猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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子供にビールを飲ませる塾
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    絶対にどこかの教育現場で、これを「ビールだぞ」と言って飲ませている教師はいるだろう。社会問題化しそう。

    ちなみに注意書きにはこう書いてある。



    ということは、いちおう、法律違反にはならないんだよね。
    この味が未成年に浸透したら、どうなるのだろうか。

    時効だから言うが、5年前、中3の授業で、私は塾にあったオールドパーを少量紙コップに入れ、子供達に「ウイスキーはこんな匂いだぞ」と持ち回ったことがあった。

    誰もがウイスキーの匂いに鼻を遠ざける中、中3時代のK君は私の手からコップを奪うなり、ウィスキーを一気に飲み干してしまった。一瞬の出来事だった。
    まるで正体がばれたスパイが、一気に毒を飲み干すような速さだった。

    水割りの1杯は作れそうな量だったので、中学生にはキツイ。
    だから、K君はいつもはほっぺただけが赤いのに、2〜3分たつと顔全体が紅潮し、バイキンマンにちょっかい出されて興奮した時のアンパンマンみたいな顔になってしまった。

    顔色だけでなく言動もおかしい。丸い顔がヒクヒク動いている。授業時間はあと40分ぐらいしかなく、酩酊状態で家に帰すわけにもいかない。どうしようかと思案していたら、授業終了時には顔色も戻っていた。よかった。

    K君はなんでこんな大胆な行動をとったのか。いまだにあの男のやることはわからない。

    | 塾の様子ガラス張り | 19:12 | - | - | ↑PAGE TOP
    補習でヒーロー
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      私の塾は集団授業塾だが、勉強が遅れがちの子には個別補習もやっている。特に中2英語はこの時期に差がつくと、将来とんでもないことになるので、目配りを欠かしてはいけない。とりあえず英語の苦手な子を数人呼んで補習する。

      でも、ただ単に補習をやってもつまらない。補習というものは過去に習った箇所の復習=反復と相場が決まっているが、それだけでは面白くない。確かに反復演習すると成績は上がるが、補習している方もされている方も、即効性があるパッとした手応えが欲しい。

      そこで私は補習で予習=先取り学習をやる。たとえばちょうど中2は助動詞に突入したところだが、他のみんなが助動詞を集団授業でやる前に、補習組の子に助動詞をみっちり教えておくのだ。

      そして助動詞の集団授業がはじまると、補習組の子にどんどん当てて答えさせる。他の子は助動詞を習いたてなので、あまり正確に答えられないのだが、補習組の子はあらかじめ知識を仕込んでいるので、私の質問に対してバシバシ正しい答えを出す。

      補習組の子は、補習に呼ぶ前には集団授業中私の質問にロクに答えられなかったのに、補習のおかげで力がつき、集団授業の時に楽々答えられて嬉しそうだ。授業中も以前とはうって変わり、「先生、俺に当ててくれ」という顔をしている。おそらく生涯初めて「できる子」の立場を味わうことができ、補習に参加して良かったと思うだろう。

      確かに補習組の子に先取り学習をやらせて、授業中「にわかヒーロー」に仕立て上げるのは、作為的であざとい手段かもしれないが、できる子がいつも授業中に味わっている優越感を、勉強が苦手な子に少しでも味わってもらえたら、局面が変わりそうな予感がするのだ。

      「落ちこぼれたから補習」ばかりでは、子供に劣等感がしみ付いてしまう。発想の転換で、補習を活気のあるものにしたい。
      | 塾の様子ガラス張り | 20:02 | - | - | ↑PAGE TOP
      卒塾生たちの残り香
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        実際に海外旅行をしてみて、ガイドブックでは絶対にわからないのが、旅先の匂いである。
        旅先の匂いが、旅情を大いにかき立てる。


        パリの住宅街の香ばしいパンの香り
        バンコクのチャオプラヤ川のヘドロの匂い
        香港の屋台の臭豆腐の、どうしようもない腐臭
        ロンドンでミュージカル観劇のとき、隣に座った女性の柑橘類の香水
        韓国ソウルの地下鉄の、乗客の汗や口から発するニンニクの匂い
        中国の田舎の、侘しい煉瓦の家の練炭の匂い
        東南アジアの、長粒種インディカ米の芳香
        上海のコンビニで買った、歯磨き粉のチープなミントの味
        ニューヨークの黒人の腋臭
        台湾の市場の、漢方薬とスパイスの匂い
        国際線飛行機の、機内に立ち込める機内食の油くささ
        シンガポールの、ほんのり熱帯果実の香りが混じった、ねとっと湿った甘い空気・・・・・・

