猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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ドラえもん 出来杉君が塾に来たら
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    塾には勉強が「できない子」がいるのは仕方ないことだが、「できない子」が多いと陥りやすい罠がある。

    それは講師の「できない子」に対する思い入れが過剰に強くなると、「できない子」に熱を入れすぎて、「できる子」が置き去りになってしまうことだ。

    良心的な講師ほど「できない子」に入れ込む。「できない子」の事態があまりにも深刻なので、「できる子」はとりあえず放っておいてもいいじゃないかと、対応が後回しになってしまう。

    たしかに記憶力や理解力に難がある子のあとで、バリバリに勉強ができる子を教えると、呑み込みの速さにすっかり感心してしまい、「君は今のままで十分だよ」という安心しきった態度になってしまう。

    しかも「できる子」だけでなく、勉強が中程度の子ですら、勉強が飛び切りできない子の強烈さの前では優秀に見え、目の錯覚で勉強の能力を過大評価してしまう。

    しかし塾講師がそんな態度じゃあ、勉強が「できる子」の成績は伸び悩んでしまう。せっかくの才能がミイラになってしまう。勉強が少々できるからといって、講師が安心したら絶対にだめだ。逆に「できる子」ほどガツンと教えなければならない。負荷をかけないと学力は伸びない。

    「できない子」にかまいすぎると、出来杉君のような「できる子」のニーズに応えられなくなる事態に陥る。「できない子」ではなく「できる子」が、塾の「お客さん」になってしまう。そんな事態は絶対に避けたい。

    たとえば、いつも学校の定期試験で高得点を叩き出す、出来杉君のお母さんと懇談したとする。
    ちなみに、出来杉君のファーストネームは「英才」である(笑)

    僕「いやあ英才君、言うことないですねえ、どうやってお育てになったんですか?。」

    出来杉君の母「英才はそんなに偉くありません。英才は自分に甘いのです。厳しさがありません。自分に満足している部分があります」

    僕「数学が得意ですね」

    出来杉君の母「いや、図形のひらめきがないんです」

    僕「勉強の習慣がきちんと身についていますね」

    出来杉君の母「えっ!? うちの子ゲームばかりしていますよ」

    こんな懇談は大失敗である。
    僕は「できない子」の姿が強く強く頭にあるから、出来杉君の出来過ぎた頭脳を「すごい」とほめる。出来杉君の現状に安心しきっている。

    しかしお母さんは出来杉君の学習態度に、常日頃から不満を感じている。やればもっとできると確信している。潜在能力を出し切っていないと物足りなく思っている。だからお母さんは、僕が出来杉君をほめることに対して、軽い苛立ちを覚えるのだ。

    僕は出来杉君を、塾の他の生徒と比べて相対的に「すごい」と評価している。でもお母さんは自分の息子である出来杉君しか見ていないから、絶対的な評価で「物足りない」と感じている。そこで塾講師と母親の話が食い違ってくる。

    食い違いを直すには、塾講師の側も出来杉君に対して、親身になった絶対的な視点から「まだまだ100%才能を生かしきれていない」と判断し、指導することが必要である。絶対的な視点を「愛情」と言いかえても、大げさではないと思う。

    お母さんは出来杉君を「できる子」から「最強の子」にするために、僕に出来杉君を託しているのである。だからお母さんにとって、僕が出来杉君の現状に満足することは許されないことなのだ。お母さんは僕に出来杉君に対して、もっと厳しい指導を求めている。

    「できる子」の成績に安心しきって、「言うことないですねえ」「優秀ですねえ」なんてノンキなことを言ってたらダメだ。「できない子」に比重を移しすぎると「できる子」にとって刺激のない塾になってしまう。

    僕にはそれがわからない時期があった。「できない子」に思い入れが一番深かった時、うちの塾の進学実績は低迷気味だった。無意識のうちに「進学塾」から「補習塾」に舵を取っていたのだろう。「できる子」自身にもお母さんにも、物足りない思いをさせてしまった。

    しかし「できる子」に対して、才能に見合った刺激的な扱いを始めてから、「できる子」の成績は上がり始め、近所の「できる子」は僕の塾に集まり、進学実績も徐々に上がるようになった。

    とにかく、できる子に対して「能力の1.3倍難しい授業をやる」ことを常に意識した。問題の難しさを通して、子供に背伸びを強いた。授業中簡単な問題をやらせて、暇を作ることは絶対に避けた。

    それにプラスして、できる子に対して「お前は確かに勉強できるけど、全国的なレベルでは、まだまだだ。でも今まで以上に学問に対して真摯になったら、まだまだ伸びるよ」というシグナルを、さり気なく送り続けている。

    とにかく、古田のようなクレバーな選手に対してすら、指導の手を緩めない野村監督みたいな態度を取らなければ伸びない。できる子は現状に甘んじさせてはならない。

    ただ、出来杉君のように、ちょっと内向的な「できる子」には、講師が怒りや叱りをダイレクトにぶつけてはならない。出来杉君タイプは熱血指導がキャラの講師を避ける子が多い気がする。

