猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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子どもをほめる人は金目当て
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    役者に灰皿や台本投げた蜷川幸雄ではないが、人生を振り返った時、厳しい言葉をかけてくれた先生の方が、自分の糧になっていると感じる。
    嫌われることを厭わずに、自分の甘さを直言してくれた先生には、感謝してもしきれない。
    逆に、悪いことをしても見逃した先生は、子供の時は「ラッキー!」とありがたく思ったものだが、今考えると親身になってくれなかったか、叱る度胸がなかったか、トラブルになるのを面倒くさがったか、いずれにせよ記憶に薄い存在である。
    鈍感な子供の目は、やさしさの裏の無責任さに気づかず、厳しさの背後にある愛情にも気づかない。

    子供を叱らない親や教師は、どこか子供に遠慮しているのだろう。
    遠慮は罪である。
    ある時、吉永小百合が「よくない監督とはどんな人ですか」とたずねられて、「俳優に遠慮する人です」という趣旨の発言をしていたが、遠慮せずズケズケ物を言う監督の方が名監督で、逆に遠慮せずに言いたいことを心に溜める監督の作品の出来はあまり良くない、という意味であろう。

    嫌われることを厭わずに、スタッフや俳優に厳しい監督は、いい作品を作ることが何よりも優先する。未来に高い達成感を得るために、現在をある程度犠牲にするのだ。遠慮する監督にいい作品は作れないし、俳優の演技力も伸ばせない。
    同じように、子供を叱る教師は、子供の将来が何より大事で、また叱ったら子供が良い人生を送るという信念があるから、トラブルを恐れず叱るのである。

    教師が子供を叱るのは、ズバリ、子供に商品価値を与えるためだ。他人のために何かを生み出し、生み出した見返りとして収入を得る。そんな商品価値を持つ大人に育てるために、教師は本気になる。
    逆に、八方美人にほめ言葉をかける大人は要注意だ。
    たとえば、問題のある子にリップサービスをかける塾の講師は、子供が運んで来るお金が目当てな人が多い。悪いところを指摘し叱ったら、子供は塾をやめ儲けが減る。親がクレーマーとして乗り込む。だから腫れ物に触るように扱う。こういう塾は教育義務を果たしていない。

    叱るのは成長を期待するからであり、ほめて放任するのはカネ目当てである例として、出版の世界を挙げてみよう。
    出版には、自費出版と商業出版という、2つのシステムがある。
    自費出版は出版の費用を著者が持ち、宣伝活動も著者が行う。著者は出版のために200万円ぐらいの費用を出版社に支払う。本を出すにはコストがかかるから、コストを書き手が負担するシステムである。
    逆に商業出版は、出版の費用も宣伝活動も出版社が持ち、売り上げに応じて著者は印税を得る。われわれが買う本のほとんどは商業出版の本である。

    自費出版の場合は、著者が出版社に費用を支払うわけだから、本がつまらなくて売れなくても、出版社の経営は成り立つ。正直言って自費出版の本は、書き手のマスターベーションのようなものが大部分である。自費出版は本を書く人から集金し、書く人の自己満足を満たす倒錯した世界である。

    逆に商業出版は、本が面白くなくて売れなければ経営が成り立たない。本の商品価値を高めるために、編集者と著者が一体になって頑張らなければならない。
    要するに出版社の側から見て、自費出版の顧客は本を書く人であり、商業出版の顧客は本を読む人である。

    自費出版の出版社は、本を書きたいと思う人から、お金を引き出せるかが腕の見せ所であるから、「本を御社から出したいのですが」と原稿を持ってきた人の作品をほめまくる。
    「一気に読ませるプロ級の筆力。人生経験の重みを、軽やかな文体で描く奇跡。読者の脳に知識、心臓に活力、血液に熱気が残る、活字のマジックを感じる」
    といった感じの表面上のレトリックを駆使した文章でその気にして出版を勧め、うまくお金を引き出そうとする。間違っても批判して顧客の機嫌を損なう愚かなことはしない。

    逆に商業出版は、本を売らなければならないから、編集者は鬼のように書き手を鍛え、書き手も読者に作品を評価されたいから編集者の換言を素直に受け止め、作品の力を高め読者に支持されるため必死になる。
    むかし「ドラゴンボール」や「DRスランプ」を描いた鳥山明は、デビュー前に才能を認めた集英社の編集者から何度も書き直しを命じられ鍛えられたのは有名な話である。
    編集者と書き手が必死になると、表面上の社交辞令的なほめ言葉などプラスにはならないのだ。

    教育の世界も同じことである。
    甘い塾は子供の将来より親が持って来るお金が大切だから子供をほめ、厳しい塾は子供の将来が大事だから子供に厳しい。
    子供は時に怠け心が生まれる。そんな怠惰なバイ菌を、キリッとした叱り言葉の抗生物質で退治しなければならない。バイ菌だらけのまま、弱点だらけのまま社会に出れば、子供は痛い目に遭う。

    子供がどんなにアホでも親は過保護で甘やかし、学校教師は子供に遠慮し、塾講師は注意せず、入試は推薦でフリーパス、世間は無関心で何も言わない。
    その結果、就活で初めて子供は自分がアホなのに気づく。こんなのは「裸の王様」でなく「裸のお子様」の悲劇である。

    だから親は、叱ってくれる教師がいれば、「ハッピー!」と思って任せてしまえばいい。叱る教師に文句をつけても子供が損をするだけだ。
    子供が商品価値を持ち、ドラゴンボールをつかめる大人になるには、鳥山明のように叱られる時期が必要なのである。



     
    | 硬派な教育論 | 21:33 | - | - | ↑PAGE TOP
    だから私は数学ができない馬鹿になった
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      私は小学生のころ算数ができて、開成中学に合格した。

      逆に高校時代は数学が苦手で、私大文系に転進せざるをえなかった。

       

      どうして小学校の時、算数ができたか?

