猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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せっこつ君
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    14年前私の塾に、小5から中3まで通っていた、ある男の子がいた。
    彼は家が接骨院なので、塾の友人達から「せっこつ君」と呼ばれていた。

    塾にいた頃の「せっこつ君」には、向学心とか、生きる力とか、教師が子供に持って欲しい要素が全く見られず、骨がコンニャクでできている軟体動物みたいにヘラヘラしていて、私は毎日のように彼を叱っていた。せっこつ君の前で癇癪玉を破裂させたことも1度や2度ではなかった。
    せっこつ君の言動は、私の「説教中枢」を刺激した。せっこつ君は私の言葉を、笑いながら柳に風と無言で受け流すだけだった。

    結局せっこつ君は第1志望の高校に不合格になり、瀬戸内海の島にある高専に進学した。その後しばらく私は、せっこつ君と会う機会がなかった。

    ところが数年たって、尾道駅のホームで、偶然せっこつ君と出会った。中3で塾を卒業してから6年経つから、彼は21歳になっているはずだ。

    最初彼の姿を見た時「せっこつ君によく似た若者がいるな」と、他人の空似じゃないかと勘違いした。
    顔の輪郭は中3の時のままだが、中3の時のぼやけた表情とはうって変わって、精悍で浅黒い顔に変わっていた。まるで兵役を終えたばかりの青年のように、引き締まった凛々しい顔をしていた。
    でもその青年は、せっこつ君に違いなかった。

    私は公立高校を彼を不合格にしてしまった気まずさと、大人になった彼の変貌に対する恐怖と、久しぶりに出会う照れくささで、知らない振りして通り過ぎようと一瞬迷ったが、結局懐かしさが勝り、また彼の身体にはどこかフレンドリーな余裕ある雰囲気が漂っていたので、声をかけることにした。

    しかし私が声をかける決断をするより早く、せっこつ君の方から笑顔で「先生」と声をかけてきた。私も「おう」と返した。

    その後懐かしいせっこつ君と電車の中で話した。父親の接骨院を継ぐため、岡山の専門学校に通っているという。
    せっこつ君は滔々と私に近況を話してくれた。

    「先生、オレ今頑張ってるんですよ。今岡山の接骨の専門学校に通ってます。いろいろ学ぶことが多くて楽しいですよ。大学行っても、こんなに役に立つことは学べなかったです。オレこの前、大学の医学部で研究発表する機会があったんですけど、大学生はあまりしゃべれないのに、オレはちゃんと発表しましたよ。大学行かずに、専門学校行ってよかったですよ・・・・」

    せっこつ君の話は尽きなかった。私は聞き役に徹していた。
    彼が教え子だった時代、私を恐れて滅多に話しかけてはこなかった。私にはせっこつ君と対話した記憶がない。話したとしてもそれは、私の方からの一方的な説教だった。
    中学生の男の子は、一部を除いて教師に対して無口な態度を取るのが相場だ。でも20歳ぐらいになると別人のようにしゃべる。今日の電車の中で彼が話した言葉の数は、彼が塾に在籍していた4年間、私に語った言葉の総量を遙かに凌駕していた。

    せっこつ君が大学生を批判する時の宙ぶらりんで真剣な目は、自分の膝に向けられていた。しかし私は彼の目が、私の内面を射すくめているような居心地の悪さを感じた。

    私は彼に中学生時代、勉強を通して力を与えてやることができなかった。彼の表情を凛々しく精気あるものに変えることができなかった。
    それに、同世代の大学に通う若者に対するせっこつ君の非難は、間接的ながら私に向けられているような気もした。私は1人でも多く大学卒の人間を育てるのが稼業の男だ。大学を批判する彼とは、立場も考え方も異なる。

    たしかに、彼の大学生に対する考え方には異を唱えたかったけど、せっこつ君の大学生に対する強いライバル心が、健全な生きる原動力になっていていることが頼もしかった。
    だってせっこつ君は中学生時代、ライバルとか生きる力とか、生臭いけど活力ある言葉とは一番遠い位置にいた少年だったのだ。

    私は話題を変え、せっこつ君に尋ねた「お父さんの接骨院継ぐの?」
    彼は「ええ。親父には迷惑かけたし、もっと学んで一人前になったら継ぎますよ。先生来てね。」と生き生きと答えた。

    せっこつ君は私の批判などしていなかった。それどころか、彼は電車の中でした一連の話の中で、自分の一番良いところを私に見せようとしていることを悟った。
    男が恋人の前で強さと優しさを精一杯アピールするように、悪友に自堕落な部分を露出するように、教え子は慕う先生の前で、最も真面目な部分を向ける。

    せっこつ君は中学時代、私に好ましくない面をたっぷり見せてきた。しかし6年経った今では、自信を持って将来の人生設計や、充実した現状を語れる。中学卒業後6年間、良い部分をたっぷり貯蓄したからこそ、ホームで私に会った時、ためらいなく声をかけてきたのだ。
    教え子が自分の良い面をアピールすることができる教師として、私の存在が機能していることに少し安堵した。

    私はせっこつ君の意を汲み、同時に自然な気持ちで「偉い男になったな」と言った。彼は一瞬顔を硬直させた。彼の生涯で初めて私がかけた褒め言葉だった。

    その後せっこつ君とは電車の中で数回会った。そのたびに世間話で盛り上がった。良い友人ができたと思った。



    さて、しばらく電車でせっこつ君の姿が見えないと思ったら、せっこつ君が死んだという事実を聞いた。
    脳の病気で3ヶ月寝たきりになり、静かにあの世に去っていったらしい。
    「せっこつ君」こと、村上恭之君の冥福を祈る。



     
    | uniqueな塾生の話 | 14:50 | - | - | ↑PAGE TOP
    世界一素直な男・コウタロウ(32)
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      コウタロウはイギリスのロンドンから電車で1時間半、カンタベリーのケント大学にいる。
      留学期間は2014年4月から1年。ちょうど10月で中間地点を過ぎた頃である。
      彼は知的刺激を熟成する閑静な環境で学んでいる。


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       大学の図書館

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      コウタロウが住むフラット
       
      岡山大学アメフト部BADGERSに所属するコウタロウは、イギリスでもアメフト現役選手だ。
      アメフトは作戦が緻密でミーティングが長い。野球なら英語を知らない日本人選手がメジャーに行っても、極端な話、ただ腕を振って投げ、バットを振り回すだけで戦力になるが、アメフトは連係プレーが大事だから語学力がなければチームプレーができない。
      彼はアメフトで身体と英語力の両方を鍛えている。


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      アメフトのコーチと。
      岡大アメフト部BADGERSのTシャツを着て


      コウタロウは食物アレルギーだが、なぜかイギリスで太った。イギリスの食べ物の評判は良くないが、アメフトに合う身体づくりと筋トレで、逞しくなりつつある。


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      イギリスのソーセージ。おいしいのかまずいのか、味が想像できない

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      ピリピリチキン。これは美味そうだ

      また、1年前は日本の「スパルタ塾」で坊主に刈って猛稽古に励んでいた男が、イギリスの自由な校風で長髪をエンジョイしている。コウタロウは中学生時代、60年代の少年みたいな坊ちゃん刈りだったが、長髪にすると学生運動真っ只中である70年代の『いちご白書をもう一度』みたいな風貌になる。



      左・島の「スパルタ塾」で「束縛」され猛勉強(2013年8月)
      右・イギリスの大学で自由をエンジョイ(2014年8月)
       


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      プレミアリーグ観戦

      イギリスに旅立つ時、私は彼に「イギリスから学ぶのもいいが、逆に日本の良さをアピールしろ」と言葉をかけたのだが、彼が論文のテーマに選んだのは「天皇制」と「捕鯨」である。
      ケント大学には中国や韓国やタイなど、アジアからの留学者も多いので、議論に花が咲くことだろう。



      中国の杜君と。彼は初講義にビール持参で来た強者らしい。中国共産党の幹部の権力闘争に勝ち抜きそうな面構えだ。「日本の善良な若者」であるコウタロウと対照的。

      コウタロウは留学で文章力が格段にアップした。私は彼に自著『難関私大・文系をめざせ!』の感想を求めた。弱点を抱えたままでは嫌なので、鋭く悪い箇所を指摘してほしいと頼んだところ、こんな返事がきた。
       
      ※※※※※※※※※※※※
       
      イギリスの大学では、常にcritical thinking を求められます。
      何か文献を読むとき、筆者の立場は中立かどうかの判断は必ず注意リストの最初に来ます。
       
      このメールの場合、筆者(コウタロウ)は先生の元で高校時代を過ごした1人なので、以下の箇条書きは大いに主観的なものになります。
      従って、”弱点を抱えたまま”という状態を改善出来るかどうかは不確かです。
       
      ・見た目の分厚さからは想像できない程、読み通すのにストレスが無い。(thanks to 見出し,比喩,リアリティー)

      ・ページ数と編集者の意見に左右される面が大きいと思いますが、社会に割くページ数が物足りないかなという気がします。先生も我慢して削られたのではないかと推測します。かといって具体的に何を加えればいいかはアイデアが無いです。

      ・浪人してもいいから難関私立に行くべきだとか、現代文には好みがあるからこの1冊というものは決められない、本音に溢れている

      ・実際のプリントや壁を写した写真は親近感を抱かせると思います。先生手書きの挿絵も実際の板書みたいで好きです。

      ・整序問題でのExcelの使い方を筆頭に、参考書や勉強法を紹介するだけでなく、手順まで隠さず示してある。

      ・比喩が豊富。年代、ジャンルともに幅広 い。(現代文のキノコ採りは慣れ親しんだ言い回しで笑いました。”シャベルで脳みそまでえぐると墓穴も掘る”は爽快です。)

      ・単語力をつけずにリスニングを上達させる→ユーモアexcellent

      ・明治の奨学金プランがHPに掲載されている例のように、リサーチに裏付けされている。

      ・古文「読み解き古文単語」は実際にはあまり使わなかったなと、超個人的に思いました。音読の大切さを英語と同じように示すための本として言及されたのは理解できます。

      ・Excelの整序問題(単語カードの代替法が示してある)や小論文の添削は、近くに頼る人のいない、特に宅浪生を不安にさせる?
       
      Twitterでも言っている人がいましたが、経験に裏付けされている勉強法なんだなというの が、痛いほど伝わってきます。
      実際の例やリアルな描写が、読者の高校生、浪人生に「俺もやってやろう」という気持ちを抱かせるでしょう。
      語調が固くなく、勉強法についての講演を聞いているというか、塾で直接話を聞いているような気分になります。
      あとがきで書かれているように”3Dで浮き出る強い文体”、その熱量がこの本を必要としている人には調度良い熱さだ、というのが全体を通しての感想です。
       
      ※※※※※※※※※※※※
       
      イギリスで、筋道が立った文章を学んだ痕跡が、明確に表れている文体だ。
      年長者から書いた本の感想を求められ、きちんと満足のいく返答を用意することは難しい。最高に気をつかうシチュエーションである。ほめ過ぎると媚びへつらいになり、率直過ぎても角が立つ。コウタロウの文章はそのあたりのバランス感覚が素晴らしい。


      教材.JPG
      コウタロウが使っていたテキスト

      ところでブログの記事を書くにあたり、コウタロウに英語で近況を文章にしてほしいと依頼した。
      すると、「雨」がテーマのエッセイが返ってきた。


      シャワー.JPG

      イギリスの雨は、今も昔も日本からの留学生を困らせるらしい。100年以上前に英国留学した夏目漱石は日記にこう書いている。
       
      英国で雨が降っても街の賑さ興行者の入りは同じ事である。日本人は雨を恐れる。これは日本は天気の好い日が多いのと、日本の衣服が雨で損ずるのと、日本の道路がむやみに悪いのと、それから足駄をはかねばならぬからだろう。
       
      雨で損じる衣服、悪い道路、足駄はもはや日本からほぼなくなりつつあるが、日本で雨は「異常」で、イギリスでは「正常」であるという天候のちがいは変わらない。
       
      コウタロウは、イギリスの雨天事情を英語でこう書き記した。
       
      Enjoy ‘’lovely’’ weather

      As you know, we have a lot of rain in UK; it rains 5 days a week. When I wake up in the morning, I often find the road around my house wet. In addition to rain, daylight hours are getting really short as time goes.  That’s why foreign people who are not familiar with weather here are likely to feel depressed in winter.  That also brings a trouble when I play American football. Balls became so slippery with water that I cannot catch the ball in the way I want. And I have to wash my dirty clothes after practice in the rain and it cost £4 each time. Above all, it is enough cold for someone to get injured easily.
      However, we are not able to control or change the weather. I found a sentence in Facebook by my senior teammate; he says ‘’I like rain as no one can see my tears.” He has lived in Kent for 21 years, so he knows how to get along with the weather. People says “Enjoy the lovely weather.” at the end of a lecture, seminar, social and club activities. Although I am not sure whether it is their real feelings or an ironic joke, that phrase may be a spell British people made who got bored with the weather.
      I promise I will make the best of such unfavourable weather.

       
      第2パラグラフは、雨の話でありながら、雨の話ではない。
      最後の一文「僕はどんなに悪い状況であっても、絶対にへこたれないと約束します」という言葉を、彼は19年間守り抜いてきた。今後も約束を破ることはないだろう。

       
      私の新しい本『センター前ヒット センターでコケない68の法則』の表紙は、困難に立ち向かうコウタロウの姿をコウタロウが書いた。
      口元には、断固たる決意がある。

       
      | uniqueな塾生の話 | 12:41 | - | - | ↑PAGE TOP
      島の塾で育った「熱い生徒」
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        尾道から向島へ行くフェリー

        「しまなみ海道」の熱い塾「US塾」では、自称熱血講師が、素朴で個性的な塾生を、都会へ海外へと送り出してきた。
        私は18年前、島の子供たちと出会った。「ウルルン滞在記」のような、涙の出会いがあった。「ウルルン滞在記」は、番組の最後に旅人の青年は素朴な子供たちと別れてしまうが、私は島に居座って塾を続けた。
        私が人生を変え、私の人生を変えた個性的な子供(といっても今は立派な大人だが)を5人紹介したい。彼らは「親未満、教師以上」のスタンスで鍛え上げた。泣かしたことが何度あったか。厳しい塾なのに、笑顔を忘れずよくついてきてくれた。感謝する。
        瀬戸内海で獲れた、ピチピチの天然鯛のような若者を、都会へ、海外へ産地直送するぞ。


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        ●CASE1 アンパンマンK君
        小3から高3まで10年間、塾に通った子。家はみかん農家。瀬戸内海の太陽を浴びて育ったみかんが、人間になって化けたような素朴な子。物怖じせず、明るい性格。顔がアンパンマンにそっくり。母子家庭に育ちハングリー精神抜群で気が強く、橋下徹大阪市長にどこか似ている。自己主張が強いのに愛される、得な性格な男である。
        真っ暗な島の塾で、深夜3時まで猛勉強をして、大阪大学工学部に入学。大学では弱小テニスサークルを強くした。どこに行っても主役で、まさに「MRリア充」
        現在、横浜の大手企業で働いている。将来、日本経済を牽引する能力の持ち主

        ところで、アンパンマンK君のブログ記事をいくつか紹介したい。
        講師の私が書いた阪大合格体験記 K君が書いた合格体験記 
        あ、それから大学1回生の時、私といっしょに中国・香港に行った旅行体験記も載せておこう。私は塾OBと国内海外問わず旅行へ行くのが趣味である。
        「経済特区・深センの店でタフな中国人と値段交渉」 (1) (2)

        あと、香港ではグルメ三昧だった。「北京ダック初体験記」 (1) (2) (3) (4)




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        ●CASE2 マスオさん的風貌の福ちゃん
        向島で、おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられ、愛情をいっぱいに受けて育った子。小さい頃は、おじいちゃんの膝で水戸黄門を見ていた。物腰は柔らかく、マスオさんや逸見政孝に似ている、草食系眼鏡男子の典型。
        中1から通塾。中学高校時代は、英語が大の苦手。高3の最後の偏差値は42。だが、同志社大学に行く夢を捨てきれず浪人。朝10時から夜10時まで、頭をサッパリ丸坊主にしてスパルタ特訓。修行僧みたいに英語を音読し続ける。ソフトな風貌の中に、鋼の根性を持っていて、私の苛烈なしごきに耐える。
        夢がかなって同志社大学政策学部に合格し、京都に住む。一人暮らしの部屋には亡くなったおじいちゃんの介護用ベッドがあり、福ちゃんはそのおじいちゃんの形見のベッドで寝ている。
        現在、発展途上国に家を建てるボランティアをしている。フィリピン・スリランカ・タイ・ラオス・モロッコ・韓国などを飛び回る。島の子が地球儀にダイブし、世界地図に飛び込んだ!

