猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
kasami88★gmail.com
CALENDAR
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>
RECOMMEND
RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
twitter
猫ギター
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS
無料ブログ作成サービス JUGEM
試験に不合格になった時の母親の声がけNG集
0

    子どもが不合格になった時の、声がけは難しい。
    神経質な神経戦になる。

     

    受験に対して思い入れが強い親の場合は、一歩間違えるとこんな感情丸出しの言葉を子どもにかけてしまう可能性がある。

     

    「どうして落ちたのよ? お母さんがっかり。葬式みたいだわ。外出するのが恥ずかしい。喪服着て歩こうかしら。私はね、あなたのためにパートで働いて、高い塾の月謝払ってきたのよ。食事だって気を配ったし。一番腹が立つのわね、ケンジ君が合格して、あなたが落ちたことよ。なんであなたが落ちるの。差別よ。試験に落ちるってこんなに悔しいものなのね。悔しくてめまいがしそう、吐き気がしそう、心臓が止まりそうよ。私のお腹から出た子が不合格だなんて信じられない。ねえ、私が悪いの? あなたが悪いの? 遺伝子の問題? 後天的努力の問題? 責任はだれ? ねえ、ちゃんと努力した? アタシの腐れ遺伝子がアンタを落としたのか、それともアンタの努力不足がアタシを地獄に落としたのか。ああ、ショック! ショック! ショック!」

     

    子どもが試験に落ちた時、こんな風に、高畑淳子みたいなヒステリー状態になって感情全開の母親はまさかいないだろうが、受験熱が高すぎるあまり、内心では狂気錯乱している人もいるのだ。

     

    多虐型もある。学校や塾の先生の非難を始める人だ。

    「絶対あんた合格してるわよ。担任が調査書に悪く書いたんでしょ。明日お母さん学校に訴えてくる。調査書の開示要求するわ。いままで調査書に悪く書かれちゃいけないから猫かぶって担任にゴマすってたけど、明日からは言いたいことは言う。女は化けるのよ。誰が遠慮するものか。学校もダメだけど、塾も塾よ。10月に国語の先生変わったでしょ。ベテランの中島先生がやめて、入社2年目の横河先生。あのひと無能よ。あんたのノートの板書見たけど、中島先生の板書はイラストとかあって楽しそうで、私でも力つきそうな気がしたけど、横河先生のは真面目なだけの授業って感じじゃない。頭がかたいわ。若手の経験不足講師が受験学年教えるんじゃないわよ。学校すんだら塾にも行くわ。トレンディエンジェルの斉藤さんみたいな教室長に文句つけてやる。「おたくの塾、システムがおかしいんじゃないですか? どうして中島先生やめたんですか?」って正論ぶつけてくるわ。あとあなたを落とした学校にも腹が立つ。だって試験の配点と採点基準がわからないじゃない。論述の採点なんてドンブリ勘定よ。配点と採点基準を公開してもらって、あんたの答案がどういう基準で採点されたのか教えてもらうわ。採点官の胸先三寸で、大事な入試を採点されちゃたまんないわよ。大相撲だってメジャーリーグだってビデオ判定あるでしょ。あなたが落ちたのは審判のミスよ。判定くつがえしてやるわ」

     

    こんな、友近が狂った時のような、極端な母親は怖い。試験に関わる人間に対して、ことごとく敵意を燃やす。
     

    以上2つの例、極端で現実感に乏しいデフォルメかもしれないが、子どもが不合格になった時、教育熱心な母親の心はパニックになる。
    まあいずれにせよ、試験に不合格になった時、親が饒舌になったり、逆に寡黙になったりする異常事態は子どもの心を折る。

     

    高畑淳子や友近みたいな悪意全開の人は稀だが、善意で子どもを苦しめる母親もいる。
    子どもにとってグサグサくるのは、親が熱くてクサい言葉がけをすることだ。

    「お母さん、いつでもあなたの味方だからね」

    「あなたはね、本当は力があるのよ。お母さん信じてる」

    「運が悪かったのよ。これからの人生いいことあるわ」

    「若い時の苦労は買ってでもしろっていうじゃない。今回の不合格は、きっと肥やしになるわ」
    こういうのは、誰にでもあるのではなかろうか? 親は一世一代、渾身のキメ台詞をかけたつもりなのに、子どもの反応がイマイチだったり、ひどい時にはキレられたことはないだろうか。何が肥やしだ、クソババアがと。

     

    親は熱いメッセージのつもりで言ってるのだが、子どもには暑苦しいばかり。暑苦しく芝居かかった紋切り型のセリフほど、子どもをイラつかせるものはない。
    大人が自分に酔って言ったセリフは、子どもには酔っ払いの戯言にしか聞こえない。

     

    自然体が一番。だが自然体が難しい。


     

