猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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中学生の厳しい塾はダメか? 判決編
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    「3年B組金八先生」は、中学校が舞台だから成立した話だと思う。金八先生は、裏番組で視聴率最強を誇った「太陽にほえろ!」を抜き去った。武田鉄矢が石原裕次郎に勝ったのだ。

    これが小学校や高校だったら、伝説のテレビドラマにならなかっただろう。中学生は疾風怒濤の時代だからこそ、武田鉄矢の金八先生の熱血ぶりが際立ち、激しいドラマになった。

     

    中学時代は人生の分岐点である。鉄道なら行き先を変える転轍機。人との出会いによって、人生は左右される。

    だから身体を張って、思春期の暴風に立ち向かう、中学生を教える塾の先生の存在は大きい。

     

    とくに、ごく数年前まで「ゆとり教育」が蔓延していて、中学生の学力は低下した。
    当時「地頭がいい」という言葉がはやったが、地頭がいいというのは、本来ならもっと学力偏差値が取れていたはずなのに、小学校で基礎学力をつけられず、頭の良さを持て余していたということになる。生まれつきお能力はあっても、訓練されていない。潜在能力とペーパーテストの点数が一致しない。要するに「ゆとり教育」は、勉強の才能を殺したのである。

     

    また、叱ることが教育現場で忌避された。生徒との対話を重視し、甘い先生のミスリードで、授業は喧騒の場と化した。

    授業はまず「聞く」習慣をつけるのが原則だ。活発な議論のアクティブラーニングは、「聞く」ことを学んで後の話だ。人の話を聞かないで話すことばかり夢中になる人間がどれほど困った存在か。話好きで聞き下手な子の迷惑行為で、どれだけ真面目な子が先生の話を聞くチャンスを奪ったか。

    自由奔放な生徒たちの教室での振る舞いで、生徒の「聞く」能力は置き去りにして、十代の子どもの耳は退化した。

     

    それに、中学生の厳しい塾は、厳しいといっても常識を教えているだけである。生徒を拷問にかけているわけではない。人の話を聞く、礼儀作法を守る、遅刻はしない、ネガティブな言葉ははかない、ズルをしない、物事には真摯に取り組む。小学生の時に、こういう当たり前のことが教えられていなかった。悪癖を残したままの中学生を、放置するか矯正(古い言葉だが)するかである。厳しさは尻ぬぐいであり、叱らないのは逃げである。

     

    中学生で悪癖を残したままだと成績は伸びない。そして成績が伸びない生徒は、大人から見て「いらつく」部分がある。

    「いらつく」部分を見つけたら、率直に言うべきだと私は思う。厳しさとは素直さである。悪い箇所を言葉でハッキリ指摘する。変に気をつかって隠し通さない。斬り込むことで「いらつき」の要素を一つ一つ殺していくのだ。

    じゃあ、悪癖を持つ中学生に向かって「いらつき」を感じないためにはどうするか、先生と生徒が友達であればいいのである。友達関係なら、いい加減さはあまり気にならない。だが、お友達先生のままでは、中学生の「いらつき」は死ぬまで温存される。「いらつく」大人になり、自分も他人も不幸になる。教育の失敗作である。
    私は「厳しい」塾をいくつか訪問させていただいたことがあるが、「いらつき」とは程遠く、生徒の好感度は抜群であった。

     

    どういうわけか知らないが、高校生を教える大学受験専門の先生が、中学生に対して厳しい塾を、詰め込みとか、無理して難関校に合格させても高校になって苦しむだけじゃないかとか、陰キャラのように非難するのを目にする。

    だが、地方によって違いはあるが、難関高校は単純な詰込みだけでは合格できない。公立高校の問題を一度見てみればいい。単純作業で解けるものではない。むしろ単純作業に落ちた勉強を繰り返す中学生に、難しいことにチャレンジするよう強く促すのが、厳しい先生である。

    公立高校の難問を解くために、スパルタ詰め込みで対処できるわけがない。難問を解く思考回路まるごと頭に埋め込まなければならない。思考回路を埋め込むには、小学校や中学校で教えられていない「聞く」能力をつける。城の石垣を運ぶような基礎工事。これには知力だけでなく、体力も人格力も必要なのだ。子供の甘さに対峙する厳しさ、愛情ある父性の発露がいるのだ。

     

    ステレオタイプの批判として、中学校で成績低位の子が、無理して難関校に合格しても、高校では才能がないからついていけない、大学受験では勝てないという批判がある。「進学校の落ちこぼれ」は悲惨で、ならば普通の高校のトップクラスの方がいいのではないかと。

    だが、中学生の塾の厳しくてパワフルな先生なら、生徒に自力でやっていく力を与える。先生が身体を張れば子どもは身体で覚える。人格の感化力はそれほど大きい。子供は強烈な人間と出会ったら、強烈さを身につけるものである。中学時代に圧倒的に成績伸ばして「進学校の落ちこぼれ」になるという心配の多くは杞憂に終わるし、たとえ伸び悩んでいても、生徒と真剣勝負をしてきた先生は、高校になってもあらゆる角度から勉強面や心の面を、自然な形でケアしている。

     

    最大の利点。どん底から先生の二人三脚で難関校に合格することは、十代の若さで成功体験を手に入れる。これがいかに自信になるか。

    中学校の時、親からも学校の先生からも無理だと言われながら、逆転した経験が将来どれだけ自信につながるか。僕ならできる、私ならやれる。努力の先に栄冠があることが身体レベルで刻まれる。

     

    私も「厳しい塾」とやらの末節を汚している一人だが、なぜ厳しい塾に価値を見出しているか。それは中学時代に叱られ大人と対峙してきた子は、就職活動で抜群に強いからである。もし不本意な進学をしたとしても、面接で強く、大学の偏差値以上の強さを発揮する。