        ブログ・福ちゃんのスパルタ浪人生活 (1) (2) (3) (4)




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        ●CASE3 平成の火野正平・スグル
        向島のヤンチャ坊主。小6から高3まで塾に通う。わが塾のボス的存在。字が汚く、行動はメチャクチャで、どこの学校に行っても先生を困らせた。しかし、とてつもない可愛げがあるので誰からも愛される。
        高1時代の、最初の模試の成績はビリ。私はマジで言葉を失った。でも、野球部と両立しながら、ビリから這い上がって、立命館大学に現役合格。奇跡だといわれる。表では勉強しているように見えないが、裏の努力は半端ない。苦手な日本史を克服するために、センター直前は「書き込み教科書」を書きまくった。
        ただ、弱点(長所?)は女の子が大好きなこと。猿顔なのにもてる。俳優になったら竹中直人よりうまく秀吉を演じられるかも。つきあった女の子は。大学2回生なのに11人。「平成の火野正平」と呼ばれる。
        将来の志望は体育の先生。日本の教育王をめざせ!

        ブログ・「平成の火野正平」スグル (1) (2) (3)





        アメフト写真1.JPG 
        ●CASE4 日本一素直な男・コウタロウ
        稀代の努力家。誰もが自分の息子にしたがる男。中1から6年間通塾。塾の自習室には、いつもコウタロウの姿があり、塾生の生きた手本を貫いた。
        小さいころからアトピー・アレルギーで苦しむ。中国に漢方治療に出かけたほど。だが、米も肉も食べられない状態から、小中高とサッカーを続け、現在はなんと岡山大学アメリカンフットボール部に所属。食事のハンディも順調に回復中で、いまではラーメン屋で替え玉をしすぎて、店員さんに嫌な顔をされるほどに。熊みたいな体になりつつある。お母さん・お父さん・お医者さんをはじめ、周囲の人の愛情の賜物だ。
        私が書いたブログ「日本一素直な男・コウタロウ」は、全30回・原稿用紙500枚の大作。成績優秀・性格抜群だが、どこか「のび太」のように抜けたところがあり、そこがいい。私とは「無能なドラえもん、賢いのび太」のような関係。
        4月からイギリス・ケント大学に1年間留学。将来は政治家・ジャーナリストをめざす。

        ブログ 日本一素直な男コウタロウ 第1回 最終回




        o047805001297444085363.jpg 
        ●CASE5 ビジュアル系ギタリスト・ピロ君
        小4から塾で学ぶ。中2のころからLUNA SEAにはまり、ギター少年に。高校は進学校に進むが、大学受験には見向きもせず、高校卒業後、1年間地元で資金を貯め上京。
        顔は魔裟斗やマー君に似ているが、ビジュアル系。ギターの腕はかなりのもの。高校時代は黒髪で、「ふつう」の格好をしていたが、いまでは金髪に化粧。島に帰ってきたら、奇抜で派手なスタイルに誰もが振り返る。
        ロックスピリットを持った熱い男で、私と一番喧嘩した男。「お前みたいな意識で、東京で成功できると思ってるのか!」「あんたみたいな大人にはなりたくない!」などと、何度激しい口論をしたことか。
        いまも東京で、人生に迷いつつ頑張っている。反骨心を忘れるな

        ブログ ピロ君とギター (1) (2) (3)



        あと、スーパーの店員をしながら2浪して東大に入ったあっちゃん
        昭和天皇みたいな風貌の京大生サトシ君
        わが塾は開設当初1人しか生徒がいなかったが、そのたった1人のU君
        そして、夭折したせっこつ君

        みんなThanks!

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        向島に着いたフェリー。本土から5分の航海

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          岡山大学アメリカンフットボール部BADGERSのプリンス 背番号7

          コウタロウシリーズ最終回。コウタロウ自身が書いた文章を掲載する。前回コウタロウが書いた、高3の大学受験編はここに掲載している。今回はコウタロウが一橋大学に不合格になった時点から話がはじまる。大学1回生の1年間を記録したものだ。19歳の若者の生き方が、読者の方の力になっていただけたら嬉しい。
           

          「山頂から見た雲海が最も感動的でした。雲海のように真っ白い素直な自分というキャンバスに、貴校での3年間で大きな絵を描きたいです。」
          これは高校入試の面接の時に僕が面接官に向かっていった言葉である。微塵の恥ずかしさもなく言い切った僕は、高校3年間で真っ白なキャンバスに絵を描く準備期間を過ごした。そして大学に入学した僕は、さらなる激動の青春を経験することになる。
          航太郎という名前は簡単に言うと将来大海原に向けて航海に乗り出してほしいという父と母の願いに由来している。航海には羅針盤が必要だ。中世、大航海時代は羅針盤が発明されたことによって始まった。僕はUS塾で正確な羅針盤を体の中に組み込んだ。
           
          岡大入学までの経緯
          僕が高校時代、一橋を目指そうと心に決めたのは塾にあったダイヤモンド社の『大学図鑑』を読んでからだ。『大学図鑑』には各大学の特徴が本音でかつ親しみやすい言葉で書いてある。西日本にいると一橋大学の知名度は低い。名前を聞いたことはあるが社会科学系の超難関国立大学であると認識している人は少ない。だから地方の公立高校にいる僕が1年生のころから一橋大学に興味を持ち、第1志望として目標設定できたことが、どれほど価値があったか計り知れない。

          私立大学は立命館と同志社、中央大学全てに合格。結局、本命の一橋大学は前期試験で不合格となり、後期試験で岡山大学に合格し、どこの大学に進学するか決めかねていた。世間一般的には法律学の名門である中央大学に進学するのが妥当な判断である。だが一橋に合格しようと一心不乱に勉強した結果、アトピーがひどくなっていた。家族には、このままの状態で東京に行って一人暮らしをするのは難しいので、自宅から通える岡山大学に進学し、まずは体を“ふつう”の状態に戻すのが優先だと説得された。もしかしたら症状が悪化するかもしれないので浪人の選択肢は無く、3年に上がるときに編入できることも考えると岡大がますます現実的になってきた。

          体を根本から治すには飲む水、食べ物、服、洗剤、など生活を取り巻くあらゆる面に配慮しなければならない。水には特に父と母が気をつかってくれた。僕が小学校の時には、片道3時間かけて島根まで体に良いといわれる水を汲みに行っていた。現在も水には格別のこだわりがあり、飲み水、料理に使う水は成分の良い湧き水だ。慣れない土地での一人暮らしでは、そこまでの配慮を徹底することができないとの判断が根拠だった。
          どんな活動をするにしても健康な体あってのことだと、家族の意見に納得しようと自分に言い聞かせた。いま治しておかなければ将来働き始めたとき不自由を感じるかもしれない。安定した生活を手に入れることの方が、今の僕にとっては重要だと思った。最終的に岡大に入学することを決意した。
           
          ある日、母は知人に僕の名前を占ってもらったそうだ。それによると、僕の人生は最初苦しいが大学を出た後はパラダイスのような人生、と言われたことがあるらしい。これは都合のいい話だが、一橋大学を受ける前から僕は頑なにこれを信じていた。大学を卒業した後パラダイスのような人生を送るには一橋が最適だ。高2年でオープンキャンパスに参加した時からこの感覚は揺るがなかった。だから、僕は一橋に合格することができる、と思い込んでいた。ところが大学受験を終えて、自分は岡大生になっている。パラダイスに近づくどころか遠ざかっている。自分置かれている状況と気持ちが一致していなかった。


          岡大入学式.JPG
          岡山大学入学式

          岡山大学の入学式の日、僕はFacebookに“岡大の入学式が終わった。もうすでに7日、岡大の敷地に足を踏み入れたが、いまだに門を通るたびに悔しさが腹の底からこみあげてくる。でも今日をきっかけに前向きになれた!気がする。往復2時間の通学時間、バイト、サークル、旅行等々、上手く活用すれば俺はいくらでも覚醒できるはずじゃけぇ!”と書いている。
          確実に無理している。思ってもないことを書いている。覚醒できるとは書いているが、だれにも負けない吸収力と旺盛な好奇心を兼ね備えている僕の場合、東京に進出したほうが覚醒できるに決まっている。自分のポテンシャルを体の芯から理解しているからこそ、岡大の門をくぐっているのが屈辱だと感じた。
          僕と同じように第一志望ではない大学に進学することになった人は多くいるだろう。だが僕の場合、体のことを考えて大学を選択した要素が大きい。浪人も諦めた。妥協とは言いたくない。妥協とは言われないようにするために僕は成長し続けようと決めた。
           
          「地方の勉学より都会の昼寝」というが、その通りだと思う。
          入学式当時はリアルな実感は無かったが、夏休みに東京や京都、大阪に進学した友人が帰省してきた時には、高校時代にフィヨルドの崖の上と下にいるぐらいの差があっても、油断しているとすぐに追いつき追い越される危機感を抱いた。都会に出た学生は荒波にもまれながら鍛えられ断崖をもよじ登る力をつけていた。会食の席で話しても語彙は豊富になり押しの強さも増していた。活動の選択肢が圧倒的に多く、自分から刺激的な環境を探し回らなくても、自分の能力以上の力を必要とする環境が手に入る。そうして力をぐんぐん伸ばしていく。
          僕にとって一番苦しいのは、現状に甘んじ妥協を許容しなければならないことだ。向上心があるのにチャレンジさせてくれない環境に身を置いておくことが最も精神を蝕むのだ。

          アメフト部入部まで
          僕はオープンキャンパスや受験で一橋大学を訪れた時に、都会の洗練された空気を身をもって感じていたので、地方の国立大学特有のぬるい雰囲気の中に身を置くのは危険だと感じた。長風呂した時のように体から油が抜けすぎ、しかも微妙に居心地がよく、ふやけてしまいそうだった。
          大学に入ってからはサッカーサークルで適度に体を動かしながら、バイトでためたお金で旅行をしまくる生活をイメージして大学に入学した僕は、幾つものサッカーサークルの新歓に行った。だがそこは向上心が弱く、求めるレベルが自分の欲しているものではなかった。仲良こよしの球蹴りだと感じた。こんなところに身を置いていては運動をして体から老廃物を排出するどころか、ストレスをため込んでしまう。自分が所属するべき環境はサークルの中に見当たらなかった。
           
          そんな危機的な状況から僕を抜け出させてくれたのが、
          岡山大学アメリカンフットボール部BADGERS(バジャーズ)だ。活発に動き回るための酸素を与えてくれる場所だと直感的に感じた。BADGERとはアメリカアナグマを意味する。アメフト部創設当初所属しておられた先輩が不幸にも試合中の事故で無くなられた。その方は、体は小さいがすばしっこく何度倒れても立ち上がる強靭さを持っていたそうだ。その方にちなんで小さくても果敢に相手に立ち向かうアメリカアナグマがチームのニックネームになっている。僕はこのエピソードを聞いて自分と重ね合わせた。僕は、体は丈夫ではなくても執念で果敢に生きてきた。
          加えてBADGERSのスローガンはchallenge on だ。挑戦し続けるという意味のこの言葉は大学受験の失敗に縛られていた僕を前に進ませてくれるものだった。挑戦し続ける姿勢は当時の僕に一番必要な姿勢だった。
           
          岡山大学アメフト部BADGERSに入部することを決心したのは、新歓行事として行われたパーティーが契機だった。先輩の家で鍋とたこ焼きをすることになっていたのだが、卵アレルギーの僕は生地に卵を混ぜるたこ焼きは食べられないから、鍋だけを食べようと思っていた。
          ところが予想外の出来事が起きた。4回生の先輩が、僕が卵を食べられないと知って卵を生地に混ぜずにたこ焼きを作って下さった。僕は嬉しくてたまらなかった。「卵なしのたこ焼きも意外とおいしいな」と先輩が笑顔で言ってくれた時は誇張ではなく泣きそうになった。入学前は大学に入ってまで部活をやる気なんてさらさらなかったが、待ち望んでいた居場所をやっと見つけたと思った。
          BADGERSで人のために泣けるようになりたい。自分が負けたのが悔しくて泣くことはあるが、仲間を勝たせてあげることができなくて泣いたことはまだない。今いる環境は本当に汗臭く、男臭い。泥まみれで練習し体を痛めながらも執念で勝利を目指すアメフト部は自分に最適だ。共に食って吐き、寝、体をぶつけ合って、血を流した仲間と泣きながら抱き合いたいと思う。
           
          イギリス留学を決心
          僕は知らない土地への好奇心が強く、暇なときは地球儀や地図帳、地理の資料集を見たりしていた。NHKの「世界街歩き」は大好きな番組の一つである。岡大に入ってからは、外に出たいという思いがますます強まった。
          入学式前の説明会の時に、学部時代に留学を経験した男の人がアメリカの大学院に進む予定だと言っていた。一人だけ醸し出すオーラが違った。他を寄せ付けぬ雰囲気をまとっていた。彼は岡大への進学がそもそも不本意であったうえに予想よりも勉強が辛かったので、一刻も早く岡大から離れたい一心で留学したという。
          この話を聞いた時、僕の大学時代のビジョンに留学が浮上した。大学に入ってから旅行をたくさんして多くの国を巡ろうと考えていた僕にとって、留学は受け入れやすいアイデアだった。
           
          だが、留学は華々しいイメージがあるが、つかみどころのない話だ。大学に入ってから留学の宣伝は多く耳にするが、どれくらいの費用がかかるのか、どれくらいの英語力が要求されるのか、全体像が把握できない。それが少しだけ具体的なビジョンに変わってきたのは、5月末に大学でケント大学交換留学説明会が開催されてからだ。IELTSかTOEFLで一定基準のスコアをクリアしていることが応募条件で、その後学部の成績や学校生活を踏まえて面接で選考されるというものだった。
          岡大にはほかにも多くの留学制度があるのだが、ケント大学への留学は法学部が独自に結んでいるものであり、岡大の授業料だけで留学でき、選抜されれば必ず50万円の奨学金がもらえる。留学先で取得した単位は岡大での単位に読み替えられ、必ずしも留年しなくても卒業できる。この条件はかなり魅力的だった。


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           イギリス・ケント大学図書館

          留学に向けての勉強
          留学を笠見先生に切り出したのは大阪旅行中だった。難波にあるジュンク堂書店に行った際に、留学に関する本を見てみたいと先生に言った。先日大学でケント大学交換留学説明会が開かれ、それに興味を持っていること、TOEFLはSpeakingがパソコン相手でWritingもパソコンでタイプしなければならのに、IELTSはSpeakingも生身の人間相手でWritingも手書きなので、TOEFLよりも点が取りやすいのでIELTS受験を教授に勧められたことなどを話した。その時点では、切り出した僕はもちろん先生もIELTSに関する知識は全く無く、とりあえず勉強するのに不自由の無さそうな量だけの本を買っていただいた。