      塾のテキストだけをやっていたからだ。

      テキストを聖書のように信じた。

       

      1つのテキストを解き、わからない箇所は先生に執拗に質問した。復習反復し、解き方を身体レベルまで習得した。その頃は「数学は暗記教科」という言葉はなかったが、まさに数学は暗記だった。

      時間が余れば『最上級問題集』とか市販の問題集に手を出しはしたが、あくまでサブ的存在で、テキスト以外に目むくれなかった。

      「勉強法」に悩むことなど全くなくて、一意専心「テキストをやる」のが勉強法だった。

       

      私の塾はテストだけの塾で週1回。授業はテスト解説だけだった。だがテスト終了後に算数の質問教室があり、テキストの難問を授業形式で教えてくれた。参加は任意で残る生徒は少なかったが、私は毎週必ず残った。

      先生からは素直な子だと可愛がられ、熱心に教えてくれた。先生が熱心だったということは、私が熱心だったということだ。
      生徒に情熱があれば、先生も熱を上げる。

      猛勉強をしているように見えても、私は根性入れて勉強した記憶はなく、自然な形で長時間勉強していた気がする。つらいことはなかった。

       

      逆に、どうして高校時代、数学ができなかったか?

      簡単に言えば、勉強していなかったからだ。

      塾に通わなかったのが、いま考えれば致命的だ。

       

      進学校の数学の先生は、上位層に合わせているため、下位層への目配りが足りない。私は数学ができなかったし、そのうえ塾にも通っていなかった。生意気盛りのころで、塾という存在を敵視していた。おまけに学校にも批判的だったし、そんな高校生を大人がかわいがるわけがない。下から這い上がるには大人の愛情や贔屓が絶対に必要なのだ。

      教科書も学校のサブテキストも理解できなかった。勉強法の本ばかり書店で読んでいた。法ばかり説いて頭でっかちになった。
      勉強法本が勧める参考書を買ってみても「自分には合わない」と数ページで投げ出した。また別の勉強法本を読んだら別の参考書が勧めてある。それも買って、もちろん挫折した。

      おかげで私の本棚には、チャート式とか鉄則とか解法のエッセンスとか大学への数学とか、参考書の数だけは揃っていた。現在のように実況中継的な、話し言葉で書かれた参考書はなかった。

      一つのテキストを反復して成功した、小学生時代の成功体験はまったく踏襲されなかった。反対の勉強法で自滅した。

       

      数学力が中学生レベルしかないのに、赤チャートなんかやっていた。当然、わからない。
      理解できなければ思い切って戻れというアドバイスは、誰もしてくれなかった。

      だがもし当時の私が、数学苦手だったらわからない箇所まで戻れとアドバイスされても、耳を傾けなかったろう。「なんで俺様が中学校レベルからやらないとアカンのか」と反発したに決まっている。高校生という種族は、大人が思うより数倍プライドが高い。いまさら簡単なことはやりたくない。馬鹿にすんなと。

      それに数学で、教師にわからないところを聞いたら、人格批判されそうで嫌だった。もし教師に「どうしてわからないのか」と馬鹿にされたら、刺していたかもしれない。

       

      数学が苦手なら、解法を暗記する、テキストを繰り返す、わからない箇所は聞く、思い切って戻る、こういう当たり前のことが、私はできなかった。

      数学は結局、捨てざるを得なかった。数学を捨てたのではなく、数学に捨てられたのだ。

      「プライドの高いバカ」の末路である。

       

      | 硬派な教育論 | 16:13 | - | - | ↑PAGE TOP
      中学校の職場体験は過激に
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        地元の駅へ電車に乗りに行ったら、いつもなら改札口の駅員は年配の方が多いのに、その日に限って駅員が若い。駅の雰囲気が違う。
        駅員たちは若いうえに初々しい。童顔というか紅顔というか、駅員の制服が板についていない。

        しかも改札口に立っている若い駅員のうちの1人は、どこかで見た顔だ。誰だ?
        よく見ると、うちの塾生、中2のM君だった。意外なところで会ってビックリした。

        M君は学校の職場体験で、駅員をやっていたのだ。私が無言で笑いかけると、M君も照れて笑顔を返した。M君は韓流スターのような清潔感のあるイケメンなので、制服姿がよく似合った。

        着始めの制服は、人間を初々しく見せる。黄色いランドセルを背負った小学1年生、真新しく身体にフィットしていないブカブカの学ランかセーラー服かブレザーを着た中学1年生、私服で学校に通うのが初体験の大学1年生、安物だが清潔感あるスーツに身を包んだ新入社員、看護着を身に付けた少女のような看護婦さん・・・

        逆に、デカイ身体でランドセル背負った小学6年生、学ランの尻の部分がテカった高校3年生、薄ひげを生やした大学4年生はオッサンくさい。

        江戸時代以前の日本では、子どもは労働力だった。みんな働いていた。江戸時代の子どもは、武士階級はともかく、農民も商人も工人も、みな6歳7歳から貴重な労働力の一員だった。
        しかし、明治になって学校ができて、子どもは10歳〜11歳になるまで働かなくていいことになった。その後、義務教育の年齢はどんどん上がり、働き始めなければならない年齢は上がっていった。
        毎日が職場の渦中にいる江戸時代の子どもから見れば、職場体験などというものは、到底理解できないだろう。毎日が死活に関わる職場体験だからだ。

        ところで、職場体験には、広島菜を漬ける仕事、スーパーのレジ、観光客へのビラ配りなど、いろんな種類の仕事がある。職場体験の感想を聞くと、みな結構楽しそうである。
        ただ、どうせ職場体験をやるなら、もっと刺激的な体験を子どもにして欲しい。職業の良い面だけでなく、同時に悪い面とか、仕事の苦しみを経験すべきだ。

         

        スーパー銭湯の職員はどうだろうか?