    たとえばWBCの監督を決める時、クールなイチローがホットな星野仙一を避けたように、出来杉君は体育会系講師を毛嫌いする。根性とか努力は、ものごとを成し得る上で必要なものなのだが、クールな子はあえて口に出すことに抵抗を覚える。

    出来杉君タイプに対して、教える側は紳士・淑女として扱う心構えがいる。内容面で厳しいことを口にしても、物腰は穏やかな方が人間関係でも受験でも良い結果が出る。

    私もかつて出来杉君タイプの子に、体育会系鬼講師としてカミナリを浴びせ、大失敗した苦い経験が2度あるので、出来杉君タイプの「できる子」は'gentleman'や'lady'として接することを固く心がけている。

    イチローや松坂やダルビッシュのような「できる子」は、野村克也の「ぼやき」なら耐えられるが、星野仙一流の「鉄拳制裁」はシャレにならない。




    僕の塾に、もし出来杉君が来たら、ただの学校秀才には終わらせたくない。
    勉強だけでなく僕の人生を賭けて、何かもっと大事な"somethin' else"を叩き込み、いろんなことを体験させたい。

    とにかく教える側は、子供の才能に興奮し、才能に対して震いつきたくなるような鋭敏で熱い感性を持ち続け、高くユニークな才能を持つ子には、それ相応の人生を送ってもらうよう、頑張らねばならない。
    | 中学受験 | 21:08 | - | - | ↑PAGE TOP
    塾閥
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      中学受験で成功を収めるにはどうするか?
      「超できる子」が難関校をめざすなら、東京や関西の場合だったら、絶対に大手塾を選ぶことである。私が親なら、自分の子供が御三家か筑駒あたりを目指せる能力があると判断すれば、大手にしか子供を入塾させない。

      それは決して中小規模の塾の講師の力量が劣っているからではない。「知る人ぞ知る」小さな塾がある。こういう塾の講師は自分の名前を背負って立っている訳だから、教える能力はずば抜けたものがある。こうした有能な零細塾の先生が、自分の全知全能を賭けて、執念込めて少人数の子供を引き上げる。こういうケースが実は一番合格可能性が高い。

      難関中学に合格するだけだったら、必ずしも大手の方が、合格可能性が高いとは限らない。

      じゃあなぜ、御三家や灘や甲陽をめざす子は大手塾がいいのか?
      それは多くの友人・ライバルに出会えるからだ。友人やライバルの存在が、子供に強い刺激を与えるのである。

      難関中学を狙う子は、小学校ではたいてい1番である。しかし塾に通うと自分より凄い奴がいる。自分の力は塾の成績表が残酷に教えてくれる。塾に通う前に無意識のうちにムクムクと育っていた天狗の鼻など、冷酷な数字の羅列によって、ねじり折られてしまう。
      たとえ偏差値70でも、順位が147番だったら、上にまだ146人も自分より凄い奴がいるんだと、子供は悔しい思いをする。

      塾に通いはじめは、子供は偏差値などという得体の知れない数字よりも、順位の方が気になる。そして、自分より上にいる同級生の顔、特に成績表の1番上にドドンと鎮座している奴の顔を見たいと思う。

      大手進学塾で一番の凄い奴とは、絶対に「生」で会わなければならない。目でそいつの姿をしかと見届けなければならない。そして同じ部屋で、同じ授業を受け、同じ空気を吸わなければならない。



      たとえば、子供が小学校5年からはじめて大手塾に通い始める。
      授業が始まる。子供の視線は一斉に講師の方へ。

      テストの順位表が配られる。順位表を見る。
      1位に滝重暢之という名前がある。
      苗字はタキシゲと読むのだろう。暢之はいったいどう読むのか?

      凄い名前だ。賢そうな名前だ。自分はまず名前で負けている。
      どうやらそいつは、同じ校舎にいるらしい。

      休憩中に、1番レベルの高いクラスを通り過ぎる。
      お調子者の誰かが「あれが滝重だ」と指さす。

      顔を見る。
      白皙痩身で猫背の少年だったら、裕仁天皇のような神々しさ
      髪ボサボサの奇怪な目をした落ち着かない少年だったら、アインシュタインの独創性
      小柄でちょこまかした笑顔の良い少年だったら、太閤秀吉の機知と棟梁運
      頭のでかい巨漢だったら、西郷隆盛の貫禄
      額の広い奇相の少年だったら、大村益次郎の明晰さ

      どんな容貌であれ、容貌に意味を探る。容姿や体格や髪型や語り口調と彼の頭脳の関連性を探る。

      しかし、こちらが勝手に神格化偶像化しているのとは裏腹に、塾で1番の滝重くんは普通の子供みたいに誰かとしゃべっている。
      あいつ、しゃべるんだ。笑うんだ。
      彼の子供らしさに拍子抜けし、安心する。



      さて、中学受験塾で難関中学を目指す小学生が最も意識するのは、実は成績が1番の奴ではない。
      意識するのは最初だけである。
      勉強が死ぬほどできる人間に対しては、自分との差を痛切に感じてしまう。だから神棚に飾ってあるご本尊のように、そのうち、まるっきり意識しなくなる。あまりにも自分と能力が違いすぎると、存在を笑ってしまうしかない。
      成績が1番の奴は、塾内でスターにはなるが、自分が「取って代わる」対象には、絶対なり得ない。