          留学メンバーに選ばれるための勉強がはじまった。
          高校1年生の時にシス単を徹底的に暗記して、スタートダッシュに成功したことに倣って、まずは留学レベルの単語を暗記することになった。題材は旺文社『TOEFLE3800』。大学受験で使ったシス単とはレベルが違い、何度繰り返しても、模擬テストを自分でやってみても合格点の9割には届かなかった。できなかったら坊主にするという条件も付いているので何としてでも合格したかった。決して先生は妥協を許さなかった。僕がどんな厳しい状況に置かれていようとテストはテスト。僕は行き返りの電車の中で睡魔と闘いながら懸命に暗記した。部活で体力を消耗し、本当なら帰りの電車で寝たいところだが、目を擦りながら暗記し続けた。講義と講義の間もほとんどの時間を単語暗記に費やした。ハードな日々が続いた。そして何とか期日までに単語テストには合格した。 
          テストに合格はしたものの、坊主がかかった単語テストと同レベルの緊張感を維持するのは難題だった。そんな時、先生は僕に坊主にすることを提案された。
          僕の髪を刈ることは先生にとっても勇気のいることだったに違いない。坊主の提案は、なりふり構わず泥臭く留学を勝ち取ろうという先生の覚悟の現れだと読み取った。勝負しよう。先生についていこうと決意した。僕は一瞬躊躇したもののすぐに「はい。します。」と言った。

          ハードな生活をしていたのは僕だけではない。先生は何としても留学を成功させたいと教材の研究や作成、過去問研究に現役の塾生よりも多くの時間を僕のために使っていただいた。先生は信じられないくらいの強靭な精神な持ち主でいらっしゃる。体力的にどんなに苦しくても、そのそぶりを生徒に見せない。見せないそころか生徒を鼓舞し緊張感を高める。巧みに雰囲気を作り出される。
           

          留学の勉強が最もハードだった7月、僕はQB(クウォーターバック)に指名された。アメフトのQBは攻撃の起点だ。まずはパスが投げられなくては話にならない。塾で先生が凛とした雰囲気を作り出すように、QBは攻撃陣でチームが勝てる雰囲気を作っていく。常に冷静さを保ちハドルと呼ばれる作戦会議ではで見方を統率する。相手守備とのだまし合いに勝つためには、チームの状態を完全に理解し、相手の情報もインプットされてなくてはならない。相手のプレッシャーに耐える精神と技術、身体能力が要求される。QBとしてチームに貢献できるように、もっとアメフトに時間を割きたいという葛藤も当然あった。だが俺が先生の執念に負けるわけにはいかないと気持ちを奮い立たせた。
           

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          小5・サッカー少年時代 背番号7

          慶応受験の決心
          留学の勉強をしている最中、先生が慶応大学の魅力を語る一連のツイートをされた。僕のiPhoneには慶応についてのツイートが大量に流れてきた。ツイートは万人向けに書くものだが、このツイートは僕個人に向けたメッセージだとひしひし感じ取った。コウタロウには大学を卒業した後も、向上心を折り曲げてまで現状に甘んじる苦しみを味わってほしくない。だから何としてでもより高いレベルに身を置ける慶応大学に行ってほしいという感情が文章から伝わってきた。先生は留学の勉強を始めた6月から慶応大学の受験を意識されていたそうだ。慶応大学受験は交換留学生に選ばれなかったときの一発逆転の手段だった。最初からIELTSにも慶応にも対応した教材を選択し勉強方法を決められていたことをこの時初めて知った。
          ツイートを読んだときは、慶応に行きたいという思いがある反面、失意の中の僕を救ってくれたBADGERSを離れたくないという思いが交錯した。今回ばかりは先生の意向に反して慶応受験は断ろうと真剣に考えた。先生の言うことは絶対で、素直についていけば必ずうまくいくと信じてやってきた僕が初めて先生の考えに従うことを渋った瞬間だった。
           
          数日間悩んだ。
          仮面浪人生活でストレスが溜まっても、アメフトで汗を流せばアトピーが再び悪化する心配もない。もし受験に失敗したとしても、自分の向上心と執念をぶつける岡大アメフト部BADGERSという場所が自分にはある。気持ちの余裕があったのが現役時代との違いだ。
          慶応に行ける可能性があるのに受験を自分から諦めて、将来の選択肢を自ら狭めることだけはしたくなかった。先生と僕が一心同体となって戦えば、大学の講義にほぼ出席し、かつ週5で部活をしながら慶応に合格するという、はたから見れば無謀なチャレンジでも成し遂げることができると信じていた。先生の僕に対する情熱に応え本気で勉強する最後の機会だと思い、自分の実力を試してみようと思った。
          岡大アメフト部BADGERSのスローガンChallenge on 。これは僕に慶応受験を勧めているようにも思えた。チャンスがある限り挑戦を続けろと僕に訴えかけていた。結果がどうなろうと挑戦した経験は決して自分にとってマイナスに働くことは無い。様々な可能性を考えた結果、僕は慶応大学を受験することを決意した。
           
          慶応受験を決めてから
          世界史を勉強するときは、資料集や世界史小辞典、他の様々な資料を見るのが面白かった。
          現役の時は一橋に特化した勉強だったので、慶応の世界史を勉強するとなると知らないことばかりだった。逆にその分、先生が選定した教材をこなしていくうちに知識を吸収していくスピードがとてつもなく速かった。先生の立てた作戦は僕の特徴に完全にフィットしていた。
           
          英語の時間は楽だった。IELTSの勉強がどれだけ偉大であったかが理解できた。なんと慶応の英語がスラスラ解けるのだ。何度か時間配分を失敗して、最後の長文にほとんど時間が残っていないことがあった。仕方なく超速読でポイントだけ拾い問題を解くことにした。全体の意味だけ取って選択肢を見る。スケルトンの競技をしながら金貨だけを拾う感覚だ。時間が無かった分、点数は低いだろうから落胆する準備をして点数を見ると、かなりとれている。英語力が現役の時と比べてはるかに伸びていることを実感できた。
           
          小論文の練習は正直苦痛だった。やる前は鍛えれば伸びると思っていたが、浅はかだった。
          慶応の小論文は文章が人より多少良く書けるくらいで、知識の欠陥を補完できるほどたやすいものではない。自分が書く小論文の文章には絶望した。全くインパクトのあるものが書けない。薄い言葉の羅列に過ぎなかった。何を言っていいのかが分からない。アイデアが無いから、中身のない文章に終始してしまう。書いているときは氷の張った湖上を優雅にスケートしているようであるが、読み返してみると実は氷は薄くそのまま水中に落ちてしまう感覚だった。インプットが足りていないから書けないのは当たり前。大学に入学してから先生に大量の本をいただいて、いろいろとものを考えるようにヒントをくださったにも関わらず、それをやらなかったせいで書けない。「お前が大学に入ってから濃い経験をしていないからだ。」という先生の言葉が身に刺さった。


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          夏の猛勉強姿。髪型もTシャツも気合抜群

          イギリス留学決定
          10月下旬、僕は留学生に選ばれる自信満々で面接室に入った。面接官は大学の若い教授2名だった。面接室には留学申込書とおぼしき書類が10通ほどあった。面接の最後に課された、英語で自分のどのような科目を学びたいかを語る試験での出来が良くなかった。日本語の面接は順調に進んでいたのに、IELTSのSpeakingの試験の時よりも喋れなかった。
          11月30日、法学部の掲示板に、「以下の学生をケント大学に派遣することを決定いたしました。」という表示があった。もし交換留学生に選ばれなかったら慶応まっしぐらだと決心がついていた僕は、一橋の合格発表の時のように番号を見るのを躊躇することは無かった。
          自分の学生番号があった。

          この喜びを先生にいち早く伝えたかった。すぐさま先生に電話した。電話先で先生は泣いて喜んでくださった。最高の結果を先生に伝えることができて心の底からほっとした。
          塾に伺い改めて留学が決まったことを報告した。少し楽観的な僕に対して、先生は職業柄最悪のシナリオを考える。先生は留学の勉強を教えた事が無く、半ば諦めていたそうだ。先生は僕に関する不安から完全に解放され、体調が安定しているという。
          大学受験の時から先生には心配をかけ続けてきた。僕のせいで体を壊してしまったのではないかと思うほど、僕のために時間と精神を削っていただいた。申し訳なく思う。
          面接で判断すると僕は確実に落選していたであろうが、それでも選ばれたのは、教授が僕の伸びしろを感じて下さったからだと思う。アメフトをしながら試験で高得点を出したことも評価されたのではないかという気もする。
          制度が始まって4年目。僕が初めての男子派遣生だそうだ。
          後日談になるが、担当の教授のところに伺った時に、志望理由書が評価されていたことを聞いた。意思や考え方はしっかりしている。ここでも笠見先生に鍛えられた文章力が活きた。
           
          留学が決まってから
          昨年、岡山大学アメフト部BADGERSは関西リーグ3部に所属していた。関西リーグ1部には関学や立命館、京大といった強豪が揃っている。留学が決まったのは11月末。その頃岡大アメフト部BADGERSは関西リーグ3部と2部の入れ替え戦に向けたトレーニングの真っ最中だった。今年のチーム目標は来シーズン2部で戦えるチームを作ることだったが、その目標をクリアするにはまず入れ替え戦に勝つことが重要であった。今年の4回生は人数が多く、それまでの練習より気合が入っていた。
          1年生QBの僕は全体の合わせの練習に入ることが少なくなり、チームと同レベルの情熱を維持することが難しくなっていた。淡々とメニューをこなしているだけで、自分で考えることも減り、時間が過ぎるのをただ待っている状況だった。だから入れ替え戦でチームが勝った時も心の底から喜び笑っていることはできなかった。
           
          だが、春休みにアメフトに対する意識を変革する出会いがあった。
          岡大ウエイトトレーニング部のキャプテンで、ボディービル、パワーリフティングにおいて全国大会で上位の成績を収められた4回生の先輩との出会いだ。その方に「アメフトで圧倒的な結果を残して岡大を牛耳る男になれ。」と言っていただいた。4日間のほとんどの時間をその方と過ごしたが、誇れる実績と豊富な経験は自信をもたらすことが分かった。
          僕は大観衆の声援を受けながら試合をしたいという夢を抱いた。岡大に近く20000人収容のKANKOスタジアムのスタンドが大観衆で埋まり、チームカラーの赤に染まっている。応援団の図太い声とチアの高い声がスタジアム全体を盛り上げる。迫力あるアメフトの試合はルールが分からない素人が見ても選手の気迫が伝わる。観衆も日常生活で発散できない苦しい気持ちを選手とかぶせながら、自分も一緒に戦っているような気持になる。そして最後にはスタジアム全体で勝利に歓喜する。アメリカンフットボール部バジャーズが岡大を盛り上げる。僕が在学中にこの夢を実現できるように挑戦を続けたい。


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          岡山KANKOスタジアム

          アメフト京大合宿
          アメフトに対する意識改革の大きな転機になったのが、京大合宿である。
          3月8、9の一泊二日で、BADGERSは
          京都大学アメリカンフットボール部ギャングスターズと合同合宿を行った。京大は関西リーグ1部に所属し、昨年はリーグ戦で立命館大学を破った。日本一の経験もある強豪だ。合宿に参加する前は、実績などから見て全く歯が立たないと想像していた。しかし、実際は通用する部分もあるなと感じた。とはいってもアメフト部という一つの組織全体を比べると圧倒的な差がある。
           
          京大農学部のグラウンドに到着した。一面に人工芝がきれいに張り揃えられた人工芝のフィールドが目に飛び込んできた。これなら擦り傷、切り傷の心配はしなくていい。しかもサッカーのスタジアムに設置してあるようなオーロラビジョンまでついている。こんな整った施設で練習しているのかと、羨ましくなった。
          京大には人工芝のグラウンドに加えて、さらに充実した施設が整っている。4階建てのクラブハウスだ。京大アメフト部のニックネームはギャングスターズであるが、選手は自分たちのことをギャングと表現する。外観はまさにやくざの事務所のようだ。
          この施設には風呂、毎日の朝晩御飯を食べる食堂、トレーニングルーム、試合や練習のビデオが蓄積してある資料室、対戦相手を研究するための分析室が揃っている。アメフトは相手の傾向を分析してなんぼの世界。隊形や選手の動きは紙の上であらかじめ全て決められている。相手がどの隊形からどんなプレーを好むのか、どんなプレーを最も得意としているのか、試合データを集め分析することが勝利に対して果たす役割はかなり大きい。単純な肉弾戦に見えて実は高度な頭脳戦なのである。その意味で今までの分析データがそろっているというのは貴重だ。
           
          練習が始まった。
          京大の練習はテンポが速い。部員数は岡大より圧倒的に多く、普通に考えると同じメニューであれば一人当たりの回数は減るはずであるが逆に増えているように感じた。無駄な時間が全くなく、メニューからメニューへの移行時間がとにかく短い。次に何をするかが明確で、どうすればいいかわからず戸惑って時間が過ぎていくこともない。グラウンド脇にあるオーロラビジョンも一役買っている。次の練習メニューと場所、練習が始まってからの時間を表示している。これのおかげで次の練習場所までダッシュで行ける。だがオーロラビジョンが無くても、練習メニューは全て頭に入っているはずで今と同様にダッシュで移動することが容易に想像できる。

          加えてコーチがの数が豊富で、QBの練習は常に一人以上のコーチが見てくれていた。細かいところまで目が行き届き、間違ったことをしていればすぐに修正される。一方で岡大の練習は、第3者にコーチングしてもらう機会が少なく、今やっていることはこれで良いのかと不安になることがある。京大のコーチが充実しているのは学生コーチが多いからだった。5回生6回生が基本的に練習を監督する。潔くいうとほとんどの選手が留年しているということだ。僕が止まった選手は理学部だから就活が必要な人たちとは事情が違うが、話を聞く限り、留年することも自分の大学生活のプランとして組み込まれているようだった。4年間の選手生活を終え、5年目6年目は残った単位を取りながら学生コーチとしてチームに貢献する。留年をネガティブなこととしてとらえなくても済むところが京大の凄いところでもある。
           
          さらに選手同士のコーチングの声も絶えず出ていた。学年に関係なく練習のポイントをフランクに指摘し合える雰囲気がある。的確な指摘ができるのは、練習の意味を自分で考えて理解しているからだ。午前中2時間、午後5時間という長時間の練習にもかかわらず集中力を維持できるのも互いに励ます合う声はもちろんのこと、細かいミスをも見逃さまいとする張り詰めた意識があるからだろう。
          最も目に焼き付いたのはユニホームだ。京大アメフト部のユニホームは昨年一新され黒に近い深緑となった。ヘルメットは黒である。京大は試合前のアップで選手が集団行動のように縦横斜め乱れることなく整列しランニングをする。僕はそれを見るたびにあさま山荘事件の時、建物の壁をぶち抜くのに用いられた鉄球を思い出す。大きな黒い鉄の塊が身軽に動き回って猛スピードで突っ込んでくるわけで、その迫力は想像を絶する。鉄球が自分に向かって飛び込んでくる恐怖感は岡大の練習では感じたことが無かった。


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          京大アメフト部「鉄球軍団」

          夜、例年なら京大の宿泊施設に泊まるのだが今年は場所が確保できなかったらしく、同じポジションの部員の下宿先に泊めさせてもらうことになった。一日目の練習後、ポジションごとにご飯を食べ、そのあと銭湯へ行った。銭湯でも驚きが待っていた。みんなとにかく体がデカい。腕が太く胸筋が発達しているのは言うまでもないが、下半身の太さは異常だった。ケツがぷりぷりで太ももは丸太のよう。野球のピッチャーは走り込みで下半身を鍛えろというが、まさに強靭な下半身から安定したボールが生み出されているのだと実感した。自分の体が恥ずかしくなり早く服を着たい気持ちだったが、自分が思っている以上に体が疲れていたので、できるだけ体を見られないように肩まで湯につかっていた。
           
          京都大学の年間のオフィシャルブックを見せてもらった。次元が違った。プロのスポーツチームのものと比べても劣っていない。印刷以外は学生が全て行っているというから凄い。高校時代に経験した部活の内訳やシーズンの対戦相手など、見たい企画が様々あるが、一番印象に残ったのはとにかく日本一という言葉が数えるのが嫌になるくらい何回も登場することだ。気になって実際に数えてみたところ、全99ページに81回あった。企業の写真だけのページがあるのでとんでもない数だ。広告やチーム全体が日本一という崇高な目標を共有し、日々鍛錬を重ねる目的が統一されているのだ。
           