        刺青を入れた客が来る。店長から追い出し係を命じられる。
        風呂で気持ちよさそうに湯を浴びている刺青客に、

        「刺青のお客様はご遠慮いただいています」

        「なんな、このガキは、わしが出にゃあいかんのか」

        「他のお客様の迷惑になっておりますので」

        「迷惑ゆうて、わしゃあ大人しゅう風呂入ってるだけじゃが。なんなあこのクソガキ」

        「規則です。直ちに出て下さい」

        と、堂々と言えるだろうか?

        学校の先生もいい。
        言う事聞かないガキ相手に授業をし、テストを作り採点し、部活の顧問になって夜遅くまで残業し、親からのクレームを受け、不登校の子の家を訪問し、組合活動の人間関係で揉まれ・・・・・子供は教師の苦労の一端が理解できるだろう。

        飛びきり責任の重い、緊急性の高い仕事を、中学生にいきなり任せるのもいい。
        たとえば寿司屋。職場体験に行ったら、親方がいきなりどこかへ消えてしまう。
        カウンターには口うるさそうなオッサンの客が10人くらい、「早く握ってくれ」とばかりに、エサを待つツバメの雛のように待っている。ネタ箱には、鯵とかサヨリとかイカとか赤貝が、さばかれもせず海から引き上げたままの姿で丸ままドスンと置いてある。さばき方がわからない。どうしよう。中学生は途方にくれる。

        パイロットはどうか? 機長と副機長はパラシュートで機外へ逃げ出し、乗客500名の運命が一手に任される。うまく着陸しなければ乗客の命も自分の命も失われる。操縦桿を持つ手が震える。

        救急病棟はもっと大変だ。緊迫性が異様に高い。
        中学生は突如、交通事故で瀕死の患者の執刀医を任せられ、薬品と内臓の匂いが漂う戦場みたいな手術室でメスを握らされ、横では「私の夫を助けてください、お願いします」と患者の奥さんが狂乱し、「脈拍落ちています」と看護婦が金切り声を出し、心臓を手づかみにしながらマッサージをし・・・・修羅場だ。

        職場体験でとんでもない重責を負わされたら、中学生の職業観・人生観は変わるだろう。
        以上の例は超極端だが、学力と知識と経験がないと、仕事ができないという厳然たる事実を、是非職場体験で子供に知ってもらいたい。ふだんの勉強の大切さも、わかろうというものだ。




         

        | 軟派な教育論 | 19:02 | - | - | ↑PAGE TOP
        数学苦手は克服できるか?『受かるのはどっち?』
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          数学が苦手な人へ。
          高2・高3の段階で、数学苦手は克服できるか?
          天才に一方的に負けるしかないのか?
          努力で這い上がれるのか?




          博士王子のオピニオン

          数学苦手が克服できるのは中学受験経験者だけ
          京都大学はアメリカンフットボールが強いです。

          彼らはもともと体が細い受験秀才ですが、関西学院大や立命館大など強豪チームの相撲取りみたいな選手と、いい勝負をしています。

          アメフトは体力勝負であるとともに、知的勝負のウェイトが多くを占めるスポーツだから対抗できるのです。

          京大が強いのは、彼らに数学的センスがあるからだだと、僕は分析しています。

          アメフトではボールを瞬時に的確な場所に投げ、また的確な走路を取らなければなりません。

          たいていの京大生は中学受験勉強で、図形の点の移動、最短距離を叩き込まれています。関西の中学受験塾では土日は十数時間も塾で特訓です。しかも算数の時間が多い。まるで毎日が数学オリンピックのように数字や図形と格闘します。

          アメフトを始めたのは大学からでも、小学生の時からアメフトの知的訓練を積んでいるようなものです。京大生はアメフトの「基礎学力」ができています。空間図形のセンスがあり、グラウンドが「イーグルアイ」として俯瞰できます。数学力が紙の上だけでなく、アメフトのグラウンドという実戦にも生きているのです。

          難関高校の生徒は数学で落ちこぼれていても、中学受験時代に培った算数のポテンシャルがあります。

          あのですね、最近は偏差値40から70へ上げたみたいな本が多いですが、数学で偏差値30上げたという本は少ないでしょう。あったとしても、彼らは難関高校の生徒です。

          将来京大アメフト部で活躍しそうな、難関高校の中学受験経験がある高校生なら。高いポテンシャルで追い上げ可能ですが、そうでなければ無理でしょうね。



          VS




          熱血女王のオピニオン
          数学苦手克服は万策尽くせば可能

          数学はエリートの独占物じゃないわ。
          数学では別にトップに立たなくていいわけで、苦手は苦手なりにしのげばいい。
          まず、計算力からつけましょう。

          数学できない人は計算力がない。『足し算・引き算から微分・積分まで 小・中・高の計算が丸ごとできる』間地秀三(ペレ出版)がいいわ。計算に特化した本で、掛け算九九から積分計算まで載ってるの。

          数学嫌いな人は計算アレルギーで、通信制限のかかったスマホのように計算が遅いの。この1冊を繰り返せば、月初めの通信制限解除の時のように速くなるわ。
          あと、基礎ならマセマ出版社の『初めから始める数学A』馬場敬之を使ってね。問題が少なく解説がフレンドリー。これだけで大丈夫かと心配する前に、まずこれだけやってみてほしい。
          数学苦手克服には思い切って基礎に戻る度胸がいるの。

          偏差値が伸びないとき、基礎に戻るのは理に適っているとわかってはいても、直前なのに基礎なんかやってる場合じゃない、応用問題解かなければと焦る。

          それに、人から「基礎に戻れ」と言われたらプライド傷つくしね。数学が苦手な人の最大の敵は、実はプライドなのよ。プライドが高いと基礎に戻るのを厭うし、わからないことを聞くのを沽券にかかわると思って敬遠する。

          数学でわからないところを聞いて、「お前、今まで何をやってたんだ、こんなこともわからないのか。小学生からやり直せ」と冷たく追い返す先生もいるでしょう。でも「小学生からやり直せ」というのは金言よ。ほんとうに小学生からやり直せばいいの。

          挽回できます。


          数学は挽回可能か?
          天才の軍門に下るしかないのか?
          挽回できるとすれば、そのやり方は?
          判決はどちらに?