        知らない国に佇んでいると、まるで夢の国の中にいるようだ。現実感が伴わない。
        しかし、外国独特の、日本にはない街の匂いが漂ってくると、ここが現実世界だということを意識する。風景はある程度写真で想像できるが、匂いだけは現地に行って見なければわからない。

        ところで、今日は高3最後の授業である。いま彼らが帰ったところだ。

        彼らは塾を卒業した。彼らが一緒に塾で学ぶことは、もうない。

        でも彼らの痕跡は、あちこちに残っている。

        エクセルに記されたクラス名簿、成績表、デジカメで撮った写真、忘れ物の文房具・・・
        まるで形見のように、彼らの面影が置き去りにされている。

        彼らが集った教室の匂いをかぐことも、もうない。

        彼らが小学校4年生だった時、教室はガキくさかった。足の匂いなのかどうか定かではないいが、小学生の子供の匂いが、教室に立ち込めていた

        そのうち彼らが成長していくうちに、ガキくささは消え去り、学生服やセーラー服やブレザーの、ちょっと黴臭いすえたような匂いがするようになった。

        思春期独特の汗臭さが教室を支配するようになった。身体が大きくなればなるだけ、教室の空気の密度は増した。
        教室には、その教室にしかない匂いがある。同じ学年でも、匂いが微妙に違う。
        子供たちが放つ匂いには個性がある。

        いま、彼らが去った教室には、まだ少し残り香がある。
        窓を開けてしまえば、彼らの匂いは瞬くうちに消えてしまうだろう。
        | 塾の様子ガラス張り | 16:28 | - | - | ↑PAGE TOP
        深夜までがんばる中3
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          きょうの中3は、午後13:45から17:45まで特訓。カミエス先生からいただいた英語のプリントを演習する。「ここは生徒が忘れそうな難しい箇所だな」と不安に感じる部分があると、別のプリントでさらりと再登場する。反復が効果的で、頭に定着させやすいプロフェッショナルなプリントで、すごく役に立っている。

          良い教材を使えば、「ここはあとで補充した方がいいんじゃないか」と頭を悩ませることがない。教材に授業の流れを丸投げできる。良い教材は教える者を安心させ、饒舌にさせる。教材の選択は極めて重要である。

          ところで、最近中3がこわい。受験を1ヵ月後に控えて、誰もがとても怖い顔をしている。授業中も自習室も、あまり笑顔がない。16人ほぼ全員が幽鬼のように暗くて陰鬱だが、しかしとても真剣だ。迫力すらある。

          深夜11時、12時まで勉強を続けている子はざらだ。史上最強の中3かもしれない。うちは「深夜まで子供を残す怖い塾」ではない。「深夜まで子供が自主的に頑張っている塾」だ。どうしてこうなったのか、私にもわからない。

          公立に選抜気凌篩Δ嚢膤覆靴浸劼癸蛙佑い襦しかし彼らは途中で塾をやめないで授業に参加し、勉強を続けている。そういう姿勢だから推薦合格したのだろうが、見上げたものである。信じられない。私だったら推薦で合格したら、塾なんか行かずに家で本でも読んでいるだろう。

          逆に去年の中3には手を焼いた。毎日のように雷を落としていた。ロカビリー先生の塾とは逆パターンである。学年によって勉強姿勢の違いはあるものだ。

          繰り返すが、今年の中3はすごい。たとえばRITZの大学1年生ショウゴ君の妹Sさんは顔が暗い。ふだんは明るい子なのに、最近は黒衣の未亡人みたいな、硬直した表情をしている。彼女が北高に不合格になるはずはないのだ。でも、過度に不安になっている気がする。自習室にいる日は、8時間ぐらいぶっ通しで勉強している。私は心配して「お前は受かるから」と声をかけている。

          また、Yさんはマスクをしながら頑張っている。Yさんも目が暗い。本気の目をしている。去年の中3には「お前は就職しろ」などと、刺激的な言葉を直前までかけ続けていたが、逆にYさんに必要なのは精神的なケアだ。大丈夫という確信を持たせることだ。Yさんは不安に鞭打ちながら戦っている。
          私がすべきことは、Yさんが自らの精神を痛めつけている、自虐の鞭を取り上げることだ。

