たしかに僕は小5まではテレビ大好きっ子で、勉強もせず1日中テレビを見ていたが、突然小6で勉強に目覚め、受験勉強以外は眼中になくなってしまい、小6の時にはテレビを全くといっていいほど見なかった。
中学受験が終わり、1年ぶりにテレビを見ると、知らない歌手やタレントが多くてびっくりした。テレビ界は激変していて、まるで浦島太郎になった心境だった。
大スター山口百恵は引退していて、代わりに松田聖子というメチャクチャ可愛い女の子が、妖精のように甘いキャンディみたいな声で歌っていた。
驚いたのが、田原俊彦という歌手の歌い方だった。音程のつかみ方が独特で、メロディーが聞き取れない、僕には理解しがたい歌唱法だった。1年間勉強している間に、テレビ界は摩訶不思議な世界になっていた。
それから「3年B組金八先生」というドラマにはまった。
受験前は「太陽にほえろ」が大好きだった僕なのに、浮気して「3年B組金八先生」を見てしまった。ちょうど中島みゆきの「世情」が流れる、あの沖田浩之と加藤勝が逮捕される名場面が、リアルタイムで放映されていた時期だった。
その後中学に入り、中1から親元を離れて、東京の賄い付きの4畳半に下宿した。
受験が終わって「さあ、テレビをバンバン見るぞ!」と意気込んだ。
しかし、下宿ではテレビを見ることが禁止されていた。勉学の妨げになるからという、下宿のおばさんの方針だった。
これには、さすがに失望した。
テレビがないと夜が暇だ。下宿の先輩は高校生ばかりで、怖くて近づけない。
私立だから友達は遠方から通ってくるので、思い立って気軽に友だちの家に遊びに行くわけにはいかない。中学生は夜遊びできないし。
おまけに当時はパソコンもない。携帯電話もない。
夜の暇な時間を埋めるのは、ラジオの野球中継や深夜放送、あと音楽だったが、どうもそれだけでは、充実した時間が過ごせない。
結局、退屈な夜の時間を、ギュウギュウに密度高く埋めてくれたのは本だった。文庫本や単行本を買ったり、図書館で借りたりして、1日中本を読み続けた。
僕は小学校時代、本なんてほとんど読んだことがなかった。塾のテストでも算数と社会はできたが、国語はお世辞にも得意科目とは言えなかった。
だから、最初は無味乾燥な活字の世界に戸惑ったが、無理して読んでいくうちに、本の世界が意外にも面白いことに気づいた。
中学校に入って、僕は「テレビっ子」から「本の虫」に変わった。
漫画もたくさん読んだが、漫画の悪い点は、1冊30分で読み終えてしまうことだ。
小遣いが限られていて、もちろんアルバイトなんかできない中学生には、漫画はコストパフォーマンスが非常に悪い。今みたいに漫画喫茶がないから、漫画は贅沢品だった。
「タッチ」や「うる星やつら」など大好きな漫画だけ自費で買って、あとは友人から借りた。
本はその点、1冊で長時間楽しめる。ドフトエフスキーやトルストイは、分厚い割に値段が安く、読書好きになった僕にとって「お徳用」な本だった。
僕の読み方は、1人の作家に惚れて、その人の作品を読み尽くした後、また別の作家に移るという読み方だった。
僕が中学生高校生時代に惚れた日本の作家を、小説家・エッセイスト・ジャーナリスト含めて列挙すると、松本清張・北杜夫・遠藤周作・安岡章太郎・吉村昭・宮脇俊三・司馬遼太郎・西村京太郎・夏目漱石・大江健三郎・筒井康隆・太宰治・井上靖・山崎豊子・横溝正史・谷崎潤一郎・本多勝一などだろうか。
さすがに松本清張や筒井康隆のような超多作の作家は全部読みきることはできなかったが、とにかく代表作は片っ端から読んだ。
ただ、僕が本好きになったからといって、完全にテレビ離れできたかといえば、そうでもない。
帰省した時に、ついつい面白いドラマに目が行ってしまう。高校生の時には「不良少女とよばれて」や「スクールウォーズ」を放映していた。僕の大好きな大映ドラマだ。
たとえば帰省中、家のテレビで「スクールウォーズ」を見る。主要登場人物のイソップが脳腫瘍で倒れる。いったいこの先どうなるのか? でも僕は来週には東京に戻らなければならない。イソップの病気がどうなってしまうのか、残念ながら知ることはできない。
「どうして俺だけ続きが見れないのか!」そんな時、東京の高校やめて、田舎に帰りたいと思った。
今では「不良少女とよばれて」や「スクールウォーズ」のDVDをBOXで大人買いして、当時の鬱憤を晴らしている。
しかし、中学高校時代テレビが見れなくて、読書する環境に身を置けたのは、良かったことなのかもしれない。
斎藤孝ではないが、僕は1人暮らしによって「退屈力」が鍛えられた。
受験失敗と失恋と病気と刑務所を経験すれば立派な男になれると、どこかで聞いたことがあるが、刑務所の独房に2〜3年入れば、差し入れの本を片っ端から読むことで、圧倒的な読書力がつく。刑務所の独房は静かに集中して読書ができる最適な場所だ。
シャバでは読む気が起こらない難解な本でも、他に読む物がないために読まざるを得ず、読書力は鍛えられる。
あの佐藤優氏も「国策捜査」で逮捕され、独房で膨大な本を読むことによって、出所後あの神秘的な文章力で、読書家の書斎を豊かにする著述家になった。
僕も中学高校と6年間「少年院の独房」で暮らしたことになる。独房生活のおかげで、本を読むことが苦でなくなるどころか、読書が人生最高の趣味になった。
テレビを禁じられることで、脳が受動的な映像しか吸い取れないタイプから、能動的に活字を貪れるタイプに自己改造できた。
もし自分の読書力を鍛え上げたければ、テレビは直ちに捨てて、1年か2年読書一筋の生活をすればよい。テレビのない生活は、読書によって古今東西の超一流の人間の思想を吸い取り、強靭な人間性を鍛える千載一遇のチャンスである。
テレビは取っ付き易くフレンドリーだが、浅い。活字の本は無愛想だが、深い。
そのうち読書にのめり込むと、テレビより本のほうが遙かに情報量が多いことに気づき、本はハンディでどこでも楽しめ、テレビ以上の快楽をもたらすことに気づく。
テレビを見ない状況を無理やりにでも作れば、どんなに本嫌いな人間でも活字中毒になる。僕自身が身をもって体験しているから、間違いない。
ただ、あまりに長い期間の「独房生活」は、僕みたいな孤独に対して不感症な、偏屈な人間を作るので、2年ぐらいに留めておくのがよいかも。何ごとも、ほどほどが肝心です。