          『受かるのはどっち? 目次』
           
          第1章 大学受験“ウワサ”の真相

                     ビリギャルみたいに偏差値40から逆転可能か?
                2     文系理系どちらが有利か?
                3     大手塾予備校VS個人塾
                4    
          Twitterを受験生がやっていいのか?
                5     高校の定期試験対策に力を入れるべきか?
                6     スケジュール表は作るべきか?
                7     集中力が30分しか続かない時は?
                8     勉強しない日を作ったほうがいいか?
                9    
          恋愛と勉強は両立できるか?
                10    部活と勉強は両立できるか?
                11   
          体育会系部活生はラストスパートで逆転できるか?
                12    一冊の参考書を繰り返すべきか?
                     
          ●文章がうまい、読ませる参考書
           
          第2章 正しい勉強の仕方はコレだ!
            13   朝型か?夜型か?
                14    予習中心?復習中心?
                15   
          精神論は大学受験に有効か?
                16    模試の見直しはどうすれば効果的か?
                17    ノートはきれいなほうがいいか?
                18    本に
          マーカーは引くべきか?
                19    モチベーションを上げる本が知りたい
                20    論述対策は一人でできるか?
                21    音楽聴きながら勉強できるか?
                22   
          ゲームはやってもいいか?
                23    センター過去問対策はいつから?
                    
          ●センター直前3か月、一発逆転を可能にする参考書
           
          第3章 科目別「攻略法」伝授
            24   英単語は書いて暗記するべきか?
                25    英単語暗記――
          語源VS語呂
                26    『英単語ターゲット』VS『システム英単語』
                27    『速読英単語』は本当に名著か?
                28    英文読解――『英文解釈教室』VS『ポレポレ』
                29    英文法が苦手――問題集は何がいい?
                30   
          数学苦手は克服できるか?
                31    数学――ひらめきVS暗記
                32    数学――『青チャート』VS『教科書』
                33    現代文は高校から逆転可能か?
                34    現代文の
          選択肢に強くなるには?
                35    古文は単語と文法の暗記で伸びるのか?
                36    古文単語――『マドンナ古文単語』VS『ゴロ565』
                37    世界史VS日本史
                38    歴史――理解が先?暗記が先?
                39    センター地理、ラストスパートの方法は?
                40    物理に才能は必要か?
                41    化学、はじめの一冊は何がいい?
                   
          ●ピンポイントで苦手単元をつぶす参考書
           
          第4章 合格を近づける最後の1ピース
            42   偏差値55で停滞中。
          才能の壁はあるのか?
                43    非進学校から難関大は無理か?
                44   
          授業がつまらない時の対処法は?
                45    高校の大量課題はやるべきか?
                46    浪人はすべきVS避けるべき
                47   
          医学部多浪に賛成VS反対
                48    志望校は早く決めた方がいいのか?
                49    親の
          経済力は学歴に関係するか?
                50    地方国立大VS都会の難関私大か
                51    下剋上で合格可能なのは、早稲田VS慶應
                52    参考書・問題集だけで自学自習は可能か?
            
           
          一人でも自学自習が可能な「初心者マーク」の参考書

           

          | 私が出した本 | 13:39 | - | - | ↑PAGE TOP
          中学生の厳しい塾はダメか? 判決編
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            「3年B組金八先生」は、中学校が舞台だから成立した話だと思う。金八先生は、裏番組で視聴率最強を誇った「太陽にほえろ!」を抜き去った。武田鉄矢が石原裕次郎に勝ったのだ。

            これが小学校や高校だったら、伝説のテレビドラマにならなかっただろう。中学生は疾風怒濤の時代だからこそ、武田鉄矢の金八先生の熱血ぶりが際立ち、激しいドラマになった。

             

            中学時代は人生の分岐点である。鉄道なら行き先を変える転轍機。人との出会いによって、人生は左右される。

            だから身体を張って、思春期の暴風に立ち向かう、中学生を教える塾の先生の存在は大きい。

             

            とくに、ごく数年前まで「ゆとり教育」が蔓延していて、中学生の学力は低下した。
            当時「地頭がいい」という言葉がはやったが、地頭がいいというのは、本来ならもっと学力偏差値が取れていたはずなのに、小学校で基礎学力をつけられず、頭の良さを持て余していたということになる。生まれつきお能力はあっても、訓練されていない。潜在能力とペーパーテストの点数が一致しない。要するに「ゆとり教育」は、勉強の才能を殺したのである。

             

            また、叱ることが教育現場で忌避された。生徒との対話を重視し、甘い先生のミスリードで、授業は喧騒の場と化した。

            授業はまず「聞く」習慣をつけるのが原則だ。活発な議論のアクティブラーニングは、「聞く」ことを学んで後の話だ。人の話を聞かないで話すことばかり夢中になる人間がどれほど困った存在か。話好きで聞き下手な子の迷惑行為で、どれだけ真面目な子が先生の話を聞くチャンスを奪ったか。

            自由奔放な生徒たちの教室での振る舞いで、生徒の「聞く」能力は置き去りにして、十代の子どもの耳は退化した。

             

            それに、中学生の厳しい塾は、厳しいといっても常識を教えているだけである。生徒を拷問にかけているわけではない。人の話を聞く、礼儀作法を守る、遅刻はしない、ネガティブな言葉ははかない、ズルをしない、物事には真摯に取り組む。小学生の時に、こういう当たり前のことが教えられていなかった。悪癖を残したままの中学生を、放置するか矯正(古い言葉だが)するかである。厳しさは尻ぬぐいであり、叱らないのは逃げである。

             

            中学生で悪癖を残したままだと成績は伸びない。そして成績が伸びない生徒は、大人から見て「いらつく」部分がある。

            「いらつく」部分を見つけたら、率直に言うべきだと私は思う。厳しさとは素直さである。悪い箇所を言葉でハッキリ指摘する。変に気をつかって隠し通さない。斬り込むことで「いらつき」の要素を一つ一つ殺していくのだ。