          高3と高2と中3が自習していたが、いまやっとみんな帰ったところだ。戦いは続く。




          ★開成塾・高校受験
          尾道市向島・尾道北高・東高をめざす塾




          | 塾の様子ガラス張り | 23:58 | - | - | ↑PAGE TOP
          わが塾の自習室は戦時の防空壕
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            日本が太平洋戦争に負けたのは、さまざまな理由があるが、陸軍と海軍、東京の参謀本部と満州の関東軍など、軍官僚組織の命令系統がバラバラで、統率が取れていなかったことも、敗因の一つだろう。

            また軍司令部は、現場の兵士に過酷な根性主義を押し付けながら、作戦を練る立場の東京の陸軍省や海軍省には、さっさと定時に帰る軍官僚が多かったという証言がある。

            陸軍と海軍がバラバラに作戦を立て、現場には無理難題を押し付け、自分たちは自宅でのんびり暮らしている状況で戦争には勝てない。

            逆にイギリスではナチスに対抗するために、首相チャーチル以下、政府や軍の首脳が防空壕でともに寝泊りし、団結して国難を乗り切ったらしい。

            個人主義で、他人のことには干渉しないイギリス人が、未曽有の災難の時には、力を一つにまとめて、同じ釜の飯を食いながら備える。平時は個人主義、戦時は全体主義。切り替えのうまさがイギリス人の本領といえよう。

            政府や軍の幹部が、お互いのユニークな感性を尊重しながら、狭い防空壕で議論し、対応策を立てる。日本のように声のデカイ人が場を威圧し、空気に流される議論ではなく、合理的な論争でナチスへの対応を話し合った。

            強い一匹狼たちが、一つのチームになった。

            さしずめ、うちの塾の自習室は、第二次世界大戦期のロンドンの防空壕みたいなもので、受験という人生の大ピンチに見舞われた子供が、小学生・中学生・高校生・浪人生ひっくるめて、刺激しあいながら戦っている。

            うちの塾生たちが、平時から勤勉さを保っているかといえば違う。勉強にベクトルが真正面に向いているかといえば、必ずしもそうではない。
            私には厳しい教師のイメージがあるが、それは自己管理ができていない子に限ってであり、才気に満ち、私が将来を見込んでいる子には、かなり自由に振る舞ってもらっている。下手に管理したら才能が潰れる。

            私が見込んでいる若者は、必要最低限の勉強は怠らないが、平時は自由でユニークな「遊び人」で、強いエネルギーは勉強以外のことに向けられていることが多い。
            ただ彼らは人生を賭ける時には、意を決して勉強の防空壕の住人になる。戦時には勉強の鬼となる。下らないプライドを捨てて、暫し、勉強の神様の信者になる。

            平時には「遊び人」で、戦時にはストイックに。遊びも勉強もエネルギー量は半端じゃない。そんな若者の体臭に満ちた自習室は、静粛でヒンヤリとした熱気に満ちている。
            わが塾生の個性集団が、第二次世界大戦時のイギリスの防空壕のように、難敵を蹴散らしてくれればいいが。


            | 塾の様子ガラス張り | 23:59 | - | - | ↑PAGE TOP
            自習室とメイドカフェ
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              自習室に生徒が集まる塾の、十中八九はいい塾だ。
              うちの塾がいい塾かどうかはともかく、結構自習室に子供はやって来る。

              うちの塾では、現在深夜1時ごろまで自習室が開いている。

              子供も友人達と切磋琢磨しながら勉強するとやる気が出るし、塾講師も子供に囲まれていると結構楽しいものなのだ。

              自習室の常連の子の挨拶が面白い。
              彼らは塾から家に帰るとき、「さよなら」ではなく「行って来ます」と挨拶して帰るのだ。塾を自分の家だと思っているらしい。まさに「塾の子」である。
              私もいい気になって「行ってらっしゃい」と挨拶を返す。

              逆に彼らが塾に現れたとき、私はふざけて「おかえり」と言う。彼らも「ただいま」と当然のように返事をする。
              塾講師と塾生が親密になると、こんな挨拶が普通になってくる。

              でも、来た時に「おかえり」、帰る時に「行ってらっしゃい」と客に向かって挨拶する業種は、塾とホテルとメイドカフェぐらいじゃないだろうか?