    高学歴でも大人に対して斜に構える若者が、就職活動で痛い目に合うのは承知の通りだ。「勉強だけできる人間はダメ」なのである。勉強以外の可愛げ、律義さ、真摯さが就活では高く評価される。
    勉強を通じて、勉強以外の能力を鍛えるのが、厳しい塾の先生が持つ一貫したポリシーなのである。試験の結果は一種の副産物である。

     

    中学生時代に厳しく細かい塾に通っていると、いい加減さが消える。授業中の姿勢、細かいノートチェック、繰り返される復習テスト、挨拶礼儀の指導、「聞く力」を持ち大人に愛される、いい加減でない律義な人間に育つ。

    中学校の友人ならいい加減でもかまわない。だが大人になっていい加減な人間ほど、自分が困り他人を困らせる人間はいない。

     

    厳しさが、自由な発想を抑え、個性のない人間を育てるという批判もある。日本にはスティーブ・ジョブズを育てる土壌がないと。だが天才は育てるものでなく育つものである。スティーブ・ジョブズを変人・狂人から偉人にしたのは、彼のアイディアを理解する「聞く」力を持った人々、怒り叫ぶジョブズの無理難題に耐え成果を上げるタフな人々である。ジョブズは育てられないが、ジョブズを助ける人は育てられるかもしれないではないか。

     

    厳しい塾の「金八先生」に出会ったら、ラッキーである。

    女王の全面勝訴。

     

     

    | 私が出した本 | 19:31 | - | - | ↑PAGE TOP
    他の受験生の「赤本」が気になる
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      私は受験生時代、図書館や自習室の雰囲気が駄目だった。受験生が醸し出す静寂感に恐怖を感じた。家で勉強する方が性に合っていた。

      大きな図書館や自習室だと、人数の多さが私を圧迫した。
      100人ぐらいの受験生が一斉に勉強しているピリピリした冷厳な熱気と、カリカリ筆記用具の音だけが立ち込める静粛な空気と、若い体臭がムンムン立ち込める部屋は、私のような神経が細い人間には耐えかねた。

      また、図書館や自習室に行くと、同年代の受験生が、参考書や問題集はどんなのを使っているのか非常に気になる。
      他の受験生が自分よりレベルの高い問題集を解いていたら「負けた!」と胃がズキズキするし、逆に基礎レベルの問題集をやっていたら「勝ったね、オレ!」と間違った優越感に浸ってしまう。

      ある時『英文問題標準精講』を使っている受験生がいた。この本は「原の英標」といって四半世紀以上前からあり、旺文社を大出版社にしたベストセラーだが、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッピー」など格調高い文学作品が多く掲載され、難易度が高いのと現在の大学入試問題の傾向に即してないのとで使う人が少ない本だ。私が受験生時代でも「古臭くて難しい」というイメージがあった。

      この受験生は、英語力があるから『英文問題標準精講』をやってるのか、それとも書店に平積みになっているから偶然買ってやってるのか。前者だったら嫌だなと思いを巡らせた。名匠の名刀を持つこの男は、剣の達人なのか素人なのか。顔を見ると賢そうにもそうでないようにも見える。ピリピリした受験生時代は、同年代の受験生の顔つきまで気になるのだ。

      あと、同じ問題集を使っている受験生を見ると、まるで同じユニクロの服を着た人間に、街でばったり出くわしたような感じで非常に気まずい。その同じ問題集が、自分のよりボロボロで使い込まれていたら居ても立ってもいられない。激しい闘争心がわく。

      とにかく図書館や自習室は、ライバル(こっちが勝手に思っているだけだけど)が気になって勉強が手につかなかった。

      特に自習室で一番気になるのが「赤本」である。周囲の受験生がやっている赤本の大学名は無性に気になる。
      「こいつ、どこの大学受けるんだろ?」
      隣の受験生が「東京大学(理系)」などという赤本をやっていたら、吐き気すら覚える。

      赤本の表紙と背表紙には、大きな大きな字で大学名が書いてある。
      赤本は真っ赤で強烈に目立つし、そこに「××大学」と大学名が必要以上にでっかく、ゴシック体太字で表紙と背表紙の2箇所に黒々と書かれている。
      赤本のデザインは、自分の志望大学を隠せない悪魔的なデザインだ。あんなに派手な自己主張の強い本はない。「俺は××大学を受ける人間だ!」と、満天下に誇示しているようである。

      また「赤本」に限らず、駿台の「青本」は難関大学しか出版していないので、大学名が見えなくても「青本」を持っている時点で「おぬし、できるな」と刺激を受けてしまう。

      今でも図書館や本屋の赤本コーナーに行くと、受験生が赤本を手にしていると「ちらっ」と見て、「こいつ、どこの大学受けるんだろう」と、受験生時代のなごりと職業病で探ってしまう癖がついている。


       
      | 大学受験 | 11:52 | - | - | ↑PAGE TOP
      こんな大学には行きたくない!
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        受験生を受験に駆り立てる動機は、もちろん「A大学に入りたい」という具体的な目標、A大学に対する「あこがれ」から発するものである。
        しかし、滑り止めの「B大学には絶対行きたくない」という恐怖、本番の試験がうまくいかなくて、B大学に行かざるを得ない情況に陥る地獄のような想像が、試験直前の受験生を締めつける。

        芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ならば、糸を登りつめた場所には桃源郷のようなA大学、逆に下には地獄の釜の底のようなB大学がある。
        勉強で気を抜いたらB大学という血の海に溺れてしまう。そんな追い詰められた心理が受験生を勉強に駆り立てる。
        B大学の学生になってしまったら人生の落伍者になってしまうのではないか、そんな心理が受験生を奮い立たせる。「どうしてオレがB大なんだ?!」という強い自尊心が、モチベーションを高める。

        受験生にとって、許容できる大学と、できない大学がある。ある受験生にとっては東大以外は大学ではないし、ある受験生には関関同立未満は許されない。個人個人によって許容できない大学は違う。