            じゃあ、悪癖を持つ中学生に向かって「いらつき」を感じないためにはどうするか、先生と生徒が友達であればいいのである。友達関係なら、いい加減さはあまり気にならない。だが、お友達先生のままでは、中学生の「いらつき」は死ぬまで温存される。「いらつく」大人になり、自分も他人も不幸になる。教育の失敗作である。
            私は「厳しい」塾をいくつか訪問させていただいたことがあるが、「いらつき」とは程遠く、生徒の好感度は抜群であった。

             

            どういうわけか知らないが、高校生を教える大学受験専門の先生が、中学生に対して厳しい塾を、詰め込みとか、無理して難関校に合格させても高校になって苦しむだけじゃないかとか、陰キャラのように非難するのを目にする。

            だが、地方によって違いはあるが、難関高校は単純な詰込みだけでは合格できない。公立高校の問題を一度見てみればいい。単純作業で解けるものではない。むしろ単純作業に落ちた勉強を繰り返す中学生に、難しいことにチャレンジするよう強く促すのが、厳しい先生である。

            公立高校の難問を解くために、スパルタ詰め込みで対処できるわけがない。難問を解く思考回路まるごと頭に埋め込まなければならない。思考回路を埋め込むには、小学校や中学校で教えられていない「聞く」能力をつける。城の石垣を運ぶような基礎工事。これには知力だけでなく、体力も人格力も必要なのだ。子供の甘さに対峙する厳しさ、愛情ある父性の発露がいるのだ。

             

            ステレオタイプの批判として、中学校で成績低位の子が、無理して難関校に合格しても、高校では才能がないからついていけない、大学受験では勝てないという批判がある。「進学校の落ちこぼれ」は悲惨で、ならば普通の高校のトップクラスの方がいいのではないかと。

            だが、中学生の塾の厳しくてパワフルな先生なら、生徒に自力でやっていく力を与える。先生が身体を張れば子どもは身体で覚える。人格の感化力はそれほど大きい。子供は強烈な人間と出会ったら、強烈さを身につけるものである。中学時代に圧倒的に成績伸ばして「進学校の落ちこぼれ」になるという心配の多くは杞憂に終わるし、たとえ伸び悩んでいても、生徒と真剣勝負をしてきた先生は、高校になってもあらゆる角度から勉強面や心の面を、自然な形でケアしている。

             

            最大の利点。どん底から先生の二人三脚で難関校に合格することは、十代の若さで成功体験を手に入れる。これがいかに自信になるか。

            中学校の時、親からも学校の先生からも無理だと言われながら、逆転した経験が将来どれだけ自信につながるか。僕ならできる、私ならやれる。努力の先に栄冠があることが身体レベルで刻まれる。

             

            私も「厳しい塾」とやらの末節を汚している一人だが、なぜ厳しい塾に価値を見出しているか。それは中学時代に叱られ大人と対峙してきた子は、就職活動で抜群に強いからである。もし不本意な進学をしたとしても、面接で強く、大学の偏差値以上の強さを発揮する。

            高学歴でも大人に対して斜に構える若者が、就職活動で痛い目に合うのは承知の通りだ。「勉強だけできる人間はダメ」なのである。勉強以外の可愛げ、律義さ、真摯さが就活では高く評価される。
            勉強を通じて、勉強以外の能力を鍛えるのが、厳しい塾の先生が持つ一貫したポリシーなのである。試験の結果は一種の副産物である。

             

            中学生時代に厳しく細かい塾に通っていると、いい加減さが消える。授業中の姿勢、細かいノートチェック、繰り返される復習テスト、挨拶礼儀の指導、「聞く力」を持ち大人に愛される、いい加減でない律義な人間に育つ。

            中学校の友人ならいい加減でもかまわない。だが大人になっていい加減な人間ほど、自分が困り他人を困らせる人間はいない。

             

            厳しさが、自由な発想を抑え、個性のない人間を育てるという批判もある。日本にはスティーブ・ジョブズを育てる土壌がないと。だが天才は育てるものでなく育つものである。スティーブ・ジョブズを変人・狂人から偉人にしたのは、彼のアイディアを理解する「聞く」力を持った人々、怒り叫ぶジョブズの無理難題に耐え成果を上げるタフな人々である。ジョブズは育てられないが、ジョブズを助ける人は育てられるかもしれないではないか。

             

            厳しい塾の「金八先生」に出会ったら、ラッキーである。

            女王の全面勝訴。

             

             

            | 私が出した本 | 19:31 | - | - | ↑PAGE TOP
            他の受験生の「赤本」が気になる
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              私は受験生時代、図書館や自習室の雰囲気が駄目だった。受験生が醸し出す静寂感に恐怖を感じた。家で勉強する方が性に合っていた。

              大きな図書館や自習室だと、人数の多さが私を圧迫した。
              100人ぐらいの受験生が一斉に勉強しているピリピリした冷厳な熱気と、カリカリ筆記用具の音だけが立ち込める静粛な空気と、若い体臭がムンムン立ち込める部屋は、私のような神経が細い人間には耐えかねた。

              また、図書館や自習室に行くと、同年代の受験生が、参考書や問題集はどんなのを使っているのか非常に気になる。
              他の受験生が自分よりレベルの高い問題集を解いていたら「負けた!」と胃がズキズキするし、逆に基礎レベルの問題集をやっていたら「勝ったね、オレ!」と間違った優越感に浸ってしまう。

              ある時『英文問題標準精講』を使っている受験生がいた。この本は「原の英標」といって四半世紀以上前からあり、旺文社を大出版社にしたベストセラーだが、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッピー」など格調高い文学作品が多く掲載され、難易度が高いのと現在の大学入試問題の傾向に即してないのとで使う人が少ない本だ。私が受験生時代でも「古臭くて難しい」というイメージがあった。

