猫ギターの教育論

尾道市向島の塾「US塾」塾長のブログ 早稲田大学・開成高校出身 本音が飛び交う、少し「上から目線」の教育論
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竹中平蔵「竹中式 マトリクス勉強法」
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    竹中平蔵の「竹中式 マトリクス勉強法」に、「徹夜は知的生活の大敵」というテーマで、こんな記述がある。
    --------------------------------------------------
    勉強とはある一点に向けて意識を集中させること。そのためには、まず集中する環境が必要であり、やはり灼熱の太陽の下で勉強することは難しい。

    勉強する環境を整えることは、非常に重要です。エアコンの効いた部屋や、快適な椅子など集中できる空間を確保することも必要ですが、その大前提となるのが自分の健康を管理することです。

    (中略)

    健康を保つうえでとりわけ大切なのが、睡眠です。断言します。徹夜や睡眠不足は知的生活の敵です。

    確かに世の中には、睡眠時間2〜3時間でも全然平気、という会社社長や政治家といった人種は意外にいます。とはいえ、社長や政治家が使う仕事のエネルギーと、勉強に集中するエネルギーは、実は方向性がまったく違います。

    これは私が政治家も学者も両方やってみて初めて分かったことですが、政治家のように忙しく動き回って30分おきに人と会うような仕事、つまり一日中ハイテンションでアドレナリンが放出しまくりというタイプの仕事は、多少の寝不足でも可能です。いやむしろ、寝不足でハイテンションくらいのほうがちょうどいいのかもしれません。

    ところが、精神をコンセントレイト(集中)させる作業、すなわち勉強や原稿の執筆などの仕事は、ハイの状況では到底できないと思います。コンスタントに黙々と打ち込めるように、生活のリズムを整えることが欠かせないのです。

    そのために、一定以上の睡眠時間を確保することは非常に重要です。これは私が年齢を重ねて出した結論です。
    --------------------------------------------------

    これを一言で要約すれば「徹夜で勉強してはならない」ということになる。

    たしかに徹夜で勉強すれば、午前3時〜4時頃には意識が朦朧としてくるし、ひどい時は頭痛がする。頭がウニになって、どうしても意識が集中しない時は、コーヒーやユンケルの力を借りながら、かろうじて起きていることは可能だが、頭に知識が詰め込まれている感じがしない。

    また徹夜のあとは反動で、時差ボケのように脳がモサッと霧がかかったみたいになり、ちょっと気を抜くと徹夜の次の日に13時間も睡眠したりして、せっかく徹夜までして寝る時間を割き、勉強時間を工面したのにもったいない。
    だから私は大学受験生には、あまり徹夜を強制しない。

    ただ、やっぱり徹夜勉強は、何度か経験しておく方が絶対にいい。

    徹夜勉強していると、ノリがいいときには、眠さを超越して頭がトランス状態になり、物凄く集中できることがないだろうか。朝の5時6時ぐらいに、魔法のような集中力が湧き出る瞬間がある。

    また徹夜を経験しておけば、「勉強体力」がつき、いざとなったら勉強に「ド集中」できるんだという自信がつく。
    42.195km走るためには、ときには100km走る地獄を経験しておいた方がいい。

    竹中氏も多忙な人だから、何度も徹夜を余儀なくされたことだろう。数知れない徹夜の経験があるからこそ、徹夜は良くないとアドバイスできるのだ。

    いったん徹夜を経験して、徹夜の効率が悪いことを知ってはじめて、無理しないコンスタントな生活のリズムを作ることが、集中力を高める上で最適だということを、体の芯から会得するのではないか。

    徹夜すれば、自分の「勉強体力」の限界と非限界の境界線がわかる。悪い言葉かもしれないが、徹夜は自分の限界を見極める「人体実験」なのだ。

    境界線を把握した上で、より境界線のレベルを上げていく。どうしても勉強しなければならない時、睡魔に襲われたらいかに気分転換し、集中力を回復させるにはどうしたらいいか、徹夜を通して身体で学ぶことができる。

    強い集中力は、睡魔をぶち殺すのだ。

    独りぼっちの孤独な夜を過ごすのもいい。ロカビリー先生の塾のように、仲間と一緒に連帯感を持ちながら夜を徹するのもいい。

    夜眠いのを我慢して頑張った人間こそ、竹中平蔵氏のように涼しい顔で「徹夜は知的生活の大敵」と言えるのである。






    ★開成塾・大学受験
    尾道市向島・定員7名・少数精鋭








    | 読み応えのある本 | 23:16 | - | - | ↑PAGE TOP
    司馬遼太郎「燃えよ剣」
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      私が初めて触れた司馬遼太郎作品は「項羽と劉邦」で、中国の歴史といえば三国志しか知らなかった私だが、「項羽と劉邦」は中国史の面白さをたっぷり教えてくれた。
      確か中3の時だったと思うが、「項羽と劉邦」は2回読み返した。

      中3の時まで司馬遼太郎の存在は知ってはいたのだが、なぜか司馬遼太郎には総白髪の奇抜でアバンギャルドな爺さんというイメージがあり、容姿のいかがわしさが妨害して読む気になれなかったのである。
      「なんでこの人の髪は、こんなに白いのだろう」と不思議に思っていた。

      だが「項羽と劉邦」がきっかけで、その後は図書館で本を借りたり、なけなしの小遣いで、司馬遼太郎の主だった歴史小説を読み尽くした。

      私は中高6年間、親元から離れて一人暮らしをしていたが、私が世話になった下宿はテレビ禁止だった。
      私はテレビオタクのように思われているが、実は13歳から18歳まで、田舎に帰省した時以外は、テレビを見ることができなかったのである。