     

    | 硬派な教育論 | 14:46 | - | - | ↑PAGE TOP
    「朝型」と水商売
    0

      勉強時間は朝型が理想的だ。だが朝型か夜型かは、家庭環境の要因が大きい。公務員やサラリーマン家庭なら自然に朝型の生活ができるが、夜勤の多い看護師や水商売の家庭では、夜型になりがちだ。

       

      たとえば母親が水商売で、帰宅が深夜のならどうするか

      水商売の女性は、ママもホステスも、売り上げのために飲まなければならない。無理して「私たちもいただきます」と飲みたくない酒を流し込む。特に母子家庭で稼ぎが生活を左右する場合、命を張って売り上げを稼がなければならない。客の酒を飲めば飲むほど儲かるので、根性で飲み切る。店が終わったあとも、客と食事に行ったり、つきあいがあるだろう。

       

      店が終わり家に帰ると、泥酔して湯船の中で寝てしまう子どもは「お母さん死ぬんじゃないかって心配もするだろう

      でもあまり酔ってない時は、勉強中の子供に「いっしょにラーメン食べましょ」って、サッポロ一番みそラーメン作

      冷蔵庫のもやしと玉ねぎとキャベツ中華鍋で炒めて乗っけて。「蒙古タンメン中本風ね」と言って豆腐を入れる時もある。一味唐辛子を一瓶全部かけちゃう勢いで、真っ赤にして食べるわけ。あとバターをたっぷり。深夜の晩餐会。

       

      こんな生活だと、夜型にならざるを得ない。子どもは朝ご飯食べない。母はたいてい寝てるし。深夜のラーメンが朝ご飯みたいなものだ。夜型の環境は、子どもを深夜にしか勉強できない体質にする


      でも夜の勉強、頭がトランス状態になって冴え起きていれば勉強が佳境を迎える瞬間があり、謎の集中力が芽生える。こんな時「寝ちゃったらもったいない」と思う。だから夜遅くまで勉強して、意識がなくなって気づいたら机の上にうつぶせになって寝ていることもある。夜型ってどこか、学者や小説家みたいでカッコいい気分にもなる

      だけど、そんな生活が良くないことは、賢明な母親ならわかっている。
       

      そんな母親は、夜の仕事をしていても、朝は子どもより早く起きて、朝食と弁当を作っている。公務員やサラリーマンにとって朝型は自然体だが、生活が不規則な仕事を持つ母親には、朝型を維持することは毎日体力と気力を消耗するのだ。「夜型」という自らの生活リズムをぶち壊してまで、子どもの「朝型」を死守する。

      看護師や水商売のようなハードな仕事で、朝型を維持しながら子どもを育てる愛情の力はすごい。
      「朝型」の強さを本能で知っているのは、「夜型」の生活で働くお母さんなのかもしれない。

       

      | 硬派な教育論 | 15:55 | - | - | ↑PAGE TOP
      一日何時間勉強すればいいか?
      0
        「1日2時間勉強で、半年間で東大に」という、短時間の勉強で難関大学に合格可能だというふれ込みの本を数多く目にするが、現場の人間の目から見ればあまりにも嘘くさい。
        難関大合格には長時間勉強が必要に決まっている。1日2時間で東大に行けると広言する塾講師がいたとするなら、それは塾講師でなく魔術師か詐欺師だ。
         
        それに、長時間勉強しても学力が上がるわけではない。勉強時間で勉強を測るのはナンセンス。「8時間勉強しなければならない」ではなく「気がつけば8時間勉強していた」という、勉強に熱中する状態を作りあげるのが先決だ。
        勉強モードに入っていれば、8時間が1時間に感じる。「勉強時間の相対性理論」である。
         
        また、勉強の成果を時間で測るのは意味がない。結果が出ないビジネスマンが「私は12時間働きました」というのは言い訳にすぎず、手術を失敗した医者が「15時間もオペしたんです。努力を認めて下さい」といったら遺族の感情は大いに逆撫でされる。
        勉強は、一日一定時間働けばいい労働ではない。理解し暗記して結果を出してナンボの世界である。
         
        勉強時間には、スキマ時間を取ることが大事だ。
        成績が高い受験生は、勉強時間捻出がうまい。トイレや風呂や通学電車や休憩時間など、10分ぐらいのスキマ時間を見つけ出す。
        スキマ時間の集中力は思いのほか高い。唐突な比喩で恐縮だが、勉強時間の捻出は、カニを食べるのに似ている。
        足や身の大きな肉を頬張るのは、家や図書館の机に向かう時の勉強時間。スキマの勉強は、関節の細い肉をほじくり出している時間だ。カニの肉と格闘している時、人間の集中力はMAXに達する。お見合いや合コンにカニ料理店は絶対に避けた方がいいと言われる所以だ。
        長時間勉強もいいが、糸屑のようなカニの身を取る執念深さで、スキマ時間を捻出しよう。スキマ時間での勉強は、「気分転換×集中力」の、とてつもない効果がある。
         