              この受験生は、英語力があるから『英文問題標準精講』をやってるのか、それとも書店に平積みになっているから偶然買ってやってるのか。前者だったら嫌だなと思いを巡らせた。名匠の名刀を持つこの男は、剣の達人なのか素人なのか。顔を見ると賢そうにもそうでないようにも見える。ピリピリした受験生時代は、同年代の受験生の顔つきまで気になるのだ。

              あと、同じ問題集を使っている受験生を見ると、まるで同じユニクロの服を着た人間に、街でばったり出くわしたような感じで非常に気まずい。その同じ問題集が、自分のよりボロボロで使い込まれていたら居ても立ってもいられない。激しい闘争心がわく。

              とにかく図書館や自習室は、ライバル(こっちが勝手に思っているだけだけど)が気になって勉強が手につかなかった。

              特に自習室で一番気になるのが「赤本」である。周囲の受験生がやっている赤本の大学名は無性に気になる。
              「こいつ、どこの大学受けるんだろ?」
              隣の受験生が「東京大学(理系)」などという赤本をやっていたら、吐き気すら覚える。

              赤本の表紙と背表紙には、大きな大きな字で大学名が書いてある。
              赤本は真っ赤で強烈に目立つし、そこに「××大学」と大学名が必要以上にでっかく、ゴシック体太字で表紙と背表紙の2箇所に黒々と書かれている。
              赤本のデザインは、自分の志望大学を隠せない悪魔的なデザインだ。あんなに派手な自己主張の強い本はない。「俺は××大学を受ける人間だ!」と、満天下に誇示しているようである。

              また「赤本」に限らず、駿台の「青本」は難関大学しか出版していないので、大学名が見えなくても「青本」を持っている時点で「おぬし、できるな」と刺激を受けてしまう。

              今でも図書館や本屋の赤本コーナーに行くと、受験生が赤本を手にしていると「ちらっ」と見て、「こいつ、どこの大学受けるんだろう」と、受験生時代のなごりと職業病で探ってしまう癖がついている。


               
              | 大学受験 | 11:52 | - | - | ↑PAGE TOP
              こんな大学には行きたくない!
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                受験生を受験に駆り立てる動機は、もちろん「A大学に入りたい」という具体的な目標、A大学に対する「あこがれ」から発するものである。
                しかし、滑り止めの「B大学には絶対行きたくない」という恐怖、本番の試験がうまくいかなくて、B大学に行かざるを得ない情況に陥る地獄のような想像が、試験直前の受験生を締めつける。

                芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ならば、糸を登りつめた場所には桃源郷のようなA大学、逆に下には地獄の釜の底のようなB大学がある。
                勉強で気を抜いたらB大学という血の海に溺れてしまう。そんな追い詰められた心理が受験生を勉強に駆り立てる。
                B大学の学生になってしまったら人生の落伍者になってしまうのではないか、そんな心理が受験生を奮い立たせる。「どうしてオレがB大なんだ?!」という強い自尊心が、モチベーションを高める。

                受験生にとって、許容できる大学と、できない大学がある。ある受験生にとっては東大以外は大学ではないし、ある受験生には関関同立未満は許されない。個人個人によって許容できない大学は違う。

                たしかに「B大なんか絶対イヤだ」とB大を嫌うことは傲慢なのかもしれない。学歴信仰に染まった時代錯誤の馬鹿なのかもしれない。
                また、A大学が不合格になり、B大学にしか合格できなかったら、A大学に対する思い入れの強い受験生ほど落ち込む。自分のidentityすら失ってしまう。A大学へのあこがれと、不合格になった時のショックは比例する。

                だからといって逃げ道を用意してはならない。A大学がダメならB大学でいいや、B大学D判定だからC大学に志望を変えよう、そんな気持ちでいるとA大にもB大にもC大にもふられてしまう。

                「こんな大学には行きたくない!」と、滑り止めの大学を忌避する心理が強いほど、受験生は追い立てられる。最悪の結果を想像し、悲観主義に浸った時こそ、受験生は勝利の女神に接近する。
                許容する大学以外は認めない「狭量さ」を持つ受験生、自分の存在意義を測る尺度はA大学合格以外にないと思い詰めた受験生の方が、良い結果が出る可能性は高い。

                受験生は不安や時間の無さに追い詰められ、特に模試の結果が思わしくないと気分が受身になってしまいがちで、理想は押し潰され心の中に自尊心が入り込む隙間が無くなってしまう。
                そんな時、第一志望だったA大学の姿は霞みがちで、いままで嫌っていたB大学に心が移ってしまう。
                しかし「B大学でいいや」とB大学に腰を据えてしまうと、砲火飛び交う第一線の戦場から脱出した時のように心はいったん平静を取り戻すが、そんな平静な気分の時に落とし穴は待っている。

                そんな時は「B大学には絶対行きたくない」というプライドを心の隅から呼び起こす作業が必要だ。
                B大学を避けている自分はそんなに偉い人間なのか? もしB大の学生になったら自分はただの「プライドの高いバカ」じゃないのか? 自分が「プライドの高いバカ」じゃないことを証明するにはA大合格しかないんだと。

                 
                | 大学受験 | 18:35 | - | - | ↑PAGE TOP
                中学生の厳しい塾はダメか? 博士女王対決編
                0



                  高校受験をめざす中学生が通う塾で、先生が厳しく、生徒を叱りつけ、礼儀作法にうるさく、宿題チェックが厳しい塾がある。
                  こういう厳しい塾は存在意義があるのか?
                  時代錯誤なのか?
                  博士と女王の対決。



                  博士

                  厳しい高校受験の塾は意味がない

                  公立中学生が通う、高校受験に向けて厳しく鍛える塾ってありますよね。先生が細かいことにうるさくて、時には怒鳴りあげるスパルタ指導の塾。

                  僕、そんなの意味ないと思います。

                  高校受験する人は、中学受験が盛んな地方では負け組でしょ?