          アメフトは勉強と一緒だ。緻密すぎるぐらいの計画を立てる。基礎を徹底的に反復し、その日やったこと出来たこと出来なかったことを記録する。質にこだわって練習時間を短くするのではなく、質、量ともに追求する。長い練習時間にもかかわらず高い集中力を保ち続けている。同じレベルの練習を実現するのは簡単ではないが、不可能ではないことも悟った。僕は誰にも負けないぐらい勉強に打ち込んできた。勉強のノウハウを応用すれば、岡大アメフト部BADGERSでもできないことはない。

          僕は今シーズンイギリスに行くので、チームメイトと歓喜と苦難を共有することはできない。チームメイトは京大に近い高いレベルのグループでリーグ戦を戦う。客観的に見て、グループの中で最弱なのは明らかだ。一度チームから離れて客観的な観点からチームを眺めたときに感じたことを遠慮なく指摘できるように、1年間のブランクを埋め合わせることができる実力は付けてくると決意している。特に体重はウエイトトレーニングをして80KGまで増やして帰国したい。


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          中3・サッカーの大会でリフティング

          愛情に恵まれた子供時代
          僕は生まれてからこれまで、周りの人に恵まれていた。父母、祖父母の努力なくして自分の体は改善することは無かっただろうし、留学できる体にはなっていなかったと思う。自分のやりたいことを不自由なくやらせてもらったことには感謝している。

          僕の根幹をなしている部分は幼稚園での経験だ。水泳元オリンピック候補の園長先生夫婦がやっている私立の幼稚園。教育の根底には溢れんばかりの愛情があり、10年後20年後を見据えて子供に接されていたように感じる。特に何事も最後までやりきることの大切さを体にしみこませていただいた。最たる例が宮島に一泊二日で行く遠足だ。僕はアレルギーがひどく、万が一のことを考えると、参加は見送ろうというのが親の判断だった。しかし、先生は何としてでも連れていくと言い切った。中学生になって初めて知ったが、親もすぐ対応できる距離のホテルまでついてきていたそうだ。そこまでして、遠足に参加させてくださった先生の執念は僕に伝わった。遠足後の発表会で僕は『僕は宮島で強くなった』という題のスピーチをした。

          このブログを執筆するにあたり幼稚園便りを読み返した。園児の保育は当然だが、親の教育に力を入れていることに驚いた。幼稚園で僕と共に親も成長してきたからこそ、僕は病気に負けずにやってこれたのだ。家の本棚にはアレルギーの子供用の本が隙間なく並んでいる。何とかして普通の食事と遜色ない食べ物を食べさせたいという母親の愛情は感じようとしなくても感じとった。
          卒園の時にいただいた勇気・元気・根気という言葉は、今でも苦しいときに口ずさむ。卒業や行事など節目の度に訪れるが、そんな時でも大歓迎してくださる。成人を迎えようとしている今でも幼稚園に帰ることができるというのは本当に恵まれていると思う。


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          幼稚園の芋掘り遠足で

          そして何といっても笠見先生。僕が現状に満足せず野心的に常に上を目指そうという姿勢を持てているのは先生のおかげである。先生が塾生のために割いた時間の割合は、僕が一番多いと自信を持って言える。大学1年の時は塾生ではないにもかかわらず、未経験の留学英語まで見てくださった。自分が成長し続けることでしか感謝の気持ちを表すことはできない。
          僕の人生に大きな影響を与えてくださっているこれらの人たちは、僕が現状に停滞している姿を見ると悲しむだろう。たとえどこかで失敗したとしても受け入れてくださると確信しているが、この人たちにかっこ悪い姿を見せたくないという気持ちが僕をアグレッシブにしている。反骨心と向上心を失った瞬間、自分が自分ではなくなるという危機感を常に抱いている。
           
          7年前US塾に入ってすぐ、国名からイメージするものを出来るだけ多く挙げるという社会の授業があった。ライス国務長官とヒル国務次官補。僕はニュースでちょうど聞いていたアメリカ人の名前を発言した。これで完全に先生に気に入っていただき、僕の人生は変わった。US塾に行っていなければ、普通であることに満足し自分の力相応な環境で生活をしていただろう。
          ただ、今はまだ何も手に入れていないことを忘れてはいけない。ただ海外に行くだけなら誰にだってできるし、海外留学している人なんて日本に五万といる。ここからが僕の人生にとって本当の勝負である。


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          コウタロウの送別会で、アメフト部の仲間からもらった、あたたかいメッセージが詰まったアルバム。「ビッグになって」「金髪美人と仲良くなれよ」と書いてあった。コウタロウは飛行機でも手荷物扱いにして、片時も離さないと言っていた。一生の宝

          さて、ここまで、長文を読まれて疲れられたとは思うが、僕の現在の思いを英語にしてみたので読んでほしい。
           
          I was really happy to be chosen a exchange student for three main reasons.
           
          First, this is the first time that I was able to meet my teacher’s expectation. When I passed my first choice high school examination, teacher and I weren’t glad from the bottom of our heart because we thought it natural. Concerning entrance exam for the university, I failed Hitotsubashi in spite of all his efforts. In addition, although I passed Chuo-University, I entered local university in contrast to my teacher’s wish that he wanted me to go to Tokyo. So, I got excited to gain result as we wish.
           
          Second, I can destroy my values. Many students gather from various countries and a lot of values collide each other. It takes just one hour to go to London from University of Kent by train and easy to go European continent. There are many worlds that I have never seen. I make my antenna of curiosity sensitive and I want to input as many information as possible.
           
          Third, not to mention to English skills, I can study to speak logically. Seeing from objective view point, my communication style is very Japanese. Especially I think so in that I often find myself just nodding with smile or saying ambiguous words in order to escape from referring cores. I will appeal myself to everybody by indicating what I want to mean clearly and taking actions actively. I would like to deepen self-confidence through various experiences.
           
          Pre-sessional English course will start from May.
          Classes of politics and international relations faculty will start from September.
           
          I would like to study two subjects, international relationships and journalism. When it comes to international relationships or international politics, I have seen it as relationships between Japan and the US or Japan and China. I think I have to add some different angles, for example the values European have. I would like to study those with new values. Of course I can study these issues by books and electronic materials when I am in Japan, but by undergoing through my own experiences, I could gain surprising findings.
          It is because I am interested in a job of journalist that I want to study journalism.
          News sometimes largely relate to international politics. Since the Gulf War was televised, news have reported a lot of important scenes such as 9.11 and the Afghan War. However, what flowed from TV screens were not everything. I think we are tend to accept news contents without questions in Japan. I want to know how people come from other countries appreciate news.
           
          I have much space to improve. I believe I could gain bright future after studying in Kent.
          I am ready to navigate the great ocean.
           
          この拙い英文が1年後には華麗な文章に様変わりしているはずだ。
          1年後、僕がイギリスで感じたことを日本語と英語で、このブログで再び書く。


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          ロンドン・ヴィクトリア駅
          ケント大学があるカンタベリーへの最寄り駅


          最後に
          笠見先生の魂ともいえる『猫ギターの教育論』は全31回のコウタロウシリーズを最後に幕を下ろす。多くの愛読者の方も残念に思われるだろう。最終回を書かせていただくことを恐縮に思うが、それでも最終回を航太郎に任せようという先生の愛情に応えたくて、ここまで書いてきた。このことを誇りと思い、糧とし、コウタロウシリーズに恥じないようにチャレンジを続けなければならない。
           
          アトピーとアレルギーは改善した。
          2014年1月。僕は国立病院機構福山医療センターで卵の負荷試験を行った。留学するのに際して自分が実際にどれくらいの量の卵をたべることができるのかを知っておきたかったからだ。卵黄から15分おきに1g、2g、4gの順で食べたあと、卵白を1g、2g、4g、8gで食べるという試験だった。最初に卵黄を食べるときは、スプーンを持つ手が震えたが、食べてみると想像したよりも問題なく進んだ。卵白8gに進んだ時強烈な腹痛と、息苦しさ、体のだるさ、熱っぽさが一気に襲ってきた。だが、この試験の結果、卵が入った麺やから揚げなどの加工品や完全に加熱されたものなら食べられることが分かった。病院の先生も僕が留学することを喜んでくださり、大いに後押ししてくださっている。
           
          病気に苦しんでいる仲間に言いたい。病気だからといって諦める必要は無い。体の状態で出来る範囲の最高を追い求めれば良い。病気であるということは、自分の気づかないうちに周りの人から多分に愛情を受けることだと僕は解釈している。家族、祖父母、幼稚園の先生、病院の先生をはじめ多くの人の努力のおかげで、米すら食べられない状態からここまで回復した。たっぷり受けた愛情は、いざという時の底力となる。
           
          次に、向上心を持った地方の仲間たちへ。地方の学生の素朴さ素直さは武器になる。淀みのない純白の笑顔は最強だ。ゆったりとした時間の流れの中で爆発力を蓄える。僕がロンドンに留学するように刺激的な経験を契機にして、ストッパーは外れ圧倒的な発信力を身につける。僕が地方から都会への飛躍を成し遂げるパイオニアになる。僕に続いてほしい。 
          僕はUS塾で鍛えられ反骨心と執念を養った。体の中にブクブクと沸騰しているマグマのように熱い情熱も蓄えた。海上でも迷わないように羅針盤も体に埋め込んだ。航太郎が、文字通り大海原に航海に乗り出す時が来た。
           
          KLMオランダ航空868便、関西国際空港発、アムステルダム経由ロンドン行き飛行機の窓から見える、真っ白な雲海が航海の始まりを祝福してくれるだろう。



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          瀬戸内海の島から、遠くイギリスへ旅立つ航太郎

          (1)中1・私の理想の生徒 
          (2)60年代の中高生がタイムスリップした少年
          (3)重度のアレルギー・アトピーと戦う
          (4)高1・青春ドラマな若者
          (5)高2・ゆとり教育
          (6)受験一年前・私の入院
          (7)高3・世界史詰め込み
          (8)一橋過去問対策
          (9)大学受験直前・走れコウタロー! 
          (10)一橋合格発表・生徒コウタロウの視点
          (11)一橋合格発表・講師の私の視点
          (12)岡山大学でアメフト開始! 
          (13)ビスコ少年とアメフト
          (14)誇大妄想の師匠と弟子
          (15) 私の大学受験失敗 
          (16) イギリス留学をめざす 
          (17) 大学1年・英単語2000個を2週間で暗記?
          (18) 英単語を2週間で2000個暗記!
          (19) ロカビリー先生とコウタロウ
          (20)一橋得点開示・留学に向け坊主頭
          (21)先輩コウタロウと後輩ワタル
          (22)交換留学のため使った英語教材
          (23)コウタロウ、塾を去る
          (24)慶應大学をめざせ
          (25)慶應大学をめざせ
          (26)コウタロウと浅田真央
          (27)慶應大学をめざせ
          (28)慶應大学をめざせ
          (29)慶應大学をめざせ

          (30)私からの最後の言葉

           
          | uniqueな塾生の話 | 12:39 | - | - | ↑PAGE TOP
          日本一素直な男・コウタロウ(30)
          0

            コウタロウシリーズも、今回を含めてあと2回である。最終回はコウタロウ自身が書くので、私が書く記事は今日がラストだ。また、コウタロウシリーズを最後に、ブログ「猫ギターの教育論」は終了する。ご愛読ありがとうございました。

             

            さて、コウタロウシリーズは「不合格体験記」である。合格体験記はどこの塾の先生も書くが、不合格になった生徒のことを、これだけ長く執拗に書く塾の先生はいない。私がコウタロウシリーズを書く動機は何だったのか。

            おまけに、私の行動は変だ。塾を卒業し大学に通っている教え子に、強引にイギリスに留学しろ、留学がダメだったら慶應に行けと薦め、高校生の時以上に試練を課して、強引に道を切り拓こうとしている。平時に武器を取れと号令をかける狂った軍人のような行為と思われても仕方ない。

            それほど、私はコウタロウの一橋大学不合格が悔しかった。コウタロウが不合格になった瞬間、悔しくて言葉が出なかった。重い沈黙が続き、沈黙の反動が言葉を噴き出させた。噴き出す言葉を書き上げたものがコウタロウシリーズだった。

             

            うちの個人塾は、島の小さなボクシングジムにすぎない。ただ、誇大妄想を省みず言うと、私はチャンピオンを育てている気概は捨てていない。コウタロウはチャンピオンになる器だ。私の確信はゆるぎなかった。

            一流の若者は、同世代の人間から目標にされ、時に嫉妬心にさらされる。コウタロウは秀吉の笑顔と家康の律儀さを持ち、寡黙でニコニコしているだけで強烈な磁場を発し、まわりの闘争心をかきたてる男だ。本人だけが己の磁場に無頓着で気づかない。コウタロウは自分では意識できない、だが他人には否応なく意識させるオーラを放っている。リーダーとして担がれ、黙々と何かに打ち込むだけで周囲を成長させる無言の力がある。一流の若者の証だった。

             

            中1から7年間、私はコウタロウの拳を受け止めてきた。中1の時は大きなグローブをもて余し、初々しくはみかみながら、ぎこちないパンチを繰り出した子が、年齢に比例して筋肉は引き締まり、顔は精悍に、パンチは鋭く重くなり、知性の殺人パンチを打てるようになった。期待以上にコウタロウは強くなった。

            だが最後の一戦で、コウタロウはケガで力を出し切れず、僅差の判定負けでリングに沈んだ。悔しかった。ほんとうに悔しかった。

            私もコウタロウもあきらめなかった。リタイアしたボクサーがリングに復活するように、留学と慶應をめざした。「あしたのジョー」最終回で負けて真っ白になったジョーが、息を吹き返し復活戦を挑むな感じだった。

            私はコウタロウを叱りまくった。コウタロウは2週間に1回は悔し涙を流しながら耐えた。だが、どれだけ叱っても、コウタロウは私に嫌われたとか見捨てられたとか、ひとかけらも疑ったことはないだろう。逆に、かわいがられている重圧がコウタロウを苦しめたと思う。憎悪の鉄条網より、愛情の真綿で縛られる方がつらい場合もあるのだ。コウタロウには私の期待の熱さが、煮えたぎった湯のように降りかかってきた。私はコウタロウのプレッシャーを理解していた。だが同時に、サウナ室に監禁されたような私の熱意に耐えるコウタロウの精神力を信頼していた。

             

            私は慶應大学にこだわった。私の慶應へのこだわりは、私自身の東京コンプレックスが理由なのかもしれなかった。私は若いころ東京に住んでいた。東京は町全体が若者のパワースポットだ。東京という街は、行ったことない人にはただの大都会で、住んでいる人にも有難味はわからない。しかし、東京から離れた者にすれば、心の一部が切り刻まれ、新宿や池袋あたりに残って蠢いているような未練を残す街だ。東京は、健全な野心が強い若い人ほど刺激を受ける。東京にいる時は感性が刺激され、離れると感傷で息苦しくなる。地方人にとって東京は外国のように映る魅惑的な街なのだ。

            コウタロウの性格と能力は、東京でもトップクラスの力を持っている。コウタロウは東京を知らない。東京の街の魅力を知らない。そして東京という環境で大きくなる自分の可能性を知らない。江戸時代の参勤交代制度以来、地方の優秀な若者が江戸で刺激を受け、才能が江戸に集まるシステムになっている。コウタロウを東京へ送り出したかった。

             