        たしかに「B大なんか絶対イヤだ」とB大を嫌うことは傲慢なのかもしれない。学歴信仰に染まった時代錯誤の馬鹿なのかもしれない。
        また、A大学が不合格になり、B大学にしか合格できなかったら、A大学に対する思い入れの強い受験生ほど落ち込む。自分のidentityすら失ってしまう。A大学へのあこがれと、不合格になった時のショックは比例する。

        だからといって逃げ道を用意してはならない。A大学がダメならB大学でいいや、B大学D判定だからC大学に志望を変えよう、そんな気持ちでいるとA大にもB大にもC大にもふられてしまう。

        「こんな大学には行きたくない!」と、滑り止めの大学を忌避する心理が強いほど、受験生は追い立てられる。最悪の結果を想像し、悲観主義に浸った時こそ、受験生は勝利の女神に接近する。
        許容する大学以外は認めない「狭量さ」を持つ受験生、自分の存在意義を測る尺度はA大学合格以外にないと思い詰めた受験生の方が、良い結果が出る可能性は高い。

        受験生は不安や時間の無さに追い詰められ、特に模試の結果が思わしくないと気分が受身になってしまいがちで、理想は押し潰され心の中に自尊心が入り込む隙間が無くなってしまう。
        そんな時、第一志望だったA大学の姿は霞みがちで、いままで嫌っていたB大学に心が移ってしまう。
        しかし「B大学でいいや」とB大学に腰を据えてしまうと、砲火飛び交う第一線の戦場から脱出した時のように心はいったん平静を取り戻すが、そんな平静な気分の時に落とし穴は待っている。

        そんな時は「B大学には絶対行きたくない」というプライドを心の隅から呼び起こす作業が必要だ。
        B大学を避けている自分はそんなに偉い人間なのか? もしB大の学生になったら自分はただの「プライドの高いバカ」じゃないのか? 自分が「プライドの高いバカ」じゃないことを証明するにはA大合格しかないんだと。

         
        | 大学受験 | 18:35 | - | - | ↑PAGE TOP
        中学生の厳しい塾はダメか? 博士女王対決編
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          高校受験をめざす中学生が通う塾で、先生が厳しく、生徒を叱りつけ、礼儀作法にうるさく、宿題チェックが厳しい塾がある。
          こういう厳しい塾は存在意義があるのか?
          時代錯誤なのか?
          博士と女王の対決。



          博士

          厳しい高校受験の塾は意味がない

          公立中学生が通う、高校受験に向けて厳しく鍛える塾ってありますよね。先生が細かいことにうるさくて、時には怒鳴りあげるスパルタ指導の塾。

          僕、そんなの意味ないと思います。

          高校受験する人は、中学受験が盛んな地方では負け組でしょ?

          スポーツでいえば、中学時代にサッカーのクラブチームに選抜された人が開成や麻布や灘など難関中学、残りが公立中学ですよね。

          嫌な言い方を敢えてしますが、中学受験で勝った人が「豆腐」で、落ちた人は「おから」みたいなものです。

          そんな「おから」みたいな、才能にいま一歩欠けた中学生に勉強を強いる。それって一昔前の教育ママ・教育パパの塾版って感じですね。時代錯誤です。だいたい勉強がスパルタで通用すると考えているのが間違いです。

          高校受験で厳しい塾って、先生が中高時代にあまり勉強しなかった人が多いんじゃないでしょうか。自分が中高時代に怠け者で、塾の先生になったとたん中高生に厳しくする。自分に甘く他人に厳しい典型ですね。

          中学の塾で厳しく鍛えて、たとえ難関高校にギリギリ入っても、落ちこぼれてしまいますよ。記憶力や理解力では中学受験で勝った人たちに劣るし、また中学時代勉強し過ぎたせいで勉強アレルギーになり、燃え尽き症候群になってしまいます。
          あと、こういう厳しい塾を、自由闊達を好む勉強ができる生徒は避けますよ。

          それに厳しい塾は弊害が大きいです。中学時代は厳しい先生がいたから成績が残せた。でも高校ではそんな先生いません。スパルタって最大級の依存なんですよ。中学時代に厳しい先生に勉強は思いっきり依存して、高校になったら自由放任、しかも勉強内容は格段に難しくなる。こんなの赤ん坊を大学受験の戦場に放り捨てるようなものです。

          逆に、難関中学の生徒は、高校受験がなくて読書や部活などで青春を謳歌しています。遊んでいるように見えて、教養を身につけていて、知識を涵養しているんです。それが高3になって爆発するんです。才能がない人ほど、勉強を机の上だけでするものだと考えていますね。

          「おから」は「豆腐」には勝てません。どんなに鍛えてもね。


          VS
           


          女王

          中学生は厳しい塾で鍛えられなさい

          あのね、難関中学でも、博士みたいに遊んでても勉強できる人って一部だと思うの。多くの生徒は難関校専門の、宿題が多い詰め込み型の塾に通ってるのが当たり前じゃないの。博士みたいに読書で教養を涵養なんて、旧制中学時代みたいなレトロなこと言ってたら、凡人は生き残れないのよ。

          中学で勉強厳しくして何が悪いの? とくに男の子なんて成長に差があるわ。小6なんて声変わりしてない、ちっちゃい男の子だっているし、ヒゲでも生えてきそうな半ズボンとランドセルがキツキツのオッサンくさい子だっているでしょ? 

