猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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数学苦手は克服できるか?『受かるのはどっち?』
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     拙著『受かるのはどっち』より、「数学苦手は克服できるか?」を一部改変して掲載します。

    王子

    ■数学苦手が克服できるのは中学受験経験者だけ
    京都大学はアメリカンフットボールが強いです。

    彼らはもともと体が細い受験秀才ですが、関西学院大や立命館大など強豪チームの相撲取りみたいな選手と、いい勝負をしています。

    アメフトは体力勝負であるとともに、知的勝負のウェイトが多くを占めるスポーツだから対抗できるのです。

    京大が強いのは、彼らに数学的センスがあるからだ僕は分析しています。

    アメフトではボールを瞬時に的確な場所に投げ、また最短走路を取らなければなりません。たいていの京大生は中学受験勉強で、図形の点の移動、最短距離を叩き込まれています。

    関西の中学受験塾では土日は十数時間も塾で特訓です。

    まるで毎日が数学オリンピックのように数字や図形と格闘します。アメフトを始めたのは大学からでも、小学生の時からアメフトの知的訓練を積んでいるようなものです。

    数学力が紙の上だけでなく、アメフトのグラウンドという実戦にも生きているのです。

    難関高校の生徒は数学で落ちこぼれていても、中学受験時代に培った算数のポテンシャルがあります。

    基礎学力を持つ彼らなら追い上げ可能ですが、そうでなければ無理でしょう。

    女王
    ■数学苦手克服は万策尽くせば可能
    数学では別にトップに立たなくていいわけで、苦手は苦手なりにしのげばいいわ。
    まず計算力からつけましょう。
    数学できない人は計算力がない。

    『足し算・引き算から微分・積分まで 小・中・高の計算が丸ごとできる』間地秀三(ペレ出版)がいい。計算に特化した本で、掛け算九九から積分計算まで載ってるの。数学嫌いな人は計算アレルギーで、通信制限のかかったスマホのように計算が遅いの。この1冊を繰り返せば、月初めの通信制限解除の時のように速くなるわ。
    あと、基礎ならマセマ出版社の『初めから始める数学毅繊拉肋豬蒜靴鮖箸辰討諭

    問題が少なく解説がフレンドリー。これだけで大丈夫かと心配する前に、まずこれだけやってみてほしい。
    数学苦手克服には思い切って基礎に戻る度胸がいるの。

    偏差値が伸びないとき、基礎に戻るのは理に適っているとわかってはいても、直前なのに基礎なんかやってる場合じゃない、応用問題解かなければと焦る。

    それに、人から「基礎に戻れ」と言われたらプライド傷つくしね。でも平常心で基礎を粛々とやれば道が開けるわ。

    判決
    ■数学全体と戦うな。個々の単元を一つずつ潰せ

    判決、女王の勝ち。数学で中学受験経験者が有利なのは事実だが、方策はある。
    数学で苦手克服するには、数学全体と戦わなければいい。

    1つずつ単元を潰していく方法を取れ。

    二次関数・三角比・ベクトル・数列・微分積分、どれか1単元のスペシャリストになることだ。数列から潰しにかかるとすれば白チャートから始めればいい。

    マセマ出版社のシリーズでもいい。基礎ができてる人なら『1対1対応の演習』を勧める。

    1単元に戦力を一極集中し、他の単元は潔く捨てる。1単元ずつ潰せば成績は確実に上がる。
    数学という科目は質量ともに多く、数学全体を同時に敵に回すのは無謀。数学全体と一気に戦ったら敗ける。

    ヒトラーが敗北したのは、東はソ連、西のアメリカ・イギリスと、東西の敵と同時に戦ったからだ。

    また、大日本帝国に至っては北にソ連、東にアメリカ、西に中国、南にイギリスと、東西南北を敵に囲まれた。

    さらに織田信長も西は毛利、北に上杉、東に武田・北条、そして本願寺と、四方八方敵だらけで最後には明智光秀に隙を突かれ殺された。
    数学全単元を伸ばそうと欲張れば、ヒトラーや大日本帝国や織田信長のような破滅が待っている。


    ■それでも苦手なら、計算力を上げるため公文式へ
    数学苦手を克服する、決定的な方法が公文式である。

    計算力を上げるには、ズバリ、公文式がいい。
    日本の教育制度は、学年一斉に同じ内容をやり、一度やったことは原則として復習しないという大原則がある。これでは復習できず成績が落ちるのは当然である。

    「一期一会」で学力はつかない。
    逆に公文式は、学年を無視した能力別プリント、苦手分野の徹底復習 という「一期二会」「一期三会」の方法論で、ポピュラーな教育産業に成長した。

    勉強が苦手な人を得意にする方法論がシステム化されていて、数学の基礎力を高めるには公文式のシステムに頼ればいい。
    公文式では、高校生で中学生の方程式と格闘する人もいる。

    学年枠を取っ払い、プリントを基礎から反復してこなす。公文式の門をたたいた最初のうちは、高校生が中学生用のプリントをやるのは恥ずかしいけれど、驚くべき速さで復習ができ達成感がある。
    私はTwitterとBlogをやっていて、数学苦手克服法をよくたずねられるが、「公文式がいい」と言うと、「まさか公文なんて」と耳を傾けない高校生が多い。

    基礎が大事なのは誰もがわかっていても、いざ公文式という基礎の基礎の勉強法を突きつけられると、プライドが傷つく気持ちはわかる。

    だが、バカほど基礎をバカにする。
    公文式だけで大学入試の問題が解けないのは当然だ。しかし基礎の通過儀礼を浴びなければ、難問がいつまでたっても解けない。だまされたと思って「くもんいくもん」という気になってみよう。

     

    判決 女王…数学が苦手なら、1単元ずつ潰せ。計算が苦手なら公文式という巨大教育システムに頼れ

     

     

     

     

     

    | - | 18:25 | - | - | ↑PAGE TOP
    「叱るな、怒れ!」
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      教育書を読んでいると、子供に対して感情をぶつけて「怒る」ことはよくないから、理性的に諭すように「叱れ」と書いてある本が多い。
      これって、本当だろうか?
      私の経験則から言えば、感情を思い切りぶつけたほうが、問題の解決につながるケースのほうが多い。

      「怒る」が本音爆発なら、「叱る」は演技だ。
      子供は大人の演技を簡単に見抜く。教師が演じる下手な芝居を冷ややかに見つめる。

      たとえば、教育書に「子供を怒ってはいけません。叱りましょう」と書いてある。真面目な若い先生はこれを真に受け、実践しようとする。
      でも、真面目な若い先生は、「怒る」演技と「叱る」演技を使い分けることなんて、できるのだろうか?

      さらに教育書には、
      「子供を叱るときは理性を90%土台にして、10%の感情のスパイスを効かせましょう。「怒り」の感情は生の姿で出してはいけません。理性をもって「叱る」演技をしましょう」
      と続けて書いてある。

      私は一応、学生時代に自主映画の俳優を経験したが、「理性を90%土台にして、10%の感情のスパイスを効かせて叱る」などという器用な演技など絶対にできない。
      そんな数学的で精緻な演技ができるのは、若手俳優では蜷川幸雄の弟子の藤原竜也や長谷川博己など、一部の俳優だけである。
      真面目な若い先生に複雑な演技を求めてはならぬ。

      あと、よく教育書には
      「子供に注意するときは、『ほめる:叱る』の比は、9:1にしましょう。9ほめて1叱るのが、丁度いいバランスです」
      などと書いてある。
      それって、難しくないか?
      わざわざ「黒田君は今9回ほめました、次は1回叱る番です」と教師が数えるのか? 
      何故そんな面倒くさい演技をしなければならないのか?

      良いところが全然ない子供をほめるのは、ただの嘘つきである。
      子供の側からしても、根拠がないのに一方的にほめられたら屈辱だろうし、また嘘のほめ言葉で調子に乗ってもらったら困る。

      ほめたくないのに人をほめると、奇妙なことになる。
      たとえば、小学校の先生は子供に、終わりのHRで「みんな、友達の良い点を書きましょう」と紙を渡すことがある。
      先生が配った紙には、「黒田君、高橋君、嶋さん、新井さん」と名前が羅列してあり、渡された子供は、黒田君・・・頼りになる、高橋君・・・怒ると怖い、嶋さん・・・努力家、新井君・・・ひょうきん、とほめ言葉を書いてゆく。
      先生は紙を回収し、集計して子供に渡す。
      「勉強ができる」「話がおもしろい」「本読みがじょうず」「ドッジボールがうまい」と書かれた子は嬉しいだろう。

      でもほめる所があまり見つからなくて、「給食を食べるのがはやい」「消しゴムがカワイイ」「鼻にほくろがある」「学校のトイレによく行く」「家が金持ち」などと、無理して捻り出したようなビミョーなほめ言葉を羅列されたら、馬鹿にされてるように感じるだろう。
      だから、私は意識して子どもをほめない。心にもないほめ言葉をかけて、誤爆して傷つけたら子供がかわいそうだ。

      もし子供が、私からほめられたと感じたならば、それは私が子供の前で客観的な評価を口走っただけであって、演技してイヤイヤ無理してほめたわけではない。

      結論。
      ほめる所などないのに、子供をほめてはならない。
      白々しい演技のほめ言葉を、子供はあっさり見破る。
      また、ほめ言葉のインフレは良くない。
      なぜなら日常的にほめていたら、子供が本当にほめられるような事をした時、本心からほめることができないからだ。

      さて、教師は生徒に対して、自分に自信があったら怒れるはずである。
      たとえば授業中に生徒が話を聞いていない。そこで教師が「自分の話を聞いた方が、この子は得をして賢くなる。将来の糧になる」と圧倒的な自信があったなら、教師は「聞け!」と一喝できる。
      自分の話の中身に自信がないのに「聞け!」と怒鳴り上げることはできない。

      また教師は、子供を怒ってしまうと、子供に嫌われてしまうんじゃないかという怖れを抱く。
      たとえば、生徒とは今までうまくやってきた。仲がいい。でも生徒と馴れ合いの関係になっているのも事実だ。そんな生徒が今教師たる自分の前で甘え、怒らねばならぬ行動をしている。
      どうしよう、怒ったら嫌われる。
      「いい先生」でなくなってしまう。
      子供と自分の関係に、ひびが入るのではないか? 