            また、私には慶應が神奈川県にあるのが魅力だった。慶應の日吉キャンパスは横浜に、SFCは藤沢にある。慶應は神奈川県の印象が強い。個人的な思い出で恐縮だが、大学時代につきあっていた女性と神奈川県によくドライブに行った。鎌倉・江ノ島・逗子・横須賀・箱根。大学時代に車の中で流したサザンの「希望の轍」を聞けば、東名高速道路の排気ガスで黒ずんだガードレールやら、海沿いの廃屋になったボーリング場やら、夜に鮮明にうかぶ江の島やら、あのころの映像が何もかもが懐かしく、湘南に残してきた心の分身がジリジリ痛んだ。

            私がコウタロウを東京に送り込みたいのは、私が人生をやり直したいという個人的な欲なのかもしれない。大人が叶わなかった夢を子どもに託す、他力本願の情熱だったのかもしれない。だが、個人的な執念だからこそ強かった。

             

            対してイギリスはどうか。
            コウタロウが留学を決めてイギリスに行けば、東京に行くより夢はふくらむ。私がもし大学生に戻れるなら、一番やりたいことは留学だ。イギリスはシャーロック=ホームズ、ジェームズ=ボンド、ビートルズにストーンズにクイーンにレッドツェッペリン、ミスタービーンにベッカムの国だ。外見も内面も純日本人の極みのようなコウタロウが、イギリスから紳士的な振る舞い、ロックの反骨心、スポーツの面白さを学ぶことを考えたら、何が何でも英語を鍛えてイギリスに送り込みたいと思った。

            コウタロウがケント大学に留学すれば、政治学を専攻することになっている。研究対象はEUである。1945年まで、フランスとドイツの戦争は、世界史を大いに騒がした。だが、あんなに仲が悪かった独仏両国がEUで仲良くなっている。1世紀前の人から見れば信じられない平和が訪れている。

            逆に東アジアはどうか。現状を鑑みれば日本・韓国・北朝鮮・中国・台湾がEUのように1つの共同体にまとまることなど奇跡だ。中国が中心になれば中華思想の再来と非難され、日本が中心になれば大東亜共栄圏の悪夢再びと嫌われる。西ヨーロッパに比べ、東アジアは緊張状態にある。

            ただ国家間の関係はわからない。独仏関係のように、犬猿の仲が刎頚之友になることもある。コウタロウがEUについて現地イギリスで学ぶことで、もしかしたら東アジアの緊張を緩和する、小さな一つの歯車の役割を果たす役割を果たせるかもしれなかった。

            コウタロウはアトピー・アレルギーの疾患に、子どものころから苦しめられてきた。幼い頃に漢方治療で、お父さんお母さんに連れられ、中国に2回訪れたことがある。小さい体でコウタロウは中国人の漢方医と向き合う体験をしているのだ。

            私は、中国と縁があるコウタロウが社会に出て中国を訪れ、日中友好の懸け橋として、こんなスピーチをする姿を想像した。

            「私は幼い時、中国に2回訪れました。漢方の力で私はアトピー・アレルギーを克服しました。中国の伝統が、私を楽にしてくれたのです。ここでこうして私がスピーチできるのも、中国の皆さんのおかげかもしれません。私は東アジアを、EUのように国境をあまり意識しなくていい関係にしたい」

            理想主義的すぎる話かもしれない。だが私が一番好きなイギリス人ジョン=レノンも「イマジン」で、

             

            You may say I'm a dreamer   
            But I'm not the only one    

            I hope someday you'll join us   

            And the world will be as one  

             
            僕のことを夢想家だと言うかもしれない

            でも僕は一人じゃない
            いつかみんな仲間になって
            きっと世界はひとつになる

             

            と歌っている。あんなにビートルズ時代に反骨心が強い歌詞を書いたジョン=レノンが、最終的に理想主義のユートピアに行きつくのがイギリス人の複雑さである。コウタロウがジョン=レノンの国で学び、穏健な性格の中にある強靭さに磨きをかけ、多面性のあるユニークな人格形成をし、平和に貢献する姿を想像すると夢が膨らんだ。

             

            繰り返す。私はコウタロウシリーズで、コウタロウの名誉回復をしたかった。

            『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という、大型辞書のように分厚いノンフィクションがある。戦前戦後に活躍した木村政彦という柔道家がいて、日本最強と謳われたのだが、プロレス転向後、力道山に卑怯な不意打ちを食らって負けた。撲殺される犬のようにみじめに負けた。勝った力道山は国民的ヒーローになり、負けた木村政彦は忘れられた。

            作者の増田俊也は木村政彦の名誉回復の一念で、原稿用紙1500枚、700ページにわたって、世間から忘れ去られた木村政彦の強さと存在を書き上げた。力道山だけでなく大山倍達や山下泰裕までが木村より弱いとまで書いた。著者の木村贔屓への執念が読者をひきずり倒し、読み終わると読者は木村政彦が日本最強だと疑えなくなってしまう、力技の説得力がある本だ。

            私もコウタロウシリーズで、コウタロウを原稿用紙500枚にわたって書き続けた。俗に「経過より結果」という言葉があるが、私は経過の迫力は、結果より心を打つと考えている。ただ結果は誰の目にも明らかに残り、経過は忘れ去られやすい。結果は金字塔のように輝くが、経過は砂山のように波に流される。おまけに、経過のすごさは近くで寄り添う人間しか知らない。だから私はコウタロウの拳を7年間受け続けてきた者として、ふつうの若者では成し得ない経過を「不合格体験記」として、ヒエログリフのように文字に刻みつけ、永遠不変に残したいと考えた。

            同時に私は、コウタロウの軌跡を文章に残すだけでなく、コウタロウ自身のパワー向上にも力を注いだ。コウタロウは物故した木村政彦と違い、これから70年以上生きる男だ。明るい将来がある。だから文章で名誉回復するだけでなく、コウタロウ自身をさらなる高みに上げようと、早朝に呼び出し深夜まで説教しながら厳しく鍛えた。外へのアピールと、内なる充実を同時並行で行った。そして、私がコウタロウの努力の軌跡を書き残せば、コウタロウが将来ピンチに陥った時や、自信を無くした時に読み返すだろう。私の文章が未来永劫、コウタロウを励ます鞭になることを願って書いた。

             

            ただ、私がコウタロウを危惧する唯一の点は、コウタロウの引っ込み思案な性格だった。コウタロウは自分を表に出さない。コウタロウは「能ある鷹」だが爪を隠し続けている。歯がゆい。

            お母さんから話をうかがえば、コウタロウは小さいころから、引っ込み思案な子だったそうだ。アトピーとアレルギーで病弱なコウタロウは、幼稚園の頃は友だちによくちょっかいを出されたらしい。無口でなかなか自分の意見が言えない。彼が岡大に入りアメフトをし、知性も体力も充実した若者に成長しようとは、当時の弱いコウタロウを知る人からは考えられないことなのだそうだ。

            コウタロウは小さな個人経営の幼稚園に通っていた。幼稚園の女性の園長先生は、コウタロウをかわいがっていた。ある日、幼稚園で宮島に遠足することになった。お母さんは持病を持つコウタロウが宮島に行くことに不安を持たれた。コウタロウが住む尾道から宮島まで2時間かかる。お母さんが園長先生に不安を口にされると、先生はきっぱりおっしゃったそうだ。「コウタロウ君なら大丈夫です」

            コウタロウは寡黙で、みずからをアピールしない。だが大人からかわいがられる何かを持っている。自分自身がアピールしなくても、他人にアピールさせる力がある。

            私も幼稚園の先生と同じように「コウタロウなら大丈夫」だと確信した。

             

            さて、コウタロウの将来にとって、慶應とイギリス留学、どちらが面白いか考えてみた。

            日本的学歴社会の視点からは、慶應大学の魅力は捨てがたい。就活の強さは圧倒的で、特に金融系は無敵だ。

            対してイギリス留学はどうか。留学しただけで箔がついたとカン違いする学生が多く、必ずしも就職活動で有利に働くとは限らない。

            だが、留学はコウタロウが唯一無二の人間になるチャンスだ。コウタロウの大学1年生は濃かった。現役時代に一橋大学をめざしたが、アトピーで力が出せず不合格。浪人なんて考えられない状態から治療に専念し、岡大でアメフト部に入り、留学をめざす。留学の勉強が終わったら今度は慶應。他の18歳19歳が歩まない、波乱万丈の道をたどった。

            もしコウタロウのイギリス留学が決まったら、イギリスで学び遊び旅行し、イギリスでアメリカンフットボールをするというユニークな体験をし、帰国後は岡大アメフト部のQBとして活躍し、東京に進出する。就職活動では東京の金太郎飴のような若者に対抗して、岡山からコウタロウは桃太郎として登場する。桃から生まれた丸顔のコウタロウ。アメフトのQBとして責任感を学び、英語が堪能なコウタロウ。紳士的なのに懐が深く、笑顔が絶えないのに強いコウタロウ。コウタロウは唯一無二の男になれるんだ。

            加えて、コウタロウは組織人として優秀だ。どんな組織でも縁の下の力持ちとしてやっていける。周恩来のような存在になれる男だ。ただそれにプラスして、個人塾の塾長にしかすぎないが、才能ある子に惚れ込み命がけで教えてきた俺の執念と反骨心を、コウタロウには受け継いでもらいたい。

             

            この項もそろそろ終わりが近づいてきた。

            コウタロウと6月に大阪へ行った時、心斎橋のブラジル料理の店に行った。ここは肉やサラダが食べ放題で、豪州産で大味だがガッツリ肉を食べられ、アメフト選手のコウタロウにはピッタリの店だ。サッカー選手や力士もよくこの店を訪れる。

            肉と酒で飽食状態になったあと、私はコウタロウに人生訓話のようなものを語りだした。コウタロウと11になると、いつもの悪い癖で身を乗り出し熱く語ってしまう。

            「昔、広島カープに根本陸夫という監督がいた。カープを球団史上初めてAクラスに押し上げ、そのあと西武とダイエーで監督や管理部長に就任し、強くした人だ。根本さんは高校生ルーキーだった衣笠祥雄選手を、毎晩2時間ホテルの自室に呼び、説教したそうだ」

            コウタロウは手を膝に置いて、神妙な顔で聞いていた。コウタロウは私がどんな下らない話をしても、身構えるようにきちんと姿勢を正して聞く。衣笠と同じように、年長者が説教したくてたまらない素直さをコウタロウは持っていた。

            「根本監督は衣笠に、野球の技術論なんかほとんどしなかった。生き方の話ばかりだった。ある時、根本監督は衣笠に、お前になってほしいものがあると言ったそうだ。監督は衣笠に、何になれと言ったと思う?」

            コウタロウは私の無理な質問を真剣に考えていた。

            「ホームラン王ですか」

            「違う」

            「メジャーリーガーですか」

            「それも違う」

            コウタロウはじっと考えていたが、笑顔で「わかりません」と言った。

            「根本監督は、『お前は衣笠祥雄になれ』と言ったらしい」
            コウタロウは「ふぅ」と息を吸い込んだ。コウタロウは人の話に感心すると、顔に水鉄砲食らったように驚く仕草をし、息を吸い込む癖がある。私は続けた。
            「要するに誰も真似できない、唯一無二の人間になれという意味だ。衣笠はその通り連続試合出場を達成し、国民栄誉賞を受賞した。根本監督の期待通り、衣笠祥雄になったわけだ」

            私は酔った勢いで畳みかけた。

            「コウタロウ、お前は矢野航太郎になれ」

            酔わないと言えないくさい台詞だ。私は酒に酔ったのではない。コウタロウの素直さに酔っていた。

            彼は驚いて、口を半開きにしていたが、細い目を光らせて「はい」と言った。

            「お前は矢野航太郎になるんだ。いいね」

            航太郎は賢そうな顔で、強くうなずいた。

             

            (つづく・最終回はコウタロウ自身が書きます)

             

            | uniqueな塾生の話 | 15:48 | - | - | ↑PAGE TOP
            日本一素直な男・コウタロウ(29)
            0
              大学1年6月、まだ留学をめざす前、コウタロウと大阪へ遊びに行き、夜の繁華街ミナミを通りがかった。やしきたかじんが飲んでいそうな、関西弁がしみついた界隈。ポン引きの男たちの下品な呼び込みの声から、女性の化粧や躰の匂いが想像できる土曜日の雑踏を、われわれ2人は心持ち早足で歩いていた。
              学生服のホックを止めていないと不良っぽいと見なされ、白いソックスが義務づけられる真面目な地方公立高校の中でも、コウタロウは極めつけに真面目な生徒だった。3歳児のように素直な18歳のコウタロウはネオンの光を顔に浴びながら、試合中のサッカー選手のように、落ち着かない様子で首をキョロキョロさせていた。こんなところに来るのは、生涯はじめてなのだろう。
              悪い遊びをコウタロウに教えてはならないので店には入らず、タクシーで通天閣方面に移動した。コウタロウは繁華街の妖気に興奮状態で、顔が温泉につかったトマトのように真っ赤になっていた。タクシーの中で、とうとうコウタロウは鼻血を出した。わかりやすい反応だった。紳士的な外見とは裏腹に、コウタロウはすべてにおいて欲が強い男である。「大丈夫か?」「大丈夫です」。あまり大丈夫そうではなかった。コウタロウは意志に反してあふれる鼻血に戸惑いながら、慌ててティッシュで血を止めていた。うぶな男である。
               
              コウタロウは、わかりづらい「変人」である。ただの真面目な男ではない。彼の個性を西洋絵画にたとえれば、ピカソのように奇抜でなく、ゴッホのような狂気もなく、ムンクみたいに奇矯でもない。コウタロウの個性はセザンヌのように構図が少しだけゆがんでいる。3次元を正確に描いたつもりが3.3次元ぐらいずれている。見る人の感性を試す「変人」である。しかもコウタロウが変人だとわかる人は、たいてい変人である。コウタロウは変人度を試すリトマス試験紙なのだ。
              真面目なのに変人。多面体のような個性がコウタロウの持ち味だった。コウタロウの個性を東京という高性能な画像処理ソフトで処理すれば、コントラストが際立つと考えた。だからこそ私はコウタロウを東京に送り込もうと燃えた。
               
              さて、慶應の小論文対策がはじまった。
              小論文は水泳に似ている。50メートルのプールを一気呵成に泳ぐように、字数制限ギリギリまで真直ぐスピードを上げて書き切る。途中で足をついたり方向を変えたりしてはいけない。
              スラッとした論理的な小論文を書くには、「怒り」のパワーが不可欠だというのが私の持論だ。「怒り」こそ首尾一貫した長文を書くためのロケット噴射だ。
              論理というのはそもそも戦闘好きで肉食系の西洋人が編み出したものである。武器で戦う代わりに言葉で戦うのが論理の力だ。慶應経済学部の論述問題は、長大な文章を読んで意見を1時間で600字書かなければならない。短時間で解答用紙に文字をたたきつけるには「怒り」が必要なのだ。
              さっそくコウタロウに小論文を書いてもらったが、正直、まだ不十分なところがあった。社会問題に対する意識、つまり「怒り」が感じられなかった。論理に一貫性がなく、文脈がギクシャクしていて、600字泳ぐのに息切れして足をプールにつけている状態だった。大阪ミナミの繁華街を訪れた時のように、課題文を見て興奮し、さあ俺の意見を書いてやるぞ、見ていやがれと、鼻血を噴き出すような熱い文章にはまだ遠かった。
               
              ところで、私の小論文指導は枝葉末節にはこだわらず、赤ペン先生みたいに細かいところを直したりはしない。「おもしろい」「ふつう」「つまらない」と無意識に頭の中で三段階に分け、あくまで内容勝負である。面白くてオリジナリティがあり、内面をさらけだす度胸があれば、少々の瑕疵には目をつぶる。
              小論文指導では、私も解答を書く。コウタロウを圧倒するような解答を書かなければ軽蔑される。コウタロウの文章に対する審美眼に畏敬を抱きつつ、慎重に模範解答を書いた。弟子の前で文章を書いて見せるのは、落語家の師匠が弟子に、マンツーマンで落語を演じるような教授法である。コウタロウは現役時代から私から執拗な文章指導を受けているが、何度も書いていくうちにコウタロウの文章力は上がっていった。おまけに、複数の人から指摘されて気づいたのだが、文体まで私に似てきた。
              原稿用紙がコウタロウの特攻隊員のような達筆で埋まるたび、コウタロウの小論文は進歩していった。あと2か月半あれば、慶應大学教授に感心してもらえるレベルまで仕上がる確信を持った。
               