      受験時代一番強く意識するのは、成績が同じぐらいの身近なライバルである。こいつにだけは負けたくないという、同級生が現れる。
      当然気楽に口のきける仲のいい友達もできるが、心の中で1番強く意識している奴とは、気軽におしゃべりなんかできない。
      基本的にお互い仲良く話したりはしないし、もし口をきかなければならない状況になっても、会話には気まずくぎこちない雰囲気が漂う。
      気楽に話せる友人は呼び捨てなのに、ライバルに対しては「××君」と、クン付けで呼んでしまうのだ。

      そんな奴と切磋琢磨しながら競争する。あたかも、キャプテン翼の勉強版のような感じで。子供の競争はフェアで健全である。

      そして自分もライバルもめでたく志望校に合格する。
      小学生時代にお互いの能力を認め合っているのだが、強く意識し合い過ぎてろくに話しかけたりしないライバルと、同じ中学校に通う。

      そして、受験が終わり緊張が解け、思い切ってどちらかが話しかける。
      「合格したの?」「そうだよ」「よかったな」「そっちこそ」
      そしてお互い、受験時代の苦労話や、親のこと、兄弟のこと、趣味のことなど、堰を切ったように語り合う。

      そして2人は親友になる。
      現役ボクサー時代には意識過剰のあまり親密に話すことなんか考えられなかったジョーと力石が、天国で深い付き合える無二の親友になるようなものだ。

      中学受験で子供にかかる負荷は、周囲の大人の予想以上に大きい。子供は平然と勉強しているようでも、内心は異常な不安に満ちている。

      志望校に不合格だったら親が自分を見捨てるのではないか。塾の先生が急に冷たくなるのではないか。学校のクラスメイトが「あいつ中学受験落ちたんだよ、ばーか」とはやしたてるのではないか、そして何よりも、不合格になったら、自分を自分で汚らわしい卑小な存在だと思ってしまうのではないか、落ちた自分を許せなくなるのではないか、そんな心配をしている。

      そんな同じ苦労を背負いながら、ライバルとして頑張ってきた。
      誰よりも自分の苦労をわかってくれ、誰よりも自分を認め挑戦してくれた中学受験塾でのライバル。戦いすんで、仲良くなるのは当然だ。

      こんな風に小学生の時はライバル意識を燃やして、ろくに口もきかなかった塾のクラスメイト同士が、同じ中学校に合格したら進学先の中学校で無二の親友になるというケースは非常によくある。

      そしてその友達は、中学・高校・大学と進んでも、友人であり続ける。
      大人になっても、友人がそれぞれ財務省・三井物産・東京三菱UFJ銀行・NHK・弁護士・東大病院と、小学生のうちから、エリート人脈を築き上げることができるのだ。

      まだ年端の行かない小学生時代に、苦労を共にした戦友。
      学閥ならぬ、塾閥である。これこそ大手塾の強みである。
      | 中学受験 | 20:41 | - | - | ↑PAGE TOP
      歴史事項はシッカリ漢字で
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        定期試験対策、中2社会は明治以降の近代史・現代史。
        中学歴史の胸突き八丁。
        キッチリ漢字で書く訓練をしておかねばならない。

        蒋介石と森鴎外の正確な漢字は、パソコンの文字では表記できない。
        子供の頭に焼き付けるため、強調してデカく書く。



        「古畑任三郎」のタイトルロールを参考にしてみた。
        これで完璧だと思ったら大間違いで、テストしたら蒋介石の「介」を「界」と書いてしまう子もいた。
        | 中学受験 | 15:34 | - | - | ↑PAGE TOP
        「お父さん家庭教師」の破綻
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          父親が子供に勉強を教えるというのは、どういうことなのか?
          中学受験期の子供に勉強を教えている「お父さん家庭教師」は、かなりの数にのぼるだろう。
          しかし子供が成長するにつれて、だんだん父親は子供に勉強を教えなくなる。教えられなくなる。

          その理由の第1は、父親の学力にある。難関中学の算数は難しいから、父親が問題を解けなくなる。
          小6ぐらいになってくると、子供に「お父さん、この問題教えて」と質問されても、お父さんは30分も1時間も頭をひねるだけで、問題が解けない。
          その間子供は黙ってお父さんが難問と格闘する姿を見ている。お父さんは子供の視線が拷問プレッシャーになり、ますます解けない。

          難問にイラつき、「こんなもん自分で解け!」と逆ギレするお父さんの気持ちもわかる。
          難関中学の算数の問題は年々難化しているから、子供時代に中学受験を経験したお父さんでも歯が立たない問題は多いし、また自分の受験時代には存在しなかった面積図が理解できないから、教え方は自然と我流になり、しかも「方程式なら解けるんだけどね」と、突然前触れもなく登場する方程式に子供は戸惑う。