      自室にはテレビが無い。だから私は必然的に活字の本ばかり読んでいた。
      漫画は速く読めてしまうわりに値段が高い。500円も出して買った漫画は30分で読めてしまう。当時はまんが喫茶なんか存在しないし、小遣いの少ない私は漫画を極力買わず、10時間でも楽しめそうな分厚い西洋文学や歴史小説を買った。
      分厚くて難しい本の方が、漫画よりコストパフォーマンスが高いのだ。貧乏だったから必然的に時間をかけないと読めない本を買うようになった。

      司馬遼太郎の小説は、私のようなTVも見れないし、漫画を買う金も無い若者には最高の本だった。面白いしためになるし、力が湧いてくる。
      司馬遼太郎ストーリーにどっぷり読者を浸らせる凄い筆力を持つ作家だし、また浪漫あふれる歴史小説の世界にはまると、自分のしょぼい四畳半の部屋が、将来の革命家が不遇時代に住んだ部屋に思えてきた。

      今でも頻繁に司馬遼太郎の著作は読み返す。「坂の上の雲」や「竜馬が行く」は、4回は読み返しているだろう。

      司馬遼太郎を読んだことがない人間は幸せだ。もはや私は司馬遼太郎の新刊に接することはできない。
      司馬遼太郎未経験者は、まず「燃えよ剣」あたりから読み始めたらどうだろう。土方歳三の話で、分量も上下2巻と司馬遼太郎の本の割には短い。

      | 読み応えのある本 | 17:21 | - | - | ↑PAGE TOP
      はだしのゲンを必読書に
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        僕は小学校3年生まで、「戦争」というものを勘違いしていた。
        幼かった僕は、「戦争」とは兵隊さんが広いグラウンドへ集まって戦う、運動会を少しだけ本格的にした競技だと思っていた。

        戦う兵士を見ながら、家族たちが弁当を広げて、応援しながら観戦する運動会のような光景が、幼い僕の「戦争」のイメージだった。

        戦争では銃弾が飛び交い、飛行機はミサイルを放ち、戦車は砲弾を撃ち込む。ここまではいい。
        でも戦いのあと、人間の死体がゴロゴロ地面に転がることには、思いが至らなかった。

        戦争とは水戸黄門の、助さんや格さんや弥七があれだけ悪者を痛めつけても誰も死なずに、黄門様が印籠を出した瞬間、ちゃんとみんな立ち上がって土下座している、あの場面みたいなものだと漠然と思っていた。

        アンパンマンにぶっ飛ばされたバイキンマンは、次の話でも元気に生きていて、懲りずにアンパンマンに悪さを仕掛けていても、疑問を感じない。
        また赤ずきんちゃんで、「赤ずきんちゃんは、お婆さんに食べられました」と言われても心は痛まず、お婆さんの胃の消化液の酸に溶かされ、意識がありながらじっくり死んでいく赤ずきんちゃんの断末魔の苦痛など、想像できなかった。

        とにかく頭が幼な過ぎて、死や死後の世界について理解できず、だから国と国とが戦い、人と人が殺し合うことなど思いもよらなかった。

        ところが小学校3年生の時、学校の教室に置いてあった「はだしのゲン」を読んで、あり得ないほどの衝撃を受けた。
        そのあと畳み掛けるように広島の平和記念館へ行き、さらに尾道市公会堂で「はだしのゲン」の映画を見て、世界観が一気に変わった。

        突然、戦争と原爆の恐怖の洗脳を浴びた。

        手の皮をボロ雑巾のように垂らす人、ガラスの破片が全身に刺さった人、川に浮かんだ腹がカエルのように膨らんだ死体、黒焦げになり墨と化した死体・・・・・
        人間はか弱い生き物に過ぎず、残酷な苦痛を得た後で一生を終えることもあることを知った。子供の想像力を超えた、人間の姿の痛々しい変わり果てように、夜トイレに行くのが怖くなった。

        爆心地にいる人は一瞬で死んだ。広島原爆の爆心地・原爆ドームの周辺の温度は6000度、太陽の表面温度と同じ温度。人間の皮膚や骨は、固体から液体を飛び越え瞬時に気体と化して蒸発し、何の形も残さない。

        彼らは原爆が落ちた瞬間、いきなり目に閃光が飛び込み、生と死の一線を全く意識する間もなく死んでいったのだろう。

        とにかく、原爆という、巨大ゴキブリのように黒光りした1個の爆弾で家族が死ぬ。友達が死ぬ。自分が死ぬ。愛する猫が死ぬ。死んで肉体と精神の存在が消滅する。「はだしのゲン」と、広島の平和記念館は、人間が途方もなく残酷になれることを教えてくれた。



        ところで、「はだしのゲン」の作者、中沢啓治氏は左翼寄りの人だ。お父さんは下駄の絵付け職人で反戦思想の持ち主で、戦時中「非国民」と呼ばれ警察で拷問も受けた。息子の中沢啓治氏も、父の反戦思想を濃く受け継いでいる。

        中沢氏は父親と姉と弟を失い、焼け野原の広島で母と一緒に生死の境をさまよった。そんな悲惨な体験をした人が、天皇や日本軍部やアメリカを恨むのは、当然の成り行きではないかと納得してしまう。

        「はだしのゲン」が描き出す、原爆投下直後の風景は圧倒的だ。
        中沢啓治の絵はグロい。原爆の阿鼻叫喚の光景が、中沢啓治のグロ絵に合っている。

        だから、中沢啓治は「はだしのゲン」のあと、ヒット作を出せなかったのだろう。中沢啓治がどんな風景を描いても戦中戦後の広島にしか見えないし、人物を描けば原爆の犠牲者像になってしまう。中沢啓治のグロテスクで強烈な画風は、もはや原爆のイメージとは離れられなくなってしまった。