          勉強に目覚める時期だって人それぞれ。中2ぐらいから上背も学力も伸びる子はいくらでもいるわ。部活だったら鍛え時でしょ、勉強で鍛えてどこがいけないのよ。

          それを「おから」か「おけら」か知らないけど、失礼な言い方よね。エリート意識を感じるわ。

          中学生ってね、人生の分岐点なの。勉強の道に進むか、そうじゃないか。大事な大事な分かれ道よ。反抗期で怠け者な年ごろで、しかも異性とか部活とかスマホとかゲームとかいろいろ誘惑がある。

          そこへ厳しい先生が身体を張って、神経をすり減らしながら、勉強の道を指し示すことの何が悪いのよ。勤勉さの価値を教えることのどこがいけないのよ。

          一番腹が立つのは「才能」って言葉よ。才能って博士はよく使うけど、才能ってすごく排他的な言葉なの。才能がないと言われて落ち込まない子っていないわ。
          才能という言葉は才能を潰す危険な呪文よ。

          でもここで、あえて才能という言葉使わせてもらうけど、厳しく鍛えないと才能が眠ってしまう子が多いじゃない。公立中学生を「あなたのなすがままに」と自主性に任せて放置するのと、「俺について来い、鍛えてやる」と本気でぶつかるのと、どちらが「良い先生」なのかしら。私の価値観でじは断然後者よ。


          判決は28日(木)午後9時半




           

          | 私が出した本 | 20:51 | - | - | ↑PAGE TOP
          私の本に対する批判に答えよう
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            私は3冊本を出してきた。おおむね好評で迎えられたが、悪い評価ももちろん少なからずあった。

            ここでは私の本が受けた批判について、1冊につき1つずつ、簡単に答えておきたい。


             

             

            『難関私大・文系をめざせ!
             

            難関私大はオワコン。今更こんな本出してもねぇ

            (塾講師)。

             

            日本の大学入試は、十分逆転可能なシステムである。

            数学や理科を受験しなくても、一流大学とされる早稲田や慶応に合格できる。これをシステムの欠陥と取るか、寛容なシステムと取るか。

            だけど、高2・高3まで勉強の才能を持ちながら、生かされなかった若者が、大逆転劇を演じる。これは痛快ではないか。

            もちろん、私も真面目にコツコツやってきた国公立の大学生に対する敬意は強い。数学や理科が必要な科目であることは、誰が否定できようか。

            だが、難関私大という、英国社3教科で受験できるシステムがあるのだから利用しない手はない。とくに地方でくすぶっている若い人には、どうやったら逆転可能か、そのマニュアルをこの本で示したかった。

            私は難関国立大学に関して、ふつうの高校で偏差値40あたりからの逆転は奇跡に近いほど難しいと思う。低成績の高校生が東大を1年でめざす『ドラゴン桜』は夢物語だと考える。だが慶応SFCに合格した『ビリギャル』は少ないが可能性がある。『ドラゴン桜』はフィクションのマンガで、『ビリギャル』はノンフィクションではないか。

            難関私大合格は現実に可能なのだ。たとえ早慶には及ばなくても、関関同立やGMARCHなら、マニュアルに忠実に勉強すれば合格できる。また難関私大の文系の学生が、バイタリティで日本社会の心臓や血液になっていることは誰も否定できない。

            決して難関私大はオワコンではない。


             

             

            『センター前ヒット』
             

            書店で国語の勉強法のところだけ見て、そっと棚に戻した

            (高校国語教師)

             

            『センター前ヒット』は、センター前3か月、火事場の馬鹿力を出すための本だ。突貫工事で、どうやって合格点をたたき出すか。センター試験に対する、救急医療のような役割を果たすべき本だ。

            批判した高校国語教師は、予備校講師の教え方に影響を受けた、文学青年上がりで、文章にインスピレーションを感じない人だった。生真面目な感じだが説得力が弱いタイプに見えた。

            私が提案した勉強法は、オーソドックスなものではない。それなら大量の参考書が出ている。私の提案は、センター試験で国語が伸びない受験生に、一か八か試してみる種類のものだ。私を批判した国語教師とは、求めているものが違う。

            現場で、現代文ができない生徒を抱え、タイムリミットが近くて焦っている先生には、共感してもらえる勉強法だと信じている。付け焼刃と呼ばれることを恐れず書いた。塾で成功例を出し(もちろん失敗もした)、『センター前ヒット』の国語の部分が役に立ちましたという高校生・浪人生からメールを何通かいただいた。

            内科医が、ER集中治療室の医師を批判するのは、ピント外れだと思う。



             

             

            『大学受験勉強法 受かるのはどっち?』
             

            内容が薄くて、立ち読みですんだ
            (2浪生)

             

            私はとにかく、この本を読みやすくしようと努力した。砂利道ではなくアスファルト、いや、ボウリングのレーンのように読みやすい本をめざした。

            編集者の方と協力して、推敲に2か月かけた。文章から小石を取り除き、ローラーを丁寧にかけた。

            受験生は勉強法の本を読んでいる暇はなかなか取れない。だがら負担を減らそうと考えたのと、あと勉強法の本をはじめて読む人に抵抗のない文体をめざした。

            また、文章がオッサン臭く、説教臭くならないように、20代前半の若い大学生4人に助言を求め、文章を推敲してもらった。すべてはスラスラ読んでもらうための、「薄い」と言われることすら予期したものだ。

            私は難解さを賢明だとは思わない。難解に書こうと思えば、いくらでも書けるのだ。しかし出版物として世に出す以上、わかりやすくあるべきだと私は考えた。たしかに、難解な本に魅力があることは否定しない。だが私が作ったのは、高級ウイスキーでなくビールである。

            だから「立ち読みできる」「内容が薄い」というのは、ほめ言葉である。中学生でも手に取れるように書いた。

            だが平易な内容の中に、重厚なポリシーが潜ませてあることは、読者ならわかっていただけると思う。


             

            | 私が出した本 | 18:41 | - | - | ↑PAGE TOP
            現代文苦手な人の短期間逆転法
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              現代文ができない時、どうするか?