      でも私なら、子供に嫌われてもいいじゃん、と思う。
      教師にとって、自分が好かれることと、生徒が立派な人間になることと、どっちが大事か?
      子供のことを本気で心配すれば、自分が嫌われるかどうかなんて些細な問題ではないか。
      自分の体面より生徒の将来が大事なら、子供が規範から外れ、怠惰な行為をしていた時、ガツンと言えばいいじゃないか。
      怒れないのは、生徒より自分の方がかわいいからである。「いい先生」なんて言われたら、教師としては敗北だ。

      生徒の方も、怒鳴られて「イヤな先生だな」と一時は思ったとしても、賢明な子なら、いずれは自分を誰が一番大事に思っているか、動物的本能でわかるはずである。
      子供は、誰についていったら自分が向上するか、得をするか絶対にわかるはずである。

      理性的に叱れ、感情的に怒るな、と言う。
      でも、「感情」という言葉は、「彼女の演奏には感情がこもっている」「彼の作文は感情性が豊かだ」という具合に使えば、プラスの意味になる。
      「感情性」はプラスの意味だが、「感情的」はマイナスの意味だ。だったら「感情性」をもって怒ればいいではないか。
      「感情」の「感」は「感じやすい」、「情」は「情け深い」という意味に他ならない。「感情的」になれるのは、感じやすく情け深い人間だからである。

      感情的になって、自分の思いを生徒にぶつけてもいいじゃないか。真に「感じやすく」「情け深い」人間は、激怒して錯乱しても、出てくる言葉は人の心を打つ。
      感情的になった人が吐く言葉はゲロのような暴言とは限らない。子供の感情を昂ぶらせる金言になることだってあるのだ。
      感情的に腹から声を出せ。「叱る」という小手先の声では、子供の心は動かせない。


      | 硬派な教育論 | 21:26 | - | - | ↑PAGE TOP
      アメフト野郎!by航太郎(3)
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        ■NFLはすべてが桁外れ
         
        イギリス留学中、ロンドンへアメフト観戦に出かけた。
        年に3回、ロンドンでもNFLの公式戦が行われる。
        ロンドン中心部から少し北にはずれたWembley Stadiumに到着した。
        イングランドサッカーの聖地であるが、この日はNFLのお祭り模様。地下鉄で僕のお気に入りチームのジャージを着ている人をたくさん見かけた。
         
        スタジアム外で行われているイベントには目もくれず、スタジアムに入った。
        エスカレーターで5階席まで上がり腰掛けた。グラウンドではスペシャルチームの選手たちがウォーミングアップをしていた。
         
        突然、目の前を何かが通り過ぎる。
        鳥かな? 
        鳥ではない。
        すぐに正体がわかった。
        パンターが蹴りあげたボールだった。
         
        ボールは5階席の僕の目線まで上がったあと、見事な放物線を描いて、選手が豆粒のように見えるグラウンドの谷底へと消えていった。
        NFLのパンターはとんでもなく高いボールを蹴るのは知っていたが、生で見て驚愕した。
        相手のプレッシャーも試合の緊張感もないリラックスした状態だと、ボールを自由自在に操れるらしい。どのように蹴ったら、こんな高さを出せるのか理解できなかった。
        この高いパントを見られただけでも、それなりの値段がしたチケット代を回収できたなと思った。
         
        ところで、僕がアメリカンフットボールというスポーツを最初に意識したのは高校生の時だった。同級生のサッカー部のキャプテンがNFLの大ファンで、シーズンが始まると毎日アメフトの話をしてくる。何がそんなに面白いのかを聞いても、百聞は一見に如かずだと、まずは試合の映像を見てみろと言われるだけだった。
         
        その頃はサッカーに一途だったので、半信半疑のまま、テレビでNFLの試合を見た。すぐに人間離れしたプレーに圧倒された。
        人を殺しに行くようなタックル、50ヤード以上のロングパス、腕の太さ、首の太さ、足の速さ、何もかもが人間離れししていて、
        「なんだ、このスポーツは!」
        と感じた。
         
        まず、運動神経が凄い。
        相手に触れること無く左右に揺さぶるだけでディフェンスを地面に倒すステップ。地上戦が拮抗したと感じたら、派手な空中戦。QBは弾丸のようなボールを正確なコントロールでディフェンスの間を通し、レシーバーに届ける。レシーバーは垂直跳び1mの身体能力を活かしてディフェンスの頭の上でキャッチする。
         
        スピードが凄い。
        身長2m体重100kgの選手が陸上短距離のスプリンターと同じくらいのスピードで走り、後ろから飛んで来る楕円の球をキャッチした瞬間、ディフェンスがキャッチした選手めがけて猛スピードでタックルをかます。その衝撃は車同士の交通事故にも匹敵するとも言われている。
         
        体格が凄い。
        身長2m体重140kgの選手がフィールド中央でぶつかり合う。ラインマン同士のぶつかり合いは、一つの土俵の中で5人対4〜7人の選手が作戦に基づいてチーム戦で相撲を取っているようなものだ。元横綱・武蔵丸も学生時代アメフトに青春を燃やした。アメリカのプロレスラーにはNFLに入ったものの怪我で試合に出場できず、数年で引退しプロレスに転向した人が多いそうだ。
         
        プレーも凄いがスタジアムも凄い。
        収容人数が多く、ビジョンがやたらとデカい。外から見るとスタジアムだとは思えない近代的な建造物のものも多い。
        僕が好きなスタジアムは、グリーンベイ・パッカーズのホームスタジアムであるランボー・フィールドだ。8万人以上収容できる巨大なスタジアムで、典型的なボウル型がシンプルで美しい。この形が好きすぎて、スタジアムの画像を検索して眺めながら何時間でも楽しめる。
        パッカーズはウィスコンシン州、ミシガン湖の北東部に位置する港町、グリーンベイを本拠地とする。NFLのシーズンは9月から翌年2月ころまでなので、冬は極寒の中で試合を行うが、どんなに寒くてもスタジアムを埋め尽くすファンのチーム愛は無尽蔵だし、冬にきれいに芝生を手入れするグラウンドキーパーの努力は計り知れない。

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        ランボー・フィールド
         
        またパッカーズと同地区で争うミネソタ・バイキングスは新スタジアム”US Bank Stadium”の完成が間近だ。
        近代的な外観で、屋内スタジアムながら、太陽光をふんだんに採光できるようにしてある。シートはチームカラーの紫で、スコアボードも超巨大だ。
        バイキングスには東京ドームのようなドーム球場があったのだが、数年前の大雪の際に、積もった雪の重みで屋根が潰れてしまった。修繕はしたものの、それを機に新スタジアムを建設する計画がスタートした。
        ミネアポリスは寒く、12月にはマイナス10度で試合をすることも珍しくない。選手は白い息を吐き、観客は目出し帽を被っている。
        このスタジアムではQBのミススローやキッカーが短い距離のキックを失敗することがあったのだが、僕は寒さも少しは影響していると考えている。これからは最新の空調設備が整った屋内スタジアムが完成するので、より質の高い試合が見られるのではないかと期待している。

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        US Bank Stadium
         
        スタジアムに響くのは、熱狂的ファンの声援である。
        「クラウドノイズ」をご存知だろうか?
        アメフトでは作戦の伝達は確実に行わなくてはいけない。1つのサインを聞けば11人全員が自分の役割を把握できるようになっているため、聴き逃したり、聞き間違えたりするとプレーが成立しない。
        クラウドノイズとは、敵チームの攻撃の際にプレーコールの伝達がしにくくなるように観客が大声を張り上げることだ。クラウドノイズでアウェイチームのオフェンスは混乱するため、観客の発するクラウドノイズは12人目のディフェンスと呼ばれている。
        人工的にスピーカーで音を発したり、ブブゼラのような楽器を使ったりすることは禁止されている。NFLにはクラウドノイズの大きさを競ったギネス記録があり、シアトル・シーホークスとカンザスシティー・チーフスがNFL一うるさいスタジアムの称号を巡って争っている。
        チーフスは142.2デシベルを記録した。これはジェットエンジンが間近で回っているほどの騒音だという。耳がおかしくなりそうだが、一度経験してみたい。
         
        高校時代からNFLに関してはある程度知識があったが、サッカーしかやったことのない僕が、まさか大学でアメフトをプレーするとはその時は考えもしなかった。


         
        岡大アメフト部・秋シーズン開幕
         
        僕は英国留学中もアメフト部に入部し、イギリス人とアメフトをした。 
        イギリス人はプレー中に、良くも悪くも1プレー1プレーに一喜一憂する。ともすれば泣きそうになる時もある。
        NFLやアメリカのカレッジフットボールの試合を見ていても、感情の出し方は激しい。
        良いプレーをした選手に対しては手荒く祝福し、パスをインターセプトされたりすると怒り悲しむ。相手のラフプレーに対しては、チーム全員が声を荒げる。タッチダウンしたり、QBサックをしたりしたあとは、ダンスなど独特の動きで事自己をアピールする。
         
        一方で、帰国して初めてスタンドから観戦したBADGERSの試合では、淡々とプレーしていて、冷静さを通り越して淡白な印象を受けた。その時、BADGERSをサイドラインが“うるさい”チームにしたいと思った。
         
        2016年9月、僕にとって2回目の関西リーグが幕を開けた。
         
        2015年現在関西学生リーグ1部は立命館大学、関西学院大学、関西大学、京都大学など8校で、2部はA ブロックとBブロックそれぞれ6チームの12チーム、3部はAからDまでそれぞれ6チームの24チームが所属している。
        上位グループの最下位と下位グループの1位が入れ替え戦を行い、下から二番目の大学が下位グループの2位と入れ替え戦を闘うシステムになっている。上位校が勝てば残留、下位チームが勝てば入れ替わりが起こる。
         
        2015シーズン、バジャーズは3部で戦った。
        目標は2部昇格である。
        岡大BADGERSが属する3部Bブロックは、天理大学、大阪経済大学、大阪市立大学、大阪工業大学、和歌山大学、岡山大学という組み合わせになった。