        とにかく「はだしのゲン」は、政治的なイデオロギーを超越した説得力を持つ。左向きの人はともかく、右向きの人すら虜にする。
        なぜなら、左翼の身体だけが燃えやすい炭素で、右翼の体は耐熱性の鋼鉄でできているわけではないからだ。誰もが原爆の猛威の前では「平等」に死ぬ。

        「はだしのゲン」は、読者の脳に訴えかける作品ではなく、肉体に衝撃を与える作品だ。読者のイデオロギーがなんであろうと、フィジカルな痛みを実感させる。読んでて体が痛くなる作品である。

        原爆投下直後の、猛火が荒れ狂う轟音、一面に陽炎が立つような灼熱、肉体が焼ける焦げ臭さ、もはや体験したことがない人でないとわからない描写が、思想の壁を越えて、読者の言葉を奪ってしまう。

        特に「はだしのゲン」で圧倒的なのは、生きている人が焼けるとき「ギギー」という擬音が使われることだ。
        「ギギー」は擬声語なのか擬態語なのか、いまだにわからないのだが、「ギギー」が擬声語だとすると、それは焼かれる人間の断末魔のあえぎなのだろうか? 人は「ギギー」という音を口から発しながら死んでいくのか? 異常にリアルな音だ。

        僕は思想教育は嫌いだが、小学生・中学生には、絶対に「はだしのゲン」を読んで欲しいと思う。僕の世代まで「はだしのゲン」は誰もが読んでいた。そういえば「はだしのゲン」はなんと、少年ジャンプに掲載されていたのである。

        僕の子供時代みたいに、戦争を運動会だと思っている若者は、意外と多いはずである。戦争を知らない好戦家ほど、世の中に害をなす物はいない。





        ★開成塾
        尾道市向島・しまなみ海道の知的空間





        | 読み応えのある本 | 18:08 | - | - | ↑PAGE TOP
        海外旅行に持って行く本
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          海外旅行に持って行く本は迷う。
          1人旅だと6〜7冊、誰かと行く時は2〜3冊携帯する。どんな本を持っていくか、セレクトするのは楽しい。

          1人旅だと飛行機やバスや地下鉄やホテルの中、あるいはレストランで料理が来るまでの間は暇なので、本は絶対に欠かせない。
          私は外国で一人で食事をするとき、本を開いたまま食べられるよう、塾にある大きな目玉クリップを持参する。目玉クリップで本が開かないよう上からはさむ。
          この方法なら本を読みながら食事ができる。レストランの給仕は変な日本人が来たと呆れるだろう。

          友人や彼女との旅なら、夜は2時頃まで酒飲んで意識が飛び、グテングテンになるまで会話が弾んで、本など全く必要としないのだが、飛行機やバスの中でペチャクチャ話し込んでいたら他の乗客に迷惑だし、公共の場では最低限の活字がいる。

          ソウルや香港や台北なら、大きな書店に行けば日本の本は売っているが、日本国内より3割ぐらい高い。たとえばソウルで活字に困ったら高速バスセンターやCOEXの大型書店に駆け込むが、3割増しはちょっと買うのに躊躇する。

          海外旅行に携帯する本として、ハードカバーは重すぎる。ハードカバーの本を持っていくと、カバンに岩石を詰めたみたいで、旅行中ずっと重荷になり肩が凝るので避けている。

          漫画もダメだ。漫画はすぐに読み終えてしまう。関空からタイへ行った時、空港の売店で「美味しんぼ」の最新刊を買ったのはいいが、空港の待合室で30分で読みきってしまい、捨てるのももったいないので、読み終わった「美味しんぼ」は私のカバンの中に入ったまま、カバンの重量を増やす役割しか果たさず、バンコクを往復したのだった。

          携帯電話以上、ノートパソコン以下ぐらいの大きさの画面に、漫画が数百冊詰め込める電子漫画ブックのようなものがあれば、海外旅行中に重宝するのだけど。

          結局、海外旅行に持って行くのは文庫本に限る。文庫本なら軽くてハンディーだ。BOOK OFFの100円コーナーから数冊見繕って、読み終った本から現地でどんどん捨てればよい。

          ただ、持参した本がつまらなかったら、旅行が台無しになる。選択には神経を使わなければならない。
          一番安全な方法は、私の好きな作家が書いた、昔読んだけど内容の記憶が薄れつつある、一度読んでいるから面白いことは実証済みの文庫本を持っていくことだ。司馬遼太郎や松本清張なんか最適だ。
          ロサンゼルスで「砂の器」、ロンドンで「箱根の坂」を読むのは、ミスマッチだがいい。

          あと気軽に読める、ストーリーテラーの作家。浅田次郎や宮部みゆきや伊坂幸太郎や横山秀夫や奥田英朗、外国ならグリシャムやキングあたりが旅行には適している。

          ただ、彼らの本の弱点は、結構早く読めてしまうので、すぐに荷物になってしまうことである。北京と上海1週間の旅に、浅田次郎の「蒼穹の昴」の文庫4冊持参した時、4日で読みきってしまいあとの3日途方に暮れてしまった。読みやすくて面白い、ストーリーの推進力がある本も困りものだ。
          だからといって難解すぎる本は困る。ちょうどいいのは、難解ではないのに、なかなか読み終わることができない本だ。
          海外旅行の本選びは難しい。


           
          | 読み応えのある本 | 20:11 | - | - | ↑PAGE TOP
          藤沢周平「蝉しぐれ」
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            藤沢周平「蝉しぐれ」という題名だけ聞いて、
            「なんだ、40代50代のオッサンが通勤電車で読んでる本か、オレとは無縁の世界の本だ・・・」
            と読み飛ばそうと思った、時代小説に無関心の皆さん。
            お願いだから読んで〜 もうちょっとだけ僕の話を聞いてくれ〜