              どうしようもなければ、個別マンツーマンで、現代文を教えてくれる先生を探せばいい。正直それしかない。

               

              数学が苦手なら、個別指導や家庭教師は最高の方法だが、現代文を上げるのも自力では難しい。現代文が苦手な人は現代文の参考書を読む読解力がない。数学と同じように、現代文も個別や家庭教師と親和性が高い教科だ。

              現代文をライザップ形式で鍛えるシステムがあればいいのに、と思う。

               

              現代文が苦手な人は、集団授業を聞くのも下手だ。

              集団授業で、うまい予備校の先生は「わかる」段階までは引き上げてくれる。だが実際「できる」レベルに達するには訓練がいる。わかってもできるようにならないのが現代文。

              だから個別や家庭教師で、選択肢も記述も一問一問、先生の前で解き、なぜその解答なのか、いちいち丁寧に説明してもらう必要がある。

              数学と同じだ。

               

              そして論述問題を書き、添削。来る日も来る日も添削。

              論述は型を身につけなければならない。言語体系を身につけるには、強い「師匠と弟子」の関係を結べば手っ取り早い。

              言葉こそ伝承だ。落語や漫才など言葉で生活する芸人が、師弟関係にうるさいのはそういう背景がある。新聞社でもデスクは若い記者に何度も書き換えを命じて鍛えていく。

              論述はマンツーマンでどんどん間違えて恥をかけばいい。恥をかいた回数が現代文力につながる。

              現代文で必要なのは、inputだけでなくoutputだ。

               

              もちろんoutputするためには、inputしなければならない。

              inputで大事なのは、もちろん語彙である。「語彙こそはすべて」である。

              ゲームが怖いのはそこで、小学生のころから本もマンガも読まずテレビも見ない生活をしていたら、語彙が抜け落ちてしまう。ゲームは語彙を砂漠化する。

              語彙が貧弱だと、種子を蒔いていない植木鉢のようで、学力の芽は絶対に生えてこない。

               

              語彙をつけるには、本格的な読書から始める必要はない。ライトノベルでも百田尚樹でも東野圭吾でも、本を開いたら読者をつかんで離さない作家の本から始めればいい。直木賞作家の代表作とか、本屋大賞受賞作とか、数冊読んでみて気に入った作家の作品を読み込めばいい。

              間違っても『東大生に薦める本』で推薦されているような本を選んではいけない。それはもう少し段階を経ての話だ。気取る必要など全くない。

               

              現代文が得意な人は、たいてい小学校中学校から本を手放さない。彼らは最初から高尚な本を読んでいたわけではない、娯楽作品で語彙を知らず知らずのうちに埋め込んでいる。何よりも彼らは本が楽しいものだと知っている。

               

              入試の現代文の文章は、読書体験が豊富で、語彙のストックが増えて、はじめて理解できる難解なものだ。語彙がなければマンツーマン個別授業でも家庭教師でもどうしようもない。

              十冊、エンターテイメント小説のジェットコースターに乗れば、視界が開ける。

               

              | 国語力!作文力!読書力! | 18:31 | - | - | ↑PAGE TOP
              ロサンゼルスで偶然テレビに映った話
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                むかし私が大学生で大手塾に勤めていたころ、理科の中谷先生という大学生人気講師がいた。

                広大の学生で、陽気で明るくフレンドリーで生徒に人気があり、授業中は小4の授業で「光合成ダンス」といって、ズボンに黒板消しを挟んで踊っていた。いつも怖い顔で怒っていて、生徒が近づいてこない私とは好対照だった。

                中谷先生は海外旅行が好きで、ロシアとかアフリカとか鈴木宗男が好みそうな場所ばかりに行って、生徒に土産話をして喜ばせていた。中谷先生は卒業後、誰とでも壁を作らない性格を買われて、NHKのカメラマンになった。

                 

                十数年後、私が個人塾を開いて、4月に休暇を取ってロサンゼルスへ行った。私は街歩きが好きで、海外の都市を歩き回るのが趣味だが、ロサンゼルスは街が広く、地下鉄路線も充実してない、流しのタクシーもほとんど走っていない、街歩きには極めて不便な街だ。ロスは車がないと生活できない。1日で街歩きをギブアップし、滞在2日目以降はツアーに頼ることにした。

                 

                昼はユニバーサルスタジオへ行った。日本語ガイドさんつきのオープンバスに乗った。途中バックトゥザフューチャーのデロリアンが無造作に放置されていたり、池沿いを走ったら突然水しぶきをあげてジョーズが出てきたり楽しかった。

                ターミネーターの3Dでは、飛び出してくる画像を堪能した。途中悪戯心を起こして、3Dメガネを外し横のアメリカ人を見ると、画像から絵が飛び出すごとに”Wao!”と言ってのけぞる姿が面白かった。

                 

                そして夜はドジャースタジアムで野球観戦をした。メジャーリーグを見るのは初めてである。この日は偶然、ヤクルトからドジャーズに移籍した石井一久投手の初登板日だった。記念する日に立ち会えてワクワクした。

                ところが、球場へ向かうバスの中で問題が起きた。バスガイドさんが「今日は、石井一久選手の初登板日です。そこで、バスを降りたらNHKがテレビの取材に来ています。もし声をかけられたら、インタビューに応じていただけないでしょうか」と言ったのだ。

                私はテレビに出るなんて絶対に嫌だった。私は容姿コンプレックスがある。これまで3冊本を書いているが、どの編集者の方も私に「本に先生の顔写真を出しましょうか?」と声さえかけてくれない。表紙どころか扉の部分にも私の写真はない。イケメン先生、たとえば船越先生あたりだったら表紙アップだろうに。『受かるのはどっち?』に至ってはイラスト勝負の本なのに、私のイラストすらない。写真どころかイラストにもなれない。要するに私は主観的にも客観的にも容姿的にバツなのだ。

                 

                だから何とかしてテレビを避けようと、バスからは最後にこっそり降りた。誰か他のツアー客がインタビューを受けているどさくさに紛れて『黒子のバスケ』のように存在を消して隠れよう。