         
         
        | 硬派な教育論 | 17:49 | - | - | ↑PAGE TOP
        繊細な子が進学校でドロップアウト
        0
          繊細すぎると、進学校でつらい思いをする。
          特に中高一貫生の、大人しいタイプの男の子は、ドロップアウトしやすい。
          中学受験で、小学生の時にクラスメイトの数百倍勉強したが、難関中学に入れば勝手が違う。小学校ではクラスで一番だったのに、だが中学ではワンノブゼムである。
          プライドが傷つく。小学生の時は黙っていても成績が良いことで敬意が払われたが、難関中学では埋もれる。
          活発な子は部活や恋愛に活路を見出すけど、内省的な子は心理面と勉強面のダブルパンチで、学校に身の置き場がなくなる。気力が減退し、まわりからは燃え尽きたように見え、ひどい時には学校をやめてしまう。
           
          うちの塾OBにも、進学校をドロップアウトした子がいた。
          彼はうちの塾で中学受験をして、遠方の難関中学に合格し、塾を小学校で卒業した、内気だが聡明な男の子で、風貌が大沢たかおに似ているので、ここではタカオ君という名前にしておこう。
          彼が中学に入学した時には、順調な中高生活を送ることを、誰もが信じて疑わなかった。入学式の黒い詰襟姿が初々しく誇らしかった。
           
          だが、高1の時、お母さんから電話があった。タカオ君が高校を辞めたいといっているらしい。成績は落ちて不登校になり、家で本ばかり読んでいるという。
          不登校の兆候は、高1の頃からあらわれた。
          まずタカオ君は模試や定期試験の日に学校を休むようになった。それから普通の授業の日も欠席がちになった。彼はこの頃から「ゆとり教育は正しい」「偏差値で競争を煽るのは間違っている」と評論家のような口ぶりでつぶやき始めたという。
           
          家では父親が「お前には根性がない」と、タカオ君に対して大人の説得力ある口調で理詰めで注意するので、タカオ君は黙って反抗の意を示すので、家の中が緊迫状態でストレスに耐えられないという。
          だから、お母さんは離島にいるおばあちゃんがタカオ君を引き取り、高校には行かず「晴耕雨読」のスタンスで、まずタカオ君の心を休め、大検目指す方法を考えているらしい。タカオ君自身もそれがいいと言う。
           
          私は島で塾をやっているが、実は本土とは橋で結ばれ、フェリーで5分しかかからない。大きなスーパーも、セブンイレブンもローソンもファミリーマートもある、比較的にぎやかな島である。
          だがタカオ君のおばあちゃんの島は離島で、船の最終便が午後7時、人口は600人、店は雑貨屋と農協があるだけである。17歳の高校生というより、71歳の老人がリタイアして住むのが似合う島である。この島には、30年以上前に演歌のヒットを出した作曲家が、隠遁して印税生活を送っているという。
          お母さんは、一人息子を高校も行かさず離島に住まわせる選択が間違っていないかどうか確かめるために、私に電話をかけてこられたのだ。
           
          私はお母さんの提案に、一も二もなく賛成した。
          高校中退して、離島に隔離されれば、「ニート」「引きこもり」と人は揶揄するだろう。
          明治大正時代には、当時の帝国主義的な風潮になじめず、仕事に就かず家でぶらぶらし、読書などをして過ごしている知識層の若者のことを「高等遊民」といった。
           
          夏目漱石が『それから』の主人公・代助が、高等遊民の典型とされる。一節を紹介しよう。
          「君はどっかの学校へ行つてるんですか」
          「もとは行きましたがな。今はやめちまいました」
          「もと、何処へ行つたんです」
          「何処つ方々行きました。然しどうも厭きつぽいもんだから」
          「ぢき厭になるんですか」
          「まあ、左様ですな」
          (中略)
          「それで、家にゐるときは、何をしてゐるんです」
          「まあ、大抵寝てゐますな。でなければ散歩でもしますかな」
          「ほかのものが、みんな稼いでるのに、君許り寝てゐるのは苦痛ぢやないですか」
          「いえ、そうでもありませんな」
          「家庭が余つ程円満なんですか」
          「別段喧嘩もしませんがな。妙なもんで」
          「だつて、御母さんや兄さんから云つたら、一日も早く君に独立して貰ひたいでせうがね」
          「そうかも知れませんな」


          代助は現在の視点から見れば、明らかに「ニート」「引きこもり」である。
          だが私はここで「高等遊民」という言葉に、将来性がある若い人が読書をして知識を吸収する、将来に向けた涵養の時期というポジティブな意味をあえて与えてみた。
          タカオ君は17歳で、離島でおばあちゃんといっしょに生活し「高等遊民」になった。私が彼に島に引きこもるのがベターという選択を支持したのは、彼の小学生時代の様子を見て、本が好きだという一点に賭けたからだ。
          タカオ君が読書嫌いで、テレビやゲームに没頭するタイプなら、離島で高等遊民という方法は取れなかった。十中八九、怠惰なまま日常を過ごし、人生をスポイルすることになる絶望的な選択になるだろう。
           