            時代小説って、読む人はメチャクチャ好きだけど、読まない人は絶対に読まない。それはとてももったいない。

            藤沢周平「蝉しぐれ」は、時代小説の最高傑作である。
            小説好きの人と話していて「藤沢周平」の名前が出ると、お互い顔がほころんでしまう。誰からも愛され敬意を払われる小説家だ。

            時代小説と聞くと、なんだか加齢臭が漂ってきそうなものだが、藤沢周平の文体は澄んで颯爽としていて、活字から新緑の薫りが立ち昇る。
            とにかく時代小説を敬遠してきた人は「蝉しぐれ」1冊だけでいいから、時代小説に触れてほしい。


            ところで、時代小説嫌いの人は、まず地名や人名の古めかしさに抵抗があるに違いない。
            まず「海坂藩普請組の組屋敷の、牧文四郎は、昼間は居駒礼助の私塾で経書を学び、昼過ぎからは鍛冶町にある空鈍流の石栗道場に行く」
            という、時代がかった固有名詞のオンパレードでつまずき、本を投げ出したくなる。

            ただ、こんな小難しい記述はスルーすればいいのであって、
            「高島平の12階建て社宅に住む、牧村四郎は、昼間は西高島平中学校で学び、放課後は常盤台にあるサッカークラブに行く」
            と、自分勝手に翻訳して読めばいいのである。

            古めかしい表現を取り払った後には、まぎれもなく、私達と同じ人間の営みがある。あとは安心して小説家の筆に身をまかせるが良い。

            ではなぜ、小説家はわざわざ古めかしい言葉を使ってまで、時代設定を過去に移して小説を書くのか。
            読者はなぜ、黴臭い古本屋の匂いが漂うような時代小説を好んで読むのか。

            過去の歴史には、現代人が想像もつかないような、戦争の困苦や、政治の干渉や、時代の急激な変転によって、人々の日常生活が強い干渉を受けてきた。

            戦国時代や第二次世界大戦期は死の恐怖、幕末や昭和初期はテロの横行、江戸時代は身分制度の不公平、とにかく日本の歴史において、時代の激しい潮流が、しばしば人間の肉体を破壊した。

            長い歴史上、人間は死線を彷徨うギリギリの状態に置かれ、人間性を試されてきた。
            時代小説は、現代ではありえない極限状態に置かれた人間が、どんな態度を取り、どう運命に立ち向かって行ったか、土俵際に立たされた人間の立ち振る舞いを残酷に描く。切羽詰った人間の姿が、読者の心を打つのである。

            また、もし読者自身が過酷な極限状態に置かれたらどう振る舞うべきか、時代小説によって絶えず考えさせられる。時代小説は、読者の人生観すら試すのである。

            江戸時代の山形県を舞台にした、「蝉しぐれ」の主人公である15歳の文四郎も、現在の中学生・高校生なら絶対に見舞われることがない、時代小説にしかありえない、とんでもない試練に遭遇する。

            「蝉しぐれ」のあらすじを紹介してみよう。

            文四郎は市中の剣術道場と学塾に通い、道場でも期待の俊才だった。
            しかし突然、藩内を二分する政争がおこり、文四郎の養父助左衛門が巻きこまれる。助左衛門は寡黙な人物だが、義父の姿を文四郎はひそかに尊敬していた。
            そして、養父助左衛門に切腹が言い渡される。
            それから文四郎の生活は一変する。罪人の子としての辛い日々がはじまった。
            義父の切腹、家禄没収という厳しい運命の中、文四郎はひたすら耐え、鬱屈を晴らすように剣術にあけくれる。運命の不条理に対する怒りを、ただ健気に剣先だけに込める。
            そして文四郎は成長し、認められる日がやってくる・・・

            「モンテ・クリスト」のような復讐劇にも見えるが、文四郎の純粋な性格のせいか、ドロドロしていない。むしろ「蝉しぐれ」のメインストーリーは、幼馴染の女の子「ふく」との悲恋にあるのだ。

            この小説で一番衝撃的シーンは、文四郎が切腹後に役所から引き取った父親の屍体を、羽織で覆い隠しながら、大八車で街中を家まで曳く場面である。
            15歳の子供が、切腹した父親の死体を衆目監視の中、1人で運ぶ。何とも凄惨な場面である。

            文四郎は炎天下の中、父親の重い遺体を大八車に乗せて歩く。人々は好奇の目で、荒莚の下から足首が出た車を見つめる。
            無念の死を果たした父の屍体を曳く文四郎に対して、政敵の子である同級生達は「ほう、罪人の子が死人をはこんで来たぞ」と、揶揄の声をかけながら嘲り笑う。
            文四郎は熱い怒りが胸にこみ上げ、棍棒を下ろして殴り合いたい気持ちになりながらも、怒りを押さえる・・・

            現在でも「いじめ」は横行しているが、15歳の男の子が1人で父親の死体を大八車に乗せ、街中の見世物になり、同級生にその姿をからかわれるというドフトエフスキー的地獄絵図は、絶対にありえない。時代小説の凄みが凝縮された場面である。

            最後にひとつ、父の遺体を運んでいる場面の、素晴らしい一節を紹介しよう。

            「文四郎は喘ぎを静めながらさかさまに天を指している青白くて大きい足を見る。すると、いま父と二人きりでいるという気がして来るのだった。
             父上、いま少しの辛抱ですぞ、と文四郎は胸の中でささやきかけて棍棒をにぎり直した。実際にそう思ったあとは、いくらか元気がもどって来る気がした。」