                ところが、バスを降りた瞬間、「笠見さんじゃあないですか。笠見さんですよね!」という陽気な声が聞こえた。見るとテレビカメラを抱えた中谷さんだった。

                「どうしたんですか、こんなところで」「中谷さんこそどうして?」

                中谷さんはNHKのカメラマンとして、メジャーリーグ中継を任されていたのだ。十数年ぶり、ロサンゼルスでの再会に驚いた。

                「笠見さん、インタビュー受けて下さいよ。みなさん嫌がってるんですよ。お願いしますよ」

                中谷さんの願いを拒絶するわけにはいかない。「いいですよ」

                 

                誠実そうなインタビューアーの方が、笑顔で私にマイクを向けた。

                「石井選手にどんなピッチングを期待しますか?」

                「三振をバッタバッタ取ってほしいですね」

                ことらも笑顔で、無難に答えておいた。

                 

                試合が始まってピーナッツを食べながら観戦していると、中谷さんが私を探しだして隣に座った。会話に花が咲いた。同僚の先生や教え子が10年たっていま何をしているか、情報を交換し合った。

                中谷さんはメジャーリーガーにカメラを向ける仕事だ。選手の内幕をいろいろ話してくれた。

                「いやあ、イチローは話してくれないんですよ。参っています」

                「カープの大野さんはいい人ですよ」

                「ジャイアンツOBのZさんはストリップが好きで困ります。アハハ」

                私は中谷さんからいろいろ面白い話を聞き出した。

                 

                試合で石井一久投手は、6回2安打無失点、10三振の好投でメジャー初登板初勝利を挙げた。

                私がインタビューを受けた映像は、残念なことにしっかりオンエアされていた。ボツになるという期待はむなしかった。

                帰国後、中2のシュウヘイ君が「先生、テレビ出てましたね」と私の映像を偶然見ていたのだ。7時のニュースだったという。まあ10三振取った石井一久に対して、試合前に三振バッタバッタ取ってほしいですねと、おあつらえ向きのコメントしたのだから、使われてしまったのは仕方ないけど。

                 

                でも私はカープファンなのに、わざわざロスまで石井一久の初登板を見に行った、ミーハースワローズファンだと視聴者の100%は誤解するだろう。それがつらい。


                 

                | 旅行食べ物 | 18:39 | - | - | ↑PAGE TOP
                志望校は学校・塾の先生どっちに相談すべき?
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                  志望校は学校の先生が決めるか、塾の先生が決めるか、どちらがいいか対決を考えたが、よく考えればこんな問い自体が間違っている。

                  志望校は先生でもない、親でもない、自分自身が決めるものだ。

                   

                  だって結婚相手を先生が決めるか、両親が決めるか、親戚が決めるか、上司が決めるかという問いはナンセンスじゃないか。

                  封建制度のなごりが残っていた時代ならともかく、結婚相手は本人どうしが決めるのが当然である。

                  志望校は自分自身の意思で決めないと後悔する。

                   

                  ただし、最終決定は自分がするが、大人とはよく相談しなければならない。

                  受験生は志望校を攻略する大名であり、先生や両親は情報強者で経験値の高い家老や参謀である。

                   

                  学校の先生を参謀につけた場合。

                  学校の先生でも、地方の公立いわゆる「自称進学校」の先生は、進路指導で「現役国公立合格」に執着しがちなのは周知の事実だ。

                  センター試験で思うような点数が取れなかった場合、三者面談で、聞いたこともないような遠隔地の公立大学を勧める。「自称進学校」の先生は、生徒を何が何でも、どういう手段を使っても国公立に行かせようとする。安全志向だけでなく、なにか深い事情でもあるのではないかと勘繰りたくなるくらい、国公立にこだわる。

                  君が確実に合格できるのは延岡市立大学とか留萌工業大学とか(延岡や留萌の方には失礼だが)、島流しや都落ちを連想する大学名を出し、「大学へ行ってからが勝負だから」という言葉で納得させる。苦手教科の数学を捨てれば都会の私立大が射程圏内の生徒に対してでも、国公立をしつこいセールスマンのように勧める。

                  大学を決める進路指導は、就活も視野に入れて行わなければならない。大学は偏差値データだけでなく会社四季報も頭に入れて決める必要がある。

                  だが学校の先生は教育学部で教職をめざした方が多いため就活事情をあまりご存知ない。地方で就職するならいいが、特に文系学部で中央を狙うなら地方は不利だ。一つの資格めざして学業に邁進した学生、長期留学した学生、厳しい体育会系部活で頑張った学生、天性の感じ良さや目立った個性を持った学生なら別だが、就活事情が進路指導決定の要素から完全に抜けている。

                   

                  塾の先生はどうか?

                  塾の先生に相談する時、気をつけなければならないのは、塾講師のバックボーンである。塾講師はいろんな職業から流れついてきた人が多いので、考え方が各自異なる。極端に異なる。

                  私が言うのも何だが、塾講師は出自が怪しい。就活でうまくいかなかった人や、企業に就職したが人間関係でうまくいかず退職した人や、ポスドクで食っていけず流れ着いた人や、自由孤独を気取る人や社会主義者など、さまざまな経歴を得ている。反社会的だったり、社会のことを知らなかったり、就活というシステムに敵意を抱いていたり、就活に無知だったりする。相談相手としては偏りすぎている。

                  あと、個人塾講師は大企業とか公務員に潜在的コンプレックス抱いている人が多いから、教え子が有名企業や高級公務員になると度を越えて喜ぶ。独立貴族を気取っていながら、権威に弱いところを露呈する。
                  また生徒に対する愛情のバイアスがかかっているため、偏差値のデータを忘れ神風特攻隊のような非合理な精神で偏差値が高い志望校に玉砕しがちだ。「お前ならいける」と情熱が暴走する。

                  しかも塾講師は言葉がうまくて強いし、「俺はお前のことを考えているんだ」という暑苦しい愛情をまとった殺し文句をかけるため騙されてしまう。長年世話になった個人塾の先生はいわば「腐れ縁」なので、言うことにはなかなか反対できない。

                   

                  学校教師塾講師、進路指導の参謀にするには一長一短がある。

                  志望校の最終決断権は、受験生自身にある。


                  『大学受験勉強法 受かるのはどっち?』
                  (KADOKAWA)
                  しがらみのない、胸をすくストレートな教育論!