              私はコウタロウの文章がイマイチだと書いたが、一般的な大学生より格段に上手く書けているのは確かだった。コウタロウの文章に文句をつけたくなるのは、私がコウタロウを贔屓し、コウタロウに対する要求水準が高いのが理由だ。
              われわれは身近な人間を過小評価しがちだ。たとえば私がコウタロウの文章を過小評価するのは、浅田真央を贔屓している日本人に、ライバル選手が強敵に見えるのと同じ心理だった。浅田真央を応援する人から見れば、浅田真央が頼りなく、ライバル選手が強く見える。
              たとえば、キムヨナは機械のように正確で転ぶ素振りもないし、素朴な浅田真央と違い演技も「色仕掛け」なところがある。またアメリカやロシアの選手も妖艶華麗で、日本の小柄な少女俳優が、ハリウッド女優と戦っているように見えてしまう。浅田真央に対する思い入れが、浅田真央の競技を過小評価する。この子は勝てるのだろうかと。贔屓目は過大評価にもなるが、同時に過小評価にもつながる。他人事ではないので冷静な評価ができなくなるのだ。
              だが、浅田真央の2日目のフリー演技はすごかった。もう誰が見てもいい演技だった。コーチにも、肉親にも、ファンにも、ライバルにも、浅田本人にも、天国のお母さんにも、「浅田真央はすごい」と我を忘れて叫ばせる、贔屓目うんぬんを超えた演技だった。
              コウタロウも、誰が見てもゆるぎない文章力をつける寸前まできていた。また、もし留学が決まって、慶應大学への試験勉強が終了し、私とマンツーマンで文章修業する機会が途絶えても、コウタロウの文章力は大英帝国が育ててくれる。
               
              (つづく)


               
              | uniqueな塾生の話 | 20:33 | - | - | ↑PAGE TOP
              日本一素直な男・コウタロウ(28)
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                慶應受験まで4カ月、世界史は突貫工事だった。
                建築にたとえたら、日本のビルのように耐震構造を気にして丁寧に建てる余裕はない。中国のビル建設現場みたいに砂塵が舞い轟音が響く中で、とにかく雑でいいから一刻でも早く高く鉄骨とコンクリを積み上げたかった。
                ただ、一橋や早稲田や慶應の社会で突貫工事は難しい。単なる知識詰め込みだけでは無理だ。教養の深みまで掘り下げないと解けない。ナマの覚えたての知識では歯が立たず、教養のレベルに発酵するまで、ある一定の熟成期間が必要だ。直前にスパートをかけるのは無謀だ。ふつうの受験生がたった4カ月の突貫工事で早慶レベルの社会が解けるわけがない。
                幸いにして、コウタロウは現役の時、国立大学では世界史が一番難しいと言われる一橋大学を受験している。論述問題で世界史のストーリーは頭に入っている。だから世界史の体幹は頑強だ。しかし私立大学対策は特にやっていないため枝葉末節の知識がない。私立の社会は細かい知識の暗記で決まるから、用語を一つでも多く詰め込む必要があった。
                 
                慶應の世界史と一概に言っても、法学部と経済学部は、これが同じ大学かと言いたくなるほど問題形式が違う。法学部は細かい暗記中心でまさに「THE 私立文系型」で、経済学部は論述と年号並べ替えが多い「国立私立折衷型」である。一橋の論述対策をみっちりやっているコウタロウには、経済学部の問題の方が性に合っている。
                私は慶應経済学部の世界史の問題が好きだ。経済学部の問題は1500年以降が中心に出題され、世界史だけでなく政治経済を知らないと解けない。カビの匂いがする史学ではなく、ナマの流動的な現代社会に関する実学が問われる。企業の最前線で働く人材を輩出する、まさに慶應大学のイメージ通りの出題傾向である。
                コウタロウは新聞やテレビのニュースに対する感度が高い。政治経済に通暁し、論述力がきわめて高いコウタロウには、経済学部の問題はうってつけといえた。
                 
                私の作戦は、10月には経済学部向けの勉強、すなわち世界史のストーリーを再確認することにあて、11月からは法学部の細かい暗記作業に入るというものだった。10月は鉄骨で基礎工事を固め、11月は枝葉末節を充実させる方法をとった。
                世界史のストーリーを叩き込み体幹を強く太くするには、山川出版社の教科書を読むのがいちばんだ。山川出版社の教科書は名文である。森鴎外の小説のように締まった文体で、簡潔で要領を得ている。だが、教科書の名文が味わえるのは、ある程度歴史の知識がないと難しい。学び始めのうちは実況中継あたりの、くだけた口調の参考書から始めたほうがいい。
                私は手っ取り早い方法として、オーディオブックの活用を考え、語学春秋社から出ている「青木裕司のトークで攻略 世界史B」を使用した。Vol1とVol2の2分冊で、両方買っても税抜きで3000円、CDを全部聞いても24時間分、ドラマ「24」より短い分量で世界史を総復習できる。しかも講師は青木裕司氏。世界史を最短最速で流れをつかむには絶好の方法だ。コウタロウは1日1時間ずつオーディオブックを聞いた。この方法は効果抜群で、BlogやTwitterで推薦参考書を口にしたがる私でも、コウタロウを不利にしないため絶対口外しなかった本である。
                 
                また、センターレベルの用語を再確認するため、一問一答形式のZ会「世界史B用語&問題2000」を使った。コウタロウは世界史で半年間ブランクがあり、忘れた知識の記憶回復のために利用した。このテキストはiPhoneでソフトが出ている。コウタロウは大学への通学時間を利用して2週間で暗記した。
                 
                そして、慶應経済学部は1500年以降から中心に出題され、とくに現代史の比率が高く時事問題も出題され、高校の世界史の授業だけでは勝てない。経済学部対策として「ふだんから新聞に触れておこう」という漠然とした無責任なアドバイスをする本が多いが、新聞で受験対策するのは一苦労である。
                経済学部受験で、最強の本は池上彰「そうだったのか! 現代史」である。これは学習参考書ではなく、一般向けの文庫本だが、慶應経済受験生のための本としか思えない。池上彰が慶應経済の出身だからというわけではないだろうが、慶應経済の世界史は、まるで池上彰が出題しているようだ。続編も出ており、2冊に現代史がギュッと凝縮され、絶対的な本である。
                「そうだったのか! 現代史」の目次を見ると
                冷戦が終わって起きた「湾岸戦争」/冷戦が始まった/ドイツが東西に分割された/ソ連国内で信じられないスターリン批判/中国と台湾はなぜ対立する?/同じ民族が殺し合った朝鮮戦争/イスラエルが生まれ、戦争が始まった/世界は核戦争の縁に立ったキューバ危機/「文化大革命」という壮大な権力闘争/アジアの泥沼ベトナム戦争/ポルポトという悪夢/「ソ連」という国がなくなった/「電波」が国境を越えた「ベルリンの壁」崩壊/天安門広場が血に染まった/お金が「商品」になった/石油が「武器」になった/「ひとつのヨーロッパ」への夢/冷戦が終わって始まった戦争 旧ユーゴ紛争
                と、戦後史の重要でおいしいポイントが、あの池上彰独特のわかりやすい文体で、面白く説明されている。慶應経済に関しては、新聞よりも池上彰である。
                 
                さらに経済学部は、問題の使い回しと言いたくなるほど、同じ表やグラフを使う問題が出ている。過去問対策は絶対だ。アメリカの貿易収支のグラフは10年間で4回も出ているし、また下の写真のように、同じ地図やグラフが数年後に登場するのである。 






                経済学部受験で、過去問対策をやらないのは、手抜き以外の何物でもない。
                 
                経済学部は150点満点で、コウタロウが私の作戦を素直に実行してくれたおかげで、点数は、
                2008年 10/2  79
                2007年 11/1  106
                2013年 11/15  123
                と順調な伸びを示した。
                 
                経済学部は順調だったが、難敵は法学部の世界史だった。9月27日、慶應の世界史の勉強を始める前に、法学部の問題を解いてもらったら、100点中22点だった。コウタロウは現役時代、私立文系のカルトクイズ的な暗記中心の勉強の経験はなく、また半年間ブランクがあるので、この結果は当然だった。わざと2か月法学部の問題は封印し、2か月後の11月下旬に過去問を解く予定を立てた。22点から2か月で、どれだけ伸びるか楽しみだった。
                10月に経済学部の勉強に一段落つけたあと、11月から法学部用の細かい暗記をはじめた。使用した教材はZ会「世界史100題」だった。難関私立大学の受験生には絶対必要な本である。教科書用語集以外に、どうしてもこれ1冊しか選べないと言われたら、この本を選ぶ。調べ込みながら3回反復すれば、どんな難関大学でも世界史に関しては合格レベルに達するだろう。
                私立文系大学の世界史日本史のカルトクイズ問題はよく非難されるが、難解な事項を記憶するには、記憶力だけでなく精神力がいる。難関私立の問題には「努力だけでかかって来い!」みたいなところがある。泥臭い努力型の人間にはチャンスだ。
                 
                11月20日、2カ月ぶりに法学部の問題を解くと58点、11月27日は52点だった。順調だった。法学部世界史に関しては最終的に7割5分を目標にしていた。今後の予定として、12月と1月は、早慶の世界史の用語問題集として最も定評がある、東進の用語問題集を詰め込む予定だった。早慶世界史の一問一答は、東進が絶対だ。他はあり得ない。出題者の傾向の感性を読みきったような、ツボをズバリついた用語が羅列されている。早慶問題を分析するプロのスコアラーが作った用語集。また、時折入る解説コメントが面白くためになり、一問一答にありがちな無味乾燥さがないのがいい。
                もう一つの対策として、コウタロウには早稲田の問題を解いてもらう予定だった。早稲田と慶應の世界史・日本史の問題の難しさは図抜けている。だから早慶以外の大学の入試問題解いても対策にならない。早稲田志望の受験生は慶應、慶應志望者は早稲田の問題を解けば絶好の対策になる。テヘラン会談とかロイターとか盧泰愚といった難語が、早慶限定で頻出しているのがわかる。
                 
                さらに知識を固めるために、法学部の世界史は文化史の比率が高い。文化史が嫌いな人は多いが、逆に文化史は作者と作品を丸暗記すれば解ける分野であり、経済史のように深い理解は必要ない。文化史は「暗記すればいいや、ラッキー」と思えばいい。佐藤幸夫「世界文化史・一問一答」を詰め込む予定だった。
                受験直前には、Z会の「近・現代史」「各国史」に、山川出版社の「各国別世界史ノート」を使って、強引に用語をギュウギュウに押し込む計画も立てていた。受験直前には同じテキストを繰り返すのが鉄則だが、コウタロウは記憶力がいいので、直前に新しいテキストを使っても消化不良にならないと判断した。
                 
                最終手段として、私は山川の「世界史用語集」に、過去10年間に法学部・経済学部・商学部に出題された用語を蛍光ペンでチェックしていた。法学部がピンク、経済学部が水色、商学部が黄緑色である。




                こうやって塗っていくと、マラッカとか天津条約が全学部で集中して出題されているのがわかるし、法学部では教科書に掲載される頻度が少ない用語が出題され、しかも一度出題されたら二度出る可能性は極めて少ないことが判明した。1月になって慶應の過去問を10年分やり尽したところで、私がマーカーを塗った用語集をコウタロウに渡して、あとはコウタロウ自身にヤマを張ってもらおうと考えた。
                こうやって法学部対策の青写真は、精緻にできあがっていた。
                 
                商学部は、法学部や経済学部に比べて問題が簡単なので、点数が跳ね上がるのが速かった。
                100点満点で
                2010年  10/12  73
                2008年  10/19  70
                2012年  11/8  83
                商学部には、一癖も二癖もある論述力テストがあるが、合格可能性は極めて高いと判断した。商学部の過去問の点数が安定していることが、私とコウタロウに心の平穏をもたらした。
                 
                慶應対策、あとは論述力テスト対策が待っていた。論述の練習は11月から満を持してはじめた。
                 
                (つづく)


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                | uniqueな塾生の話 | 18:11 | - | - | ↑PAGE TOP
                日本一素直な男・コウタロウ(27)
                0

                  慶應は、法学部と経済学部と商学部の3学部を受験することにした。

                  コウタロウは文学部のキャラではないし、SFCは問題が奇妙奇天烈なので除外した。

                  試験日は2月16日・17日・18日。あと5か月ある。科目は英語と世界史と論述力(小論文)。私は綿密な作戦を立てた。一日じゅう慶應の赤本・青本を手離さなかった。過去問の分析をしていたらのめり込んで睡眠不足になり、1日4時間しか寝ない日が続いた。赤本の鮮やかな赤色と、「慶應義塾大学」と黒々と書かれた文字がアドレナリンを分泌させ、疲労の極致なのに頭は覚醒していた。

                  もはや失敗は許されない。だが3学部のどれか1つに合格できればいい。5か月あれば慶應に合格できる確信があった。だが確信が安心に緩まないよう、意識して危機感を心の底で煽った。

                   

                  受験勉強がアメフトの負担にならないように気をつかった。コウタロウは現役のアメフト部員、しかも9月から12月はアメフトのシーズンで、コウタロウのチームは3部から2部へ昇格する目標があった。

                  コウタロウはある時、4年になったら1部リーグで大観衆の声援を浴び、京大や関学と戦いたいと夢を語ってくれた。コウタロウは1年生でなかなか試合に出られないので、レギュラーの座を獲得するために力をつけ、監督コーチにアピールしなければならなかった。

                  コウタロウには、二足の草鞋を履き、勉強とスポーツの両立をめざす人間には避けられない悩みがあったと想像する。アメフトを練習する時は勉強が疎かになることへの焦りがあっただろうし、勉強をする時はボールの飛距離を伸ばすため、筋トレや自主練習を思いっきりしたい鬱屈があったろう。コウタロウは高校時代までサッカーをしていたので、蹴るのは得意だが投げることは慣れていなかった。しかもコウタロウのポジションはQBで、正確で速いパスが求められた。一刻でも早くチームに貢献したいのに時間が取れない。慶應受験しろと半強制的に立ちはだかる私に対する抵抗も少なからずあったと思う。

                  とにかく、私は受験勉強でアメフトという神聖なチームスポーツを犠牲にしてはいけないと考えた。アメフトに打ち込みながら、短時間で濃い勉強をやり抜くことに意義があった。私はエスプレッソコーヒーのような、濃く短い勉強ができる最善のカリキュラムを組んだ。コウタロウのチームメンバーのみなさんは、コウタロウが裏で猛烈な受験勉強をしているなんて、絶対に気づかなかったと思う。練習時間と重ならないよう、塾での勉強時間は早朝が多かった。暗記は往復3時間の電車の中でやった。まさにコウタロウは「仮面」をかぶっていた。

                   

                  慶應大学に挑む、コウタロウの勉強の軌跡を、科目別具体的に書き記しておこう。

                  英語については安心していた。

                  慶應大学の英語は、私が受験生の時は単語が難しいという印象しかなかったが、大人になって問題を改めて見ると、相当な「頭の良さ」を求めていることがわかる。意味を閃く力、事務処理能力、テキストからエッセンスを抽出する力、社会問題への食いつき。英語の問題は英語力だけを求めていない。「教養の底力」「地頭のキレ」が勝負なのだ。

                  とはいうものの、英単語量は絶対に必要だった。特に法学部の英語は、難単語の意味を類推する問題が出るが、ある程度暗記しておいた方が便利だ。コウタロウはTOEFL用の「TOEFLテスト英単語3800」で2000語の大学受験レベル以上の単語を暗記していた。これは大きなアドバンテージだ。