         
        下馬評は次の通り。
        圧倒的な攻撃力をもつ天理大学、
        一人ひとりの体が大きい大阪経済大学、
        ランパスのバランスが良く、岡山大学と同じようなチームの和歌山大学、
        この3チームが優位に立ち、その中でも天理大学か和歌山大学が抜けそうだというのが、シーズン前、関係者の予想だった。
        わが岡大は天理、和歌山に次ぐ3番手か、攻撃次第では優勝争いに絡むという評判だった。下馬評は必ずしも良くない。2部昇格するには、大阪工業大学と大阪市立大学戦での取りこぼしは絶対にやってはいけない。
         
        2015シーズンのBADGERSの目標は、2部昇格だけにとどまらず、2016シーズンに2部で勝つチームを作ること。
        現状としてBADGERSは毎年2部と3部の入れ替え戦に出場していて、その殆どで入れ替わっている。
        3部では王様だが、2部では勝てないエスカレーター状態から脱出したい。


         


        第1節 vs大阪工業大学
         〜オフェンスが本調子には遠い〜
         
        シーズン初戦vs大阪工業大学ROWDIES
        どんなスポーツでも、プロ・アマチュア関係なくリーグ戦の初戦は難しいというが、それを実感した試合だった。
        大阪工業大学は学生スタッフがおらず、選手の人数も少ない。体のサイズやプレーのスピードでも勝っている。
        言い方は失礼かもしれないが、格下相手に大差で勝たないといけないという不要な使命感や、プレッシャー、気合が空回りした試合だった。
        特にオフェンスの動きが固く、リズムに乗れないまま1本のタッチダウンを取っただけで前半を終了した。前半終了時点で岡山大7-0大工大。
        まずい。
        だが、ハーフタイムの修正を経てなんとか後半立て直し相手を突き放した。
        なんとか勝てた。
        ディフェンス陣の奮闘で勝てた試合だった。
        オフェンス陣にとっては、今日よりも強いディフェンスに対して前進し得点を重ねることができるのか、パスを決めることができるのかなど、2節以降に不安を残す結果となった。
         

        第1節 岡大 23−7大工大

         


        岡大アメフト部・ディフェンス陣紹介
         
        大工大戦で相手の得点を死守した、そして2016シーズンのキーとなりそうな岡大のディフェンスから3人、紹介しよう。
         
        まず、2年生DL#52西谷俊輝。
        DLはアイシールド21の栗田がディフェンスの時やっているポジションだ。
        西谷は目が大きく顔立ちがはっきりしているので、先日、大学の講義で本当に留学生に間違われたそうだ。ラグビーサモア代表にいそうな面構えだ。
        入部当初から筋肉の鎧を身にまとっていたが、1年間のトレーニングで169cmながら105kgまで体重が増えた。
        トレーニング棟でベンチプレスをするときに100kgのバーベルでウォーミングアップをしているのには一緒にトレーニングをして下さっているOBさんも感心していた。体の全てが太く、雪山を転がしたら綺麗な雪だるまになりそうな体型だ。
        体重100kg越えといっても、世間が想像するような脂肪たっぷりのプヨンプヨンな体ではなく、引き締まった100kgなので短距離を走らせても速い。また後背筋が大きいので直立した時に腕が閉じない。さらに僧帽筋が発達しているのと首が太いのとで、首が無いように見えるのはまさにラグビー選手のようだ。
        物怖じせずぶつかっていける性格はディフェンスにもってこいで、天性の低さも兼ね備えている。低いと相手の下に潜り込めるのでぶつかったときに相手をあおりやすい。
        今シーズンはアメフト野郎(2)で登場した窪田とともに相手オフェンスを破壊することが期待される。
         
        LB#47山本晃己は今年のディフェンスリーダー。アイシールドで言うと王城ホワイトナイツの進清十郎。
        山本は多くの幕末の志士たちを産んだ山口の萩出身。高校時代は柔道部で、いかつい体と顔をしているのとは裏腹にいじられ役で、後輩からもからかわれる。
        いつもご飯を作ってくれる彼女がほしいと叫んでいるが、米の上に人参を一本丸ごと置いてそのまま炊飯した写真をツイートした時には流石に心配にもなった。たいていのいじりには笑って受け入れる山本だが、唯一、髪の毛を触ると怒る。ちりちりなのを気にしているらしく、少しでも触ると襲いかかってきそうな目をするから怖くなってやめる。
        山本は今年ディフェンスリーダーに就任した。今は負傷中でリハビリしているが、シーズンにはピークを持ってくるに違いない。
        柔道部出身の山本は入部当初、足も遅くボールを扱うのが苦手で苦労していたが、文字通り雨の日もラントレをした日も毎日ひたすら走り続けた。もともと柔道で鍛えた筋肉隆々の肉体だったが、弛まぬトレーニングで筋肉が何倍にも膨れ上がった。
        激しいタックルで相手オフェンスを跳ね返してほしい。そしてチームが苦しい時、重い空気をブレイクするプレーを見せてくれるはずだ。
         
        最後に2年生DB#17戸田和真。
        子犬のような顔をしていて、いかにも女子からモテそうな雰囲気がある。野球部出身で先輩にいじられるが、それを楽しそうに受け入れる。厳しい野球部で鍛えられてきたんだということが伺える。
        僕が彼に活躍してほしい理由が一つある。それは、彼が僕と同じでアトピーを持っているということだ。彼がたまに痒そうにしているのを見ると辛そうだなと思うが、彼は笑顔でそれを弾き飛ばし痒みになんか負けない強い意志を持っている。
        1年間で10kg以上体重を増やし、2部で戦える体にはなった。BADGERSのCBの中では身長があり、また跳躍力もあるのでレシーバーとの競り合いにも負けない。ただ今はまだ恐る恐るプレーしている時があるので、相手を怖がらずに思いっきりよく楽しんでディフェンスしてもらいたい。ミスっても上回生がカバーするから。


         
        アトピー・アレルギーでもアメフトはできる
         
        アトピーだが、僕や戸田のように重度のアトピーの人がアメフトをするのは正直辛い。
        アメフトではヘルメットを被り、ショルダーパッドを装着する。激しい運動で大量に汗をかくが、防具をつけているので外に蒸発せず蒸れる。すると肌が猛烈に痒くなる時がある。しかし防具をつけているのでかけない。結果、痒いままイライラして集中できなくなる。
        雨の日に練習すると練習後、激しい痒みが襲ってくる。濡れた肌が乾き始めた時の痒みは簡単には治まらない。
        アトピーはすぐに完治するものではない。上手く付き合っていかなくてはいけない。その方法として、僕は練習中やアフター練習に入る前は必ず、その他にも頻繁に顔や首を水で流すようにしている。練習後はすぐに洗えるところは洗い、保湿のローションを塗る。更衣室のシャワーは水しか出ないので冬場はシャワーできないが、夏場は頭から水を被る。土のグラウンドで練習しているので、練習後何もしないと砂とホコリと汗で何重にも痒い。
        ただアトピーが悪化しそうだからといってアメフトを諦める必要もない。他のスポーツよりも肌への負担は大きいかもしれないが、対策は十分に取れるし実際にアトピーと上手く付き合いながら活躍している学生もいる。
         
        アトピーではないが、アレルギーを持っているNFLの選手がいる。ニューオリンズ・セインツのQBドリュー・ブリーズだ。彼はグルテン、牛乳、卵などの食物アレルギーがあり、食事制限をしている。因果関係があるかは不明だが、身長もNFLのQBとしては低身長の183cmだ。そのせいで地元のアメフト強豪校に進学できず、NFLのドラフト順位も下げられた。
        僕も食物アレルギーを持っている。だからブリーズが活躍すると勇気をもらえる。一度フェイスブックのページにメッセージを送ったことがある。(案の定、返信は来なかったが…)


         


        第2節 vs天理大学 CRUSING ORCS
         〜3部の強豪・天理大学との一戦〜
         
        2戦目にして山場を迎える。
        天理大学は2014シーズン、ある不祥事で主力選手が公式戦に出場できなかった影響で3部5位に甘んじていたが、2015シーズンは1部でもスターターを張れるレベルのエースレシーバー#88を擁し、圧倒的な攻撃力を誇るチームにのし上がってきた。前評判でも3部Bブロック優勝候補の最右翼だった。
         
        この試合、BADGERSに有利にはたらく要素がひとつある。9月23日秋分の日は毎シーズン決まって岡山でのホームゲームが開催されることだ。
        スタジアムは普段練習している大学のグラウンドから自転車で5分もかからない近距離にあり、試合前に岡山から大阪までの電車移動をしなくていい唯一の公式戦だ。
        J2のファジアーノ岡山がホームスタジアムとして使用する1万5千人以上収容する立派なスタンドがあり、天然芝も手入れが行き届いていて美しい。
        大学の友だちや他の体育会の学生、近隣に住まうOBさん、保護者が普段よりも多く応援に駆けつけてくれるので自然と気合も入る。
        そして応援団とチアが来てくれる唯一の公式戦でもある。スタジアムの屋根に反響して一層大きく聞こえる応援団の勇ましい声と、チアのダンスがスタンドの応援をリードし盛り上げてくれる。
         
        岡山大学応援団といえば団長の角谷謙斗さんが有名だ。同じ尾道北高校出身で、会うと気さくに声をかけてくださる。応援団の団長といえば堅気で孤高な存在というイメージアがあり、角谷さんも例外なく学ラン姿に角刈りで、眼力があり怖い人に見えるが、演舞の時以外はいつも笑顔でとてもフレンドリーだ。角谷さんはバイク好きで、熱烈なNHKの朝ドラとカープファン、お酒も好きな団長だ。
         
        14:00 キックオフ。晴れ。
        夏の太陽が照りつけている。



        岡山 シティライツスタジアム

         
        投げるQBと受けるWRは以心伝心
         
        天理戦、BADGERSが先制する。QB沖西からWR福井へのロングパス。
        QBが投げWRがキャッチする空中戦はアメフトの醍醐味だ。
         
        BADGERSのスタートQBは#2沖西将弥。
        180cm80kg、広島国泰寺高校野球部出身。
        髪を茶色く染め、女の子と会う時はワックスとスプレーで丁寧に髪をセットしてくるイケメンだ。
        祖父がボディービルダーでジムを経営しているといい、その影響か筋肉が大きい。上腕三頭筋が特に発達していて腕が太い。頭でイメージしたことをその通りにできる、生まれながらのアスリートで、1部で活躍する能力があるとコーチに言わしめた逸材だ。
        自分がヒーローだと信じて疑わず、負けん気の強さはだれにも負けない。だが、シャイで繊細な一面もあり、かわいげがある。
         