            こんな描写こそが、私が藤沢周平を尊敬する最大の理由である。

            とにかく「蝉しぐれ」は、地獄の試練を味わい、極限状態に置かれた15歳の若者が、自分を曲げず真直ぐに生きる物語で、読者の感情を強く揺さぶる。
            高校生に「何かいい本がありますか?」と訊ねられたら、躊躇なくこの本を薦める。
            | 読み応えのある本 | 18:14 | - | - | ↑PAGE TOP
            稲盛和夫の「ガキの自叙伝」
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              起業したり、企業に就職して高いポジションに就こうと志している若者に向けて、薦めるべき本は何だろうか。

              「カネもない、コネもない、ただ能力と野心は誰にも負けない」
              そんな若者に薦めたいのは、成功者の自伝や伝記だ。

              政治家の文章はどうか。権力を手にした政治家こそ、現世で最高の成功者といえなくもないのだが、ただ日本の政治家は世襲が多い。

              政治家の本を手にとって経歴を読めば
              「26歳で代議士の父親のあとを継ぎ、衆議院議員に当選」
              なんて書いてあり、ハングリー精神で這い上がろうとする若者の野心を萎えさせる。世襲議員の生き方は全く参考にならない。

              戦後の日本の成功者は財界に多い。松下幸之助・井深大・盛田昭夫・本田宗一郎など、戦後日本のヒーローは、研究者としても経営者としても優れていた。
              彼らは情熱的な研究者でありながら、経営者としても一流で、社員をまとめ、社外にも多くの味方を作ってきた人物だ。

              内向的な理系の研究者は対人関係に難があり、外向的な文系は人づきあいがいいが、技術に関しては無知だ。理系と文系の長所をあわせ持つ、すなわち
              「文系のマインド、理系のブレイン」
              を持つ人物こそが、戦後日本の風景、日本人のライフスタイルを根本から変えた、戦後日本を代表する「偉人」として、尊敬されてきた。

              稲盛和夫氏も、松下幸之助・井深大・盛田昭夫・本田宗一郎のように「文系のマインド、理系のブレイン」を持つ、戦後日本を彩る偉人の1人である。
              改めて紹介するまでもないが、稲盛和夫は「日本一の下請け業者」ともいうべき京セラの創業者で、KDDIとauを擁し、かつては電話電信の独占企業だったNTTという巨艦に戦いを挑んだ、立志伝中の人物である。

              NTTに喧嘩を売るなんて、凄くねえか?

              「ガキの自叙伝」は、そんな熱血経営者・稲盛和夫の自伝であり、日本経済新聞「私の履歴書」の連載を、まとめたものである。

              成功した起業家の本は書店にあふれている。ただ若いIT長者の自伝を読むと、抜き身の刀みたいに尖っていて、人望に欠け、どこか危なっかしく感じる。
              「若くしてバブリーに成功するが、その後は転落の人生を送る」経営者がいかに多いことか。将来を嘱望された若者には、この種の本はあまり薦めたくない。

              逆に稲盛氏は、熱い若者の「手本」になる人だ。稲盛氏の生き方考え方が血肉化すれば、間違いは絶対に起こさない、何らかの成功は手に入れることができるんじゃないか、そう思わせる安心感がある。
              稲盛氏の本を読んでいたら、読者も稲盛氏の成功を一緒に祝福したい、そんな気持ちになってしまう。

              稲盛氏も、若き日は尖った野心を露わにし、周囲の人間と軋轢を生んできた。しかし彼は「私心」を捨て、「私心」を捨てることが他者利益どころか自己実現につながることを経験してきた。
              彼の生き方には、西郷隆盛の影響を強く感じる。

              細かい内容はあえて書かない。ただ、心の中に沸々とした炎を持つ若者には、絶対読んでいただきたい。

              文庫版の堺屋太一の解説が素晴らしいので、断片を掲載しておこう。

              現代の日本のリーダーには二つのタイプがある。一つは、一流大学を卒業して大組織に入り、人事の段階を丹念に昇り詰めた人々だ。いわば「予定通りの人生」を歩んだ成功者である。
              もう一つは、努力と才能と幸運によって苦境を乗り越えて意想外の大成果を築き上げた人々だ。波乱万丈の人生の勝利者といえるだろう。
              稲盛和夫さんは戦後における後者の代表格、松下幸之助氏や本田宗一郎氏に次ぐ創業者である。

              世に成功を求めて冒険を企てるものは多いが、明確な使命感と激しい情熱と透徹した思想を併せ持つ者は少ない。大抵の者は、時に目先の利益を追い、時に世間の評判におもねり、時には小成に舞い上がる。新興企業の創業者として、雑誌やテレビで取り上げられた人々の多くが破綻し消滅するのは、このいずれかである。

              稲盛さんの著述を見ると、知人に恵まれた幸運が強調されているが、その背景には、他人を納得させるほどの使命感が輝いていたからだろう。

              使命感は夢といってもよい。情熱は志といえるだろう。そして思想は、現状に対する憤りを生む。成功した創業者に共通しているのはこの三つ、夢と志と憤りの絶えざる燃焼である。それ故に、本物の創業者は、現実に対する不満にもだえ、改革の意欲を燃やし続ける。


              「夢と志と憤りの絶えざる燃焼」、素晴らしい言葉だと思う。

              縁があって世に生まれてきたんだから、どうせなら大きな人生を送ろうじゃないか。そんな大きな志を持つ若者は、稲盛氏の人生の模倣から初めて、自分独自のオリジナルな道を歩んで欲しい。

              稲盛氏は本の中で「ガキの情熱は忘れるな」と熱く語っていると同時に、「ガキのままでは駄目なんだ」と諭している。
              ガキの情熱を保ったまま、大人の叡智を吸収する、難しいことかもしれないが、稲盛氏から極意を学んで欲しい。
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              「言葉は爆発だ」岡本太郎
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                ぶっ飛んだ発想をする科学者は、ぶっ飛んだ名言を残す。
                理論物理学者・アインシュタインの名言を、いくつか挙げてみよう。