                  コウタロウは英国留学に向けて4か月猛勉強をした蓄積がある。大学1年生の英語力は、受験をピークに緩やかに下がるのに対して、コウタロウの英語力は急カーブで伸びている。カンを鈍らせないよう、Z会の「Advanced1100」「速読英単語・上級編」「リンガメタリカ」の3冊を使って、ひらすら英文和訳で多読乱読を心がけた。

                   

                  また、慶應法学部の問題を分析すると、「会話問題」で勝負が決まることがわかった。法学部の会話問題は日本一難しい。慶應法学部の会話問題を扱った参考書は少ないが、語学春秋社「横山のメタロジック実況中継」には目を通しておく必要があった。慶應の会話問題を解くには、センター試験では通用する小手先の「ロジック」ではダメで、内容を「メタロジック」で把握していなければ解けないというのが、この本の主張だ。メタロジックとは要するに「会話の空気」である。空気を読む鋭い感覚がなければ法学部の会話問題は解けない。「あうん」の呼吸の機微を知る感性がいるのだ。この本の最後に慶應法学部の問題が3連発で載っているが、この解説が圧巻で、解説を読んでコツをつかめば、会話問題での失点は防げそうだった。

                   

                  慶應受験で、なにより私が最重要視したのは過去問である。過去問を頻繁にやって得点力の伸びを確かめた。私は過去問中心主義である。偏差値より合格最低点で力を判断する。偏差値という相対的な「他人との戦い」より、合格最低点という絶対的な「自分との戦い」に重きを置く。特に私立大学に関して、模試はあまり信用しない。ましてや慶應の問題は独特すぎて、模試の判定はあてにならない。

                  受験勉強を減量にたとえれば、過去問の点数は体重計だ。過去問を解き体重計に足をのせる時、減量に苦しむボクサーのような緊張が走った。

                   

                  コウタロウの英語での過去問スコアは、法学部(200点満点)が、

                  2009年 8/18  90

                  2010年 9/30  140

                  2008年 11/2  135

                  2007年 11/9  115

                  2013年 11/16  143

                  と着実に伸びていった。法学部は英語が7割あれば合格できると私は踏んだ。伸び盛りのコウタロウなら、本番で最低7割5分は取れそうな気がした。

                   

                  経済学部(200点満点)は

                  2013年 9/13  158

                  2008年 10/15  152

                  2009年 11/13  139

                  と、最初からハイスコアを叩き出した。経済学部は自由英作文の配点が高い。コウタロウは自由英作文が得意で、一橋受験で自由英作文はみっちり鍛えている。

                  また、コウタロウはどういうわけか、日本語よりも英語の方が自己主張できるタイプだ。私に対しては相変わらず口が重いのに、大学のアメリカ人の先生に対しては気軽に話せるらしい。書き言葉も話し言葉も「英語人格」の方が積極的になる。英語になると人が変わったように強くアピールできるコウタロウには、自由英作文の配点が高い経済学部の問題は水にあっていた。

                  おまけに、経済学部は英作文の比率が年々上がっている。昔は経済学部も英作文を捨てて合格できると言われていたが、傾向が変わったいま英作文を捨てれば致命的だ。経済学部の英作文の難化は、私立文系専門で英作文が書けない受験生を排除する意図が見える。慶應経済は英作文が合否を決めるのだ。

                   

                  商学部(200点満点)の得点の推移は

                  2007年 10/8  149

                  2008年 10/23  167

                  2012年 11/27  155

                  と、こちらも終始一貫安定していた。

                   

                  英語のメドはついた。合否のカギを握るのは世界史だった。

                   

                  (つづく)

                  | uniqueな塾生の話 | 19:05 | - | - | ↑PAGE TOP
                  日本一素直な男・コウタロウ(26)
                  0

                    コウタロウの大学受験は、ソチ五輪の浅田真央と状況が似ていた。

                    コウタロウも浅田真央も、前半で致命的な失敗をしたのに、後半は不屈の精神力で追い上げ、「奇跡の挽回」をなしとげた。

                    ソチオリンピックの浅田真央は、前半ショートで転倒しメダルは絶望になったが、後半フリーで伝説に残る滑りを見せた。浅田と同様、コウタロウもセンター試験で失敗し、二次試験で大挽回したが、惜しくも僅差で一橋大学合格を逃した。2人の軌跡は胸を締め付けた。日本を代表するトップアスリートと、無名の19歳の青年を同列に並べることに飛躍があるのはわかっているが、浅田真央の笑顔と涙を見ていると、私にはコウタロウの姿と重ねざるをえなかった。

                     

                    コウタロウと浅田真央、2人に共通するのは、万人を味方につける笑顔である。また谷亮子や亀田兄弟のような闘争本能剥き出しタイプとは正反対の、お世辞にも勝負師とはいえない普通の子なのに、120%の精神力をふりしぼって、高い所に駆けあがろうとする健気な姿だ。

                    浅田真央は決して美人ではない。だが笑顔がいい。笑顔ひとつで日本中を味方につけている。八の字眉毛の笑顔が浅田真央の武器だ。あのけがれのない笑顔の少女が、フィギュアスケートという過酷なリンクという衆人監視の闘技場で、転ぶ危険性と戦いながら、文字通り薄氷を踏む戦いをしているところに、フィギュアの残酷性があり、人気の原因がある。われわれは、ふつうの女の子が転ぶ危険性を秘めながらトリプルアクセルに挑む残酷なシーンを、ハラハラしながら楽しんでいるのだ。
                     

                    コウタロウも笑顔がいい。コウタロウは中学1年生の時から、お母さんが運転される軽自動車で塾に通った。中1のころは小さい体で、助手席で両手にひざを置き、背筋を伸ばしてちんまり座っていた。大学生でコウタロウは免許を取った。免許取得後、家から塾に向かうときはお母さんが運転され、塾からはコウタロウが運転を代わった。コウタロウはお母さんと運転を代わる時、車の前面に初心者マークを照れた笑顔で置いた。アメフトの筋トレ食トレで体が肥大化したコウタロウが、ういういしく初心者マークを置き、熊のような身体で軽自動車を運転する姿は、ほほえましかった。アメフトで頑強な身体になっても、コウタロウの笑顔は変わらなかった。

                     

                    浅田真央もコウタロウも、大きな目標をめざしたが、目標はかなえられなかった。

                    メダルを逃した浅田真央が現役を続けるかどうかわからない。だが、4年後もう一回浅田真央の姿を冬季オリンピックで見たいし、ここで競技生活が終わるのは消化不良だと考えるのは当然だ。ただ、もう一度目標に向かって進むか、静かに挑戦の幕を閉じるかは、本人と周囲の者でなければ結論は出せない、微妙で重大な問題である。たった4分間の競技のために、4年間耐える道を選択するかどうかは難しい判断である。部外者には口を出せない領域だ。

                    対してコウタロウは私の強いプッシュで、留学か慶應受験で、もう1回チャレンジすることになった。青春を完全燃焼し、10年20年30年たって若いころもっと頑張っておけばよかったと後悔してほしくなかった。私はコウタロウの人生を、大規模な治水工事のように強引に曲げた。
                     

                    受験に際して心配なのはコウタロウのアトピーだった。現役の時、コウタロウは背中と腕がアトピーでズタズタになった。出血し皮膚がかゆみに耐えられず、彫刻刀で刻むようにかきむしる状態だった。再受験はコウタロウの健康を蝕む可能性がある。コウタロウにもう一回、地獄の受験ストレスを与えるのが怖かった。 

                    ところで、将来を嘱望された高校野球のピッチャーが、ひじや肩を酷使し壊す危険性がありながら、甲子園で勝利がかかった試合に投げさせるべきかどうかという議論がある。私はひじと肩を壊した将来性があるピッチャーに、連投を命じるかどうか迷う高校野球の監督の心境だった。

                    私がもし高校野球の監督なら絶対に連投ストップさせる。将来プロとして活躍する可能性を奪いたくないからだ。

                    コウタロウにもう1回大学受験をさせることは、将来ある投手を酷使し、華々しく散らせる高校野球の監督に似た悪行かもしれなかった。だが野球と勉強は違う。野球で200球投げるのは消耗だが、勉強で200個単語を暗記するのは蓄積である。野球の過度の投げ込みは才能破壊だが、勉強の知識詰め込みは豊潤な知性を育む土壌開拓だ。だから私はコウタロウに、大学1年生の平穏な生活に逆行する道を強く勧めた。

                     

                    コウタロウと私は、9月後半から、慶應義塾大学に向けて特訓を開始した。

                    留学の勉強は9月中旬で終了した。97日と21日に2回、イギリスのケント大学留学への基準になるIELTSのテストがあり、大阪でIELTSを2回受験した。10月中旬にはIELTSのスコアが発表され、その後、大学の先生から面接を受ける。IELTSのスコアと面接が留学への判断基準になるのだ。約1か月の選考期間のあと、メンバーに選ばれるかは11月末日に決まる。

                    留学が決まれば慶應への受験勉強はストップ。できなければ2月中旬まで慶應大学に向けて受験勉強を続けることになった。私もコウタロウも、留学が第一志望、慶應が第二志望という方向で、意見が一致していた。

                     

                    コウタロウの生活はハードだった。炎天下で重いヘルメットと暑苦しい防具を身につけ、アメフトの練習を続けながら、同時並行で猛勉強しなければならなかったのである。もはや文武両道の域を超えていた。

                    しかも留学の勉強が終わった瞬間、コウタロウには慶應大学受験に向けて勉強が待ち構えていた。ハードな留学の勉強でゴールにたどり着いたと思ったら、すぐ目の前に慶應への受験勉強という新たなレースのスタートラインがあった。だがコウタロウは苦しい素振りは見せず、慶應だからといってとくに意識することもなかった。永遠に転がり続けるボーリングの球のように、粛々と平常心で勉強を続けていた。

                     

                    私にとってコウタロウは浅田真央だった。もしあなたが教育者で、素直で性格が良く努力家で、少々鍛えてもへこたれない精神力を持つ子が、信頼どころか信仰の域に達するぐらいあなたを頼ってくれたらどんな気持ちになるか。練習でいっさい手を抜かず、努力する姿を7年も見せつけられたらどうするか。高い目標を持ちながら病気で挫折し、再びチャレンジしたい気力を沸々と持ち続け、エネルギーのやり場に迷っているのがわかったらどうするか。将来大物になる高貴なオーラを漂わせていたらどうするか。リベンジを果たしたくなるのは当然ではないか。

                    留学が決まるならあと2か月、決まらなければ5か月。慶應受験は私にとって、コウタロウへの最後の奉公だった。私の身体から強烈な磁場が発しているのが、自分でも意識できるくらい気力が充実していた。

                     

                    (つづく)
                     

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                    アンパンマンK君 阪大合格体験記
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                      1年後に受験を控えた、小4から塾生のK君は、私が高校部を開くことを決意し、最初の広告を入れた日の朝に、真っ先に馳せ参じてくれ、いっしょに大学受験を戦うことになりました。
                      K君は都会の高校生のような鋭い頭脳と、田舎者の泥臭さをあわせ持ち、何よりも性格がハチャメチャに明るく、万事においてパワフルで、「最近の若者は物足りない」と嘆くどんな口うるさい大人も、K君には脱帽するでしょう。
                      また彼は、顔がアンパンマンにそっくりです。
                      私は大阪大学に合格したK君に「600字〜800字で合格体験記を書いてくれ、急がなくていいよ」と頼んだのですが、たった7時間後に、なんと10000字の合格体験記をメールで送ってきました。いかに彼が熱心に受験に取り組んだかわかります。
                      私は感激して涙が出ましたが、ただ困ったことに10000字の文章は、量が多くて小さな紙1枚に掲載できません。だからKN君の合格体験記は、4回に分けて掲載しました。

                      ●第1話  高3から受験勉強開始! 「部活の鬼」が「勉強の鬼」になった

                      僕は高校生活の3分の2を部活に費やしたといっても過言ではないほど部活に熱中してたので、ほんとに勉強をしだしたのは、高3になってUS塾に行きだして、しかも部活が終わってからでした。  
                      高2まで、学校の宿題すらぎりぎりで、部活でどうしようということばかり考えている状況でした。受験というひどく恐ろしいものを、まだ軽く考えてました。 
                      高2の終わりごろから、センター対策のマーク模試がはじまります。ここではじめて、ちょっとまずいかなぁと思いだしました。ですが、「勉強しないと」と100回唱えても、習慣ってなかなか変わるもんじゃありません。結局そんなに勉強しないまま、時間だけが過ぎていきました。

                      気づけば受験まであと1年ないところまできてました。なんとか今の状況を変えようと思ったとき、ふとUS塾が高校部を開始するという噂を耳にしました。
                      僕は小4から中3までUS塾の生徒でした。すぐに笠見先生にメールを送り確認してみると、こんな勉強をしていこうという戦略が、ずらっと返ってきました。今まで漠然としたものが、急に形を帯びてきました。僕は新たな学ぶ場としてUS塾を選びました。

                      ですが、高校3年生の春は、部活の1番大事な大会があります。当時の僕は「この大会のために高校生活送ってきたんだ」と本気で思ってました。もちろんそんなことでは勉強がおろそかになります。受験生なのに1日2〜3時間勉強という、ふざけた生活を送ってました。塾にも週1回しか行ってませんでした。
                      そんな状態でしたから 塾でだされた単語テストに遅れまして、先生から怖いメールが来て、身の毛もよだつ思いをしたのを覚えています(笑) 僕は1つのことに集中すると他が見えなくなるところがあるので、冷静かつ激しく道を正してくださった先生には感謝しています。

                      部活では、運よく勝ち上がり、夏休みまでテニスをやってました。勉強面では週3〜5回塾に行ってましたが、気持ちはそこまで勉強に向いてませんでした。僕は理系科目はまぁまぁでしたが、文系科目はからきしダメでした。国語と地理は悲惨なぐらいできませんでした。
                      夏休み期間中に弱点を埋めようということで、国語をずいぶんやりました。国語は、問題を解いて解説を読んで、それが自分の勉強になるまでにステップがあります。解説というのはある程度文章の流れがわかってないと、全く意味をなしません。国語でとんちんかんな人は、解説を読んでもちんぷんかんぷんなのです。解説に書いてあることはどうしてなのか またどうして解説はそこの部分を取り上げるのか、そんな低いレベルからスタートなのです。先生に討論のようないちゃもんをつけながら、少しずつ国語という世界をわかっていったような気がします。

                      こんな感じで勉強していたのですが、部活が終わって1カ月ぐらいは、なんか気が抜けるものです。やっていたことも基礎中の基礎でしたし、夏休み最後の模試ではいい結果が得られませんでした。今考えると当然のことなんですが、勉強やり始めても点数に出ないことに焦りだしました。気合いを入れるため、先生に頼んで塾での僕の定位置の壁に張り紙を作ってもらいはりました。「臥薪嘗胆」と。

                      夏休みが終わり、いよいよ受験シーズンです。ほんとの意味で勉強に本気になったのを覚えてます。
                      9月は毎日学校が終わるとすぐに塾に行き、夜の10時まで勉強し、帰ってお風呂からあがると11時から2時までやってました。10月からは「寒いので、湯ざめして風邪ひくのがこわい」と先生に相談したら、なんと夜、無制限で塾を使っていいといわれ、12時から1時、遅い時は2時までお世話になりました。
                      家に帰ったら誘惑がたくさんあります。お菓子・テレビ・マンガ・音楽・・・おそらく意志の弱い僕は、周りにそんなものがあればだらけてしまっていたでしょう。
                      ですが、塾という空間に浸っている限り、勉強から逃れるすべはありません。自分を取り巻く空間に勉強以外の不純物が一切ないときの人は集中力はすごいです。周りが全く見えません。気づけば4時間ぶっ続けでやってるなんて日常茶飯事でした。
                      こう書いてしまうとさぞ息苦しそうだなぁと思うでしょうが、実際は友達も同じような状況で頑張っているので自分も頑張ろうって気になったし、息抜きの英単語テストで勝負したり 国語の解釈で討論したりとけっこう楽しいこともありました。