        昨シーズンのエースレシーバーはWR#11福井頌平。レシーバーとしては身長も高くないし、スピードもずば抜けてはいない。
        福ドンさんはフィジカルに自分の生きる道を見出した。ハードなウエイトトレーニングで男も惚れる肉体を手に入れた。派手さはないが堅実なキャッチングとブロッキングで信頼感は抜群。福ドンさんならどんなボールでもキャッチしてくれそうなワクワク感がある。
         
        この2人はチームで最初にグラウンドに現れ、最後までグラウンドに残ってパスを合わせていた。
        パスコースは前に何ヤード走ってこのタイミングで内に何ヤード入ってくる、というように正確に決められているが、試合では相手の激しいプレッシャーもあるので、少なからずズレは生じる。
        だから、ディフェンスの動きを想定しそれぞれで、言葉を交わさずとも考えが一致するまでに繰り返す。
        阿吽の呼吸だ。
         
        天理戦、沖西から放たれたボールは放物線を描きながらエンドゾーンへと飛んで行く。落下地点は文句なし。
        だがディフェンスも良くマークしている。
        ジャンプ一番、競り合った。
        赤のジャージに身を包んだ#11福井が相手の背後から手を伸ばし、ボールを包みこんだ。片手でのスーパーキャッチ。
        #11はスッと立ち上がり、ボールを天に突き上げた。
         
        BADGERS 7−0 ORCS
        BADGERSが幸先よく先制点をあげた。


         
        アメフトのキックで五郎丸ポーズは不可能
         
        だが、天理も負けてはいない。
        図抜けた力量を持つエースレシーバー#88へのパスが決まり、キャッチした後も岡大のディフェンスをひらひらと抜き去り前進していく。
        タッチダウン。
        あっという間に追いつかれた。
        BADGERS 7-7 ORCS
        その後も天理が#88へのパスで猛攻を仕掛けてきたが、ディフェンスが要所要所で相手を封じ、前半は7-7のまま終了した。
         
        後半、BADGERSに勝ち越しのチャンスが巡ってくる。
        第3Q、ゴール前7ヤードまでオフェンスが前進したところで4thダウンを迎える。
        タッチダウンとボーナスキックで7点追加したいところだが、ギャンブルに失敗して0点に終わるよりも、確実に3点を追加しようと言うのが岡大サイドラインの判断だった。
        ディフェンスが強く、拮抗した試合展開の場合、3点でもリードしていたほうが精神的に余裕も生まれる。
         
        アメフトとラグビーのキックは違う。
        ラグビーのキックは止まったボールを蹴る。だがアメフトのFGの場合、スナッパーがボールをスナップし、ホルダーがキャッチしたボールを地面に立てる、立てられたボールをキッカーが蹴る。
        ボールがスナップされた瞬間、キックされたボールをブロックしようと、ディフェンスの選手がイノシシのようにキッカーめがけて突進してくる。
        ラグビーはルーティンをこなし、じっくり蹴れる。だがアメフトは瞬間的に蹴らねばならない。
        アメフトのキックは、五郎丸ポーズをやっている暇なんかないのだ。
        おまけに、スナップが乱れたり、ホルダーがボールを立て損ねたりするとキックすらできない。
        したがって、スナッパー、ホルダー、キッカーは目隠ししてでもタイミングが合うぐらい息があっていないといけない。
        ラグビーのキックは個人技、アメフトのFGは団体戦なのだ。


         
        僕が決めた公式戦初のタッチダウン
         
        7-7の同点。僕のキックで3点を狙う。
        前の大工大戦でホルダーの沖西にホールドミスがあったので、助走を測る前に声をかけた。彼はお調子者で人一倍負けず嫌いだが、繊細で、おそらく前回の失敗からナーバスになっていると感じた。
        僕は言った。
        「リラックスして置けば良い。立っとるボールなら全部蹴るけ」

        静寂がスタジアムを包み込む。
        ボールがスナップされた。低く速いナイススナップ。
        ホルダー、お手玉。
        くそっ。
        ボールが転がる。
        ピンチ。
        だが、まだプレーは終わってはいない。
        キックは失敗でも、こぼれたボールを抱えてエンドゾーンまで持ち込めばタッチダウンだ。
        僕は咄嗟にボールを拾い上げ、腕に抱えた。
        相手が正面にきた。
        カットを切る。
        だが次の瞬間、右下から地獄へ道連れにしようと僕の足を引きずりこむような手が伸びてくる。
        ギリギリ足にかからない。
        前が開けた。
        僕はエンドゾーン左端を駆け抜けた。
        タッチダァーーーーン。
        6点追加!
         
        走っている時は何も聞こえなかったが、エンドゾーンからスタンドを見た時初めて、歓声とチアバルーンのバチバチ鳴る音が聞こえた。
        公式戦で僕が決めた、初めてのタッチダウンに興奮した。
        パスを決めた時や、ランでフレッシュを獲得した時とはまた違った快感が全身を流れた。
        自分が攻撃のドライブを締めくくる。高い山に登頂したような、弾けるような爽快感を味わった。
        BADGERS 13−7 ORCS
        やった。
        優勝候補の天理をリード。


         
        再逆転され敗戦。1点の重みに泣く
         
        だが、浮かれてもいられない。
        すぐにタッチダウン後のトライフォーキックがある。
        サイドライン、スタンドにいたBADGERSお応援する人全てがタッチダウンを喜んでいた。

        そんな中、一人だけ喜べない選手がいた。ホルダー、沖西だ。
        タッチダウンを取れたので結果オーライだが、二試合続けてのホールド失敗は屈辱以外の何物でもない。
        「さっきのは忘れて、これに集中」
        僕は沖西に言った。
        声をかけ、混乱状態を少しでも和らげようとした。
        ホルダーのミスは自分のミス。スナッパー、ホルダー、キッカーは一心同体。
        だが、またしてもホールドできなかった。
        1点取れず。
        13―7のまま。
         
        キックを決められず、14−7にすることができなかった。6点差は相手からすればTD一本とキックで逆転できる点差で、精神的には楽。相手に追加点を許さなければTD1本さえ取れば勝てるということで焦らなくていい。
        アメフトは、キックの1点が意外に重いスポーツ。
        この1点が試合を左右することになるのか。
         
        僕は沖西のホールドミスが、その後、彼のクオーターバッキングに影響を及ぼさないかだけが心配だった。
        繊細な沖西には、天衣無縫にプレイしてほしい。
        彼は『黒子のバスケ』の火神のように、ZONEに入ったら手が付けられないのだ。
        「今のは忘れて、1点なんか関係ないぐらい、タッチダウン取ってこい。」
        僕は沖西に言った。
        「大丈夫ですよ!俺、スーパースターなんで!」
        彼は答えた。
         
        その後、BADGERSは天理のエース#88を止めることができず逆転された。
        タッチダウンの6点とキックの1点、合計7点で13−14。
        試合をひっくり返された。
        悪い予感は当たった。
        1点が重い。 
        FGを蹴れるゾーンまでも遠い。
        わずかな残り時間で逆転をするためにスペシャルプレーを試みたが、結果は失敗。再逆転できずに試合は終わった。
         
        結果的にみるとキック失敗の1点が負けにつながった。
        杞憂は現実になった。 
        13−14。岡大、痛い敗戦。 
        2016シーズン2部で勝つという目標がある以上、残り試合は全て勝ち続けなければならない。
        下を向いている暇はない。


        第2節 岡大 13−14 天理大

         


        第3節、vs大阪市立大学 GOLDEN CEDARS
         〜キックが絶不調〜
         
        1勝1敗で迎えた大阪市立大学戦。
        大阪市立大学も1980年代、岡山大学を追うように1部に昇格したが、最近は3部に定着している。毎年5月に定期戦を行っており、試合後にはレセプションもあるので、選手の中には友だちもいる。
        2015年、春の定期戦では勝っている相手。春から比べるとどちらも成長しているが、BADGERSのほうが伸びたことを証明し、力の差を見せつけたい試合。

        大阪市立大とは怨恨試合だ。 
        実は、春の定期戦で両チームともQBの控えがいなかったため、QBへのタックル無しというルールで試合をした。QBとはそれほど重要なポジションである。だが、試合最終盤にQB沖西がタックルされて肘を脱臼する怪我をさせられた。
        沖西はその後2ヶ月プレーできなかった。
        その怒りを晴らすためにも、秋の市立戦は勝たなくてはいけない。
         
        だが僕は、この試合でキックの不調に悩まされることになる。
        試合はタッチダウンランで岡大が先制。7-0 BADGERSリード。
        幸先のいいスタート。
        第2Q、ゴール前9ヤードから4thダウン。
        岡大はFGトライを選択。
        キッカーである僕の出番だ。
        ハッシュレフト。
        確実に決めて当然の距離。
        キックしたボールは。左のポール上部を通過した。
        中心を通すことはできなかったが、決まったと思った。
        が、審判のシグナルはキック失敗。
        3秒ほどその瞬間の出来事を受け入れられなかった。
         
        岡山BADGERS 7−0 GOLDEN CEDARS 大阪市立
         
        10−0となるところを、点差を広げられなかった。
        サイドラインに帰りながら首をかしげた。
        キックを失敗と判定されたことも納得いかなかったが、それ以上になぜキックを思い描いているよりも左に飛ばしてしまったのか、原因を考えていた。
         
        飛距離を伸ばすことを考えて、キックのバランスが崩れていたのかもしれない。岡山に帰ってから、フォームを見なおそうと考えた。
        しかし試合中にこれ以上キックの失敗に気をとられるのは良くない。
        立て直せ。試合に集中。
         
        キックに神経質になり、気が散漫になりかけないために、イギリスでアメフトをしていた時にムードメイカーが発した言葉を思い出した。
        We are still winning!!
        僕の中で重い空気を一変させる言葉だった。
        悪いシチュエーションでも勝っていることに変わりはない。
        自分で呟き、沈んだ気持ちを切り替えた。
        得点差を広げられないまま前半終了。
        岡大 7−0 市大
        第3Qに7−6まで追い上げられた時は、キックを決めていればもっと楽に試合運びができたのにと思ったが、タッチダウン後の相手のキックを弾いたディフェンスを褒めることだけを考えた。
        We are still winning.
        岡大はタッチダウンを一本追加し、結果的には13-6で勝利した。
         