                常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう

                人は海のようなものである。あるときは穏やかで友好的
                あるときはしけて、悪意に満ちている。
                ここで知っておかなければならないのは
                人間もほとんどが水で構成されているということです

                わたしには、特殊な才能はありません
                ただ、熱狂的な好奇心があるだけです

                理詰めで物事を考えることによって、新しい発見をしたことは
                私には一度もない

                人間の邪悪な心を変えるより
                プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい

                わたしは天才ではありません
                ただ、人より長く一つのこととつき合ってきただけです

                どうして自分を責めるんだ? 
                他人がちゃんと責めてくれるんだから、いいじゃないか

                結果というものにたどりつけるのは、偏執狂だけである

                賞賛による堕落から逃れる方法は、ただひとつ
                仕事を続けることである

                学校で学んだことを一切忘れてしまった時になお残っているもの
                それこそ教育だ

                私にはよいアイディアが浮かびますが、他の人もそうです
                ただ私の場合幸運だったのは
                そのアイディアが受け入れられたということです

                私たちは知性を神格化しないよう、十分注意しなくてはなりません

                私は、一日100回は、自分に言い聞かせます
                私の精神的ならびに物質的生活は
                他者の労働の上に成り立っているということを

                熱いストーブに1分間手をのせてみてください
                まるで1時間ぐらいに感じられるでしょう
                ところが、かわいい女の子といっしょに1時間座っていても
                1分間ぐらいにしか感じられません
                それが、相対性というものです

                ある偶然の出来事を維持しようとする不幸な試みを結婚という

                第三次世界大戦はどう戦われるでしょうか
                わたしにはわかりません
                しかし、第四次大戦ならわかります
                石と棒を使って戦われることでしょう

                いいジョークは何度も言わない方がいい



                相田みつをが裸足で逃げ出すような、名言の嵐である。



                さらに、ぶっ飛んだ芸術家も、負けずに名言を残す。
                「太陽の塔」「芸術は爆発だ」の岡本太郎の言葉は、胸に強烈なパンチを食らわす。
                気力のボルテージを上げるには最高の、重量級の言葉だ。

                私は「格言」「名言」の類には、あまり心を動かされないタイプの人間だが、岡本太郎の放つフレーズに対しては、心に大地震が起きる。

                感動のあまり、むかしピロさんに、岡本太郎名言集「強く生きる言葉」「壁を破る言葉」「愛する言葉」の3冊を、段ボールに詰めて送ったこともある。

                岡本太郎の言葉をガンガン挙げてみる。

                自分に能力がないなんて決めて
                引っ込んでしまっては駄目だ
                なければなおいい
                今まで世の中で、能力とか才能なんて思われていたものを越えた
                決意の凄みを見せてやるというつもりで、やればいいんだよ

                生涯を通じて、決意した自分に絶望的に賭けるのだ
                変節してはならない

                弱きになって逃げようとしたら、絶対に状況に負けてしまう
                逆に、挑むのだ
                無目的に、まったく意味のない挑み

                信念のためには、たとえ敗れるとわかっていても、おのれを貫く
                そういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと
                ぼくはいいたいんだ

                青春は永遠に、はじめからのやり直しだ

                むしろ “成功は失敗のもと”と逆に言いたい
                その方が、この人生の面白さを、正確に言いあてている

                人間として、言いたいことを言う、やりたいことをやる
                収入はそれについてくることもあるし、こないこともある
                勝手にしやがれだよ

                思想はほとんどの場合、社会の情勢とは悲劇的に対立する
                しかし、その対決で世界は充実していく。それが「思想」なんだよ
                ほんものの思想だったら、情況はどうあれ
                そんなにコロコロとかわるものではないはずなんだ

                感性をみがくという言葉はおかしいと思うんだ
                感性というのは、誰にでも、瞬時にわき起こるものだ
                感性だけ鋭くして、みがきたいと思ってもだめだね
                自分自身をいろいろな条件にぶつけることによって
                はじめて自分全体の中に燃えあがり、広がるものが感性だよ

                一流だから知りたい、好きになりたいなんていう
                さもしい根性をもたずに
                自分のほんとうに感動する人間を探し、つかまえるんだね

                背広を着て現代を受け入れながら
                本質的にはねかえしていくんだ
                制約されるからこそ、内にたぎる、反逆する情熱
                それを色、形、言葉、行動として
                爆発させていくんだよ

                挫折は飛躍の足がかりになる、だから、挫折を怖れちゃだめだ
                落っこちたり上がったりして、全身を躍動させるんだ

                弱い人間は、やさしくはあり得ない、ぼくはそう思うね
                キミは、弱さをやさしさで隠しているというけれど
                もしほんとに隠しきることができるんだったら
                それは強さだよ

                キミが、学校の校則に腹を立てるなら、その怒りをぼくのように
                自由を抑えようとするこの世の中全体に向けて
                爆発させるべきだ

                漠然なんて表現は、ごまかしにすぎないんだ
                いま、漠然としているから、永遠に漠然としちゃうんだ
                具体的な夢を、いまもってないといけないんだ

                人は誤解を恐れる
                だが本当に生きようとする者は、当然誤解される
                誤解される分量に応じて、その人は強く豊かなのだ
                誤解の満艦飾となって、誇らかに華やぐべきだ

                カッコウにとらわれそうになったら
                自分を叩きつぶしてやれ

                今、この瞬間
                まったく無目的で、無償で
                生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する
                それがすべてだ

                孤独こそ人間が強烈に生きるバネだ
                孤独だからこそ、全人類と結びつき
                宇宙に向かってひらいていくんだ