                   

                  | 大学受験 | 17:16 | - | - | ↑PAGE TOP
                  西きょうじ『英文読解入門 基本はここだ!』
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                    高1で気づいた人は多いだろうが、高校の英文は難しく、中学の英文みたいに単語がわかれば読めるわけではない。構文が複雑に絡み合っている。この違和感が続けば、たちまち英語嫌いになり、修復不可能になる。

                    筋トレで初心者は軽いベンチプレスから始めるように、英文解釈最初の一冊は、文章が簡単で短いものを選ぼう。初期段階で長文は長い。
                    高校生、英文解釈最初の一冊は、西きょうじ『英文読解入門 基本はここだ!』以外に考えられない。
                     
                    初心者に嫌われる本は、
                    1. 文章が長い
                    2. 単語が難しい
                    3. 解説がわかりにくい
                    の3つの欠点があるが、この参考書は3点のどれにも当てはまらない。短くても、高校生を悩ませる短文の説明が、1ページ、ときには2ページ費やして懇切丁寧になされている。
                     
                    例文は
                    She worked slowly wither eyes fixed on the room.
                    That he believes her is certain.
                    The older he grew, the poorer her memory became.
                    というレベルである。
                     
                    ふつうの初心者向け英文解釈の参考書は、例文の難しさより単語の難しさに抵抗を感じてギブアップしやすいが、この本は基本的に中学単語しか使用していないので、構文の解釈だけに集中できる。
                     
                    またこの本は、比較の分野に多くのページが割かれている。比較は数学の不等号みたいに論理思考が必要で、文系の人間が嫌う分野だ。
                    たとえば「I couldn’t care less.」という文を、初心者は「気にしている」と訳すのか「気にしていない」なのか頭が混乱する。この本は比較表現が引き起こしやすい頭の混乱をスッキリ整理してくれる。
                     
                    さらに、英文を難しくする四本柱。同格・挿入・倒置・省略の説明が詳しい。この4つは英文を読むときに受験生を迷わす大変化球である。『英文読解入門 基本はここだ!』で変化球打ちの極意を学べば、どんなにアドバンテージになるか。
                     
                    西きょうじの代表作『ポレポレ』や、最新作『英文法の核』にも共通することだが、西きょうじの文体はスッキリして読みやすい。頭が混乱して錯乱状態になる箇所を理解するには、情緒的な文体より、無駄のない骨のような文体の方が良い。
                    魚をさばくには、素手より鋭利なナイフである。
                    西きょうじの無機質なマニュアル一歩手前の硬質な、でもどこかに熱と怒りを秘めている文体が、『ポレポレ』や『英文読解入門 基本はここだ!』が支持を集める一つの原因だと思う。
                     
                    ところで西きょうじは東進の先生で、スピッツの草野マサムネに似ている草食系の要望を持つ人だ。悪魔のような毒舌家であるが、笑顔ですべてが許される羨ましい天性を持つ人だ。
                    そして、難しいことをわかりやすく説明することに偏執狂のようい心を砕いている人だ。それは受験生に「わからない」と苦手意識を持たせないための良心なのだ。
                    同時に受験生に対しても、難しいことに積極的に「かかってきなさい」と、あえて高い敷居を設けるのも躊躇しない。
                     
                    『英文読解入門 基本はここだ!』は、一人でも多くの受験生に英語を理解させ、高みを極めさせたいという執念と、勉強でブレイクするためには俺の執念を受け継げ、狭き門を自分でこじ開けろという、倒錯してはいるが極めて高度なやさしさにあふれている。
                     
                    この本は高2高3でも浪人生でも、英文を読んでいてイライラする人は、絶対に読んでほしい。
                    土台を食い散らかされた建造物に、もういちど基礎工事を施すには最適の書だ。、
                    大ベテランの怖い顔した西先生に、プールでビート板を使って英語構文の解き方を教えてもらえる本である。4〜5回反復したら、満面の笑顔で迎えてもらえるだろう。
                     
                     

                     
                    | 大学受験学参ソムリエ | 18:32 | - | - | ↑PAGE TOP
                    アンタにほめられても嬉しくないんだよ先生
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                        東大志望の生徒ユウイチが、
                             模試でいつものように高偏差値を出す

                         タカヒロ先生が、結果をほめる

                      先生「ユウイチ、君は勉強よくできるねえ。すごいなあ」
                      生徒「・・・」
                      先生「何だ? 悪いことでも言ったか?」
                      生徒「あのう、先生、それ、僕をほめてるんですか?」
                      先生「そうだけど?」
                      生徒「あのですね、僕は小学生の時から勉強ができます。先生からも親からも、ずっとほめられ慣れているわけです。いまさらほめ言葉をもらっても、正直うんざりです」
                      先生「・・・」
                      生徒「たとえばキムタクに「ハンサムですねえ」と言ったら、キムタクはどんな顔するでしょうか? 「またかよ」とウザがるでしょう。できる子に対するほめ言葉って、難しいんですよ」
                      先生「・・・」
                      生徒「あなたの職員室の机に『子供はほめて育てよう』という教育書が置いてありましたね」
                      先生「ああ」
                      生徒「あなたがどんな本から影響を受けているか興味があったので、それと同じ本を書店で立ち読みしたんですよ。そしたら本に「教師は子どもに、ほめ言葉の花束を与えよう」と書いてありました。あなたは本に影響されて僕をほめた。でも、あなたのほめ言葉は「君は勉強よくできるねえ。すごいなあ」でした。どこが言葉の花束なんですか? あなたが吐く言葉、つまんなすぎませんか? 花どころかカビですよ」
                      先生「・・・」
                      生徒「あなたのようなタイプは、『子どもはほめて育てよう』という本を読めばほめる。逆に『ガキはガツンと叱れ!』という本なら叱るんでしょう。定見がない。教育評論家の無責任な教育本や、自己啓発本ばかり読んでる人は、本に流されやすいんですよ。あなたがまさにそうです」
                      先生「ちょっと、言葉がすぎないか?」