          そんな状況が何度も続くと、子供はお父さんの学力と教え方に限界を感じて質問に来なくなるし、お父さんも子供に勉強を教えることに自信を無くす。
          子供に勉強を教える作業は、専門職集団である塾に丸投げする。かくして、父親が子供に勉強を教える「お父さん家庭教師」は自然消滅する。

          「お父さん家庭教師」が自然消滅する第2の理由は、父親の多忙のせいだ。
          特にサラリーマンのお父さんは帰宅が遅く時間的余裕がないし、せっかくの土日は子供の通塾日に重なるケースが多い。

          小4ぐらいまでは子供に「ちょっと算数教えて」と質問されても瞬時に答えることができるが、小6の子に本格的に勉強を教えるとなると、しっかりした予習が必要だ。一旦教える決意をしたら腹を括らなければならない。

          塾のプロ講師ですら綿密な予習をして授業に臨むのだから、素人のお父さんが難関中学の問題を生半可に教えることは難しいのが現実だ。本格的に教えるには膨大な時間と執念がいる。

          でも、たった1〜2問ぐらい算数の質問に答えるぐらいは時間的に楽だと思われるかもしれないが、子供は自分が解けないから質問に来るのであって、必然的に強烈な難問しか質問しない。
          お父さんは仕事から帰って来たら突然、進学塾のテキストで選りすぐりの難問を子供から「わからん」と質問される。パパっと解いて鮮やかに説明できる父親は少ないだろう。たった1〜2問だからといって、絶対にナメてはならない。

          予習した範囲を授業形式で教えるのは易しい。逆に突然子供が持って来た難問を解くのは難しい。サーブを打つよりレシーブほうが格段に難しいのと同じことだ。レシーブを100%返す能力があったら、ウィンブルドンの王者になれる。
          とにかく子供に持ち込まれた難問に答えるには深い学力が必要で、塾のベテラン塾講師並みに中学受験に知悉していなければならない。

          だから子供に勉強を教えることのできる父親は、時間に融通が利き予習時間や過去問研究の時間が取れる自営業の人か、あるいは予習しなくても教える能力がある医者か官僚か弁護士か大学教授のような高い学力を持つ人か、或いは本職の塾講師という場合に限られる。

          「お父さん家庭教師」が長続きしない第3の理由は、反抗期思春期の子供に反抗されるからだ。
          10歳を超えれば、父親と子供はN極とN極、S極とS極といった具合に反発し合うのが普通ではないか。親子がベタベタの蜜月関係だったら気持ち悪い。

          狭い部屋で父親と子供が向かい合って、或いは子供の勉強机の横に父親が陣取って勉強を教えている姿はいかがなものか。個人差はあるだろうが、私には強い抵抗がある。子供の立場だったら絶対に嫌だ。ほとんどの子は親離れをして、「お父さん家庭教師」から卒業する。

          ところが、かつて義理の母と妹弟を放火殺害した東大寺学園の高1の男の子の場合は、「お父さん家庭教師」が16歳になってまで続く条件が揃っていた。
          父親は医師で理数系の学力があり、また息子は大人しい真面目な子で真正面から父親を拒絶することができなかった。
          父親に抵抗する力がもしあったら、殺されたのは母親と妹弟ではなく、父親だったはずだ。

          執拗な「お父さん家庭教師」は、内田樹氏言うところの「ファミリアル・ハラスメント」の一種だろう。




          ★開成塾・中学受験
          尾道市向島・定員5人・少数精鋭




          | 中学受験 | 10:17 | - | - | ↑PAGE TOP
          難関中学の定期試験は曲者
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            難関中学に入学した子にとって、中学校最初の中間試験は非常に勉強がやりにくい。
            どうやったらいい点が取れるのかわからない。
            とにかく勉強のやり方がわからない。「のれんに腕押し」のような感覚だ。

            定期試験の勉強がやりにくい第1の原因は、難関中学に入学した子が、進学塾のカッチリした勉強のやり方に慣れているからだろう。

            進学塾ではテキストもカリキュラムも「カチッ」としている。綿密にシステム化されている。テキストとカリキュラムは密接に連動していて、カリキュラム表を見ればテスト範囲は一目瞭然だ。
            試験範囲も「算国理社すべてテキスト第2分冊第7回」という具合に明確で、試験勉強がしやすい。

            また塾のテスト問題も何百人何千人が同時に受験する問題であるから、必然的に最大公約数的な問題になり、難問ではあるがクセが極力排除された、出題者の体臭がしない問題になる。
            だからテキストを勉強すればするほど、正比例してテストの点数は上がる。

            対して中学校の定期試験は範囲も曖昧で、各教科の統一感もなく、問題も各先生の体臭がプンプンするローカルなもので、子供は戸惑う。

            そして、学校の定期試験で子供が一番困惑するのは、進学塾の試験範囲が「テキスト」中心であるのに対して、中学校の試験では先生の板書を写した「ノート」が出題のメインを占めることだ。

            進学塾のテキストは問題形式になっているものが主で、問題を解いていれば自然にテストで点を取れるようになっている。勉強が非常にやりやすい。

            逆に板書ノートはテスト勉強が非常にやりにくい。ノートからどのような問題形式で出題されるか、慣れないうちは非常に戸惑う。
            だから塾の先生は試験勉強がやりやすいように、学校の先生の板書ノートを元に、せっせと一問一答問題を作ったりするのである。