                人間の矛盾は、激しく世界を意識し
                他にかかわればかかわるほど
                自分自身は孤独になるのだ
                逆に言えば、孤独であればあるほど、他にかかわる

                実際悪口のいいようがない、百点満点の答案みたいな絵ぐらい
                がっかりするものはない

                何々に期待するとか、こうあってほしいと言っているんじゃあない
                オレはこうだ、と言っているだけだ

                爆発というと、みんなドカーンと音がして
                物が飛び散ったり、壊れたり
                また血が流れたりする、暴力的なテロを考える
                僕の爆発はそういうんじゃないんだ
                音もなく、宇宙に向かって精神が、いのちがぱあっとひらく
                無条件に、それが爆発だ

                生きるというのは瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて
                現在に充実することだ
                過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では
                現在を本当に生きることはできない

                憤り、己をつらぬき、表現することこそ
                最も純粋な人間の証である
                むしろ、憤りこそ人間行動の最初のモチーフだと思う
                言うべきことを言う。憤りを、生きがいとしてつき出してゆく
                抵抗の火の粉を身にかぶる。楽しいではないか

                ぼくは、プライドというのは絶対必要だと思う
                自分がバカであろうと、非力であろうと
                それがオレだ、そういう自分全体に責任をもって
                堂々と押し出す、それがプライドだ
                ところが自尊心だとか、プライドだとかいいながら
                まるで反対のことを考えている人間が多い
                他人に対して自分がどうであるか
                つまり、他人は自分のことを
                どう見ているかなんてことを気にしていたら
                絶対的な自分というものはなくなってしまう

                僕は、僕の指や、爪を
                ほんとうに僕のものなのか
                たしかめてみたい

                血の気のある人間が
                この世の中で自分をつらぬこうとしたら、
                猛烈にヤセがまんするほかない

                新しいといわれたら、それはもうすでに
                新しいのではないと考えたってさしつかえないでしょう
                ほんとうの新しいものは、
                そういうふうに新しいものとさえ思われない
                たやすく許されない表現のなかにこそ
                ほんとうの新鮮さがあるのです

                字は絵だろ。字だって記号だ
                どっちも呪術をはらんでいる

                芸術とは、愛したり理解したりするものではない
                それによってひっ捉えられ、つきとばされる
                ついに踏みとどまって自分で立ち上がる
                そういう力である

                おのれをのりこえるということは
                極端におのれ自身になりきること以外にはありません

                相手に伝わらなくてもいいんだと思って、その純粋さをつらぬけば
                逆にその純粋さは伝わるんだよ

                あなた方がこれはやってはいけないことだと
                思われるようなことこそ
                大ていの場合、むしろやらなきゃいけないことである

                ほんとうに純粋な悪というのは
                善を超えるような悪のことだ
                もしも、そういう純粋な悪に徹しきれるなら
                その悪を貫きとおせばいい

                子供の頃から私は自分の胸の奥深いところに
                神聖な火が燃えているという、動かし難い感覚を持っていた
                それは誰にも冒させることのできない
                絶対的な存在感なのだ

                ほんとうの対決というのは
                自分を相手にぶつけ
                相手も自分にぶつかってきて
                お互いがそれによって、活きることが対決なんだよ

                鯉のぼり、いいねえ。あんな大きな魚が空を泳ぐんだよ
                凄いイマジネーションじゃないか
                それも、一人の芸術家の創作じゃない
                普通の民衆がみんなで自然に持ってるイメージなんだ
                世界中にひろめたいな

                人生の目的は悟ることではありません
                生きるんです。人間は動物ですから

                孤独ということは、絶対に社会的だ
                孤独者とは肉体的にも精神的にも
                他からの制約を誰よりも鋭く感じ
                それに傷つきながら、なお絶望的に挑む人間なのである

                芸術家は別れ道に立った時、危険な方を選ぶべきだ
                こっちへ行ったら危ないぞという方を選んだら
                それは芸術家だ

                今日の芸術は
                うまくあってはいけない
                きれいであってはならない
                ここちよくあってはならない




                恋愛についての格言も、熱い


                いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない

                恋愛の始まりというのは、
                誰でもよそゆきの気持ちになる
                お互いによそゆきだということを
                暗黙のうちに知っているよね
                だから、スリルがあるんだな
                それでいて、お互いに相手の隠している実体を
                猛烈に知りたがっている

                "愛”の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ
                そんな男は女を愛する資格はない

                本当にすばらしい女性というのは
                目ではなく、心に触れてくるものなんだ

                激しく自分が惚れていると感じるときは
                相手が裏切ったように見えるときだな

                愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて
                構える必要はない。
                きみの体全体が愛の告白なのだ

                彼女は精神的に肉体的に、僕の寂しさをいやそうとする
                しかし、そういう気持ちがわかればわかるほど
                ぼくは孤独になってくる


                岡本太郎は「芸術が爆発」しているけども、負けずに「言葉も爆発」している。

                | 読み応えのある本 | 23:31 | - | - | ↑PAGE TOP
                ビジネス書ばかり読むな!
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                  起業したり、大企業に就職して高いポジションに就こうと志している若者に向けて、薦めるべき本は何だろうか。

                  起業するからといって、若いうちからビジネス書ばかり読んでいたらダメだ。
                  ビジネス書を主体に読んでいる人間の言葉や文章は、どこか言葉が軽い。心に響かない。ひんやりとした冷酷さを奥底に感じてしまう。
                  活字がスカスカのビジネス書は、スカスカの人間しか作らない。