                      北高にはモニターシートという、勉強時間を記す紙があるのですが、僕の1週間の家庭学習時間の最高は5900分でした。平日6〜8時間、休日12〜15時間やればこうなります。ぜひお試しください。
                      ちなみに1日の時間の使い分けは、次の方程式をかるく満たしてました。「家にいる時間=学校にいる時間=塾にいる時間」 
                      これだけの時間、具体的にどんな勉強ををやっていたかというと、まず国語です。夏休みで最低ラインはできていたので、秋からも1日最低1問をやってました。英語も毎日の単語テストに加え、長文なり英作なりを1日1問はやってました。英語は12月に入るまで二次の対策を、12月からひたすらセンター演習をしてました。
                      毎日やっていいたのですごい量の問題にあたったと思います。塾には大量の参考書・問題集がありました。おそらくあの問題集を一人で買うと、塾の月謝程度ではすまなかったでしょう。
                      「量より質だよ」という人もいるかもしれませんが、僕は「量をこなしてこその質」だと思います。問題に多く当たる中で、いかに問題の傾向なり対処法なりを見つけ、自分のものにするか。その時間が短ければ質がいいのです。
                      まず問題にあたってください。少ししか問題にあたらず、「質だよ」というのはただの逃げです。また、問題の質は笠見先生に一任すればいいわけなので、塾生はひたすら量をこなせばいいわけです。わからないところがあれば、すぐに質問できる環境にいるわけですし。 

                      ●第2話 センター試験でこける

                      僕は理系なんで物理・化学をひたすらやってました。だいたい9〜11月に本当の意味で志望校が決定するのですが、僕は最初、京都大学を志望してました。まず敵を知ろうということで赤本を買って、土日で物理・化学を1年分解き、わからないところは学校にいって聞く作業を毎週続けました。
                      最初はロシア語で問題が書かれているのではないかと思うぐらいでしたが、毎日やっていく中で 傾向もふくめてだんだんわかるようになってきました。
                      理系は特に二次の配点が大きいので、基礎から固めるのですが、とにかく応用力を意識して勉強しました。たまに超がつくほど難しい物理をやったり、厚さ7センチぐらいある化学の参考書を3日かけてやったりしました。
                      目標が目標なだけに中途半端なことしてたら間に合いません。センター勉強は文系科目だけして、理系科目はひたすら二次をやってました。   

                      センター1ヶ月前になると、さすがに理系科目もセンター演習に移りました。化学はセンター対策のDVDを見たりもしました。ですが、そのころには発展をかなりの問題数あたっていたので、センター問題は高校受験ぐらい簡単に思えました。
                      センター1ヶ月ぐらい前から、自習室にあるホワイトボードに「センターまであと○○日」と毎日書き始めました。気合いをいれるのと同時にプレッシャーをみんなと共有して、少しでも焦る気持ちを抑えようとしてました。
                      さすがに1月1日は自宅にいましたが、12月31日も1月2日も塾に行って勉強しました。某KS氏は1月1日も塾にいたそうです。まぁ受験生だから当然ですね。
                      僕の高校の担任の先生は「いいですか皆さん。今年のクリスマス・正月その他もろもろのお休みは 来年の春にお手手をつないで一緒にやってきます。それまでがんばりましょう」とおっしゃいました。まさにその通りでした。

                      最後になっても伸び悩んだのは地理でした。用語はわかるし問題数もこなしているはずなのに点数に反映しない。かなり焦ってました。そんなある日、笠見先生がパソコンでいろんな地形や街の風景の写真をみせてくださいました。 用語で知っていたものが映像で現われたとき、あやふやだった知識が確たるものになりました。と同時に「いってみたい!!」という興味がわき、一気に地理が好きになりました。それから点数も上の方で安定しだしました。
                      ちなみに大学生になった今、地理で習ったとこに旅行に行きまくってます(笑) やっぱ実際に見るのは写真と全然違いますね。高校生の人は大学生になれば 好き勝手できる夢の時間が手に入るから、今は勉強を頑張ってください!!

                      さてセンター試験前夜、ホントにやるべきことはやったと思いつつ、でももう一回単語を復習しようとか文法はどうだったっけとか確認しながら、過酷な明日の決戦に備え、10時に寝ました。
                      ですがありがたいことに(?)、兄や友達から「明日頑張れよ!!」というメールや電話がきて、3度も起こされました。そのたびに心臓のばくばくが速くなって このまま死ぬんじゃないかとさえ思いました。
                      「明日すべてが決まる・・・」そんなこと考え出すともういてもたってもいられません。寝なきゃと思えば思うほど目がさえます。心ある人はセンター前夜なんて時に、メッセージを送るのは絶対やめましょう(笑) 

                      寝不足でちょっと頭が痛かったですが、センター会場に着くとそんなこと言ってられません。幸い友達がいたのでそこまでアウェー感はなかったですが、他の高校の人とかおじさんとかがいて、試験監督も見知らぬ人だし、特殊な環境ですから、多少緊張はしてました。
                      そういえばセンター会場は暑いですので、すぐに脱げる服を重ね着していくことをお勧めします。 
                      さすがに緊張感も最初の現社で吹き飛び、地理のときは完全に集中できてました。センターは休憩時間が異常に長いです。休憩時間のときの過ごし方として絶対やってはならないのは、さっきやった問題のことをしゃべることです。 少しでも心に突っかかりが出来たまま、次の試験に入ると悲惨な結果になるでしょう。なるべくリラックスして次の教科の参考書などを見て、頭の中のスイッチを切り替えておきましょう。 

                      問題の国語なんですが、僕は馬鹿な事をしてしまいました。なんと消しゴムを使ってしまったのです。しかも4回も。ひととおりとき終わって、微妙だなぁって思うとことを見直して、はっきりした根拠が見当たらないのに、なんとなく直してしまいました。
                      結果から言うと、この4問、最初にマークした方が合ってたんです。国語は迷ったら、確かな根拠がない限り最初に選んだ選択肢を変えないでください。
                      最悪なのは英語でした。英語は傾向がコロっと変わりました。おそらくこれからもずっと変わるでしょう。1番驚いたのは最終問題が物語から評論になってたことです。これに動揺して何問もミスし、結果的に致命傷になりました。 これがなければと、今でも後悔しています。 1日目が終了し、頭の中がジャムみたいにぐじゃぐじゃになったようでした。ほんとに頭が痛かったです。

                      センター2日目は緊張とは無縁でした。2日目という慣れもありましたが、京大はセンター配点は文系科目しか使われないのできんちょうの「き」の字もありませんでした。 
                      最初の生物の待ち時間は 自分で作った化学のセンター問題を大問ごとにまとめたノートを見てました。数学は僕の年は簡単になってて、最初の長方形の問題なんてなめてんのかなぁと思うぐらいでした。化学はちょっと「あれ?」って思うとこもありましたが無事終了。物理も問題なく終わりました。
                      覚えていることは 部屋が異常に暑かったことと、外は大雪だったということです。最後に「やめ」と試験官に言われて、息をきゅっと止めました。ここで気を抜いたら終わりだ。そう思って帰りの雪道を歩きました。 

                      高校では自己採点するなと言われてましたが、ついついやってしまうもんです。帰りに塾により、報告もそこそこに解答速報を受け取り、帰って自己採点しました。結果は先ほど書いたとおりです。
                      落ち込んでもいられないので、すぐさまもらっていた英作の問題をやって寝ました。次の日学校へ行くと、みんなけっこう笑顔でした。試験が簡単だったこともあり、みんな思い通りの点数が取れていました。
                      みんなの笑顔を見ると、なんだか自分だけ取り残されたような気分になりました。だからその日からまた塾に通いだしました。 

                      ●第3話 志望校最終決定の迷い そして「超大波乱」の2次試験 

                      センターの結果を見て、大学出願はものすごく迷いました。河合塾のバンザイシステムだと、第一志望だった京大はD判定の下の方でした。点数にして約マイナス25点。数学大問1個分です。それでも、本気で京大に出願を考えた時もありました。なぜならセンターが終わった時点で過去問7年分はすでに解いてましたので、二次で挽回のチャンスはあると思ったのです。

                      ですが、僕は部活で忙しいという理由で京大に一回も行ったことありませんでした。だから、春に京大キャンパスにいる自分をイメージできなかったのです。 
                      それに対して、3年の途中まで志望していた阪大は、オープンキャンパスで講義を受けたことさえありましたので、春にキャンパスに立っているイメージができました。 締切直前まで悩んだ末、阪大を受験することに決めました。 センター得点でC判定のマイナス10点でした。理系科目がよかったのが幸いしました。 

                      ここで書かなきゃいけないエピソードがありますね。笠見先生に最後「阪大受験します」と言ったら、なんと「臥薪嘗胆」の張り紙があった自習室の白い壁に、先生はいきなり「−10をふっとばせ!!」と黒マジックで直接書いてしまったのです。びっくりしましたがうれしかったですし、がんばろうという気持ちに、完璧に切り換えることができました。

                      阪大に志望校を決めてから、過去問を解きまくりました。数学だけなら過去20年間分は網羅しました。京大の問題は癖だらけで、やっと解けたと思ったら、まだもう一個山があるみたいな問題ですが、阪大は案外素直な問題ばかりなので、慣れるのに苦労しました。ですが、応用の難しい問題に慣れていたので、思ったより楽でした。
                      それよりも英語が大変でした。自由英作文を全くやってなかったので、何をすべきか全然わかりませんでした。笠見先生が自由英作文のいい問題集をくださったので、自由英作文は先生に添削してもらうことを延々と繰り返しました。 あれは絶対に一人じゃできないし、学校でもそんなマンツーマンでやってくれることなんてないでしょう。読解も文ごとの訳をしては先生に添削してもらったり質問をして、なんとかやっていきました。 
                      2次試験の勉強は、深夜12時超えて勉強することは少なくなりました。ですが、やることはやっているという充実感はありました。合格するという手ごたえも感じてました。 

                      2次試験前日、大阪に乗り込んで、一回試験会場まで行ってみました。行き方はすべて先生に教えられていたので、ふだん船には乗るが電車には乗らない田舎者の僕でも余裕で大学に行けました。
                      先生から英語のミニマムフレーズが僕の携帯電話へ大量に送られてきたので、ひたすら読んでたら緊張はあんまりしなかった。ホテルではお風呂に湯を張って扉をあけ、乾燥対策をして眠りに就きました。 

                      朝、もう一度、携帯の画面のミニマムフレーズを確認しながら試験会場へ。

                      最初の数学・・・・・ヤバい 簡単 普通に解けた。 昼休み 友達と話しながらちょっと気が緩んだ。 
                      そして次の英語でじっくり解きすぎて、時間が足りなくなった。あんだけやった自由英作文で時間がなく、最後の英作文は1つ書けなかった。もう頭の中真っ白でした。あんなにやってきたのに・・・
                      ですが、落ち込んでる暇なんてありません。次は理科2科目。挽回するしかありません。 化学は順調。物理は問3が意味不明だったけど他はできました。終了の合図があり、「ふぅ」と息を吐いて外に出ました。 試験がすべて終わって、友達と合流しました。どうしてもテストの話になります。そこで数学が一問違うことが判明し、合格点ぎりぎりになったことに気づきました。

                      そして最大の悲劇が待ち構えていました。何とあり得ない事に、物理の問2で、中学生みたいなミスがあることが判明しました。絶対に合ってると確信して解いた問2で(1)に間違いがあったのです。(1)が間違ったいうことは問2全滅ということを意味します。数学は途中式も書けるので△もあるが、物理は答えだけしか書かないので、○か×しかありません。致命的なミスでした。 
                      あんなに頑張ってきたのに・・・なんであんな初歩的なミスを本番でするんだ? なんかもうみじめさでいっぱいでした。 
                      すぐに笠見先生に電話で報告しました。友達と晩御飯を食べてるとき、吐きそうな気分になって、話は右耳から左耳へスーと抜けて行きました。友達と夜の大阪に繰り出す約束をしてましたが、とてもそんな気分になれず、一人新幹線に乗って帰りました。 

                      家に着いて「もう寝るから」と言って布団に入りました。泣きました。あんなに泣いたのはおそらく初めてです。離れのばあちゃんが様子を見にきたぐらいです。
                      なんでなんだ?
                      なんで本番にあんなミスするんだ?
                      あんだけ頑張ってきたのに。
                      あれだけやって、ミスさえなければ確実に受かったのに。
                      虚しさと悲しさと怒りと寂しさと、そんな感情が一気に襲ってきました。 どうしようもないのに、ただただ泣いてました。 

                      ●第4話 熱く真剣な「軌跡」が生んだ 「奇跡」の合格発表

                      2次試験が終わった2日後、塾に行き勉強しようと思ったのですが、なぜかパソコンの画面に向かい、阪大のホームページを見ながら、2時間ぐらいボーッとしてました。目がうつろでした。笠見先生曰く、本気で死ぬんじゃないかという顔をしてたそうです。
                      頭では勉強しないといけないと思ってましたが、どうしてもできませんでした。もう無理だって思いました。自習室に毎日通っていた僕が、塾を数日休みました。その間、何をしてたのか記憶にありません。 
                      阪大の合格発表の前日、コピーした過去問をやるために塾に行き、笠見先生と今後を話し合いました。ほんとに泣きそうになりながら話をしました。泣いていたのは、僕だけじゃないって気づいた瞬間でした。
                      僕自身、あのときほっとかれてたら、どうなっていたかはわかりません。とにかく言えることは、支えられないとだめなときに、しっかり支えてくれた人が先生でした。だったら最後まで任せようと思い、受験番号を先生に言いました。 
                      前期の阪大の合格発表と、中期試験のため向島を離れるのは同じ日でした。中期試験があるという口実をつけて、僕は一番苦しい合格発表を笠見先生に放り投げたわけですね。
                      ですが、放り投げれるだけの存在だったと思います。あれだけ遅くまで勉強に付き合ってくださり、何から何までやってくださり、大学受験の全てをやってもらったといっても過言ではなかったですから。 

                      そして運命の合格発表。朝9時に、阪大のHPに合格者の番号が掲載されます。塾でHPを見るのは先生の役割です。僕は中期試験に旅立つため、バスに乗りながら阪大の合格発表を迎えました。
                      朝9時、電話がない。 つまり・・・ 
                      やっぱりダメだったかと、涙が出るのをこらえながら、中期がんばるぞって強がってた時、9時6分、僕の携帯電話が震えました。 僕の手も震えていたので、携帯を落としてバスの乗客の視線を集めました。 

                      「はい もしもし」
                      「お前の受験番号を言ってみろ!」
                      「は?」とか思いながらカバンにあった受験番号を言った。
                      「○○○○○です」 
                      「○○○○○だな!?  おめでとう!!大阪大学工学部応用自然科学科合格だ!!」 

                      何を言われてんのかさっぱり分かんなかった。たぶん「は?」って先生に言ったと思います。
                      僕の脳みそではその文章は理解できませんでした。
                      「だから 合格したんだ!!」 
                      やっと理解した僕は、他の乗客を無視して叫びました。

                      最後は、ほとんど勉強の話ではなくなりましたが、僕の大学受験はこんな感じです。今はサークルでテニスをしながら、いろんな場所に旅行して景色を見てまわってます。大学1回生はほんとに時間があって高校時代にできなかったことができるようになります。だから、高校の時にやりたいことを見つけて、ため込んで、大学に入って爆発させてください。
                      今を必死になれる人が、将来も必死になれるし、きっと楽しい生活を送れると思います。つらいときもあるでしょうが、頼れる人は案外近くにいるものです。熱く、そして必死に、今を頑張ってください。



                      「アンパンマン」ことK君が一年間にこなした参考書・問題集を積み上げてみました。
                      現在K君は大学院2回生で、一部上場企業に内定が決まり、社長を目指しています。




                      実はアンパンマンより、「こども店長」に似ているK君

                       
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