            さらに困ったことに、難関中学の先生は学究肌の先生が多く、教える内容も出題方式も独特だ。先生の「体臭」に慣れなければならない。

            おまけに板書をしない先生もいる。
            中学入りたての子にとっては、内容が独特でしかも板書をしない先生のテストに向けて、何を勉強すればいいのか途方に暮れてしまう。
            とにかく大学の試験勉強と同じ勉強法が、中1の段階で求められる。

            要するに進学塾のテストは相撲のようなルールがわかりやすい「単純系」で、中学校の定期試験はルールが難しい野球やアメフトのような「複雑系」だと言えるのかもしれない。
            | 中学受験 | 13:57 | - | - | ↑PAGE TOP
            開成高校「日本一の運動会」
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              開成高校・中学の運動会は、どういうわけだか「日本一の運動会」と呼ばれている。
              運動会は5月の第2日曜日に行われ、週刊誌のグラビアなどで毎年のように掲載される。

              開成の人間はたいがい「東大合格者数日本一」と言われても、「そんなことで俺らを評価するな!」と、あまり喜びを表に出さない屈折した心理を持つが、「開成の運動会は凄いですね」とほめられたら相好を崩す。
              開成の運動会は
              「硬派で熱い青春ドラマ」といった感じだ。男子校だから「質実剛健」、筋金入りの硬派だ。

              私は運動会が大好きだった。

              開成高校は1学年8クラスあり、それぞれ「赤・青・黄・緑・白・黒・橙・紫」の8つの組に分かれて戦う。
              開成は六年一貫だから、中学生と高校生が同じ組になる。中1から高3までの6学年が、一つの組で一致団結するのだ。

              中1が開成に入学して最初に受けるのは、そんな旧制高校のバンカラな遺風を色濃く残す運動会の洗礼だ。
              勉強だけの純粋培養の小学生が、いきなりワイルドな男の世界に巻き込まれる。

              誰もが狂ったように掛け声を上げる。シャイな子も羞恥心を吹き飛ばして運動会に熱狂する。
              赤組は「あか! あか!」、黒組なら「くろ! くろ!」と格好良く掛け声を上げる。
              ところが橙組の「だいだい! だいだい!」、紫の「むらさき! むらさき!」という掛け声は、初めて聞いた人にはちょっと間抜けに聞こえるかもしれない。
              でも、誰もが真剣にやっているので、そんなからかい言葉は迫力に圧倒され自然に消え去ってしまう。

              昼休みには、高3の黒い学ラン姿の応援団に囲まれて、中1はエール(応援歌)の練習をする。
              デカイ18歳の高3と、ちっこい13歳の中1が、協力して物事を成し遂げるという状況は、世の中にそんなにあるわけではない。

              「声が小さい!」「オウ!」
              オッサンくさい高3が「声が小さい!」と叫ぶ野太い声と、声変わりしていないカワイイ中1の「オウ!」という高い掛け声が交錯して、奇妙な上下関係が生まれる。

              各組のエール(応援歌)は高3の担当が作詞作曲し、アーチ(看板)は3月頃からこれも高3が協力して描く。
              エールはアニメの主題歌のように勇ましく、アーチは高校生が作ったものとは思えない素晴らしいものだ。
              運動会に見学に来た人は、まず8つ並んだ巨大な壁画のようなアーチに圧倒される。

              先生は、全くといっていいくらい、運動会には手を出さない。運動会の運営は、ほぼ生徒の自主性に任されている。

              競技は中1が馬上鉢巻取り、中2が綱取り、中3が俵取り、高1が騎馬戦、そして高2と高3が棒倒し。仮装大会とかいった色物はない。主役は男くさい競技ばかりだ。

              競技に負けたら応援席に走り、泣いて土下座する。中1も泥だらけになった、大きなプロテクターで羊のようにモコモコになった白い体操着姿を、地面の上で丸めて泣き崩れる。

              学ラン姿の応援団の先輩は「お前ら泣くなよ! よくやったよ!」「土下座なんかするなよ! 立てよ!」と、彼らも興奮して泣きながら中1の体を起こしにかかる。
              笑える光景にしか見えないだろうが、少なくとも私は、純粋に悔しくて本当に泣いていた。一生懸命だった。

              逆に競技に勝ったら、その瞬間に笛が「ピーッ」と広い校庭に響き渡り、アーチで応援している生徒は飛び上がり、グラウンドが揺れる。
              興奮のあまり旗手が旗を持ってグラウンドを走って一周し、組のメンバー全員が凱旋し後に続いた。織田信長を先頭にした、桶狭間の戦いの織田家臣団みたいに。

              カッコよかった。何もかもが。
              誰もが闘志むき出しだった。
              上半身裸で戦う棒倒し。担架で負傷者失神者がどんどん運ばれていった。