          私はタカオ君を塾で引き取ることも当然考えた。だが、塾という環境は学校より競争社会である。
          彼のような繊細な男が、若者の野心で煮えたぎる進学校や塾という競争社会に身を置くことは、トラの檻にリスを投げ込むようなものだ。それより離島で本に囲まれながら、学問の楽しさを本から吸収した方がいい。
           
          偏差値という数値は、闘争本能がある受験生には、アドレナリンが高まる数値である。偏差値が高ければ昂揚し、低ければ燃える。肉食系男子のための数値なのだ。
          タカオ君のように、勉強を競走ととらえる「猛烈ビジネスマン型」ではなく、知的好奇心が赴くままに学ぶ「学者型」の子には、偏差値は自然な勉強意欲を萎えさせる数値である。競争社会や偏差値から離れることで、学問の本来の楽しさを知る。タカオ君はそういうタイプだとお母さんは判断したわけだ。親の本能は正しかった。
          タカオ君は、離島で自学自習し、現役高校生より1年多くかかったものの、愛媛大学医学部に合格した。
           
          高2で学校をやめ、離島で過ごすというお母さんの奇抜な判断を、私がなぜ確信を持って賛成できたかと言えば、それは、私自身の経験が大きい。
          私も開成高校という超進学校で、心を病んだ時期があった。勉強面と人格面ですごい同級生に囲まれ、劣等感に貫かれ無力感を感じ、勉強する意欲をまったく失った。勉強ができ精力的で、私が何もかも敵わないと感じた同級生は、現在衆議院議員をやっている。刺激的な環境に打ちのめされた私は、高2・高3と高校を休みがちになり、映画ばかり見て時を過ごした。
           
          大学受験に失敗した私は、1年間家に引きこもって、外界と遮断し宅浪して、早稲田をめざすことになった。国立大学を狙うには数学が必要だ、だが、数学の遅れは致命傷で自力では難しいと判断した。予備校に通って授業を受けるのが嫌で、参考書から学ぶ方が精神的にも楽だし、性に合っていると考えた。幸い私は現代文が得意で、読解力には自信があった。タカオ君も私と同じタイプと判断したのだ。
          タカオ君は「高等遊民」から国立大医学部に合格した。でも、たぶんタカオ君は、「引きこもりから医学部に合格した」という、暑苦しいサクセススト―リーに、軽い嫌悪感を抱くだろう。
           
          内向的で読書好きな若者は、競争社会から隔離し、自分とだけ向き合うことで心の安定を取り戻し、勉強嫌いから抜け出すことができることもあるのだ。
           
           
           
          | 硬派な教育論 | 17:48 | - | - | ↑PAGE TOP
          わざと入試前は生徒に不安を煽る話をせよ
          0
            文学は、なぜ存在するのか?
            人間の不幸を深く描くことで、読者が現実世界で不幸に巻き込まれても「想定内」と感じさせ、不幸に対する心の準備をさせておくためだ。たとえばドストエフスキーは死刑一歩手前で恩赦された地獄体験をし、彼の小説には深刻な人間心理が色濃く出ているし、ヴィクトール・E・フランクルは『夜と霧』では、ユダヤ人収容所の極限を描いた。
            文学は「不幸な人間のカタログ」だ。文学を読んで、不幸のパターンを頭に入れておけば、いざ困難に遭遇した時に強くなれる。センター試験で精神的に強さを発揮できるのは、文学に慣れた「悲観主義者」だ。悲観主義は困難に対する免疫を作る。あらかじめ心の準備をしておけば、ある程度の苦難には、メンタルを破壊されることもなく対応できる。
                                 
            だから私は、入試前は、「にわか文学者」になって、受験生に入試でどんな地獄が待ち構えているか正直に話す。試験後に待ちかまえる苦難に、強くなってもらうためだ。

            たとえば、センター試験前には、こんな話をする。

             
            「センター試験本番の問題は、得体の知れぬ恐怖の物体だ。今まで受けたどんな試験とも感触が違う。試験会場で見るセンター試験本番の問題は、過去問とは別物に感じる。ラーメン食べに行ったのに、カレーライスが出てきた、そんな強い違和感があるんだよ。迷う。戸惑う。怯える。手が震える。
            試験会場で君たちが受けるセンターの問題は、明らかに生まれたばかりの「生き物」なんだな。受験生は、ペーパーから飛びかかる妖怪と戦うのだ。センター試験は人生最初の修羅場。メンタルをナイフで引き裂かれる。残酷な一発勝負なのが怖い。センターで「コケる」という言葉があるね。模試でもセンター演習でも良い点を取れているのに、肝心かなめの本番でつまずく。自己採点で、マイナス2、マイナス6、マイナス8、またマイナス5と、引き算が永遠に続く。地すべりのように得点が減っていく。計算間違いではないか、何度も何度も虚しく同じ引き算を繰り返す。もう1回試験を受けたい。でも受けられない。逆にセンターで、ふだん取れないような高得点を取る受験生もいる。そんな受験生は「本番に強い」「勝負度胸がある」「不断の努力が認められ、神が光臨した」「地頭がいい」と周囲から高く評価される。頑張った奴から見れば悔しいよね・・・」