        第3節 岡大13−6 大阪市立大

         


        キックの修正・Youtube先生との特訓
         
        キックを失敗したときの帰りの電車はとても長い。新大阪から岡山までの3時間、外したシーンだけが頭の中をリピートする。
        気を抜いていたわけではないが、短い距離のFGだったから集中しきれていなかったのかもしれない。外したことのイライラよりも情けなさが勝った。40秒計が進み、焦っていたのかもしれない。だとしたら練習の時の想定が甘かったということになる。
         
        この距離のFGは決めて当然、サッカーのPKと同じようなものだ。決めても祝福はほどほど、外せば不信感につながる。
        キッカーは孤高であり、スコアリングに関わり勝敗を握るので極度のプレッシャーがかかる。一見単純に見えるがさまざまな要素があり、深く深く突き詰めなければならないポジションである。失敗してもあいつなら次も任せられると普段から信頼を得ていることも重要だ。
        今日のキック失敗で、次の試合からほぼ確実なところでないとFGを蹴らせてくれないのではないか。冒険させてくれないのではないか。
        不安に駆られた。
        何もしゃべりたくなかった。
        電車の窓ガラスに頭を打ち付けるようにして寝た。
        チームは勝った。だが僕にとっては負け試合だった。


         
        キックの研究を重ね、試行錯誤した。
        その結果、キックのばらつきを無くすためには助走が大事だとわかった。
        Youtubeを先生に見立て、NFLやアメリカの大学生、日本の大学生のキックを何種類も何回も見た。
        共通点はボールから後ろに3歩、横に2歩、軸足となる側の足を中心に体をホルダー方向に向ける。助走の一歩目は真下に踏み下ろす程度で小さく、残り2歩はリラックスして、インパクトの瞬間に力を入れる。上体は被せずに足を高く振り上げる。
         
        技術面ではこれらを意識して徹底的に反復する。
        しかし、技術だけでは試合の場面でキックする時は、極度の緊張状態になる。登場機会が少ない分、出場する時は必ず成功させなければならない。サッカーのPKのキッカーがそうであるように、周囲も成功するものだと思っているプレッシャーがある。だから練習でも1本目を大事にした。2,3回繰り返して決めるのは当たり前。試合では一発勝負、1本で決めることができるかに重きを置くことで、精神状態もできるだけ試合の状況に近づけた。 
        研究と練習を執拗に重ね、これなら大丈夫だという自分の中にキックの頼れる軸ができたので、プレッシャーにも負けにくくなった。

        僕は反復練習を楽しんでできる性格だ。反復することは退屈だと思われがちだが、僕はそうは思わない。一つ一つのポイントを確認しながら、一回一回何が上手くいったか、思ったようにいかなかったか自分に語りかけながら繰り返す。 
        ある程度習得できたと思ったら、テストをする。
        キックなら正面に立つポールにまっすぐなボールを当てることができるか、50ヤード先にあるバケツに高いボールを上から落として入れることができるか、ゲーム感覚で楽しむ。
        同じ動きをひたすら繰り返していても、意識する部分を変え、自分で撮ったビデオを確認するようにすると刺激が生まれ、退屈だと感じなくなる。そうして同じ型が自分の中にはめ込まれるまで徹底して繰り返した。


         
        第4節、vs大阪経済大学BOMBERS
         
        2勝1敗で迎えた大阪経済大戦。
        大阪経済大学はサイズが大きいチーム。とにかくフィジカルで勝とうという意志が見える。
         
        結果から先に言うと、この試合ではランニングバックを中心に、攻撃陣が爆発した。タッチダウン5本で35得点はバジャーズオフェンス4年ぶりの高得点だった。
        ここまで悩みに悩み抜いていたオフェンスがやっと、暗く湿気た洞窟から抜けだした。

        僕のキックも絶好調だった。 
        僕がスコアリングで登場したのはタッチダウン後のキック5回。
        市大戦後は反省を元に確実性を追い求めた。
        5回蹴って5回成功。
        乗り越えた。
         
        大経戦からはキックを外す気がしなくなった。
        大阪市立大学戦でキックは飛距離やダイナミックな見た目よりも正確性が大事だということに気づいてからの挽回だった。
        キックに迷いが無くなった。
         

        第4節 岡大 35−13 大経大
         
        いよいよ次は、和歌山大学との最終戦。



         
         

        最終節、vs和歌山大学 BLIND SHARKS
         〜入れ替え戦出場を掛けた最終戦〜
         
        岡大、和大ともに天理大学に敗戦し、勝ったほうが入れ替え戦出場校決定戦に進める。
        勝てばいい。負ければシーズン終了。単純明快。
         
        和歌山大学はディフェンスも強いが、攻撃力で勝負してきたチーム。パスとランのバランスが良く高校からアメフトをしているQBがオフェンスを指揮する。岡山大学と和歌山大学は同じ国立大学同士で似た雰囲気がある。
         
        試合開始から点の取り合い。岡大が先行し、和大が追いつく荒れた展開。
        岡大 21−21 和大
        大接戦だ。
         
        ディフェンスが強く、ロースコアの拮抗したゲームは経験してきたが、点取り合戦は経験したことがなかった。
        だが、不安はなかった。チームの雰囲気が最高だった。どんな状況でもサイドラインからチアアップや檄を飛ばす声が出ていたからだ。
        しかし最後になって均衡は敗れた。ここでBADGERS攻撃陣にミスが出てボールをファンブル。相手選手にリカバーされそのままエンドゾーンに持ち込まれた。
        岡大 21−28 和大
        ピンチだ。あとがない。
         
        残すは第4Qの10分。あと10分しかない。
        試合の流れからみて、無得点で攻撃権を渡せば相手に追加点を奪われる可能性もある。
        BADGERSが逆転するには、この攻撃シリーズでTDを取って6点、その後の2ポイントコンバージョンを成功させるしかない。そうすれば29−28と逆転できる。
        だが、RB陣の怪我でランプレーが思うように展開できない状況。
        いよいよBADGERSは窮地に追い込まれた。
         
        しかしこのピンチで、ロンドンで見たNFLの選手が蹴った、スタジアム5階席まで届くボールが、頭をよぎった。
        身体能力では及ばない。が、志の高さだけは、あのボールには負けていない。そう感じた。
        まわりの仲間たちの姿を見た。
        サイドラインの全員が試合にのめり込んでいた。
        イギリスから帰国後、スタンドからBADGERSの試合を観戦した時に見た、サイドラインに立つ選手たちの自信なさげで静かな背中はそこにはなかった。
         
        (つづく)



        アメフト野郎(1)
        アメフト野郎(2)
         

         
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        子どもをほめる人は金目当て
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          役者に灰皿や台本投げた蜷川幸雄ではないが、人生を振り返った時、厳しい言葉をかけてくれた先生の方が、自分の糧になっていると感じる。
          嫌われることを厭わずに、自分の甘さを直言してくれた先生には、感謝してもしきれない。
          逆に、悪いことをしても見逃した先生は、子供の時は「ラッキー!」とありがたく思ったものだが、今考えると親身になってくれなかったか、叱る度胸がなかったか、トラブルになるのを面倒くさがったか、いずれにせよ記憶に薄い存在である。
          鈍感な子供の目は、やさしさの裏の無責任さに気づかず、厳しさの背後にある愛情にも気づかない。

          子供を叱らない親や教師は、どこか子供に遠慮しているのだろう。
          遠慮は罪である。
          ある時、吉永小百合が「よくない監督とはどんな人ですか」とたずねられて、「俳優に遠慮する人です」という趣旨の発言をしていたが、遠慮せずズケズケ物を言う監督の方が名監督で、逆に遠慮せずに言いたいことを心に溜める監督の作品の出来はあまり良くない、という意味であろう。

          嫌われることを厭わずに、スタッフや俳優に厳しい監督は、いい作品を作ることが何よりも優先する。未来に高い達成感を得るために、現在をある程度犠牲にするのだ。遠慮する監督にいい作品は作れないし、俳優の演技力も伸ばせない。
          同じように、子供を叱る教師は、子供の将来が何より大事で、また叱ったら子供が良い人生を送るという信念があるから、トラブルを恐れず叱るのである。

          教師が子供を叱るのは、ズバリ、子供に商品価値を与えるためだ。他人のために何かを生み出し、生み出した見返りとして収入を得る。そんな商品価値を持つ大人に育てるために、教師は本気になる。
          逆に、八方美人にほめ言葉をかける大人は要注意だ。
          たとえば、問題のある子にリップサービスをかける塾の講師は、子供が運んで来るお金が目当てな人が多い。悪いところを指摘し叱ったら、子供は塾をやめ儲けが減る。親がクレーマーとして乗り込む。だから腫れ物に触るように扱う。こういう塾は教育義務を果たしていない。

          叱るのは成長を期待するからであり、ほめて放任するのはカネ目当てである例として、出版の世界を挙げてみよう。
          出版には、自費出版と商業出版という、2つのシステムがある。
          自費出版は出版の費用を著者が持ち、宣伝活動も著者が行う。著者は出版のために200万円ぐらいの費用を出版社に支払う。本を出すにはコストがかかるから、コストを書き手が負担するシステムである。
          逆に商業出版は、出版の費用も宣伝活動も出版社が持ち、売り上げに応じて著者は印税を得る。われわれが買う本のほとんどは商業出版の本である。

          自費出版の場合は、著者が出版社に費用を支払うわけだから、本がつまらなくて売れなくても、出版社の経営は成り立つ。正直言って自費出版の本は、書き手のマスターベーションのようなものが大部分である。自費出版は本を書く人から集金し、書く人の自己満足を満たす倒錯した世界である。

          逆に商業出版は、本が面白くなくて売れなければ経営が成り立たない。本の商品価値を高めるために、編集者と著者が一体になって頑張らなければならない。
          要するに出版社の側から見て、自費出版の顧客は本を書く人であり、商業出版の顧客は本を読む人である。

          自費出版の出版社は、本を書きたいと思う人から、お金を引き出せるかが腕の見せ所であるから、「本を御社から出したいのですが」と原稿を持ってきた人の作品をほめまくる。
          「一気に読ませるプロ級の筆力。人生経験の重みを、軽やかな文体で描く奇跡。読者の脳に知識、心臓に活力、血液に熱気が残る、活字のマジックを感じる」
          といった感じの表面上のレトリックを駆使した文章でその気にして出版を勧め、うまくお金を引き出そうとする。間違っても批判して顧客の機嫌を損なう愚かなことはしない。

