッションまで、何もかもが美しいという幻想を抱いて旅行に向かう人が少なくないと思うが、その幻想もパリに行けば壊されるかもしれない。
                    ジーンズにダウンを羽織っているし、道端にはごみが落ちていたり、匂いもよくはない。そんなことを考えながら再び長いバス旅に耐えながらカンタベリーまで帰った。

                    (つづく)
                     

                     
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                    私が『受かるのはどっち?』を書いた魂胆
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                      勉強法の本は、一人称である。

                      受験に成功した人が、「私の勉強法はこうです、使った参考書問題集はこれです、通った予備校はここです、こんないい先生に出会いました」といった、個人的体験で終わってる。

                      で、筆者はたいてい凄い記憶力や理解力の持ち主か超人的努力家で、それが必然的に自慢話に聞こえる。「1か月で青チャート5周しました」「2週間でシステム英単語暗記しました」。こんなの普通の受験生にはできっこない。ちょっと引いてしまう。すごいなあと感心するだけで役に立たない。高校生がイチローの野球理論を聞いているようなものだ。

                      たしかに「超人」の成功談を読むと、モチベーションは上がる。「やる気スイッチ」に火がつく。だが具体的勉強法に迷い、スイッチは入ったのはいいが、どの方向性で勉強すればいいか混迷する。黙々と蒸気をはいているが、線路がなくて動けない蒸気機関車のような気分になる。燃えているのに、前に進めない。

                       

                      もう一つ、合格体験記。

                      合格体験記は複数の受験生の成功談で、勉強法の本が一神教とするなら、合格体験記は多神教。こちらは誰を信じていいかわからない。

                      ある受験生は、英単語はカードを作りましたと主張し、ある受験生は単語を書かずに暗記しましたと言う。十人十色千差万別。受験生はチョイスに迷う。

                      たとえば店の情報なしで横浜中華街へ行けば、百を超える中華料理店の中でどの店がおいしいか、どの店に入ればいいか迷うだろう。これと同じで、百花繚乱の合格体験記は、自分のどの勉強法があっているかわからない。試行錯誤の連続になる。

                       

                      だから私は『受かるのはどっち?』で、典型的な天才型勉強法、超努力型勉強法を博士・女王という2つの人格に仮託し、論争させた。そして偏差値50〜60くらいで伸び悩んでいる受験生にとって、どちらが参考になるか、20数年の現場感覚から判決を下した。「受験は現場で起きている」のである。

                      「こんな勉強法は天才だからできるんでしょ?」「あなたの努力は超人的だから万人は無理だ」と、私は判決文でハッキリ断定した。自慢に聞こえちゃうよと。
                      それと同時に、天才の勉強法、超努力家の勉強法の「いいとこ取り」をした。天才努力家のおいしい部分を泥棒のようにちゃっかり盗んだ。

                       

                      ところで、私は小さな島の塾長である。生徒数は少ない。合格実績など大手塾や予備校に比べたら、たかが知れている。ある小出版社からは、私の塾の進学実績と就職先の提示を求められ、提示すると出版を断られた。

                      また、勉強法の本や合格体験記は、「東大」のブランドは絶対的だ。書店には東大生の勉強法があふれているだろう。私は東大卒ではない。勉強法の本で、学歴差別は出版界にないといわれればウソになる。

                       

                      そんな、小さな塾の塾長で東大卒でもない教育者が勉強法の本を書くにあたって、一人称で勉強法を述べたり、塾の様子を書いたりしても商品価値はないと考えた。無名の人間が本を世に問うには、何かしらの工夫が必要なのだ。力を持たないものは技で勝負するしかない。だから天才型と超努力家の対決方式を考え出して、ストーリー性がある「読み物」としての充実を狙った。この本は52編の短編小説でもある。

                       

                      一番気を配ったのは、『受かるのはどっち?』では、徹底して「ふつうの受験生」「経済的余裕のない受験生」の目線で書くことだ。

                      地方では特に所得格差は激しい。進学したくても塾に通えない、予備校に通えない高校生・浪人生は多い。カネをかければいい教育を受けられる。だがカネがないけど、どうやったら倹約しながら最善の教育が受けられるか。

                      私の想定読者は、高校2年生あたりの、家があまり裕福でなく塾や予備校には通えない、高校の勉強は一応こなしているのに偏差値が伸びない、参考書を読んでも読解力がないから石を飲むような感じで理解できない。そんな受験生である。

                       

                      だから私は『スタディサプリ』(旧受験サプリ)を積極的に薦めた。リクルートが月額980円でパソコンやスマホで講義を見放題にしたのは画期的である。ありがたい。

                      もちろんスタディサプリは玄人筋から「安かろう悪かろう」と批判を受けているのは百も承知である。価格破壊が学力破壊につながるという厳しい言葉も受けている。確かに以前あった「代ゼミTVネット」の錚々たる名実兼ね備えた予備校講師の授業に比べたら遜色があることは否定できない。

                      だが、経済的余裕がない受験生にとって『スタディサプリ』は最初の壁を破る一撃として役に立ち、広く行き渡っていることは否定できない。救いの神なのである。月額980円で講義を見放題にした、リクルートの戦略は正しい。

                       

                      あと私のような個人塾塾長はしがらみが少ない。公正な白紙の目線で勉強法をジャッジすることができる。

                      たとえば大手塾・予備校と個人塾、どっちがいいかの項で、判決を大手塾・予備校に下した。私は個人塾の経営者だから、個人塾を選んで然るべきである。だがそうしなかった。

                      個人塾は選ぶのが難しい。合う合わないが激しいのだ。不特定多数の読者に向かって、個人塾塾長という自分の立場に固執して「個人塾がお勧めです」とは口が裂けても言えない。私は本書を書くにあたり自分の立場を捨てた。身を削らなければ、言葉なんてものは他人のハートに届かないのである。

                       

                      もちろん公正な目線、白紙の目線という言葉の危うさを、私は知っているつもりだ。しかもそこに熱情が加わると危険な匂いが漂う。正義面した熱情家ほど怖いものはない。「私にはバランス感覚がある」と言う人に限って、主観たっぷりのアンバランスで偏った見方しかできないのは周知の通り。

                      だから読者の方には、私の言うことを鵜呑みにせず、本書を参考程度にとどめ、自分の勉強法を確立してほしい。「不当判決だ!」「控訴してやる」と反骨心を持って読んでいただくのが正しいと思う。そこはメディアリテラシーを働かせてほしい。

                      本書の帯には「受験生の疑問をすべて解決!」と書いてあるが、皮肉なことに逆に迷いを深める結果になるかおしれないが・・・

                       

                      とにかく私は本書の執筆に半年をかけ悩み抜いた。有名人が書くルーティンワークのようなぬるい本や、にわか仕込みの教養で引用文だらけの死んだ本には負けないつもりだ。

                      今回の記事、私の言葉はとがっているだろう。自己顕示欲丸出しだろう。だが受験生が勝つには自己顕示欲をとがらせなければならない。私が本に込めた執念は、きっと受験生とシンクロする。

                       

                      以上、暑苦しい檄文のような形になったが、気楽にゲーム感覚で読める本である。是非一読をお勧めしたい。

                       

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