              ところで、個人主義者の権化のイメージがある私だが、子供時代は素直だったので、ロカビリー先生と違い(笑)犬のように先輩に喰らいつき、先輩からものすごく可愛がられるタイプだった。運動神経が鈍いながらも、気力でアピールして、先輩に「お前が一番頑張ってる」と、よくほめられた。

              下宿して1人暮らしをしている事情を高3の先輩に話すと、パンやジュースをおごってくれた。今思うと高校生の小遣いは少ないのに、ほんとうにありがたかった。根が体育会系の私は、ピリッとした上下関係の運動会が大好きだった。

              ただ体育会系といえども、陰湿な雰囲気は全くなかった。
              練習中は、旧日本陸軍もかくやと思わせる、体罰はないが軍隊式の訓練が続いた。しかし練習が終わると、先輩も後輩も急にフレンドリーになった。芸術的なメリハリがある上下関係だった。
              先輩後輩どうしが、お互い涙目になるような真剣な話をした後で、下らない馬鹿話で盛り上がったりした。

              先輩方は賢い人が多かった。だから自分に自信を持っている。自信を持っているからカラ威張りしない。虚勢を張らない。
              また後輩も場の空気が読めるし、先輩の「威」を察知する感性があり、先輩に対してどう振る舞えばいいか理解している。

              先輩がやさしくても甘えたりしない、フレンドリーでも馴れ馴れしくならない。そして何よりも私は先輩方を慕っていた。慕っていたから敬意が無意識にあふれた。
              上下関係の絶妙な距離感を、私は開成の運動会で学んだ。

              中3の時、高3のサブチーフのI先輩に呼ばれた。
              「悪いけどお前、叱られ役やってくれないか。練習が中だるみで、最近たるんでるんだ。お前が一番頑張ってるから、お前を叱るとピリッとする。運動会本番まで我慢してくれ」

              その後私はみんなの前で、何度も厳しく叱られた。I先輩は演技ではなく本気で怒っているようで、私は何度か悔しくて涙目になった。
              運動会が終わった後、「よく耐えてくれた、ありがとな」と、I先輩は私にコーヒー牛乳をおごってくれた。コーヒー牛乳だけかよと、多少不満もなかったわけではないが(笑)、信頼してくれたいい先輩に出会えて本当に良かったと思う。

              開成の運動会は、勉強に対する内面的なパワーを、外面的な若い肉体のパワーに見事に転換させる。
              勉強する若者のパワーは静的なものだが、もし目に見えるようになったら、これほどまでに途轍もない強大なものになるのか、驚嘆させてくれる絶好の機会かもしれない。

              運動会に熱狂するのは、「日本一の高校」で「日本一の運動会」を戦っている誇らしさ、そんな鼻持ちならないエリート意識もあったかもしれない。
              開成のヤツなんて、青っ白い勉強だけの人間だという偏見を打破したい思いもあったかもしれない。
              ただ開成の運動会が、青春完全燃焼の舞台だったことは明らかだ。勉強も仕事も運動も、何をやらせても熱い集団の中で過ごせたことは、今考えたらとても幸せなことだ。

              5月の運動会のあと、高3は運動会の外向的エネルギーを、再び勉強の内向的エネルギーに変え、受験勉強を戦い抜く。

              とにかく、こんな熱い運動会を見せつけられたら、受験生の親は「絶対にうちの子を開成に入れたい」と思うし、子は「運動会のために開成に行く」と倒錯した大志を胸に抱き、開成に強い憧れを持っても無理はない。
              意図してるわけではないが、皮肉にも運動会は開成高校の最高の宣伝になっている。

              私の開成高校に対する「愛校心」の90%は、運動会の思い出と共にある。









               
              | 中学受験 | 19:28 | - | - | ↑PAGE TOP
              計算力がつく最善の方法はそろばん
              0
                計算って、よく考えるとアクロバットのような能力である。
                3桁4桁5桁、分数に小数、正負に累乗、方程式に不等式、平方根に因数分解、人間の頭脳はすごいと思う。
                猿や犬や猫には絶対にできないことだ。

                テストで計算力が必要とされるのは、もちろん計算問題だけではない。文章題・図形、算数数学すべての分野で計算が必要とされる。小学校の円は小数計算のオンパレードだし、中学校の三平方の定理はルート計算ができないと手も足も出ない。

                また難問になればなるほど、1問の中で要求される式の数は半端じゃない。

                たとえばこんな中学受験の問題

                てんびんばかりと、5g、50g、500gの分銅が1つずつ、1g、10g、100gのおもりが4個ずつある。487gの金属のかたまりをはかりの右側の皿にのせ、片側または両側の皿にいくつかのおもりをのせて左右をつりあわせる。両側に同じ重さのおもりはのせないものとして、つり合わせ方は何通りあるか。

                この灘中の問題なんか、たった1問で50本近くの式が要求される。50本の式を全てたて続けに正解しないと、正答には絶対にたどり着けない。

                中学入試でも高校入試でも、算数数学の入試問題1回分で解かなければならない式は、問題の難度によって違うが、おそらく100から300ぐらいだろう。
                子供は1回の試験で100から300の計算を要求され、1つたりともミスしてはならないのだ。
                体操選手なら着地が少々決まらなくても減点ですむが、計算は正解か不正解か2つに1つである。1つ1つの計算の着地をピタッと何百も決め続けなければならない。