              「お帰りなさいませ、ご主人様ピンクハート
              「行ってらっしゃいませ、お嬢様星
              | 塾の様子ガラス張り | 16:45 | - | - | ↑PAGE TOP
              叱った後のフォロー役がほしい
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                私は1人で塾をやっているが、不便を感じることはあまりない。
                事務的なことは完全に1人でできるし、試験前で授業のコマが増えるときは、朝から晩まで授業をすればいい。むしろ1人の方がテキパキ立ち回りやすい。

                病気に襲われた時も、1人で痛みに耐えることには慣れている。
                個人塾の塾長は、体にガタが来ても弱音が吐けない。周りを不安がらせ、気を使わせるだけだから、軽い病気なら隠しておいた方がいい。
                昔のカープの選手は、山本浩二にせよ衣笠にせよ高橋慶彦にせよ、身体がガタガタでも黙って試合に出た。身体の痛みは黙して語らず、自力でケアすることは慣れている。

                また個人塾の塾長は、どんなに精神的に参ることがあっても、学校の先生のように精神疾患で休職というわけにはいかない。心のケアも自分自身でやらなければならない。気が狂いそうになっても、浜田省吾ではないが「強い男」を演じ続けねばならない。

                とにかく、長年この稼業を続けていると、1人で誰にも依存せず、何もかも自分でやることが当たり前になってしまった。

                そんな私でも、誰かもう1人先生がいてほしいと、切実に思うケースがある。
                それは、かわいがり期待している生徒を、激しく叱った時だ。

                私は、誰も叱らないような「いい子」を叱る悪い癖がある。99%満足していても、残りの1%を直したくなる。真っ白なテーブルクロスに付着した、小さな墨汁のシミが気になる。シミを取るために強い行動に出てしまう。

                人生賭けてもいいような、強く期待している子を叱れば、死にたいぐらい胸が痛む。私が叱ったことで、子供が心を痛めていると思うと、「オレは何様なんだ。あんないい奴を叱る権利があるのか?」と、胃と十二指腸の辺りが異常に重くなる。
                子供が私を信用してくれているのがわかってるから叱れるのかもしれない。でも信用に甘えて、生徒の自己治癒力を期待してキツイ言葉を吐くことは、傲慢無礼な態度ではないか。

                そんなに悩むのだったら、叱らなければいいじゃないかと思うのだが、10年経って彼らが成長した時、「あの人は悪いことをした自分を叱らなかった弱い人間だ」と軽侮されるのは目に見えている。逆にいま、思い切って叱ったら「あの時先生が叱ったことが、自分にプラスになった」と感謝される100%の確信がある。たとえ感謝なんかされなくても、彼らの社会における価値は高まる。そんな未来が予知できてしまうからこそ厳しく叱る。

                しかし、確信を持って叱りはしても、目の中に100人入れても痛くないような子を叱れば、「塾をやめるんじゃないか、自分から離れていくんじゃないか」という孤独感で発狂しそうになる。
                しかも、心の中では子供が塾をやめる恐怖で胸が潰れそうなのに、表面上は頑として強がっていなければならない。
                叱った子が私から去って行く時のことを思うと、淋しくて淋しくてどうしようもない。現実に私の真意が理解してもらえなくて、離れていった子も何人かいる。

                だからこそ、私がガツンと叱った時、叱られた子をきっちりフォローしてくれる「相棒」が欲しくなる。子供を叱りっ放しで放置した時の喪失感は何物にも変えがたく、誰かの助けを切実に欲求する。
                私が叱り役。相棒の先生がいたわり役。そんな連係プレーが、たった1人しか先生がいない個人塾ではできない。
                私の子供に対する叱責の真意を、わかりやすく優しく子供に向けて翻訳してくれる人がほしい。



                たとえば3週間前、中1のF君に対して私は激怒した。
                F君はヤンチャで「いま僕、反抗期真っ最中です」みたいな状態なのだけど、根がとっても素直で、また数学の才能があり、私がとても見込んでいる子だ。

                授業中、F君の胸倉つかんで「なんで俺の言うことが聞けんのか!」と、エキサイティングしてしまった。その後F君は半分不貞腐れたような、半分私への恐怖で歪んだような顔をして、フォローできないまま授業が終了した。

                あれだけ叱ったあとに「ごめんな」と声をかけるのも、優柔不断な二枚舌の大人みたいで嫌だ。そんな大人は強い軽蔑の対象になる。だから私は強がって放置しておいた。

                F君は目を真っ赤に腫らして帰って行った。こんなときに誰かもう1人先生がいて、帰り際にでもF君をつかまえて、「猫ギター先生は、お前のことを思って叱ってるんだよ」とフォローしてくれれば、どれだけ楽か。