          逆に商業出版は、本を売らなければならないから、編集者は鬼のように書き手を鍛え、書き手も読者に作品を評価されたいから編集者の換言を素直に受け止め、作品の力を高め読者に支持されるため必死になる。
          むかし「ドラゴンボール」や「DRスランプ」を描いた鳥山明は、デビュー前に才能を認めた集英社の編集者から何度も書き直しを命じられ鍛えられたのは有名な話である。
          編集者と書き手が必死になると、表面上の社交辞令的なほめ言葉などプラスにはならないのだ。

          教育の世界も同じことである。
          甘い塾は子供の将来より親が持って来るお金が大切だから子供をほめ、厳しい塾は子供の将来が大事だから子供に厳しい。
          子供は時に怠け心が生まれる。そんな怠惰なバイ菌を、キリッとした叱り言葉の抗生物質で退治しなければならない。バイ菌だらけのまま、弱点だらけのまま社会に出れば、子供は痛い目に遭う。

          子供がどんなにアホでも親は過保護で甘やかし、学校教師は子供に遠慮し、塾講師は注意せず、入試は推薦でフリーパス、世間は無関心で何も言わない。
          その結果、就活で初めて子供は自分がアホなのに気づく。こんなのは「裸の王様」でなく「裸のお子様」の悲劇である。

          だから親は、叱ってくれる教師がいれば、「ハッピー!」と思って任せてしまえばいい。叱る教師に文句をつけても子供が損をするだけだ。
          子供が商品価値を持ち、ドラゴンボールをつかめる大人になるには、鳥山明のように叱られる時期が必要なのである。



           
          | 硬派な教育論 | 21:33 | - | - | ↑PAGE TOP
          だから私は数学ができない馬鹿になった
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            私は小学生のころ算数ができて、開成中学に合格した。

            逆に高校時代は数学が苦手で、私大文系に転進せざるをえなかった。

             

            どうして小学校の時、算数ができたか?

            塾のテキストだけをやっていたからだ。

            テキストを聖書のように信じた。

             

            1つのテキストを解き、わからない箇所は先生に執拗に質問した。復習反復し、解き方を身体レベルまで習得した。その頃は「数学は暗記教科」という言葉はなかったが、まさに数学は暗記だった。

            時間が余れば『最上級問題集』とか市販の問題集に手を出しはしたが、あくまでサブ的存在で、テキスト以外に目むくれなかった。

            「勉強法」に悩むことなど全くなくて、一意専心「テキストをやる」のが勉強法だった。

             

            私の塾はテストだけの塾で週1回。授業はテスト解説だけだった。だがテスト終了後に算数の質問教室があり、テキストの難問を授業形式で教えてくれた。参加は任意で残る生徒は少なかったが、私は毎週必ず残った。

            先生からは素直な子だと可愛がられ、熱心に教えてくれた。先生が熱心だったということは、私が熱心だったということだ。
            生徒に情熱があれば、先生も熱を上げる。

            猛勉強をしているように見えても、私は根性入れて勉強した記憶はなく、自然な形で長時間勉強していた気がする。つらいことはなかった。

             

            逆に、どうして高校時代、数学ができなかったか?

            簡単に言えば、勉強していなかったからだ。

            塾に通わなかったのが、いま考えれば致命的だ。

             

            進学校の数学の先生は、上位層に合わせているため、下位層への目配りが足りない。私は数学ができなかったし、そのうえ塾にも通っていなかった。生意気盛りのころで、塾という存在を敵視していた。おまけに学校にも批判的だったし、そんな高校生を大人がかわいがるわけがない。下から這い上がるには大人の愛情や贔屓が絶対に必要なのだ。

            教科書も学校のサブテキストも理解できなかった。勉強法の本ばかり書店で読んでいた。法ばかり説いて頭でっかちになった。
            勉強法本が勧める参考書を買ってみても「自分には合わない」と数ページで投げ出した。また別の勉強法本を読んだら別の参考書が勧めてある。それも買って、もちろん挫折した。

            おかげで私の本棚には、チャート式とか鉄則とか解法のエッセンスとか大学への数学とか、参考書の数だけは揃っていた。現在のように実況中継的な、話し言葉で書かれた参考書はなかった。

            一つのテキストを反復して成功した、小学生時代の成功体験はまったく踏襲されなかった。反対の勉強法で自滅した。

             

            数学力が中学生レベルしかないのに、赤チャートなんかやっていた。当然、わからない。
            理解できなければ思い切って戻れというアドバイスは、誰もしてくれなかった。

            だがもし当時の私が、数学苦手だったらわからない箇所まで戻れとアドバイスされても、耳を傾けなかったろう。「なんで俺様が中学校レベルからやらないとアカンのか」と反発したに決まっている。高校生という種族は、大人が思うより数倍プライドが高い。いまさら簡単なことはやりたくない。馬鹿にすんなと。

            それに数学で、教師にわからないところを聞いたら、人格批判されそうで嫌だった。もし教師に「どうしてわからないのか」と馬鹿にされたら、刺していたかもしれない。

             

            数学が苦手なら、解法を暗記する、テキストを繰り返す、わからない箇所は聞く、思い切って戻る、こういう当たり前のことが、私はできなかった。

            数学は結局、捨てざるを得なかった。数学を捨てたのではなく、数学に捨てられたのだ。

            「プライドの高いバカ」の末路である。

             

            | 硬派な教育論 | 16:13 | - | - | ↑PAGE TOP
            中学校の職場体験は過激に
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              地元の駅へ電車に乗りに行ったら、いつもなら改札口の駅員は年配の方が多いのに、その日に限って駅員が若い。駅の雰囲気が違う。
              駅員たちは若いうえに初々しい。童顔というか紅顔というか、駅員の制服が板についていない。

              しかも改札口に立っている若い駅員のうちの1人は、どこかで見た顔だ。誰だ?
              よく見ると、うちの塾生、中2のM君だった。意外なところで会ってビックリした。

              M君は学校の職場体験で、駅員をやっていたのだ。私が無言で笑いかけると、M君も照れて笑顔を返した。M君は韓流スターのような清潔感のあるイケメンなので、制服姿がよく似合った。

              着始めの制服は、人間を初々しく見せる。黄色いランドセルを背負った小学1年生、真新しく身体にフィットしていないブカブカの学ランかセーラー服かブレザーを着た中学1年生、私服で学校に通うのが初体験の大学1年生、安物だが清潔感あるスーツに身を包んだ新入社員、看護着を身に付けた少女のような看護婦さん・・・

              逆に、デカイ身体でランドセル背負った小学6年生、学ランの尻の部分がテカった高校3年生、薄ひげを生やした大学4年生はオッサンくさい。

              江戸時代以前の日本では、子どもは労働力だった。みんな働いていた。江戸時代の子どもは、武士階級はともかく、農民も商人も工人も、みな6歳7歳から貴重な労働力の一員だった。
              しかし、明治になって学校ができて、子どもは10歳〜11歳になるまで働かなくていいことになった。その後、義務教育の年齢はどんどん上がり、働き始めなければならない年齢は上がっていった。
              毎日が職場の渦中にいる江戸時代の子どもから見れば、職場体験などというものは、到底理解できないだろう。毎日が死活に関わる職場体験だからだ。

              ところで、職場体験には、広島菜を漬ける仕事、スーパーのレジ、観光客へのビラ配りなど、いろんな種類の仕事がある。職場体験の感想を聞くと、みな結構楽しそうである。
              ただ、どうせ職場体験をやるなら、もっと刺激的な体験を子どもにして欲しい。職業の良い面だけでなく、同時に悪い面とか、仕事の苦しみを経験すべきだ。

               

              スーパー銭湯の職員はどうだろうか?

              刺青を入れた客が来る。店長から追い出し係を命じられる。
              風呂で気持ちよさそうに湯を浴びている刺青客に、

              「刺青のお客様はご遠慮いただいています」

              「なんな、このガキは、わしが出にゃあいかんのか」

              「他のお客様の迷惑になっておりますので」

              「迷惑ゆうて、わしゃあ大人しゅう風呂入ってるだけじゃが。なんなあこのクソガキ」

              「規則です。直ちに出て下さい」

              と、堂々と言えるだろうか?

              学校の先生もいい。
              言う事聞かないガキ相手に授業をし、テストを作り採点し、部活の顧問になって夜遅くまで残業し、親からのクレームを受け、不登校の子の家を訪問し、組合活動の人間関係で揉まれ・・・・・子供は教師の苦労の一端が理解できるだろう。

              飛びきり責任の重い、緊急性の高い仕事を、中学生にいきなり任せるのもいい。
              たとえば寿司屋。職場体験に行ったら、親方がいきなりどこかへ消えてしまう。
              カウンターには口うるさそうなオッサンの客が10人くらい、「早く握ってくれ」とばかりに、エサを待つツバメの雛のように待っている。ネタ箱には、鯵とかサヨリとかイカとか赤貝が、さばかれもせず海から引き上げたままの姿で丸ままドスンと置いてある。さばき方がわからない。どうしよう。中学生は途方にくれる。

              パイロットはどうか? 機長と副機長はパラシュートで機外へ逃げ出し、乗客500名の運命が一手に任される。うまく着陸しなければ乗客の命も自分の命も失われる。操縦桿を持つ手が震える。

              救急病棟はもっと大変だ。緊迫性が異様に高い。
              中学生は突如、交通事故で瀕死の患者の執刀医を任せられ、薬品と内臓の匂いが漂う戦場みたいな手術室でメスを握らされ、横では「私の夫を助けてください、お願いします」と患者の奥さんが狂乱し、「脈拍落ちています」と看護婦が金切り声を出し、心臓を手づかみにしながらマッサージをし・・・・修羅場だ。

              職場体験でとんでもない重責を負わされたら、中学生の職業観・人生観は変わるだろう。
              以上の例は超極端だが、学力と知識と経験がないと、仕事ができないという厳然たる事実を、是非職場体験で子供に知ってもらいたい。ふだんの勉強の大切さも、わかろうというものだ。




               

              | 軟派な教育論 | 19:02 | - | - | ↑PAGE TOP
              数学苦手は克服できるか?『受かるのはどっち?』
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                数学が苦手な人へ。
                高2・高3の段階で、数学苦手は克服できるか?
                天才に一方的に負けるしかないのか?
                努力で這い上がれるのか?