                すごい能力だと思う。

                ところで、計算は箸の使い方に似ている。大方の日本人は箸を無意識に使い、箸は身体の一部となり、食べ物を切ったり口に運んだりする便利な道具である。
                ところが箸をはじめて使う外国人にとって、2本の木の棒で食事をするアジア人の姿は神秘だ。箸を使ってメシを食うことに挑戦しても、最初のうちはなかなかうまくいかない。
                算数数学が苦手な子は問題を解く時、箸をうまく使えない外国人のような、戸惑った悲しい顔をしている。

                計算とはまさに箸の使い方と同じで、どれだけ無意識にできるかで算数数学の勝負が決まる。箸が使えない外国人みたいに計算でつまづくと、不正確な解答しか出せないし、時間も圧倒的に遅くなる。

                計算が苦手だと算数数学が嫌いになる。1回のテストで計算をいくつもいくつも「僕は私はいまメンドクサイ計算をしている」と意識しながら解くのはとんでもない苦痛だ。
                箸が使えないならナイフやフォークで食べればよい。いざとなったら手づかみで食うのもアリだ。しかし算数数学で計算から逃れるわけには絶対にいかない。計算機も当然実戦では使えやしない。

                算数数学の苦手な子にとって計算力の向上は急務だ。




                さて、私にもし子供がいたら、わが子が計算力欠如で算数数学に悩み、授業がダークな時間になるのを防ぐため、どんな対策を練るだろうか?

                私が親なら、小学校1年生からソロバンを習わせる。

                ソロバンは中途半端にやらせてはならない。6級7級あたりでやめるのはもってのほか。最低2級までは習わせたい。
                コツコツとソロバンの練習を重ね、2級をすぎれば不思議なことに頭の中にソロバンが浮かんできて、自動的に勝手に計算をしてくれるのだ。
                3級まではソロバンはただの道具だが、2級を越えるとソロバンは「頭の中の計算機」になってくれる。

                私は今でも授業中に計算をする時、無意識に右手親指人差し指を動かす癖があり、生徒に指摘されることがある。
                私一人の経験則で語るのは問題があるかもしれないが、小学校の習い事の中でソロバンほど役立ったものはない。






                ★開成塾・中学受験
                尾道市向島・定員5名・少数精鋭









                | 中学受験 | 18:37 | - | - | ↑PAGE TOP
                開成中学受験の緊張感
                0
                  試験当日の緊張度は、ケースバイケースだ。
                  高校入試は中学校で引率され、受験番号も友達と並んでいることが多いから、単身で難関私立高校を受験するケースを除いて、いつもの見慣れたクラスメートに囲まれているため、緊張感はある程度和らぐのではないか。

                  私が中学受験をした時は、1人で東京へ行った。
                  田舎から東京、しかも開成中学。下見はしていなかったので開成訪問は初めてだし、入試を受けるのは生涯初めて。緊張しない方がおかしい。

                  西日暮里の駅から校門までは人の波で、門の前では東京の進学塾の先生が生徒を激励する騒然かつ荘厳な雰囲気が漂っていた。絵に描いたような頭の良さそうな奴がたくさんいる。
                  ときどき田舎の悪ガキっぽい「あばれはっちゃく」みたいな奴もいる。試験前なのに塾の先生の前で明るさを振りまいている。勉強とは縁のなさそうなルックスだけど、こいつ勉強できるのだろうか? こいつが開成合格したら未来の大物候補だろう。あれこれ考えたら不安が募った。

                  教室に入れば友人同士おしゃべりしている奴がいる。私には友達なんて当然いない。私は一人昨日新宿の紀伊国屋で買った「声の教育社」のオレンジ色の開成の過去問をじっと眺めている。

                  試験が始まった。記憶に間違いがなければ、試験問題の紙質はワラ半紙まではいかないが、少しだけ茶色ぽかった。塾のテストで使う目にまぶしい真っ白な紙ではない。しかも古本のように、活字が紙から浮き出てゴワゴワしている。町工場のような小さな印刷所で刷ったのだろうか。
                  ワラ半紙に刷られたゴワゴワした文字の問題用紙は、公文書のような威厳をたたえ、田舎の小学生を威圧した。たかが紙を怖がるなんて、どうかしている。

                  しかし一旦問題の世界に没入すれば緊張感は消え、あとはスムースに問題を解くことができた。
                  問題を解くまでは、試験の緊張感は否応なく高まるが、いざ始まってみると正常心に戻れるものだ。

                  試験当日の緊張感は大したものではない。むしろ緊張が高まるのは、合格発表だ。合格発表の緊張感だけは、何歳になっても耐えられない。
                  | 中学受験 | 23:00 | - | - | ↑PAGE TOP
                  公文は計算機製造工場
                  0
                    単純に計算力をつけるなら、私は公文が一番いいんじゃないか、と思う。
                    公文なら思い切って自分の苦手な箇所から履修できる。