                  スポーツでいえば、中学時代にサッカーのクラブチームに選抜された人が開成や麻布や灘など難関中学、残りが公立中学ですよね。

                  嫌な言い方を敢えてしますが、中学受験で勝った人が「豆腐」で、落ちた人は「おから」みたいなものです。

                  そんな「おから」みたいな、才能にいま一歩欠けた中学生に勉強を強いる。それって一昔前の教育ママ・教育パパの塾版って感じですね。時代錯誤です。だいたい勉強がスパルタで通用すると考えているのが間違いです。

                  高校受験で厳しい塾って、先生が中高時代にあまり勉強しなかった人が多いんじゃないでしょうか。自分が中高時代に怠け者で、塾の先生になったとたん中高生に厳しくする。自分に甘く他人に厳しい典型ですね。

                  中学の塾で厳しく鍛えて、たとえ難関高校にギリギリ入っても、落ちこぼれてしまいますよ。記憶力や理解力では中学受験で勝った人たちに劣るし、また中学時代勉強し過ぎたせいで勉強アレルギーになり、燃え尽き症候群になってしまいます。
                  あと、こういう厳しい塾を、自由闊達を好む勉強ができる生徒は避けますよ。

                  それに厳しい塾は弊害が大きいです。中学時代は厳しい先生がいたから成績が残せた。でも高校ではそんな先生いません。スパルタって最大級の依存なんですよ。中学時代に厳しい先生に勉強は思いっきり依存して、高校になったら自由放任、しかも勉強内容は格段に難しくなる。こんなの赤ん坊を大学受験の戦場に放り捨てるようなものです。

                  逆に、難関中学の生徒は、高校受験がなくて読書や部活などで青春を謳歌しています。遊んでいるように見えて、教養を身につけていて、知識を涵養しているんです。それが高3になって爆発するんです。才能がない人ほど、勉強を机の上だけでするものだと考えていますね。

                  「おから」は「豆腐」には勝てません。どんなに鍛えてもね。


                  VS
                   


                  女王

                  中学生は厳しい塾で鍛えられなさい

                  あのね、難関中学でも、博士みたいに遊んでても勉強できる人って一部だと思うの。多くの生徒は難関校専門の、宿題が多い詰め込み型の塾に通ってるのが当たり前じゃないの。博士みたいに読書で教養を涵養なんて、旧制中学時代みたいなレトロなこと言ってたら、凡人は生き残れないのよ。

                  中学で勉強厳しくして何が悪いの? とくに男の子なんて成長に差があるわ。小6なんて声変わりしてない、ちっちゃい男の子だっているし、ヒゲでも生えてきそうな半ズボンとランドセルがキツキツのオッサンくさい子だっているでしょ? 

                  勉強に目覚める時期だって人それぞれ。中2ぐらいから上背も学力も伸びる子はいくらでもいるわ。部活だったら鍛え時でしょ、勉強で鍛えてどこがいけないのよ。

                  それを「おから」か「おけら」か知らないけど、失礼な言い方よね。エリート意識を感じるわ。

                  中学生ってね、人生の分岐点なの。勉強の道に進むか、そうじゃないか。大事な大事な分かれ道よ。反抗期で怠け者な年ごろで、しかも異性とか部活とかスマホとかゲームとかいろいろ誘惑がある。

                  そこへ厳しい先生が身体を張って、神経をすり減らしながら、勉強の道を指し示すことの何が悪いのよ。勤勉さの価値を教えることのどこがいけないのよ。

                  一番腹が立つのは「才能」って言葉よ。才能って博士はよく使うけど、才能ってすごく排他的な言葉なの。才能がないと言われて落ち込まない子っていないわ。
                  才能という言葉は才能を潰す危険な呪文よ。

                  でもここで、あえて才能という言葉使わせてもらうけど、厳しく鍛えないと才能が眠ってしまう子が多いじゃない。公立中学生を「あなたのなすがままに」と自主性に任せて放置するのと、「俺について来い、鍛えてやる」と本気でぶつかるのと、どちらが「良い先生」なのかしら。私の価値観でじは断然後者よ。


                  判決は28日(木)午後9時半




                   

                  | 私が出した本 | 20:51 | - | - | ↑PAGE TOP
                  私の本に対する批判に答えよう
                  0

                    私は3冊本を出してきた。おおむね好評で迎えられたが、悪い評価ももちろん少なからずあった。

                    ここでは私の本が受けた批判について、1冊につき1つずつ、簡単に答えておきたい。


                     

                     

                    『難関私大・文系をめざせ!
                     

                    難関私大はオワコン。今更こんな本出してもねぇ

                    (塾講師)。

                     

                    日本の大学入試は、十分逆転可能なシステムである。

                    数学や理科を受験しなくても、一流大学とされる早稲田や慶応に合格できる。これをシステムの欠陥と取るか、寛容なシステムと取るか。

                    だけど、高2・高3まで勉強の才能を持ちながら、生かされなかった若者が、大逆転劇を演じる。これは痛快ではないか。

                    もちろん、私も真面目にコツコツやってきた国公立の大学生に対する敬意は強い。数学や理科が必要な科目であることは、誰が否定できようか。

                    だが、難関私大という、英国社3教科で受験できるシステムがあるのだから利用しない手はない。とくに地方でくすぶっている若い人には、どうやったら逆転可能か、そのマニュアルをこの本で示したかった。

                    私は難関国立大学に関して、ふつうの高校で偏差値40あたりからの逆転は奇跡に近いほど難しいと思う。低成績の高校生が東大を1年でめざす『ドラゴン桜』は夢物語だと考える。だが慶応SFCに合格した『ビリギャル』は少ないが可能性がある。『ドラゴン桜』はフィクションのマンガで、『ビリギャル』はノンフィクションではないか。

                    難関私大合格は現実に可能なのだ。たとえ早慶には及ばなくても、関関同立やGMARCHなら、マニュアルに忠実に勉強すれば合格できる。また難関私大の文系の学生が、バイタリティで日本社会の心臓や血液になっていることは誰も否定できない。