             
            こんな残酷話をすれば、センターで失敗した時、少しばかりの気休めにはなる。彼らを襲う不幸は「想定内」だからだ。受験生には2次試験もあるし私大もある。センター試験だけが大学受験ではない。センターで失敗したショックを1週間も2週間も引きずったらまずい。私の悲観的な話は、ショックを2〜3日でとどめ、2次試験や私大入試へ前向きな姿勢に持って行くための作戦だ。
            入試前の、受験生を不安に陥れるネガティブな話は、試験後ポジティブになるため、不幸への免疫をつけるワクチンである。
             
            | 硬派な教育論 | 14:21 | - | - | ↑PAGE TOP
            携帯・メールの返信が速い子は成績が悪い
            0
              テレビを見ていて、ドラマやバラエティーに集中している時、いちばん集中力を殺ぐのが「ニュース速報」だ。電子音と白色のテロップで、番組の世界から一気に現実に戻る。ドラマの最中に選挙の当選確実のテロップが出ると、ドラマの世界から現実に引き戻される。
              テレビのニュース速報と同じように、集中を途切れさしてしまうのが、携帯電話の音である。
              われわれは勉強している最中、夢の中にいる。勉強の世界に「沈没」している。
              数学の問題を解いている時は論理体系にハマっているし、日本史で戦国時代を学習している時は戦国武将に感情移入している。集中力が高いほど、学力はしっかりと涵養される。
              せっかく集中して、勉強にノッてきたのに、携帯の着信音に妨害されたらたまらない。電話を切ったあと、1からリセットして勉強の世界に潜り込まなければならない。
              携帯電話は、集中力破壊装置である。連続的な音は集中を乱さないが、断続的に突然鳴る音は勉強の敵になる。
              私は塾生に電話やメールをするが、成績が高い生徒ほど電話がつながりにくい。音信不通になることすらある。家でも携帯電話を手離して勉強している証拠である。
              逆に成績が伸び悩んでいる子ほど、アッサリ電話がつながり、メールの返信も速い
                            
              凄いのは禅宗の坊さんである。彼らは座禅を組み、数時間も身体を動かさず、じっとしている。彼らは座禅中、いったい何を考えているのだろうか?座禅を組んでいる時、向き合うのはただ自分のみ。自分の脳味噌が貧困なものだったら、数時間も静かに座禅を組むことなんかできないだろう。座禅の集中力は、己の精神の優劣だけでなく、己の頭の中身も試す。
              禅宗の坊さんが長時間が集中していられるのは、禅寺が静寂な環境に置かれているからである。東洋・西洋通して、学問の場は決まって都会の喧騒から離れた場にある。
              イギリスのオックスフォード・ケンブリッジはロンドンから電車で1時間半、田園の静寂がたっぷり残っていて、しかも大都市ロンドンから近い、静寂でしかも都会の刺激からも遠くない、絶妙な位置に立地している。禅寺も都市から離れた山里にある。
              昔から知識人は、若者に静寂を与えるために尽力してきた。大学や禅寺を喧騒から離れた場所に作って、若者が学問に沈没できる環境を築き上げてきた。
              学問の静寂の場に、携帯電話は似合わない。禅僧が座禅中、横に携帯電話が置いてあったら、悟りは永遠に開けない。
               
              | 硬派な教育論 | 20:40 | - | - | ↑PAGE TOP
              他人と比べられた怒りが、勉強の動機になる
              0
                私は塾生を、わざと挑発することがある。
                大学受験前に、野村克也みたいな口調で、わざと憎まれ口をたたく。

                「君らは田舎の高校生。都会の難関高校の奴らはものが違う。しょせん努力家は天才に勝てない。勉強の才能には壁がある。一定量の勉強をこなせば、もうこれ以上は伸びない壁に突き当たる。たとえば脚力がない人が100m走で10秒切るのが無理な話だ。最後には「偏差値」ではなく「知能指数」勝負になるね」

                「京大の数学を見ろ。京大の数学は「才能」という言葉が最もふさわしい。わかっているか、わかっていないか、白か黒かを問うような問題だ。鍛えられた努力型でなく、天然の才能を求めているような問題。京大教授の「才能がほしい」という心の叫びが聞こえる。才能がない君らには解けない」