                F君が帰ったあと、退塾電話があるか不安で、とても憂鬱だった。
                私はF君をやめさせたくなかった。絶対に私が教えた方がF君の人生に利益になる確信があるし、彼のような歯ごたえのあるヤンチャ坊主は、長い目でみれば私と相性が非常にいい。
                うまく導きさえすれば、反抗期の素直な反抗心は、嵐が過ぎれば勉強への執念につながる事は、私の教師体験でわかっている。こんな中途半端な時期にやめられてたまるか。

                叱りたくない。でも叱る時には叱らねばならない。叱らなければF君の才能に申し訳が立たない。かわいがっている子を叱るという孤独な行為は、私が一手に最後の砦として引き受けなければならないのだ。

                結局F君の場合は、なんとかフォローするきっかけを、気持ちを集中して探していたのだが、次の授業で、彼が1次関数のグラフを圧倒的な速さで解いた時、演技ではなく本当に私は感動して、全員の前で頭を一発思いっきり叩いて「お前は解くのが速い。すごい。想像以上だ」と褒めた。

                叱ったことで、F君と私のつながりは、また一つ深くなったような気がする。
                その証拠に、1週間前F君は「先生、2人友達つれて来ていい? 今から入れる?」と尋ねてきた。私が「いいよ」と答えると、F君は「2人とも頭いいよ。90点以上取ってるし」と言ったので、私は「お前だって頭いいだろ」と返してやった。F君は無言で照れたような顔をしていた。

                今回のF君の場合はうまくいったが、うまくいかない場合もある。子供を叱ることから派生した、アクロバット空中飛行のような人間関係は疲れる。
                だから切実に、叱られた子をフォローしてくれる人が欲しい。



                ところでロカビリー先生の塾は、私の塾の上を行く「叱り塾」だ。「どつきあい」塾だ。
                こんな場合には私が、先生の塾のNO2講師として、フォロー役を演じてみたい気になる。

                ロカビリー先生に叱られ、涙目になり沈んだ生徒を帰り際につかまえて、「ロカビリー先生の真意を理解しろよ。絶対あの人にはついて行った方がいい」と、涙を流す子供にティッシュを渡しながら、やさしく一言かけてやりたい衝動に駆られる。ロカビリー先生と連係プレーで、子供を強くしていくのだ。

                こんなことを書いていると、私が「好かれ役」でロカビリー先生が「嫌われ役」みたいだが、それは絶対に違う。

                ある一定の感性を持っている子供なら、誰がいちばん自分を愛し認めているかわかる。嫌われることを厭わず、叱ることで子供が離れてゆく恐怖と戦いながら、それでもガツンと叱る人こそ、自分に一番真正面から向き合っている人だと絶対にわかる。
                | 塾の様子ガラス張り | 21:42 | - | - | ↑PAGE TOP
                僕は生徒にメシをおごらない
                0
                  僕は塾の生徒に、あまり物をおごったりしない。
                  塾のイベントもやらないし、塾生とファミレスや焼肉食べ放題に行ったりはしない。
                  他塾の様子を聞いていると、焼肉屋に連れて行ったり、バーベキューやったり、塾生との交流を積極的にやっている先生がいるが、僕は正反対のスタンスを取っている。

                  いまでも、大学受験生は深夜0時・1時まで頑張っているのに、僕は缶コーヒー1つおごらないし、冷蔵庫にペットボトルのお茶を買っておき、自由に飲んでもらうぐらいのサービスしかしない。

                  僕は生徒との間に一線を引きたい。生徒にメシや飲み物をおごって媚びることはしたくない。
                  講師は成績を伸ばすための手伝いをしているのであって、子供の腹を満たすのは親の役割である。講師は親ツバメではない。

                  また食事会とか、イベントを入れると勉強のペースが狂う。勉強にのめりこんでいる生徒に対しては、リラックスさせない方がいい。塾は勉強だけの場として機能させたい。

                  ましてや、夜中の自習室にピザなんか頼んだりすると、ピザを食っている1時間弱の時間は、完全に無駄である。

                  とにかく僕は、塾を卒業するまで、メシはおごらないと固く決めている。

                  ただし、卒業したら話は別です。僕は都会に行く用事があったら、もちろんきちんと前もって都合を聞いてからだが、塾OBの携帯に「飲もうぜ」「ドライブしよう、運転しろ」「旅行行こう、4日間空けとけ」と電話やメールする、日常生活を乱す和田アキ子みたいな迷惑な存在になる。