                    決して難関私大はオワコンではない。


                     

                     

                    『センター前ヒット』
                     

                    書店で国語の勉強法のところだけ見て、そっと棚に戻した

                    (高校国語教師)

                     

                    『センター前ヒット』は、センター前3か月、火事場の馬鹿力を出すための本だ。突貫工事で、どうやって合格点をたたき出すか。センター試験に対する、救急医療のような役割を果たすべき本だ。

                    批判した高校国語教師は、予備校講師の教え方に影響を受けた、文学青年上がりで、文章にインスピレーションを感じない人だった。生真面目な感じだが説得力が弱いタイプに見えた。

                    私が提案した勉強法は、オーソドックスなものではない。それなら大量の参考書が出ている。私の提案は、センター試験で国語が伸びない受験生に、一か八か試してみる種類のものだ。私を批判した国語教師とは、求めているものが違う。

                    現場で、現代文ができない生徒を抱え、タイムリミットが近くて焦っている先生には、共感してもらえる勉強法だと信じている。付け焼刃と呼ばれることを恐れず書いた。塾で成功例を出し(もちろん失敗もした)、『センター前ヒット』の国語の部分が役に立ちましたという高校生・浪人生からメールを何通かいただいた。

                    内科医が、ER集中治療室の医師を批判するのは、ピント外れだと思う。



                     

                     

                    『大学受験勉強法 受かるのはどっち?』
                     

                    内容が薄くて、立ち読みですんだ
                    (2浪生)

                     

                    私はとにかく、この本を読みやすくしようと努力した。砂利道ではなくアスファルト、いや、ボウリングのレーンのように読みやすい本をめざした。

                    編集者の方と協力して、推敲に2か月かけた。文章から小石を取り除き、ローラーを丁寧にかけた。

                    受験生は勉強法の本を読んでいる暇はなかなか取れない。だがら負担を減らそうと考えたのと、あと勉強法の本をはじめて読む人に抵抗のない文体をめざした。

                    また、文章がオッサン臭く、説教臭くならないように、20代前半の若い大学生4人に助言を求め、文章を推敲してもらった。すべてはスラスラ読んでもらうための、「薄い」と言われることすら予期したものだ。

                    私は難解さを賢明だとは思わない。難解に書こうと思えば、いくらでも書けるのだ。しかし出版物として世に出す以上、わかりやすくあるべきだと私は考えた。たしかに、難解な本に魅力があることは否定しない。だが私が作ったのは、高級ウイスキーでなくビールである。

                    だから「立ち読みできる」「内容が薄い」というのは、ほめ言葉である。中学生でも手に取れるように書いた。

                    だが平易な内容の中に、重厚なポリシーが潜ませてあることは、読者ならわかっていただけると思う。


                     

                    | 私が出した本 | 18:41 | - | - | ↑PAGE TOP
                    現代文苦手な人の短期間逆転法
                    0

                      現代文ができない時、どうするか?

                      どうしようもなければ、個別マンツーマンで、現代文を教えてくれる先生を探せばいい。正直それしかない。

                       

                      数学が苦手なら、個別指導や家庭教師は最高の方法だが、現代文を上げるのも自力では難しい。現代文が苦手な人は現代文の参考書を読む読解力がない。数学と同じように、現代文も個別や家庭教師と親和性が高い教科だ。

                      現代文をライザップ形式で鍛えるシステムがあればいいのに、と思う。

                       

                      現代文が苦手な人は、集団授業を聞くのも下手だ。

                      集団授業で、うまい予備校の先生は「わかる」段階までは引き上げてくれる。だが実際「できる」レベルに達するには訓練がいる。わかってもできるようにならないのが現代文。

                      だから個別や家庭教師で、選択肢も記述も一問一問、先生の前で解き、なぜその解答なのか、いちいち丁寧に説明してもらう必要がある。

                      数学と同じだ。

                       

                      そして論述問題を書き、添削。来る日も来る日も添削。

                      論述は型を身につけなければならない。言語体系を身につけるには、強い「師匠と弟子」の関係を結べば手っ取り早い。

                      言葉こそ伝承だ。落語や漫才など言葉で生活する芸人が、師弟関係にうるさいのはそういう背景がある。新聞社でもデスクは若い記者に何度も書き換えを命じて鍛えていく。

                      論述はマンツーマンでどんどん間違えて恥をかけばいい。恥をかいた回数が現代文力につながる。

                      現代文で必要なのは、inputだけでなくoutputだ。

                       

                      もちろんoutputするためには、inputしなければならない。

                      inputで大事なのは、もちろん語彙である。「語彙こそはすべて」である。

                      ゲームが怖いのはそこで、小学生のころから本もマンガも読まずテレビも見ない生活をしていたら、語彙が抜け落ちてしまう。ゲームは語彙を砂漠化する。

                      語彙が貧弱だと、種子を蒔いていない植木鉢のようで、学力の芽は絶対に生えてこない。

                       

                      語彙をつけるには、本格的な読書から始める必要はない。ライトノベルでも百田尚樹でも東野圭吾でも、本を開いたら読者をつかんで離さない作家の本から始めればいい。直木賞作家の代表作とか、本屋大賞受賞作とか、数冊読んでみて気に入った作家の作品を読み込めばいい。

                      間違っても『東大生に薦める本』で推薦されているような本を選んではいけない。それはもう少し段階を経ての話だ。気取る必要など全くない。

                       

                      現代文が得意な人は、たいてい小学校中学校から本を手放さない。彼らは最初から高尚な本を読んでいたわけではない、娯楽作品で語彙を知らず知らずのうちに埋め込んでいる。何よりも彼らは本が楽しいものだと知っている。

                       

                      入試の現代文の文章は、読書体験が豊富で、語彙のストックが増えて、はじめて理解できる難解なものだ。語彙がなければマンツーマン個別授業でも家庭教師でもどうしようもない。

                      十冊、エンターテイメント小説のジェットコースターに乗れば、視界が開ける。

                       

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