                「頑張っているのに模試の成績が下がる奴がいるけど、才能がないから。いまは高校受験せずに遊んできた開成とか灘とか難関高校の生徒が、アメリカの原野のバッファローのように音を立てて猛追している。君らの模試の判定がBからC、CからDへと落ちるのは、努力不足ではなく実力不足」

                などと私が挑発すると、たいていの生徒は弱虫のヒツジみたいに、しょんぼり黙って聞いている。

                だが、私が見込んだ塾生は反応が違う。
                血気盛んなアンパンマンK君なら「開成や灘の奴らには負けません」と鼻を膨らし、おとなしいが芯の強い福ちゃんなら「見返してやります」と目を血走らせる。知能指数が低いのなら上げてやろうじゃないか、難関校の生徒がバッファローなら俺はチーターになってやろうじゃないかという顔をしている。
                また、聡明なコウタロウなら、私が他人と比較して、わざと怒らせる意図で言っていることなんか、賢い頭でお見通しで、静かな闘志で勉強を続ける。

                勉強ってね、やっぱり負けん気が強い人間が勝つ。他人と比べられたら「ザクリ」とした不快なものが腹に宿る。でも、それがマグマになって燃えてくれればいい。
                師匠は弟子を、怒らせることも大事だ。



                 
                | 硬派な教育論 | 20:06 | - | - | ↑PAGE TOP
                「ノンポリ」だと公民や政治・経済は得意にならない
                0
                  政治好きな人は、新聞を見て興奮する。新聞は無味乾燥な活字の羅列ではなく、エキサイティングな読み物なのだ。
                  昔は新聞の論調は似たり寄ったりだが、最近は政府の政策に対して、A新聞は賛成、B新聞は反対と正反対に分かれる傾向がある。だからいまの政府を支持していない人がA新聞を読むと反発心をおこす。
                  社会の「政治・経済」が得意な人は、たいてい政治が大好きである。政治に不満に持っている人、政治を変えたいと考えている人にとって、政治・経済ほど興奮させてくれる科目はない。

                  政治好きの人は、どこか「怒り」の感情を心に据えながら、政治と向き合っている。
                  たとえば衆議院の定数も、511人から480人に削減された(2013年以降は475人とさらに削減)。政治に興味がない人は、「定数よく変わるな。暗記しづらい」と他人事のように考えるが、政治好きな人は「475人でも多い。もっと議員を減らせ」と、オピニオンを熱く語る。
                  また憲法問題でも、政治・経済が好きな人は「俺が憲法作ったら、ここを変えてやる」という視点で憲法を眺めている。憲法第9条は憲法制定以来、日本人の最大の論点になっていて、政治好きが3人集まると喧々諤々の議論、喧嘩になりかねない。

                  そんな新聞好きにとって、興奮が最高潮に達するイベントが選挙である。特に政権交代がおこりそうな選挙の時は、詳細な記事まで眺め尽くし、閣僚や党役員の人事にまで強い興味を示す。選挙で政局がダイナミックに動く時、新聞は「政治家の格闘場」になり、観客の血が騒ぐ。
                  政治に対して意見を持ち、新聞を熱い感情で読めれば、政治・経済は自然と得意科目になる。「安倍晋三」という人物に対して、強い好感を抱くか、激しい嫌悪を抱くか、どちらか極端な感情を持つ生徒は、政治経済には強い。もちろんデモやテロに関心を持てと言っているわけではないが、「ノンポリ」のだと政治・経済の点数は上がりづらい。
                                           
                  それから、経済分野は、われわれの生活と密着に関わる。
                  ニュースでは「円高」「円安」がよく報道されているが、若い人には興味がなくても、円の動向が死活問題になっている人もいるわけである。
                  ガソリンスタンドは円安になると原油価格が上がり、ガソリンの値段を上げざるをえなくなり廃業の危機に瀕することもある。また野菜農家も原油価格の上昇は、ビニールハウスの光熱費や、トラックの輸送費の上昇につながり、コストが高くなり野菜が売れなくなる。円高・円安は生活に強く影響をもたらす。
                  また、「セーフガード」という言葉がある。国内産業を守るための、緊急輸入制限のことだ。

                  私は2001年に熊本の阿蘇山を観光バスで旅したことがある。バスガイドさんは、八代平野で畳表の原料になるイグサ農家の窮状の話をした。熊本県はイグサの生産が盛んで、農家は潤い「イグサ御殿」まで建ったそうだが、中国から安いイグサが輸入され、イグサ農家は借金苦になり、自殺者や夜逃げが相次いだという。政府がイグサ輸入制限の緊急措置「セーフガード」を取ったが、手遅れだったという。
                  経済学はわれわれの’life’に関わる。’life’とは「生活」だけではなく、「人生」、そして「生命」にも大きく影響する、まさにライフラインの科目だ。まさにお父さんお母さん、そしてみなさんの’life’を決定づける、密接なものだという認識があれば、勉強に対する意識も変わってくる。
                                         