                博士王子のオピニオン

                数学苦手が克服できるのは中学受験経験者だけ
                京都大学はアメリカンフットボールが強いです。

                彼らはもともと体が細い受験秀才ですが、関西学院大や立命館大など強豪チームの相撲取りみたいな選手と、いい勝負をしています。

                アメフトは体力勝負であるとともに、知的勝負のウェイトが多くを占めるスポーツだから対抗できるのです。

                京大が強いのは、彼らに数学的センスがあるからだだと、僕は分析しています。

                アメフトではボールを瞬時に的確な場所に投げ、また的確な走路を取らなければなりません。

                たいていの京大生は中学受験勉強で、図形の点の移動、最短距離を叩き込まれています。関西の中学受験塾では土日は十数時間も塾で特訓です。しかも算数の時間が多い。まるで毎日が数学オリンピックのように数字や図形と格闘します。

                アメフトを始めたのは大学からでも、小学生の時からアメフトの知的訓練を積んでいるようなものです。京大生はアメフトの「基礎学力」ができています。空間図形のセンスがあり、グラウンドが「イーグルアイ」として俯瞰できます。数学力が紙の上だけでなく、アメフトのグラウンドという実戦にも生きているのです。

                難関高校の生徒は数学で落ちこぼれていても、中学受験時代に培った算数のポテンシャルがあります。

                あのですね、最近は偏差値40から70へ上げたみたいな本が多いですが、数学で偏差値30上げたという本は少ないでしょう。あったとしても、彼らは難関高校の生徒です。

                将来京大アメフト部で活躍しそうな、難関高校の中学受験経験がある高校生なら。高いポテンシャルで追い上げ可能ですが、そうでなければ無理でしょうね。



                VS




                熱血女王のオピニオン
                数学苦手克服は万策尽くせば可能

                数学はエリートの独占物じゃないわ。
                数学では別にトップに立たなくていいわけで、苦手は苦手なりにしのげばいい。
                まず、計算力からつけましょう。

                数学できない人は計算力がない。『足し算・引き算から微分・積分まで 小・中・高の計算が丸ごとできる』間地秀三(ペレ出版)がいいわ。計算に特化した本で、掛け算九九から積分計算まで載ってるの。

                数学嫌いな人は計算アレルギーで、通信制限のかかったスマホのように計算が遅いの。この1冊を繰り返せば、月初めの通信制限解除の時のように速くなるわ。
                あと、基礎ならマセマ出版社の『初めから始める数学A』馬場敬之を使ってね。問題が少なく解説がフレンドリー。これだけで大丈夫かと心配する前に、まずこれだけやってみてほしい。
                数学苦手克服には思い切って基礎に戻る度胸がいるの。

                偏差値が伸びないとき、基礎に戻るのは理に適っているとわかってはいても、直前なのに基礎なんかやってる場合じゃない、応用問題解かなければと焦る。

                それに、人から「基礎に戻れ」と言われたらプライド傷つくしね。数学が苦手な人の最大の敵は、実はプライドなのよ。プライドが高いと基礎に戻るのを厭うし、わからないことを聞くのを沽券にかかわると思って敬遠する。

                数学でわからないところを聞いて、「お前、今まで何をやってたんだ、こんなこともわからないのか。小学生からやり直せ」と冷たく追い返す先生もいるでしょう。でも「小学生からやり直せ」というのは金言よ。ほんとうに小学生からやり直せばいいの。

                挽回できます。


                数学は挽回可能か?
                天才の軍門に下るしかないのか?
                挽回できるとすれば、そのやり方は?
                判決はどちらに?




                『受かるのはどっち? 目次』
                 
                第1章 大学受験“ウワサ”の真相

                           ビリギャルみたいに偏差値40から逆転可能か?
                      2     文系理系どちらが有利か?
                      3     大手塾予備校VS個人塾
                      4    
                Twitterを受験生がやっていいのか?
                      5     高校の定期試験対策に力を入れるべきか?
                      6     スケジュール表は作るべきか?
                      7     集中力が30分しか続かない時は?
                      8     勉強しない日を作ったほうがいいか?
                      9    
                恋愛と勉強は両立できるか?
                      10    部活と勉強は両立できるか?
                      11   
                体育会系部活生はラストスパートで逆転できるか?
                      12    一冊の参考書を繰り返すべきか?
                           
                ●文章がうまい、読ませる参考書
                 
                第2章 正しい勉強の仕方はコレだ!
                  13   朝型か?夜型か?
                      14    予習中心?復習中心?
                      15   
                精神論は大学受験に有効か?
                      16    模試の見直しはどうすれば効果的か?
                      17    ノートはきれいなほうがいいか?
                      18    本に
                マーカーは引くべきか?
                      19    モチベーションを上げる本が知りたい
                      20    論述対策は一人でできるか?
                      21    音楽聴きながら勉強できるか?
                      22   
                ゲームはやってもいいか?
                      23    センター過去問対策はいつから?
                          
                ●センター直前3か月、一発逆転を可能にする参考書
                 
                第3章 科目別「攻略法」伝授
                  24   英単語は書いて暗記するべきか?
                      25    英単語暗記――
                語源VS語呂
                      26    『英単語ターゲット』VS『システム英単語』
                      27    『速読英単語』は本当に名著か?
                      28    英文読解――『英文解釈教室』VS『ポレポレ』
                      29    英文法が苦手――問題集は何がいい?
                      30   
                数学苦手は克服できるか?
                      31    数学――ひらめきVS暗記
                      32    数学――『青チャート』VS『教科書』
                      33    現代文は高校から逆転可能か?
                      34    現代文の
                選択肢に強くなるには?
                      35    古文は単語と文法の暗記で伸びるのか?
                      36    古文単語――『マドンナ古文単語』VS『ゴロ565』
                      37    世界史VS日本史
                      38    歴史――理解が先?暗記が先?
                      39    センター地理、ラストスパートの方法は?
                      40    物理に才能は必要か?
                      41    化学、はじめの一冊は何がいい?
                         
                ●ピンポイントで苦手単元をつぶす参考書
                 
                第4章 合格を近づける最後の1ピース
                  42   偏差値55で停滞中。
                才能の壁はあるのか?
                      43    非進学校から難関大は無理か?
                      44   
                授業がつまらない時の対処法は?
                      45    高校の大量課題はやるべきか?
                      46    浪人はすべきVS避けるべき
                      47   
                医学部多浪に賛成VS反対
                      48    志望校は早く決めた方がいいのか?
                      49    親の
                経済力は学歴に関係するか?
                      50    地方国立大VS都会の難関私大か
                      51    下剋上で合格可能なのは、早稲田VS慶應
                      52    参考書・問題集だけで自学自習は可能か?
                  
                 
                一人でも自学自習が可能な「初心者マーク」の参考書

                 

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                中学生の厳しい塾はダメか? 判決編
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                  「3年B組金八先生」は、中学校が舞台だから成立した話だと思う。金八先生は、裏番組で視聴率最強を誇った「太陽にほえろ!」を抜き去った。武田鉄矢が石原裕次郎に勝ったのだ。

                  これが小学校や高校だったら、伝説のテレビドラマにならなかっただろう。中学生は疾風怒濤の時代だからこそ、武田鉄矢の金八先生の熱血ぶりが際立ち、激しいドラマになった。

                   

                  中学時代は人生の分岐点である。鉄道なら行き先を変える転轍機。人との出会いによって、人生は左右される。

                  だから身体を張って、思春期の暴風に立ち向かう、中学生を教える塾の先生の存在は大きい。

                   

                  とくに、ごく数年前まで「ゆとり教育」が蔓延していて、中学生の学力は低下した。
                  当時「地頭がいい」という言葉がはやったが、地頭がいいというのは、本来ならもっと学力偏差値が取れていたはずなのに、小学校で基礎学力をつけられず、頭の良さを持て余していたということになる。生まれつきお能力はあっても、訓練されていない。潜在能力とペーパーテストの点数が一致しない。要するに「ゆとり教育」は、勉強の才能を殺したのである。

                   

                  また、叱ることが教育現場で忌避された。生徒との対話を重視し、甘い先生のミスリードで、授業は喧騒の場と化した。

                  授業はまず「聞く」習慣をつけるのが原則だ。活発な議論のアクティブラーニングは、「聞く」ことを学んで後の話だ。人の話を聞かないで話すことばかり夢中になる人間がどれほど困った存在か。話好きで聞き下手な子の迷惑行為で、どれだけ真面目な子が先生の話を聞くチャンスを奪ったか。

                  自由奔放な生徒たちの教室での振る舞いで、生徒の「聞く」能力は置き去りにして、十代の子どもの耳は退化した。

                   

                  それに、中学生の厳しい塾は、厳しいといっても常識を教えているだけである。生徒を拷問にかけているわけではない。人の話を聞く、礼儀作法を守る、遅刻はしない、ネガティブな言葉ははかない、ズルをしない、物事には真摯に取り組む。小学生の時に、こういう当たり前のことが教えられていなかった。悪癖を残したままの中学生を、放置するか矯正(古い言葉だが)するかである。厳しさは尻ぬぐいであり、叱らないのは逃げである。

                   

                  中学生で悪癖を残したままだと成績は伸びない。そして成績が伸びない生徒は、大人から見て「いらつく」部分がある。

                  「いらつく」部分を見つけたら、率直に言うべきだと私は思う。厳しさとは素直さである。悪い箇所を言葉でハッキリ指摘する。変に気をつかって隠し通さない。斬り込むことで「いらつき」の要素を一つ一つ殺していくのだ。

                  じゃあ、悪癖を持つ中学生に向かって「いらつき」を感じないためにはどうするか、先生と生徒が友達であればいいのである。友達関係なら、いい加減さはあまり気にならない。だが、お友達先生のままでは、中学生の「いらつき」は死ぬまで温存される。「いらつく」大人になり、自分も他人も不幸になる。教育の失敗作である。
                  私は「厳しい」塾をいくつか訪問させていただいたことがあるが、「いらつき」とは程遠く、生徒の好感度は抜群であった。

                   