                    確かに中1の子が小4の小数計算のプリントから始めろと言われたらプライドは傷つく。
                    公文の教室ではでっかい身体の自分が小数の割り算やってるのに、横で小4のガキが方程式をスラスラ解いている。公文はそんなところが残酷だ。
                    そんな屈辱的な状況は「いじめ」の原因にもなりかねないが、一生計算ができないよりはましだ。

                    また小4の時につまずいた箇所も、中1になると脳の力も成長しているから、「俺、こんなことがわからなかったのね」と簡単に理解できるケースが多い。
                    勇気を出して思い切って基礎に戻ることは大事だ。

                    公文でプリントをこなすと、子供の計算力は明らかに速くなる。私も小学5年・6年の頃には公文に通っていたが、計算が速く正確になってゆくのが実感できた。
                    とにかく公文に行くと計算機のように計算が速く正確になるのは事実だ。素晴らしいシステムだと個人的には思う。

                    うちの塾生にも、公文に小学校の時から通っていて、計算力が図抜けた中1生がいた。
                    他の生徒が計算問題をまだ解いているのに、彼だけは時間の半ばあたりには計算を解き終わり、涼しい顔をして待っている。とにかく公文で製造された計算機みたいだった。

                    しかし、文章題や図形や関数になると状況は一変した。彼は計算以外は全くと言っていい程できなかった。
                    計算という直球は軽々打てるが、ちょっと文章題で変化をつけるとブルブル振り回すだけでバットにボールが当たらない。
                    彼の頭脳はまさにカシオの電卓と同じで、計算は解けるが文章題や図形には対応できなかったのである。

                    彼がもし公文に行ってなかったら、文章題や図形はもとより計算すらできない能力しか持っていない子だったのか? 公文の力で計算だけは反射神経で身に付けることができたのだろうか? それなら計算力だけでも伸ばした公文は偉大だと思う。

                    しかし、あまりにも公文で「計算反射神経」の訓練を特化するあまり、文章題や図形や関数を解くために必要な脳の一部分を、計算力が悪性細胞のように侵食しているんじゃないかという意地の悪い見方もできる。私は脳の専門家ではないから素人の推測に過ぎないが。

                    とにかく私の長年の体験上、計算力が図抜けている子に、文章題や図形問題がからっきし解けない子をよく見かけることは事実なのだ。
                    計算と文章題の間に断崖絶壁が立ちはだかり、両者を繋ぐ橋を架けるのに凄まじい困難を伴う。

                    公文で製造された計算機に、文章題や図形や関数の機能を取り付けるためには、どうすればいいのだろうか?
                    | 中学受験 | 13:38 | - | - | ↑PAGE TOP
                    子供を歴史好きにする大河ドラマ総集編
                    0
                      歴史好きになるにはNHK大河ドラマを見ればいいとよく言われる。
                      しかし実際の大河ドラマは、たとえば今年だったら山内一豊と周辺人物のことしかやらない。一年通して見ても、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の時代には詳しくなるだろうが、あとの時代が抜けてしまう。

                      だから「功名が辻」を1年間たっぷり見ても、藤原道長や足利義満や明治天皇のことはわからないままだ。
                      だったら歴代大河ドラマの総集編ばかり集中的に、子供に見せるのも手だ。

                      たとえば歴史上のメイン人物なら・・・

                      平将門「風と雲と虹と」加藤剛
                      藤原清衡「炎立つ」村上弘明
                      源義経「義経」滝沢秀明
                      源頼朝「草燃える」石坂浩二
                      北条時宗「北条時宗」和泉元彌( ̄w ̄)ぷっ
                      足利尊氏「太平記」真田広之
                      日野富子「花の乱」三田佳子(足利義政は市川団十郎)
                      武田信玄「武田信玄」中井貴一
                      織田信長「信長」緒形直人
                      豊臣秀吉「秀吉」竹中直人
                      徳川家康「徳川家康」滝田栄
                      徳川秀忠「葵・徳川三代」西田敏行
                      春日局「春日局」大原麗子(徳川家光は江口洋介)
                      徳川吉宗「八代将軍吉宗」西田敏行
                      徳川慶喜「徳川慶喜」本木雅弘
                      西郷隆盛「翔ぶが如く」西田敏行
                      (何でもできちゃう局長西田敏行。今年は徳川家康)

                      原始古代及び明治以降が弱いのが難点だが、これだけ見れば歴史好きになるかも。
                      明治以降は「獅子の時代」や「春の波濤」があるが、「獅子の時代」の主人公は架空の人物だし、「春の波濤」は川上貞奴という女優の生涯なので、受験勉強にはあまり使えない。

                      日露戦争を大河ドラマ化して欲しい。「明治天皇と日露大戦争」でも見せようか。「坂の上の雲」が大河ドラマになれば一番いいのだけど。

                      あと大村益次郎の「花神」、呂宋助左衛門の「黄金の日々」、伊達政宗の「独眼竜政宗」、前田利家の「利家とまつ」、忠臣蔵の「峠の群像」「元禄繚乱」あたりを適宜見せてもいい。

                      | 中学受験 | 14:29 | - | - | ↑PAGE TOP