                  ところで、私は中学生の公民の時間でよく、「日本で一番偉い人は誰かな?」と質問する。たとえば、積極的に発言する森田昇平君が「天皇!」「総理大臣!」と答えたとする。
                  私はそれに対して「違う。日本で一番偉いのは、森田昇平だ」と答える。意外な答えに、森田君も他の生徒も、ポカンとした目で私を見る。 そこで私はもったいぶって、「森田昇平君も山田美鈴さんも、1人1人が偉いんだ。だって日本国憲法の三大原則の一つは国民主権だ。権力を握っているのは、君たち一人一人なんだぞ。国会議員は君たちの代表者にすぎない」と真意を語る。

                  私が中学生に伝えたいメッセージは、われわれ一人ひとりが主体性を持ち、海の中のコップ1杯の水のように無力でありながらも、主体者意識を忘れないでいて欲しいということだ。
                  政治・経済は、「自分が変える」という主体性があれば楽しい科目だけど、「他人に任せる」という受動的な姿勢では、ただの暗記物になってしまう。「わたしが主人公」という態度一つで、政治はエキサイティングな科目になる。政治・経済について熱くなれば、磁石のように知識の方から勝手に吸い付いてくるものだ。
                   
                  | 硬派な教育論 | 12:18 | - | - | ↑PAGE TOP
                  音楽を聴きながら勉強できるか
                  0
                    音楽は感情をかきたてる。映画やゲームに音楽がなかったら、盛り上がりに欠ける。
                    北海道を旅行した時、ある漁師町の温泉街で、朝5時から拡声器で北島三郎の歌が流れていた。早朝の薄暮の空にカモメが飛び交い、北島三郎の曲が広がる光景は、漁師にとって北島三郎の曲は、仕事をはかどらせるBGMになっているのだと感動した記憶がある。

                    音楽を聴きながら勉強することに私は賛成だ。ヘッドフォンは音に集中しすぎるから避けたほうがいいが、スピーカーで聴き慣れた音楽を流しながら勉強すると、勉強がはかどる。
                    ふだん聞かない音楽を聴いたら集中力が途切れやすいが、たとえば私ならビートルズや大瀧詠一の「A LONG VACATION」や佐野元春「NO DAMAGE」のような、中学生の頃から繰り返し聞き、歌詞を一言一句間違えずに歌えるおなじみのCDをかけて仕事している。小説家のステーィブン・キングはハードロックを聴きながら執筆するそうだ。

                    カフェや美容院など洒落た空間には、クラシックやジャズが静かに流れ、無音状態より静寂を保っているが、だからといってクラシックやジャズのすべてが勉強のBGMとして適しているわけではない。マーラーの交響曲は音が大小が激しく、無音状態になったかと思えば、オーケストラがいきなり咆哮する。勉強に集中していたらいきなり大音響に妨害され、勉強向きの音楽ではない。
                    理想論を言えば、音楽を流しながらも、音を意識しない集中力を維持するのが好ましい。だが、勉強から意識がずれた瞬間、知っている音楽が流れているのを聴くと安心する。

                    安心するといえば、映画を流しながら勉強するのもいい。新作映画ではなく、何回も見たもの、たとえばジブリの映画とかどうだろう。『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』を、音量を極力下げて映像だけ流す。数学の問題を解いていて行き詰まり、ふと画面を見ると、サツキとメイ姉妹が会話し、黒猫ジジが身体をくねらせ何か語っていれば、心が安らぐ。
                    当然ながらテレビはだめだ。特に野球やサッカーなど贔屓チームのテレビ観戦するのは絶対に避けたほうがいい。

                    あと、音楽や映像ではないが、集中力を妨げるのはペットである。犬や猫は眠っている時は、かわいらしい寝姿を見て癒されるが、動き回っている時は極力別室に隔離して勉強部屋に入れない方がいい。
                    小説家・谷崎潤一郎は大の猫好きだったが、執筆中は書斎に猫を絶対に入れなかったという。ただ猫の死後は剥製にして、書斎の目立つ場所に飾っていたらしい。
                    「ながら勉強」は、リラックスするために効果的になり得る。「きょうはどんな音楽を流しながら勉強しようか」と、BGM選びもまたいい。
                     



                     
                    | 硬派な教育論 | 18:24 | - | - | ↑PAGE TOP
                    開成高校の先生のレベル
                    0
                      私は御三家の一角、開成中学・高校で青春期を過ごした。同級生たちは勉強の面で凄い奴が多かった。
                      開成高校の教師の力量は、ものすごい授業をされる方もいるが、反面、期待はずれな人が結構多い。
                      開成の先生の中には、凄みも熱意もなく、魅力的な授業ができない。50分間ただ「黙々と」授業して帰る繰り返しの人が少なからずいる。
                      東大合格者を毎年150人以上出している開成高校ではどんな魅力的な授業が行われているのかと期待したら、大いに裏切られる。優秀なのは教師ではく、生徒の方だと言っても過言ではない。