                      生徒「待って! もう一つ言わせて下さい。あなたは学生時代、文学や哲学の本を読んでいませんね。だから「君は勉強よくできるねえ、すごいなあ」というアホ丸出しの言葉しかかけられない。学生時代に狭いコミュニティの中で過ごしていたせいです。言葉を外部に向けて磨いてこなかった。そのツケが一気に出たようですね」
                      先生「・・・」
                      生徒「もっと若者の心を動かす言葉ってあるでしょうが。言葉の才気と、心底の真心を兼ね合わせたようなほめ言葉が。僕のように、ほめられることに慣れた生徒を酔わせるほめ言葉、考えて下さいよ」
                      先生「じゃあ言うぞ」
                      生徒「どうぞ」
                      先生「お前は勉強を愛し、勉強の神様にも愛されている」
                      生徒「はっ?」
                      先生「お前は勉強を愛し、勉強の神様にも愛されている」
                      生徒「あのぅ?」
                      先生「なんだ」
                      生徒「アナタ、学生時代変な宗教にはまったでしょ?」
                      先生「俺は新興宗教とは無縁だ」
                      生徒「そういう言葉のレトリックに酔った、クサい台詞は最悪です。言葉が先に立って、心が追いついていない。何が「お前は勉強を愛し、勉強の神様にも愛されている」ですか。神とか愛とか言葉を使う人に、ロクな人はいない」
                      先生「あのなあ、ほめてるんだから感謝しろよ。ほめてこれだけ非難されるのは、やっとれんわ」
                      生徒「それはあなたの傲慢さです。あなたはおそらく、ほめたら僕が喜ぶと思ってほめたんですよね。でも僕はあなたを尊敬もしていないし軽蔑もしていない、中間層の教師です。だからほめられても少しも嬉しくない。あなたは自分がほめ言葉をかけたら生徒が喜ぶと考えたわけでしょ?それは自己評価高すぎです。ほめられて嬉しいのは、尊敬した人にほめられた時だけです」
                      先生「・・・」
                      生徒「僕が尊敬しているヤマギワ先生から「お前は勉強を愛し、勉強の神様にも愛されている」と言われら、僕は喜ぶでしょう。ほめ言葉なんて、何を言うかではなく、誰が言うかが大事です。恋愛といっしょで、あなたにほめられても興味がない女子から好きですと告白された時と同じ気分で、どう対処していいかわからない」
                      先生「・・・」
                      生徒「人をほめるには、それなりの資格がいるんです」
                      先生「・・・」
                      生徒「しかも、今日のあなたのほめ方は、生徒をほめてる自分が美しいというナルシスト臭がしましたし、言葉も軽い。だから腹が立ったので、言わせていただきました」
                      先生「・・・」
                      生徒「どうして怒らないんですか?」
                      先生「えっ」
                      生徒「これだけ生徒から生意気な言葉かけられて何も言わない。たとえば僕がもしサラリーマンになって今日のような言い方を上司にしたら、一生組織で塩漬けですよね。教え子の将来を考える教師なら、ガツンと言うでしょう。あなたは反論もできず黙っているだけ。情けないなあ。生徒への愛が足りない」
                      先生「う=====」
                      生徒「どしたんですか?

                      先生「うっ、うぬぼれるな。誰がお前のような生徒をかわいがるか。俺はお前が今日みたいに生意気ことを誰かに言って、破滅するのが楽しみなんだよ。かわいい奴には注意するわ。命かけてね。だがお前のような奴はスルーだ。将来地獄を見ろ」
                      生徒「僕はそんなへまはしません。人を選んで言いますから」
                      先生「俺をなめんな。じゃあ今、お前に地獄を見せたる。俺がペナルティを与える。お前、あとで職員室まで来い」
                      生徒「ははは。そうそう。それがあなたの本性です。どの教育書に、問題ある自分に逆らった生徒に対して「あとで職員室に来い」と脅すと書いてありましたか? 理性より感情が先に立つ。最低のやり方ですね。善人に化けるならもっとうまく化けないと」
                      先生「なにおっ」
                      生徒「あなた、教育書を見ていい先生を演じるんなら、最後まで演じ切りませんか? もう化けの皮がベロリと剥げてる。耐用年数が短い化けの皮ですねえ」
                      先生「いまのうちにほざいとけ」
                      生徒「・・・」
                      先生「どうした、突然黙って」
                      生徒「先生」

                      先生「何だ?」
                      生徒「あなた、僕のこと嫌いだったでしょ。今日の会話の前から」
                      先生「そんなことはないが」
                      生徒「いや、それはわかります。生徒は自分が先生に好かれているか嫌われているか、見抜きますから」
                      先生「・・・」
                      生徒「あのですね、本当に好きだったら、怒っていても愛情が伝わるし、ほめていても無関心が伝わる。まあこれは僕の尊敬するヤマギワ先生の言葉ですが」
                      先生「・・・」
                      生徒「とにかく、軽々しいほめ言葉で、嫌いな生徒を愚弄して、人をバカにすんのやめてくれませんか? 偽善者教師は吐き気がするね」

                       



                       
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