                  受験生時代は田舎の塾の自習室で緊張感をみなぎらせて勉強していた講師と生徒が、1年たったら都会で一緒に飲んでバカ騒ぎ。この落差がいいんだな。

                  現在頑張っている受験生諸君、合格したら、全身がアルコール漬けのウニになるほど、飲みに連れ回すぞ。
                  | 塾の様子ガラス張り | 16:43 | - | - | ↑PAGE TOP
                  「お友だち塾」はご勘弁
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                    私が気を配っていることは、生徒が安易に友達を連れてくる、チャラチャラした塾にはしたくない、ということだ。

                    塾は学校の延長ではない。学校とは違う「凛」とした場である。
                    「学校でも塾でも一緒にいようね」みたいな、特に女の子に多いベトベトした馴れ合いは、塾の空気にふさわしくない。

                    「お友だち内閣」はともかく「お友だち塾」は良くない。

                    うちの塾では容赦なく生徒が叱られる。自分が叱られるところなんか友達に見せたくないだろう。そんな場所に誰が友達を連れてくるだろうか。友達を連れてくるどころか、自分がやめたいと思うのが先だ。

                    でも、講師と生徒が、そんなギリギリの瀬戸際で攻防するのが塾ではないか?

                    「ねえ、誰か友達連れてきてくれない? 連れてきたら授業料2割引にするけど」
                    そんな志の低い勧誘するぐらいだったら、塾をたたんでルンペンした方がましだ。

                    逆に言えば、厳しい塾だからこそ、塾生は凄い友達を連れてくる。
                    私に向かって、「私はこんな凄い子と友達なんです」と堂々と紹介できる、お互いに尊敬し合う関係の友達。

                    とにかく、うちの塾生が連れて来る友達は、みな芯のしっかりした、厳しい勉強に耐える覚悟ができた子が多い。
                    塾生達はみな自信を持って、リスペクトし合った友人を連れてくる。

                    「類は友を呼ぶ」とは、よく言ったものだ。
                    | 塾の様子ガラス張り | 20:54 | - | - | ↑PAGE TOP
                    自習室へのねじれた勧誘
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                      夏や冬の講習会になると、塾では時間割が大幅に変わる。昼から夜へ、夜から昼へ、時間変更の伝達は抜かりがないつもりだ。

                      そんな夏講開始の日、授業時間ではない意外な時間に1人の中学生が現われる。私はその子が自習室に、わざわざ勉強しに来たのかと思う。

                      たいていそんな子は、ふだんの勉強に対するモチベーションが低い子が多い。
                      だからその子が自習室に現われた時の喜びはひとしおで、「頑張ってるじゃないか!」と気分が良くなる。

                      しかしどうも様子がおかしい。塾に来ても教材を出さずに、ただぼぉ~と座っているだけ。
                      尋ねると、時間を間違えたという。

                      「だったら自習室で勉強しないか」「いや、いいです」
                      その子は足早に家に帰ってしまう。

                      その中学生に対する評価は「心機一転、頑張りを見せる子」から「時間を間違えただけのバカ」へと一気に下がる。

                      私は怒ったりしない。哀しくなるだけだ。この子は人を感動させられない、誰も味方につけられない。まず、私の心が音を立てて離れてゆく。



                      さて、私は自習室のメンバーを贔屓する。家で勉強しているかどうか怪しく、成績が一向に伸びない人間と、塾に来て毎晩遅くまで勉強し、どんなに勉強しても満ち足りない顔をして苦しんでいる人間の、どちらに教師は肩入れするだろうか。

                      やる気がない子が志望校に落ちても自業自得、私には爪を切ったほどの痛みしかないが、逆に自習室で狂気を見せた子に対しては、私のすべてを捧げさせてもらう。

                      たしかに、うちの塾の自習室は戦場だ。気軽に入れるような雰囲気ではない。無言の行のように沈黙したストイックな空間で、食べ物やお菓子は言語道断、誰もが机の上にペットボトルすら置いていない。

                      また、やる気がある子にとって、私は熱い教師だが、やる気がない子にとっては、暑苦しい存在にしか過ぎない。中途半端な気持ちで来られたら困る。

                      とにかく、不可能を可能にするのは、講師と生徒が運命共同体になることだ。私は寺の鐘と同じで、小さく叩けば小さくしか鳴らないが、大きく叩けば大きく鳴る。
                      まず、私にアピールせよ。勇気を出して、自習室の門をくぐればいい。

                      待ってます。
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