                      ある数学の先生、Pの例を紹介しよう。
                      Pは超難関校から難関大学に進んだ俊才だが、こういう経歴の人にありがちな傾向で教え方が非常にわかりづらい。それ以前に、授業を成立させるだけの、教師としての最低限の力量すら持っていなかった。
                      Pの授業は。彼の威厳のなさに生徒が騒ぎ出し、授業が収拾つかなくなった。Pの授業は生徒がいつも騒ぎあっていた。Pが授業している時には、生徒たちは思い思いのことをしていた。
                      あるグループはトランプをやっていて、トランプで負けた時の罰ゲームは、授業中のPの尻にカンチョウをするというものであった。Pが黒板に向かって板書している隙に、後ろからカンチョウをするのだ。
                      カンチョウされてもPは「やめなさい」と関西弁でわめくだけで、怖くもなんともない。

                      Pがカンチョウされる瞬間だけ、それまで思い思いのゲームや読書に興じていた生徒たちもPの尻に注目して、授業は静謐に満ちた緊張感のある雰囲気になり、Pが「やめなさい」と叫んだ時だけ、授業は大爆笑に包まれる。あとはワイワイ、ガヤガヤのメリハリのない無駄な時間が過ぎる。
                      真面目な子が多いはずの開成高校で授業を仕切れず、学級崩壊させるなんて、荒れた高校で教鞭をとったら一体この人はどういう目に合うのだろうか?

                      笑い話を一つ。
                      Pの授業があまりひどいので、私の友人が、これでは数学が伸びないといって、予備校に通い出した。予備校講師は、佐藤先生という人だとパンフに書いてあった。
                      Pの授業に辟易していた私の友人は、まだ見ぬ佐藤先生の授業に期待し、佐藤先生のもとで数学の再起をかけていた。

                      ところが、予備校の教壇に現れた佐藤先生は、Pだったのだ。Pは「佐藤先生」と名前を変え、副業として予備校の時間講師をやっていたのだ。私立学校は公立と違って兼業は禁止されていなので、予備校との掛け持ちは別に違法ではないのだが、Pも気まずいのか「佐藤先生」と名乗っているのだろう。
                      私の友人が佐藤先生の正体に驚き落胆したこと言うまでもない。

                      自由な校風の難関高校の教師に熱意が足りない人が多い理由は、生徒の学力の高さ、真面目さに大いに関係する。難関高校の生徒は元来素直でまじめな子が多い。その生徒の素直さと学力の上にあぐらをかいているのが、難関高校の教師である。
                      また、難関高校の生徒はプライドが高く、先生からの干渉を嫌うから、極度な上から目線の「熱血教師」は敬遠される。だからといってルーティンワークな授業は困る。

                      ところで、私から開成高校教師のメッキが本格的にはげたのは、予備校に通い出してからだ。高1の時英語が苦手になり、代々木ゼミナールに通い始めることになった。
                      私は健気にも英語が苦手になったのは100%自分の才能と努力不足だと信じて疑わなかった。自分を教えてくれたのは紛れもない開成高校の先生だ。教え方も日本一に違いないだろうと。

                      代々木ゼミで、英語の渡辺寿郎先生の授業を見て、目を疑った。
                      凄い! 熱い! わかりやすい!
                      文字が大きい! 声も大きい! 存在感はもっと大きい!
                      私は授業中時計を何度も見た。早く終わらないで欲しい。ずっと授業を続けていて欲しい。

                      そして授業の最後に先生がおっしゃった一言は凄かった。
                      「いいかい皆さん、勉強がわからなくなるということは、当然皆さんの責任も半分あるけれども、半分は私たち教える側にも責任があります。私は全力を尽くしてその半分の責任を果たそうと努力します。ですから皆さんも予習復習をきちんとこなして、責任を半分、果たして下さい。授業でわからないところがあれば、直接私に聞いてください」
                      と、自分が予備校の講師室にいる時間と、講師室の地図を書いて立ち去っていった。
                      何という謙虚さ、何という懐の深さ。
                      常に厳しい競争にさらされている予備校講師の凄みを体験した瞬間であった。

                      開成高校に、俊英の予備校講師が集結したら、東大合格者300人を超えるだろう。
                      難関高校の先生には、日本有数の才能を預かっているという、気構えがほしい。



                      関連記事
                      開成高校の国語授業
                      開成高校「日本一の運動会」

                      7月29日に発売された、私が書いた本
                      「難関私大・文系をめざせ!」は重版出来。
                       
                      目次 まえがき 

                       
                      | 硬派な教育論 | 19:03 | - | - | ↑PAGE TOP