                  どういうわけか知らないが、高校生を教える大学受験専門の先生が、中学生に対して厳しい塾を、詰め込みとか、無理して難関校に合格させても高校になって苦しむだけじゃないかとか、陰キャラのように非難するのを目にする。

                  だが、地方によって違いはあるが、難関高校は単純な詰込みだけでは合格できない。公立高校の問題を一度見てみればいい。単純作業で解けるものではない。むしろ単純作業に落ちた勉強を繰り返す中学生に、難しいことにチャレンジするよう強く促すのが、厳しい先生である。

                  公立高校の難問を解くために、スパルタ詰め込みで対処できるわけがない。難問を解く思考回路まるごと頭に埋め込まなければならない。思考回路を埋め込むには、小学校や中学校で教えられていない「聞く」能力をつける。城の石垣を運ぶような基礎工事。これには知力だけでなく、体力も人格力も必要なのだ。子供の甘さに対峙する厳しさ、愛情ある父性の発露がいるのだ。

                   

                  ステレオタイプの批判として、中学校で成績低位の子が、無理して難関校に合格しても、高校では才能がないからついていけない、大学受験では勝てないという批判がある。「進学校の落ちこぼれ」は悲惨で、ならば普通の高校のトップクラスの方がいいのではないかと。

                  だが、中学生の塾の厳しくてパワフルな先生なら、生徒に自力でやっていく力を与える。先生が身体を張れば子どもは身体で覚える。人格の感化力はそれほど大きい。子供は強烈な人間と出会ったら、強烈さを身につけるものである。中学時代に圧倒的に成績伸ばして「進学校の落ちこぼれ」になるという心配の多くは杞憂に終わるし、たとえ伸び悩んでいても、生徒と真剣勝負をしてきた先生は、高校になってもあらゆる角度から勉強面や心の面を、自然な形でケアしている。

                   

                  最大の利点。どん底から先生の二人三脚で難関校に合格することは、十代の若さで成功体験を手に入れる。これがいかに自信になるか。

                  中学校の時、親からも学校の先生からも無理だと言われながら、逆転した経験が将来どれだけ自信につながるか。僕ならできる、私ならやれる。努力の先に栄冠があることが身体レベルで刻まれる。

                   

                  私も「厳しい塾」とやらの末節を汚している一人だが、なぜ厳しい塾に価値を見出しているか。それは中学時代に叱られ大人と対峙してきた子は、就職活動で抜群に強いからである。もし不本意な進学をしたとしても、面接で強く、大学の偏差値以上の強さを発揮する。

                  高学歴でも大人に対して斜に構える若者が、就職活動で痛い目に合うのは承知の通りだ。「勉強だけできる人間はダメ」なのである。勉強以外の可愛げ、律義さ、真摯さが就活では高く評価される。
                  勉強を通じて、勉強以外の能力を鍛えるのが、厳しい塾の先生が持つ一貫したポリシーなのである。試験の結果は一種の副産物である。

                   

                  中学生時代に厳しく細かい塾に通っていると、いい加減さが消える。授業中の姿勢、細かいノートチェック、繰り返される復習テスト、挨拶礼儀の指導、「聞く力」を持ち大人に愛される、いい加減でない律義な人間に育つ。

                  中学校の友人ならいい加減でもかまわない。だが大人になっていい加減な人間ほど、自分が困り他人を困らせる人間はいない。

                   

                  厳しさが、自由な発想を抑え、個性のない人間を育てるという批判もある。日本にはスティーブ・ジョブズを育てる土壌がないと。だが天才は育てるものでなく育つものである。スティーブ・ジョブズを変人・狂人から偉人にしたのは、彼のアイディアを理解する「聞く」力を持った人々、怒り叫ぶジョブズの無理難題に耐え成果を上げるタフな人々である。ジョブズは育てられないが、ジョブズを助ける人は育てられるかもしれないではないか。

                   

                  厳しい塾の「金八先生」に出会ったら、ラッキーである。

                  女王の全面勝訴。

                   

                   

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                  他の受験生の「赤本」が気になる
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                    私は受験生時代、図書館や自習室の雰囲気が駄目だった。受験生が醸し出す静寂感に恐怖を感じた。家で勉強する方が性に合っていた。

                    大きな図書館や自習室だと、人数の多さが私を圧迫した。
                    100人ぐらいの受験生が一斉に勉強しているピリピリした冷厳な熱気と、カリカリ筆記用具の音だけが立ち込める静粛な空気と、若い体臭がムンムン立ち込める部屋は、私のような神経が細い人間には耐えかねた。

                    また、図書館や自習室に行くと、同年代の受験生が、参考書や問題集はどんなのを使っているのか非常に気になる。
                    他の受験生が自分よりレベルの高い問題集を解いていたら「負けた!」と胃がズキズキするし、逆に基礎レベルの問題集をやっていたら「勝ったね、オレ!」と間違った優越感に浸ってしまう。

                    ある時『英文問題標準精講』を使っている受験生がいた。この本は「原の英標」といって四半世紀以上前からあり、旺文社を大出版社にしたベストセラーだが、フィッツジェラルドの「グレート・ギャッピー」など格調高い文学作品が多く掲載され、難易度が高いのと現在の大学入試問題の傾向に即してないのとで使う人が少ない本だ。私が受験生時代でも「古臭くて難しい」というイメージがあった。

                    この受験生は、英語力があるから『英文問題標準精講』をやってるのか、それとも書店に平積みになっているから偶然買ってやってるのか。前者だったら嫌だなと思いを巡らせた。名匠の名刀を持つこの男は、剣の達人なのか素人なのか。顔を見ると賢そうにもそうでないようにも見える。ピリピリした受験生時代は、同年代の受験生の顔つきまで気になるのだ。

                    あと、同じ問題集を使っている受験生を見ると、まるで同じユニクロの服を着た人間に、街でばったり出くわしたような感じで非常に気まずい。その同じ問題集が、自分のよりボロボロで使い込まれていたら居ても立ってもいられない。激しい闘争心がわく。

                    とにかく図書館や自習室は、ライバル(こっちが勝手に思っているだけだけど)が気になって勉強が手につかなかった。

                    特に自習室で一番気になるのが「赤本」である。周囲の受験生がやっている赤本の大学名は無性に気になる。
                    「こいつ、どこの大学受けるんだろ?」
                    隣の受験生が「東京大学(理系)」などという赤本をやっていたら、吐き気すら覚える。

                    赤本の表紙と背表紙には、大きな大きな字で大学名が書いてある。
                    赤本は真っ赤で強烈に目立つし、そこに「××大学」と大学名が必要以上にでっかく、ゴシック体太字で表紙と背表紙の2箇所に黒々と書かれている。
                    赤本のデザインは、自分の志望大学を隠せない悪魔的なデザインだ。あんなに派手な自己主張の強い本はない。「俺は××大学を受ける人間だ!」と、満天下に誇示しているようである。

                    また「赤本」に限らず、駿台の「青本」は難関大学しか出版していないので、大学名が見えなくても「青本」を持っている時点で「おぬし、できるな」と刺激を受けてしまう。

                    今でも図書館や本屋の赤本コーナーに行くと、受験生が赤本を手にしていると「ちらっ」と見て、「こいつ、どこの大学受けるんだろう」と、受験生時代のなごりと職業病で探ってしまう癖がついている。


                     
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                    こんな大学には行きたくない!
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                      受験生を受験に駆り立てる動機は、もちろん「A大学に入りたい」という具体的な目標、A大学に対する「あこがれ」から発するものである。
                      しかし、滑り止めの「B大学には絶対行きたくない」という恐怖、本番の試験がうまくいかなくて、B大学に行かざるを得ない情況に陥る地獄のような想像が、試験直前の受験生を締めつける。

                      芥川龍之介の「蜘蛛の糸」ならば、糸を登りつめた場所には桃源郷のようなA大学、逆に下には地獄の釜の底のようなB大学がある。
                      勉強で気を抜いたらB大学という血の海に溺れてしまう。そんな追い詰められた心理が受験生を勉強に駆り立てる。
                      B大学の学生になってしまったら人生の落伍者になってしまうのではないか、そんな心理が受験生を奮い立たせる。「どうしてオレがB大なんだ?!」という強い自尊心が、モチベーションを高める。

                      受験生にとって、許容できる大学と、できない大学がある。ある受験生にとっては東大以外は大学ではないし、ある受験生には関関同立未満は許されない。個人個人によって許容できない大学は違う。

                      たしかに「B大なんか絶対イヤだ」とB大を嫌うことは傲慢なのかもしれない。学歴信仰に染まった時代錯誤の馬鹿なのかもしれない。
                      また、A大学が不合格になり、B大学にしか合格できなかったら、A大学に対する思い入れの強い受験生ほど落ち込む。自分のidentityすら失ってしまう。A大学へのあこがれと、不合格になった時のショックは比例する。

                      だからといって逃げ道を用意してはならない。A大学がダメならB大学でいいや、B大学D判定だからC大学に志望を変えよう、そんな気持ちでいるとA大にもB大にもC大にもふられてしまう。

                      「こんな大学には行きたくない!」と、滑り止めの大学を忌避する心理が強いほど、受験生は追い立てられる。最悪の結果を想像し、悲観主義に浸った時こそ、受験生は勝利の女神に接近する。
                      許容する大学以外は認めない「狭量さ」を持つ受験生、自分の存在意義を測る尺度はA大学合格以外にないと思い詰めた受験生の方が、良い結果が出る可能性は高い。

                      受験生は不安や時間の無さに追い詰められ、特に模試の結果が思わしくないと気分が受身になってしまいがちで、理想は押し潰され心の中に自尊心が入り込む隙間が無くなってしまう。
                      そんな時、第一志望だったA大学の姿は霞みがちで、いままで嫌っていたB大学に心が移ってしまう。
                      しかし「B大学でいいや」とB大学に腰を据えてしまうと、砲火飛び交う第一線の戦場から脱出した時のように心はいったん平静を取り戻すが、そんな平静な気分の時に落とし穴は待っている。

                      そんな時は「B大学には絶対行きたくない」というプライドを心の隅から呼び起こす作業が必要だ。
                      B大学を避けている自分はそんなに偉い人間なのか? もしB大の学生になったら自分はただの「プライドの高いバカ」じゃないのか? 自分が「プライドの高いバカ」じゃないことを証明するにはA大合格しかないんだと。

                       
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