                  もう一度言う。軽い言葉では軽い人間しか動かせない。重い言葉は重い人間を動かす。

                  仕事に迷ったり、ビジネスのモチベーションを高めたい大人が、ビジネス書を濫読するのはわかる。零細塾の塾長の私ですら、ビジネス書の言葉しか目に映らない時もある。

                  ただ、若い時からビジネス書に淫した人間は、ビジネス書の「欲」の部分にしか目を向けない。
                  欲が勝てば自然に言葉が尖り、周囲から敬遠される。欲張りな人間に、誰が自分の人生を丸投げするか。起業どころの騒ぎではない。

                  起業家をめざす若者は多い。だけどビジネス書だけ読んでいる若い人の文章を読むと、「誰がお前なんかに使われるかボケ!」と強い抵抗を感じてしまう。

                  ビジネス書もいいが、もっと「あの人に人生を賭けたい、あの人の元で働いて、失敗して死んでも本望だ」と、西郷隆盛のような人望を集められる「情」の部分を鍛える読書が必要だ。

                  私の同級生の官僚やビジネスマンに会うと、出世している男ほど「情」の部分が表に出ている。彼らに「欲」がないわけではない。それどころか「欲」は誰よりも強い。
                  彼らは強い「欲」を「情」で上手にコーティングして、生の「欲」を露呈させない、紳士的な処世術を心がけている。

                  強過ぎる「欲」のエネルギーを、他人への「情」に変換させ、「無私」のオーラを纏う。そうしないとビジネス界では生き残っていけない。彼らの穏やかな態度を見ると、組織内の生存競争の激しさが察せられる。

                  ヤクザでも、親分ほど人当たりがいいという。

                  そんなわけで、うちの塾の人格者、高2のF君に勧めたのが藤沢周平の「蝉しぐれ」。「情」を育てるには最高の本である。誰でも知っている時代小説の最高峰だが、またいずれ書評を紹介する。
                  | 読み応えのある本 | 15:30 | - | - | ↑PAGE TOP
                  起業する若者が読むべき本
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                    起業したり、大企業に就職して高いポジションに就こうと志している若者に向けて、薦めるべき本は何だろうか。

                    事業を興したり、大企業で出世するには、言葉を鍛える訓練が必要だ。
                    名だたる企業には、先輩も同僚も後輩も高学歴の人間が多い。当然彼らの読書量は半端ではなく、国語力も高い。本を読みこなす高い能力が、そのまま人物の器量を測るものさしの一部になる。

                    特に都会の人間は本の虫だ。大都市の大書店の混雑ぶりや、書物の豊富さを見ればわかる。大量の書物と接する機会が多い都会の人間は、言葉に対して目が肥えている。

                    言葉に目の肥えた人に認められ、追い抜き、部下にし出世するためには、
                    「重量感があり、かつ繊細で、心をグラッと動かす言葉」
                    を、いつでも口から放てるようにしておかなければならない。

                    起業して、能力の高いスタッフを集めなければならない時、「オレについてくれば、絶対にいい思いをさせてやる」という、強い磁石のような言葉で相手を説得するケースも出てくる。

                    言葉は人の体温を上げる。
                    何かに対して熱くなれた経験があるなら、それは誰かの言葉によってだろう。
                    軽い言葉では軽い人間しか動かせない。重い言葉は重い人間を動かす。
                    小さなスコップでは土くれしか掘れないが、大きなブルドーザーは何10トンもの土石を動かす。

                    人の心を動かす重量感を持ち、細やかな心遣いのある言葉をストックするには、豊富な読書体験が是非とも必要だ。

                    ただ、読書のし過ぎも絶対に良くない。

                    私は読書が好きだ。確かに読書は心に幸福をもたらし、ある程度の知識が身につき、少しは気の利いた文章も書けるようになる。

                    ただ読書家の陥りやすい点は、頭でっかちになって、行動力に欠けてしまうことだ。実践能力が退化する。頭に経験知識が詰まり過ぎると、火星人みたいに頭が肥大化し、足が動かなくなる危険性がある。

                    電光石火の如き行動力が魅力の人間が、読書にはまってしまって、せっかくの行動力が書物で押さえつけられたら何にもならない。
                    読書から得た大人の分別が、ガキの行動力を奪ってしまう。

                    行動力を損なわない読書をするためには、まず読む本を選ぶことだ。起業家を目指す人間が、村上春樹なんか絶対に読んではいけない(たまにはいいけど)

                    行動力がある人間が、人の心を震わせる言葉を身につければ、怖いものなんか何もない。
                    ページをめくれば心が熱くなり、行動力に磨きがかかるような本を、週に1〜2回ほど紹介していきたい。
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                    野村克也「野村ノート」
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                      私は楽天の野村克也監督が好きだ。一見無愛想だが、放つ言葉に意味を含み、選手に対する関心(愛情、と言っていいかもしれない)が強い。

                      その愛情が肉親のサッチーやカツノリに対して向けられるあまり、トラブルが起きてしまうのだが、それも彼の情の強さを物語っている。情の強い人間は、溢れる情を制御できない時がある。

                      野村監督は素直なチームが性に合っているようだ。未熟だが純朴な選手がそろっていたヤクルトでは3度の日本一と大成功し、チームに退廃感が漂う阪神では3年連続最下位の屈辱を味わった。

                      野村監督は楽天でも成功しつつある。特に野村監督とマー君が出会ったのが大きい。素直で負けず嫌いで、涙もろくて感情が表に出やすい、素質も精神も一流のマー君を、野村監督が溺愛しているのがよくわかる。監督は選手を変えるが、選手が監督を変えることもあり得る。

                      さて、マー君が熟読しているという、野村監督の著書「野村ノート」に、素晴らしい一節があったのでご紹介しよう。



                      心を変えれば 態度が変わる

                      態度が変われば 行動が変わる

                      行動が変われば 習慣が変わる

                      習慣が変われば 人格が変わる

                      人格が変われば 運命が変わる

                      運命が変われば 人生が変わる



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